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シリウス=シャンカラ Ⅱ

次に異が来ると言ったな?あれは嘘だ。


 夢を見ているのだと、思っている。

 自分はあの時から今に至るまでの永い時間夢を見ていて、この夢が醒めると死ぬのだ。やっと、死に旅立てる。その準備は、あの瞬間を迎えようと決意した月下の夜に既に終えている。


 だから、夢の中をもがき続けていかなければならない。

 絡まる足と、見えぬ身体と、霞んだ視界。舌は縺れて、隣人の顔は想像。






「お前が、次の王になりなさい。……お願いね、シリウス」


 シリウスは震えずにはいられなかった。正確に述べるならば、身体は震えていない。心が拒絶として震えていた。目の前の黄金の女は、紅の女はこれほどまでに無いくらい美しく微笑んでいるのに。拒絶が沁みと成り悪心となってしまいそうな程に、拒絶の色が心を占めていく。


 嫌だ。


 その言葉は、言えなかった。


 黄昏のその日に限らず、毎日顔を合わせるのに。毎日傍に侍るのに。毎日後ろに控えているのに。一日後も、数日後も、一週間、二週間、一ヶ月、二カ月、……遂ぞ、言えなかった。


 考え直しませんか。

 その一言でも言えてたらよかったのに。シリウスは何かと尻込みをし、エリーシアの視界上では何も変わらない様子で跪いていた。そのくせ、下がった後の私室で一人で泣いていた。悲しいと。辛いと、――嫌だと、声を殺して泣いていた。

 手が震えた。彼女が空に奪われる日を想像すると、身体を振って駄々を捏ねて遠ざけたいとさえ思う。足元に縋り付いて乞えば、彼女は諦めてくれるだろうか。――いいや、きっと……それでも無い。困らせてしまうだけだ。それも、嫌だった。


 職務中も、エリーシアの目がないとすぐに告げられた日がフラッシュバックする。傍目からすると変わった様には見えないが、シリウスの心は急激に冷えるのだ。溝内が、内臓が。


 何故、エリーシア様は空に行かれるのか。


 ……何故?と不意に小首を傾げた。告げられて以降、その告白の内容がただただ胸を占めるばかりで根幹たるその問いに辿りついていなかった。ショックを受ける心を隠すことに必死で、もしかしたら結末を変えられるかもしれない糸口を見逃していた。そうだ、……そうだ!!エリーシア様の御心を悩ますその種を取り除けば、お考えを変えられるかもしれない!!そう思うと居てもたっても居られず、シリウスは己の執務室を飛び出した。


 やっとの思いで見つけたリアラに問うた。エリーシア様は最近何かにお困りではないか?

 リアラは首を横に振った。いつも通りに、お加減がもうよろしくない、と。もう少しでお眠りになられるから、準備をしなさいと。変わらぬ笑顔でリアラは言った。


「眠る……?」


 その呟きは、リアラには届かなかった。


 嫌な予感が胸を渦巻いて、シリウスは魔導士棟に走る。スワードを呼び出して、シリウスは再び問うた。

 スワードは、首を横に振った。


「何事もいつも通りだ。俺達もいつも通りに」


 シリウスは言葉が出なかった。というより、エリーシアの一つの解答に気付いてしまった。エリーシアの告白は、自分だけにしか告げられていないのだ、と。どうしてかは解からない。解からないが、ここで零して良いものでは無いことはわかってしまった。


「……大丈夫か?お前にとっては辛い時間だろうが、これは王には必要なことだ」


「……わかっています。大丈夫、ありがとう」


 スワードは最後まで心配そうにシリウスを見ていた。エリーシアが還る直前になるとシリウスの精神状態は揺れる――――柱達にとってはそれもいつも通りの光景であるが故に、皆走り回るシリウスを見て憐れんでいた。


 シリウスは走る。エリーシアに聞かなければならない。納得なんて、出来るはずが無い。リアラとスワードにも話しているものかと思っていた。話さずに行かれるなんて、そんな酷なことないでしょう。僕にどうしろと言うんですか?僕は王に成るために誕生したわけではないのに、僕にその色を授けて世界が良くなるとでもお思いですか!?


