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王の剣 Ⅰ

ルビを振るなら、シリウス=シャンカラ かなあ。


 なんてことだ、なんてことだなんてことだ!!


 エリーシアの頭の中は白一色に染まる。音も無く、ただ緑が枯れた不毛な大地に置き去りにされた気分とでも例えられるか。目の前で禍き竜に飲み込まれた己の半身を見て、エリーシアは全身の血の気が正に引いた。


 驚愕の瞳が傲慢を捉える。赤い紅を唇に引いたその女は、表面上の恭しい動作で笑った。傲慢が何かを囁くと、赤き竜が翼を震わせた。


「嗚呼……なんてこと」


 竦む足は動かずに、エリーシアは空中に浮きあがる竜を見上げた。

 シリウスの猛攻は、無意味になってしまった。泉を飲み込んだことで、この竜は回復をしたのだ。神を……わたしの魂を、飲み込んだことで。


 呆然と立ち竦むエリーシアを余所に、シリウスは剣を構えた。我に返るエリーシアは、震える視界でスワードを捉えた。大罪の泥に捕まった彼に声を掛けようとした瞬間に、口を開き声を出そうとしたその瞬間に、エリーシアは地を転がる。


「っ!?」


 馴染みある声が耳を掠めた気がした。いつもわたしを気遣い泣いていた、騎士の声……。

 しかしエリーシアは動けない。視界が移り変わる。目の前の景色を塗り替える景色が、瞳に流れてくる。見たくない過去、二度と起き上がらせたくない感情。――――流れてくる、否応なしに、無理やり!


 エリーシアの鼓膜には、銀の男の叫び声が響いていた。

 それは、泥の中に引きずり込まれた半身との共鳴だった。






 エリーシアが地に倒れた音を聞いて、シリウスは咄嗟に振り返ってしまった。災厄の権化とも呼ぶことが出来る竜を目の前にしながら、最悪の選択を取ってしまった。

 右耳に、迫り来る風圧を感じる。しまった―――と感じながら、己の行動の方が遅い、と脳だけが冷静に判断を下す。遅い、ではないだろう。己が斃れることは即ち、世界の死を意味するのに!!


 苛立たしさが胸に募る。この機に及んで無駄なものに気を取られた自分に。これでもかと己に牙を向く世界そのものに。


 強く歯を食いしばり、辛うじて視界に獲物を捉え、


「―――――ッ!?!?スワー、ド!」


 まさか、身一つで飛んでくるとは。


 虚を突かれたと言ってもいい。まさか、スワードが戦いを知らない土人形の様に襲い来るとは思わなかった。

 スワードの瞳に正気は無かった。身体を思い切りぶつけられていたら、危なかった、倒れていたかもしれない。剣の柄でスワードの身体を押し返しながら、シリウスはスワードの足を取ろうと身体を軸をずらした。


 その時だ。


 明けた視界の先で、竜が口を開けていた。


 直感が告げる。その口の直線状に立ってはいけない。


 シリウスの身が一瞬だけ固まったその時に、スワードは微笑んだ。微笑んだ、様には見えなかった。シリウスは己の足が動かないことに気付き、足を一瞥する。そこには手があった。スワードから零れる泥の中から、手が伸びていたのだ。

 痛みを伴ってシリウスを束縛する手は、有り得ないくらいの強度でそこにあった。負は毒だ、王にとって負は摂るべき毒だ。負は王の身体に触れることで、その性質を反転させられる。しかし今のシリウスにとってその行為は進んで出来るものでは無い。


「シリウス……何故……エリーシア様を……殺したんだ……」


 かつての己の様な声で言葉を吐くスワードに、シリウスは眉の根を寄せた。そんなことに時間を費やす暇は無い。離れろ!!


「エリーシア様は……お前を……愛していたのに……」


「――――エリーシアを俺の前で語るなッ!‼‼!」


 琴線に触れるな。

 それに対する抵抗力は、もう幾許しか残されていない。


 だが、その反射でシリウスはスワードから離れることが出来た。大きく傾き後退したスワードと、竜を見上げたシリウス。腰を低く下げて飛び上ろうとしたその時に、シリウスの前の前に銀の魔術陣が展開した。

 舌打ちと共に再び視界をスワードに向けざるを得ない。真横に走りながらエリーシアを回収して、竜の直線状から退くことが出来た、が、やはりそう物事はシリウスにとって上手くいかないこと毎夜のことであって、竜は確実にシリウスを追っている。その口に集まる負素を確実にシリウスに当てんと、理性ある獣の様に目でシリウスを追っている。


 スワードの魔術陣は、現れたその場所から宙に横一列に冷気のような膜を這わせている。何をするつもりだ、と思うがシリウスはアルピリの横にエリーシアを寝かせた後に短く言葉を置いた。


「任せた」


 そのすぐ直後に再び走る。やはり竜はシリウスを追った。

 負素の濃度が急上昇する。急激な吐き気、痛む頭蓋骨、――――来る!!


