神の裁き
真雪の様に白い巨大な天秤。
それは、優雅に上空より降り立った。黙示録の竜を遥かに凌ぐその巨大さに、其れを知らないものは唯空を仰ぐのみ。鏡子は肌に冷気を感じ、総毛立つ。他の皆は、その様子も無いのに。
竜が唸る声がする。誰が唸るのか、憤怒か……嫉妬か……暴食か……傲慢か……それとも、銀の男が殺した数多の少女達か。
エリーシアは泉を見た。
泉はエリーシアを見た。――――心配しなくていい、とエリーシアの目が語る。
お前はわたしなのだから、何も不安がることはないの。使い方もやり方も、この魂が知っているのだから。この力は元を辿ればわたしの力。ユースティティアに与え、失った力。だから、あなたも使えるのよ。
「我が意に従い、裁きを下せ!!竜よ、黙示録の竜よ、汝は―――――」
二つの盃に、混と純の雫が注がれる。揺れる、揺れる盃はどちらへ傾く。
竜は抵抗した。この裁き自体を無きものにせんと、羽を震わせる。しかし、天の審判を妨げられるものはおよそ存在しない。まして大罪がそれを成し得るなど、言語道断である。
罪は、神の上に立てないのだから。
凄まじい濁流と、盃の落下の音が聖堂中に鳴り響く。天秤は大きく角度を混に変え、―――その真白を暗黒へ変貌させた。
「竜よ、汝は――――邪であり地である!‼!よってここに至高天の裁きを下す!!清流に呑まれ失せるがいい!!」
魔女は、泉とエリーシア―――二人の女主人の声に、在りし日の彼女を見た。灰色の髪を靡かせて、紫の瞳を震わせる天秤を持つ女を。
この裁きは、彼女の、ユースティティアのものであって、これを見下ろすのが女主人達であった。
嗚呼、ねえ、ユースティ。見てる?エリーシアの中で、見えてる?
あんたがあれ程求めた、神の裁きだよ。あんたが、あんなになるまでに夢見た……理由だよ。
なんて、なんて暖かい清流なんだろうね。辺り一面の穢れが流されていく。あたしの中の負も持っていかれると思ってたけど……なに、残してくれるの?ユースティ……。
そう、なら、やるよ。あたしがこの一撃を確実に撃ちこんであげようじゃない。見ていなさい、ユースティティア。あんたの、あんたの相棒が今度こそ大罪を討つところを!!
「リベカ――――ッ!!」
「地へ堕ちろ、あたしの業火を以て‼‼!」
一直線に飛び込んだ魔女の杭は、深々と黙示録の竜へ突き刺さる。
同じ属性であろうとも、それはより強大な力へは耐性も無いも同じ。小は大へ喰われ、消えていく。それは大罪も同じことだ。
されど、魔女の一撃は滅びまでは招けない。大罪は上山泉が、ミストレスが起こしたものだ。故にその力は尋常では無く、地に繋ぎ止める程度の力しか及ぼせない。地に落ちた円卓と魔導士と同じようにまた、竜は今度こそ地へ繋ぎ止められた。
天の上に煉獄を引き連れて、エリーシアは身を震わせた。
天の上に地獄を引き連れて、上山泉は目を見開いた。
胸に灯る、もう一つの力。
還って来たばかりの、王の武。
色にして、金。
形にして、剣。
エリーシアはフランベルジェを。
上山泉は、アンスを。
それぞれの剣を携えて、二人であり一人は金色の光を放つ。蒼天の髪を、亜麻色の髪を持つ者から渡された剣の力を頭上に掲げて、駆け出した。
「アアアアアアアアアぁあああああああああああああああ‼‼!」
竜より発せられる絶叫は、一人の声では無い。
数多の喉を経由した全色を混ぜた絵の具のように、入り乱れ歪み合う。
エリーシアは目を細めた。
上山泉は焦点を定めた。
距離を詰め、右足に重心を乗せ、一気に剣を振り上げた。
交わる髪、黒と金、交わる瞳、紅と紅。
二人が一つの影を共有するその一瞬に、王を祭る祭壇は血に染まる。
おびただしい程の血飛沫が、王の寝台へ流れ込む。おびただしい程の断末魔が、王の聖堂へ響き渡る……。
ごとり、と音がした。首が落ちる音だ。竜の頸が、落ちた音。立っていた、首しか擡げられなかった竜の頸が、落ちた。
荒い呼吸。二人に別たれた王が、大罪を顧みる。
思念の様に、黒い靄に同化した黒い女が立っていた。灰の様に消えていく竜の死体の中で。
女は千切れそうな首を辛うじてぶら下げて、その赤い唇を開く。
「……アナタが助けて、って言ったから……。ワタクシ、達は……」
「……ありがとう」
泉は躊躇することなく、竜の死体へ歩みを進めた。
霧の様な傲慢の手を握って、血に濡れた頬を必死に上げる。
「ありがとう……‼寄り添ってくれて、あなたの、ううん、あなた達の温もりを……決して、忘れない。ありがとう、傲慢……みんな、……後はゆっくり、休んで、ね」
「…………本当に、かわいそう、だ、わ」
そう言って、溶けてしまった。
陽に蒸発する水のように、さらさら、と黙示録の竜は消えていく。七色の光に包まれて、空へ昇っていく。
嗚呼、と声がする。
「やっと……終わったわ」
息が抜けた。力も抜けたのに、この足は崩れなかった。手も震えなかった。唇も、震えていない。
頬に温度を感じた。霞まない視界で、その方向を捉えると―――。
血に濡れた、祭壇の向こう。
七色の、光が差し込んでいる。
「泉」
声がした。何時の間にか目の前に立っていたエリーシアが、微笑んでいた。
「エリーシア皇帝陛下」
ふと、周りを見ると鏡子ちゃんを除く全員が頭を下げ跪いている。生き残った騎士と魔導士も同様に。
アスティンさんが、眩い光を見るように顔を上げた。
「脅威は去り、世界は守られました……そして、陛下も戻られた。お慶び、申し上げます――」
「……多数の犠牲を、強いてしまったわ」
「その全て、御身へ還っております」
エリーシアはくすりと笑う。そして、静かな目が遠くを見やる。
そこには、項垂れる銀の男が居た。私は、思わず駆け寄った。駆け出さずにはいられなかった。身が軽いこの中で、私はこの意志で寄り添いたかった。
「スワード……‼」
身体は、既に冷たく。瞳は、固く閉ざされていた。
何も言えず、何も変えられず、私は固まってしまった。心に吹く風の冷たさは、もう私を脅かさない。それを包む様に、私の背を叩く者がいる。
「アルピリ、さん……」
「運ぼう」
エリーシアが、光の差す向こうを見ている。
皆、何も聞かずに立ち上がった。エリーシアは斃れてしまった一人一人を見渡して、その入江に姿を溶かしていく。一人一人、溶かしていく。
聖堂の奥。森を抜けると、そこには丘がある。
私達も、奥へ消えていく。七色の光が差す向こうへ。
約束の、丘へ。
最終決戦、終了しました。
皆さま、お疲れさまでした……!!