 溢れ出す感情をそのままにして、シリウスはエリーシアの私室へと向かう。次第に侍女や騎士が薄れていき、靴音しか響かない廊下で―――その叫び声は響いた。


 リアラの声だった。シリウスは己が何を考えていたかを一時的に忘却して扉を開けた。


「陛下!陛下!!――大丈夫ですか、聞こえますか!?陛下、陛下、エリーシア様……っ‼」


 絨毯には、血液が零れていた。彼女が身に纏う純白は、朱が零れていた。やつれた手首に、こけた頬。衰弱する人の様に――青ざめた顔に、シリウスは彼女を責める気概を完全に無くしてしまった。扉の前に立ち尽くすシリウスに、リアラが気づく。リアラからの荒々しい問い掛けに気付いたのも束の間、シリウスはリアラの言いつけの為に城内を奔走することになった。


 何も告げないのですか。


 呼吸を荒く繰り返すエリーシアを見下ろしながら、シリウスは心の中で問いかけている。影を落とした瞳の意味を他者は取り違え、気を遣う様にその部屋を二人だけにした。


「……エリーシア、様」


 シリウスの声は、硝子玉が転がるが如く地に落ちる。そして、転がる。


「何故、ですか」


 開かれた金色の瞳は、絶望の色を映していた。


 部屋に戻り項垂れていても、朝はやってくる。シリウスの「何故」の問いに答える者はエリーシアをおいて存在するはずもなく、ただ無駄に日々を浪費していく。その事がシリウスの思考を奪う。刻一刻の近づく永遠の別れの日が、シリウスには何よりも耐え難い恐怖となって迫っていた。


「エリーシア様!!」


 最期に、紅影殿に挨拶をしに行くと言ったエリーシアのお伴をした聖堂の中で、シリウスは拳を握りしめてエリーシアに問うた。最高にして至高たる聖堂の中は、あの丘と同じく誰も来ない。

 今しかないと思った。今日この時を逃せば、彼女は往ってしまう。


「……エリーシア様、どうして……」


 振り向く彼女の切なる表情に、シリウスの言葉は消えていく。もう幾許も無い身体は、虹に消えていくようだった。

 エリーシアは仄かに笑うと、


「言ったわよね……。シリウス、後をお願いね」


 とだけ、口を開いた。

 その時、シリウスはわかってしまった。嗚呼、―――世界が、彼女を奪おうとしている、と。笑う彼女の背後に差し込む七色の光が、彼女を掴む手に見える。笑う彼女に浮かぶ色が、彼女へ這い上がる指に見える。世界が、人が、天人が、咎人が、罪人が、……彼女を奪うつもりなのだ。この、僕から。あの、玉座から。


 噛み締めた歯が軋む音。握った指先の爪が、皮膚を裂く痛み。

 全て、彼女が耐える痛みに比べれば――――。


「世界の仕組みに疑問を持ったことはないか」


 スワードが言っていた。遥か昔に、そう僕に投げかけた。


「何故、エリーシアには不変の身体が無い?」


 その時は、さあ、としか答えなかった。答えられなかった。始めからそうであったモノに、何故疑問を持つのだろう。


「何故、エリーシアだけが苦痛を強いられる?」


 柄を握る掌に力が籠る。眼前には抵抗する力も無い背が一つ、あるだけだ。


「シリウス、俺は……こんな世界の仕組みを書き換えようと思う」


 ―――僕も、そう思います。今なら、はっきりと。

 行かせない。貴女を其方側には行かせない。どうして今まで疑問に思わなかったんだろう。どうして今まで、僕は平然とそれを看過してきたのだろう。自分にね、腹が立ちます。僕は自分が許せない。そして同じくらいに、世界を許さない。貴女一人に痛みを背負わせる世界を。貴女一人に生死を握らせる世界を。僕の貴女を、奪う世界を。


 どうして?どうして、エリーシア様が行かなくちゃいけないんですか?


 どうして、エリーシア様は僕から離れるんですか?


