王命
落ちた先は奈落だと、彼は知っていた。
落ちた先の苦難を、彼女は感じていた。
――――それが、私の魂の由縁だと、避けられない事の顛末だとわかっていたから。
知らないと口を閉ざしても、立場を変えられるわけでもなく。
知らないと耳を塞いでも、時間が戻るわけでもなく。
知らないと目を閉じても、この手を引き連れていかれる。
上山泉という存在の起点があれであった以上、終点はどのような特異点が生じたにせよ変わる事は無い。いづれ、こうなる。ここに至るまでの道が長いか短いか、それに限るのだろう。
ならば、口を開かなければならない。己の意志を声にするのだ。
ならば、耳を研ぎ澄ませなければならない。己に向く真実を受け入れるのだ。
ならば、目を開かなければならない。私が立っている世界を、正しく観るために。
「エリーシア。……もう、大丈夫だよ」
この身体は血の通う脆弱なもの。
「へいか、――陛下ァッ!!戻られたならば、追って沙汰をお下しください!!シリウスは斃れ、今再び王権はアナタに戻られた!!ああ、ぁああ、この傲慢を褒めて下さい、ここまで、ここまで、ワタクシはアナタの為に成し遂げた!!他の妹弟ではなく、この、ワタクシが‼」
髪は咎を示す黒を纏って、瞳は至高天を示す紅に染まっている。
「……私は、三千世界を統べる神々の王、女主人。この名に於いて、貴女に沙汰を下します」
「――――――」
揺らぐ負は、鋭利な牙を隠そうともしない。
乱れる髪のように、陽炎のように、狂気の緩急はその意志をぎらつかせている。
「力の全てを削ぎ落とし、再び眠りなさい。――大罪が一人、『傲慢』!!お前を我が力の全てを用いて弾圧するものとする!!」
「うふっふふふふ、フフフフフフああぁあああはぁあああはあああ…………お可哀想。ああぁ、お可哀想。……陛下、泉?大丈夫。すぐにこの傲慢の胸に、抱かせて差し上げますわ!‼‼!竜よ、竜よ‼‼今こそ全てを成し遂げる時―――――ッ!!」
傲慢の姿は影に消えた。その影は、濃い負を滴らせる影が竜に乗り移ると、竜は叫びに近い雄叫びをあげて地に派手に落下した。
私を庇うアスティンさんの背から、私は竜を見つめている。エリーシアはアルピリさんにより後方に下げられ、無事のようだった。
竜は顔を擡げると、その瞳から、口から、鼻から黒い体液を噴き出して鳴く。壊れた人形のように身を震わせて、不協和音に似た響きを喉から発していた。
竜の動きで霧散した負の独特な匂い――――其れの真意に気付いた時、リベカは飛び上る。咄嗟に防御を張るリアラさんの内側に鏡子ちゃんを、私を庇おうとするアスティンさんをその中に突き飛ばして、私は懸けた。
迸る黒い炎。負から負へ渡る粉塵爆発。
「――――円卓よ、銀の魔導士よ、我が盾となり剣となれええええええええええええええええ‼」
走る青の稲妻。
走る銀の稲妻。
生ある残滓が、私の前に集う。
「騎士よ、魔導士よ、大罪を討て!!」
エリーシアが身を引きずって顕れる。その声に返答の声も無く構えた王の力は、一斉に竜へ飛びかかった。
円卓が王の一方的な力―――暴力だとするならば、また宮廷魔導士もそれである。
それなのに。そうであるのに、この竜はそれをまるで小蠅であるかのように口より出でる赤黒の炎で振り払う。
それだけでやられる彼らでは無いが、目を潰された者、一瞬の遅れを取った者、その些細な事象によって次なる竜の一手に屠られて逝く。
竜は確かに絶叫を挙げている。―――死へと追いやっているのだ、確かに。
しかし、こちらの戦力の削られ方が早すぎる!!
視線を感じて、私はそちらを見た。私を見つめているのはエリーシアだった。
エリーシアはじっと私を見つめると、その胸を掴んで荒い息を繰り返す。
「憤怒は……喰われたの?」
リベカが咽返るような負を纏い、私達の間に姿を現した。
臆する私に相反して、エリーシアは口を開く。
「……シリウスが討ち取ったわ。その後、残滓があの竜に……」
「そうか……。そうなら、あの竜ごと、あたしの炎が飲み込むまで!!」
「ううっ!」
つい声が出る程に、リベカが発する負素が濃い。
一歩、二歩、歩みを退けるとその背を止めるような声が届いた。
「エリーシア陛下!!泉さん‼」
爆風の中振り返ると、リアラの張った結界の中で手を振るアスティンさんが見える。
「黙示録の竜は、ちくちく突くだけじゃ倒せない!!ここじゃ、大罪の思うつぼだ!!場所を変え―――ッ!!強大な、一撃を――――わあああっ‼」
声が竜に届いたのか?この無茶苦茶な音の中で?