「っっぐううッッッ!‼!」


 首筋を掠めた一線は、黒い猛火を引き連れて来た。

 辛うじて大罪の像へ転がったシリウスは、その業火に焼かれることは無かったが身体全身を打ち付けた衝撃で動けない。視界が明暗し、口の中に血の味が広がる。全身は脱力して、痛みに肺が喘ぐ。


 ふと、その全てが麻痺した―――いや、痛みを遠ざけたのだ。アルピリの今出来る最大の補助だ。すぐにシリウスは理解した。己の身体は癒しの術さえ通らなくなっている。

 無理もない。もう、終わる身体なのだから。


 勿体ないことをした。とっさに大罪の領域に入るからと言って、人間の肉体を置いて来たことを後悔した。せめて近くに潜ませておけばよかった。そうすれば、この身体が朽ちたとて戦えるのに。


 立ち上がり竜の放った一直線を見ると、ものの見事に吹き飛んでいた。悍ましい穢れを残しながら、先程までそこに錆びていた装飾の全てを消し去っている。


「煉獄の炎、とでも言いたいのか?」


「うふふっ……申し上げたはずですわぁ、全てをワタクシは燃やす、と。陛下の御望みのとおりに。この炎はその通り煉獄の炎。陛下にとっては悪そのものである世界を無に返す裁きの熱!!」


 この女が言う陛下は、俺では無い。スワードが造りあげたあの人形……に囚われた魂のことだ。


 息が上がる。身体が満足に動かない。

 だが、まだ俺は――――負けていないッ!‼!



 息を止めて、シリウスは神速に相応しい動きを見せた。誰の視界に移ることもなく易々とスワードの幕を滑り超え、竜近くの石像を伝い竜の背後に飛び上る。もはや乗り手は居ない。がら空きの項へこの剣を突き刺せば、あとはこの喉の奥に負を全て取り込んでしまえばそれで終わりだ!!


「……君は、シリウスに相応しくない」


 スワードの呟きが、大きくシリウスの頭の中に響く。

 もう少しなのに。竜の項へこの剣を、


「剣の名に、君は相応しくない」


 眼下に唸る瞳に、シリウスは己の過去を見た。

 過去だ。過去の自分が、今の自分に激怒している。その指を今己が握っている剣に差して、否定を、叫ぶな、叫ぶな、……やめてくれ。


「――君は、エリーシアを愛していなかったんだろ?」


「違う!!」


 振り下ろした剣は、空を斬る。

 我に返るのも遅く、竜の尾に抵抗も無く横腹を抉られたシリウスは激しい衝撃と共にスワードの眼前に落ちた。


 歪な呼吸の音。

 もはや身体の動きもままならないシリウスを、スワードの昏い瞳が見下ろした。


 竜が再び口を開ける。

 シリウスは、動けない。


「……スワード……俺は……お前が……ずっと、羨ましかったんだ」


 スワードは開きかけた口を閉じた。じっと、シリウスを見つめている。

 スワードが展開した幕に、人形がつりさげられていた。……その数と、死んだまたは目覚めていない大罪の数が一致している、ように思う。


「お前の様に……強く、在れたら……どんなに、良かったか。お前のように……聡明で、あれたら、どれほど……」


 シリウスは咳込んだ。肺に溜まる血が、吐き出される。


「君は聡明でしたよ。だからこそ、今その席に座っている」


「……俺がお前だったら、座ってなどいなかった」


「―――当たり前だッ!‼‼!」


 スワードはその全身を以て怒りを顕にした。積もり積もった怨念が、手ほどきされた怨嗟が、スワードに毒婦の様に微笑んでいるから。


「僕がお前ならば、エリーシアを苦しめることなど無かった!!僕がお前ならば、エリーシアそのものに寄り添って差し上げれた!!この世界をこのエリーシアが愛した場所を、お前の足で踏み荒らす事など許しはしなかった……‼お前の様な偽りの想いでは無く、真実の想いで、支えて差し上げた!‼」


 シリウスは、霞む視界に今も尚、ギリギリのところで竜を捉えている。

 この位置ならば、エリーシアに竜の咆哮が向くはずはない。だが、ここで己が斃れてしまえば……どうやって……。


「……わからない。どうして、……どうして、エリーシア様を刺したのか」


 一瞬だけ、今この一時だけ、スワードが戻って来たような気がした。

 シリウスは懸けるしかない、と判断する。アルピリの必死の術が、その背を押す。


「シリウス……君は本当に、エリーシア様を……」




 シリウスは、強く、強くスワードを引き寄せた。スワードに巣食う怨念が、嬌声を上げてシリウスの中へと移っていく。光を、救いを、楽園をシリウスに見出して、泣きながら雪崩込んでいく。シリウスは負の海に溺れながら竜の再度の攻撃を避けられたことに安堵していた。


 唇を歪ませた傲慢が、何かを叫んでいる。

 途切れ欠ける糸を必死に掴んで、シリウスは視界を開けていた。蹂躙される心地に歯を食いしばって、今スワードが見ているであろう己の真実の様々に耐えていた。


 大罪の泥は、その本人が隠す奥深くを映し出す水鏡だ。

 もはや、隠し通せない。



 今日というおめでたい日に立ち会えることを、一日本人として大変光栄に思います。文化オタクとしても大変興味深いもので、ニコ動のタイムシフトを余すことなく見る……んだろうなあ、()泉たちの世界は平成の世が5月で切り替わらないので、令和はもうちょっと先かな? 


 さてさてさーて、お次の更新は異にするか悩み中。多分異……だと思う。流れ的に。

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