 どうして……貴女一人だけが、消えるんですか?


 許せない。許せない。

 僕は、貴女がいないと生きていけないのに。貴女に触れて、貴女を見て、貴女と言葉を交わすことで初めて生を感じるのに。貴女が居ない世界で生きるだけでは無く、貴女が居ない世界で王に成れと仰るんですか?


「嫌だ……」


 嫌だ、嫌です、それはどうしても出来ません。貴女が居ない世界を想像するだけで狂いそうになる。貴女の為に振う剣が、鈍になる。どうして?貴女が居ないのに、どうして僕は生きていかなければならないんですか?どうして僕に、その地位を……貴女の為に護り生かしてきた命を管理せよと……。


「シリウス」


 シリウスは、はっと顔を上げた。そこには、表情の無いエリーシアとそれを補佐するリアラが居る。シリウスは慌てて佇まいを直した。深く頭を垂れる。


「明日が、最期。……御簾の中にはお前しかいれない。わかったわね」


「御意」


 いつもどおりに。

 と、エリーシアが語る。シリウスにしかわからない内容を含ませて。


 最期という言葉に、シリウスの心を辛うじて繋いでいた糸は意図も簡単に切れてしまった。


 その夜は、泣かなかった。

 ただ、朝になるまで立ち尽くしていただけだ。



 謁見の間へ続く回廊をエリーシアが先導して歩いている。シリウスはその後ろを黙したままついていく。腰には王より賜った紅蓮の剣が煌びやかな装飾と共に掛けてあった。

 謁見の間には四元老が既に着席していた。エリーシア入場の合図と共に、皆が一斉に立ち上がり深く頭を垂れている。


 シリウスは、ただ停止する心を偽りながら立っていた。

 四元老との会話が進む。意味の無い彼女を責め立てるだけの会話。骨が軋む。気が付けば、歯が欠けていた。彼女が咳込んだ、血が、彼女の床を濡らす。動悸がした。息が上手く吸えない。


 どうしよう。

 終わる。この会議が終わる。終わればどうなる?――彼女が、いってしまう。いって……行って?往って?


 逝ってしまう。

 死ぬのだ。彼女は、この世界の為に。


 嘘だ。嘘だ。受け入れられない。

 どうすれば、どうすればいい。どうすれば彼女を止められる。終わってしまう。会議が終われば、彼女が終わってしまう!!


 考えろ!スワードなら、スワードなら……‼スワードなら、どうする!?

 スワードなら、




 エリーシアが立ち上がった。エリーシアが一歩前へ出た。

 ――――行かないで、逝くな!!




「シリ……ウス……?」






 我に返ると、もう遅い。

 彼女は、遥か下の堅い床へと落下した。



「きゃあああああ‼へい、」


 ここから、シリウスは思考を失った。ただ声を上げた四元老の一人を切り伏せる。もう一人、もう一人、そして最後。シリウスは振り返り、その人を目で探した。制止の声はただの音。柄を握る手は固く、またその軌道は恐ろしいほどに正確だった。


 兵士が扉を開けたが、シリウスにとっては己の円卓またはスワード直轄の魔導士以外赤子も同然なのだ。容易かった。邪魔な埃を払うことは。


「殺すしかない」


 世界に奪われる前に、この手で摘み取るしか。


「……そうだ。この手が……‼」


 ふと浮かんだ感情に、光を見た。シリウスは相対するエリーシアを、しっかりと意志を持つ瞳で見た。エリーシアの声がする。迷わない。迷っている暇は無い。


「―――お命、頂戴申し上げる」


 最愛たる我が王よ、どうか許し給へ。

 我が行いを、我が業を、我が思いを。

 その色を奪う意味を。


『……ッ、おか」


 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!

 でも、僕は、貴女の居ない世界なんて耐えられない!!