竜の正確な針の様に鋭い一手が、リアラ達を襲う。近辺に煌く輝きが、鏡子ちゃんの十二神将の力だと言うことに疑いようは無かった。
左目に飛び込んでくる人影。―――円卓の騎士。
避けたくなくて、私はあえて手を伸ばした。周りからする驚愕の声を無視して、加わる向う側への力に引きずられる。
「――――っ……いけませんね、こんな、庇い方は」
背後からする柔らかい声。
詰まる喉、―――振り返ると銀の髪。
スワード……‼
私をその大きな体に包んだ男は、咳ばらいをしながら私の腕の中に視線を落とす。陰る瞳に私も騎士を見ると。既に事切れていた。
本当にこのままじゃ駄目だ。それは初めからわかっている。胸に湧くこの力――これを解放出来れば、或いは。
王権を用いて円卓並びに宮廷魔導士を召喚せしめて、次に私達がすることは……。
「場所を変える……?――‼作り替えるんだ!!ここは負素が多いから!!」
スワードへそう言うと、彼は微笑んで頷いた。
円卓を彼に託して、私はリベカとエリーシアが立つ場所へ駆け戻る。
「あたしがあたし自身の魂を禊として打つ。その隙に、エリーシアはその力で」
「馬鹿!それは出来ないわ!!」
「それが一番手っ取り早いの!!聖堂の中の穢れも除けて、かつ竜も倒せて、一石二鳥、だ!」
「エリーシア、リベカ、ちょっとこっちへ!!」
炎、暴風、瓦礫……一撃当たれば致命傷が埃の様に飛び交う中で、私は巨石の影へ二人を誘う。
「アスティンさんが言った様に、ここの負素をどうにか出来たら黙示録の竜の力、滅茶苦茶削れるかもしれない!!」
「ああ、そうだよ!だからこのあたしがこの一帯の負素を纏って突撃するって言ってんの!!」
「だからそれは駄目って言ってるでしょ!‼‼!」
エリーシアとリベカがにらみ合う。
「……そんなこと、しなくていいと思う。この力……湊が持っていたこの力で負素を何とかできない?」
二人は目を見合わせた。
そして嬉しそうに口角を上げて――――「それだ!」と目を輝かせる。
「ユースティティアの裁きの力……この負はあの竜に属するものだから、地の奥へ堕とせるわ」
「冥王が怒りそうだけど……やってみるしかないね」
「番犬を引き上げた時点でアレは多少なりとも怒ってるわよ。裏に属する全てはハデスの管轄だから、アレに任せましょう」
「うっわ。絶対全面戦争起こるわこれ……」
「今よりマシだわ」
じとり、とリベカがエリーシアを見る。私が会話についていけないのを見ると、にこーと微笑んで私の髪をわしゃわしゃと撫でた。
「えらいぞー!!この神殺しの魔女、リベカ様が撫でであげよう!!」
「え、ちょ!?そんなことやってる場合じゃないって!!」
それでも、リベカは快活な笑みで私の頭をめちゃくちゃにした。
「半円の中心に竜はいる。だから、わたしと泉は半円を二つにした中央……恐らく、泉はあの像のところ、わたしは祝福の……そう。あそこへ行く」
「待って。エリーシアの方が遠いよ、私がそっちへ行くよ」
エリーシアは微笑んだ。首を緩やかに振って、確かな声で否定する。
「いいえ。わたしが行くわ」
何も言えなかった。だから、頷いた。
「じゃあ、あたしは半円を二つにした……とこ?の後ろに立ってるわ。今この身に溜めこんでる力、渾身の一撃打ち込んであげる!」
「えっ、それじゃあ竜の思うツボ……なんじゃ?」
「あたしの炎の方がつよいっつーの!!薬は劇薬――みたいな?あれ?そういうの!」
ちらりとエリーシアを見ると、じとりとエリーシアはリベカを見た。
まじまじと見つめた後に……エリーシアはこくりと頷く。
「任せたわ」
「ええ、陛下!」
何とかなる……みたいだ。
本当になんとかなるの!?!?
「じゃあ……行くわよ!!」
エリーシアの声と共に駆け出した。爆風、尾、爪、叫び、血、命の音、あらゆる地獄が鳴り響く中を駆けていく。
持ち場についたら、一寸先が見えない。
あ―――と、私は自らが落とし穴に落ちる感覚を味わった。
この力、どう使えばいいの?
ぞ、っと冷や汗が背を伝う。
見えない指揮に、どう合わせるの。
息が上がる。汗が頬に流れる。
その不安を癒す様に、声が聞こえた。
"我が名を―――忘れたか"
胸に宿る暖かな焔。
雪を解かし春を告げるもの。
「アンス……」
「そうだとも。さあ、我を掲げよ!!」
首に掛る鎖を引きちぎり、護石を掲げる。それは姿を替え、剣となり紫の色を刀身に彩らせていく。
胸が迸る。熱が足から頭をへ伝わる。
昂揚感のままに、喉を開き、唇を開いた。
湧き出るままに、私は叫ぶ。
「大審判者の名の下に今ここに、法廷を開く!‼!裁け、汝は――――聖か邪か、天か、地か!!」
騎士団長は円卓を招集出来、魔導士団長は宮廷魔導士を招集出来ます。
その両方を招集出来るのは、王だけです。つまり、そういうコト!