『えし、」


 王である以上、貴女が世界を守るなら僕は貴女のその地位を奪います。

 王である以上、貴女が世界を憂うなら僕は貴女の籍を奪います。


『――――‼!殺せ、シリウスを殺せ!!ああぁああワタクシの、ワタクシ達の積年の悲願が……‼』


 そうすれば、貴女はやっと自由になれる。真白の心で、世界を自由に生きてください。

 貴女が生きているならば、僕は一人で世界を護り続けることが出来る。大丈夫、僕の欠片が貴女を護ります。あらゆる障害から、あらゆる天の刺客から。


 どうせ生を繰り返すならば、庇護される内側に居てください。

 愛に囲まれて、笑ってください。苦痛なんて知らずに、世界なんて知らずに。

 エリーシア様。ねえ、僕がもっと頭がよかったら……こんな答え、出さずに済んだのでしょうか。


「します、上山泉」

『します、エリーシア様』



 嗚呼、――――赤色の世界だ。




















「はァッ……はぁっ……ふふ、フフフフフ!‼‼!やった、やったわ!!シリウスを殺した!!殺しましたわ、陛下ぁあああ‼」


 エリーシアは瞳を開けた。頬に伝う何かを感じながら、身体を起こす。軋む身体、己の掌に重なる手がある。これは誰の―――――。


 絶句した。手のひらから先が無かった。何もなかった。直前に焼かれた後の残骸が、あるだけだった。でも、わかる。この掌は……。


 ぽたぽたと、瞳から雫が零れ落ちていた。エリーシアは立ち上がれなかった。ただ込み上げてくる感情に、喉を抑えつけられている。


「シリウス……シリウスっ……‼」


 知らなかったの。お前がそんなに、苦しんでいたなんて。


「スワー……ド」


 知らなかったの。お前達がそんなに、わたしのことを考えてくれていたなんて。


 エリーシアはスワードを見た。瓦礫に背を預け、項垂れるスワードの右手から糸が伸びている。その糸は銀と青を織り交ぜて、誰かを掴んでいる様に張り詰めていた。

 スワードはちらりとエリーシアを見ると、安堵した様に口角を上げた。


「今度こそ、永遠なる煉獄で、眠りましょうねえええええええええええ‼‼‼!」



 ぐらりと揺れた傲慢の身体。

 ぐらりと羽ばたく赤い竜は、エリーシアの眼前に振動と共に立ちふさがった。大きな口が、エリーシアを飲み込まんと涎を垂らす。エリーシアは、ただ瞳からはらはらと涙を零しながら、動かない身体を懸命に動かす。


「うっ、へれる、ヘレルうううう!!」


「うふふふふふふっ‼さあ、これで、終わり―――――」





「そう、終わりさ」


 肉を裂く音がする。

 何かが、どうしようもなく巨大な何かが、膜を破る音がする。


「……傲慢(ヘレル)」


 その声は、先程呑まれた少女の声。

 その声は、魔女と揶揄された少女の声。


 瓜二つの面を持った二人の少女が、異界より現れる。


「終わるのは、あなただよ」


「―――――へい、か」


 上山泉を証明する肉体を持ち、その瞳は煌々と紅く染まった。

 黒曜の髪に、紅の瞳。身より出づる神気に跪かぬ者は無く。瞳より発せらるる覇気に慄かぬ者も無し。


 その色を纏う者を、支配者(ミストレス)という。

 正確には、――女主人(ミストレス)と。


 

 背後には従者を連れていた。

 一人、緑の竜の女。

 一人、下界の陰陽師の娘。

 一人、王の書庫。


 そして首に掛るのは、王を補佐する自動戦闘型の剣である、アンスである。

 違うんです流れを再構築すると異を入れれなかったんですぅぅう!

 ところで先日、シュタゲゼロを最後まで一気見しました!ぎづううううと後半三話くらいヒィヒィしながら見ていました。お前は神にでもなるつもりか?マッドサイテンテェストよぉ……。


 薄明の丘の世界では、神は人間界の直接管理から手を引いています。箱庭を維持する最低限の手入れである、負の浄化のみを王が、天界と人間界を行き来してしまう愚者の辻褄合わせを機関が行うのみです。だからもしかしたら、誰かがタイムマシンを作ってくれたら、あの日に落ちる泉を止めてくれる第三者に成り得るかもしれません、ね。

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