銀のいと
濁った酸素の薄い泥の中を、引きずられるように落ちていく。伸ばした腕に誰も触れられず、私はただ落ちていく。
視界に見える、白く細い糸。―――閉じた視界の後、指に触れたの?嗚呼……掴めたけれど、もう…………。
「――――エリーシアッ!!」
男の声と共に、半開きになっていた扉が勢いよく再び開かれた。目に映る光景に絶句する喉と、理解できずに固まる足が僅かに震えている。
残響するのは緑の女の声。その女は既に床に倒れ、意識を失っている。
足元に広がる海は、赤黒い色。命の色、――生を連れ死を運ぶ色だ。
次第に目に映る景色が理解できるようになっていく中で、銀の男は再び震えだす。抑えることの出来ない震え――――怒りだった。
「シリウス……貴様……シリウスゥゥゥゥウウウウウウウッ!‼‼!」
走り出し、王に跨る咎人の襟を掴みそのまま床に殴りつける。武では敵うはずもない相手は、意図も簡単にその身体を許している。銀の男は咎人の瞳が、完全なる紅に染まり切っている事実を見ると、心の声を失った。
浮かぶのは殺意、憎悪、――――殺意。
明確なる殺意。脳裏を埋め尽くす憎悪。言葉を失った心の暴走。
殴りつけようとも咎人は力の無い人形のようにそれを受け入れるだけ。
問いただそうとも咎人は言葉を知らない人形のように揺さぶられるだけ。
次第に銀の男は振りかぶることを止めた。立ち上がり、かつての瞳の色よりも黒ずんだ赤を身に纏う王に歩み寄る。
傍には緑の女が倒れていた。錯乱した後が目に取れるような顔色をして、傍に倒れていた。
「エリーシア……エリーシア……‼嗚呼、ああああ……」
抱き上げると、その結末が覆せないことをありありと感じてしまった。もうここに、この身体に、魂が無いということを。
僅かな温もりすらも感じられない。血の温度も、既に冷え切っていた。
「あああああああああああああああああああああああああああッ!‼‼!」
抱きしめて、抱きしめて、絶叫する。
事の始まりと、この結末を考え付かない思考が絶叫する。
どうして、こんなことになった。――――考え付かない、彼女はもうすぐ眠りに入るはずだった。
エリーシア、エリーシア……どうして君が、最愛たるシリウスに殺されなければならない……‼肉体の再生に入る直前に、苦しみが大きくなるこの時期に、何故ここまでの仕打ちを……‼
銀の男は息を呑んだ。王の顔を見て、王の首を見て、王の身体を見て、王の指を見て……。
瞳を強く、強張らせる。
抵抗だ。足掻きの跡。生にしがみ付いた、言葉に残せなかった彼女の意志。
生きていたかったと生々しく残る痕跡が、心に酷く染みてしまった。
そこからだ。
銀の男の心の音が、壊れてしまったのは。
城の生き残りの兵士が駆けつけるまでの間に、シリウスが自我を取り戻す間に、スワードはエリーシアの魂の行方を追った。王のみが使える天界の者を下界に送る裁きの力によって、エリーシアの魂が人間界に堕されたことを知り得た。随伴する様に、シリウスとリアラの魂の欠片が送られていることもその時には既に知り得ていた。
スワードは静かに事を理解する。シリウスはエリーシアの魂に追い打ちをかける為に、リアラはエリーシアを守るために命を千切り投げ入れたのだ、と。
堕された魂は、欠片の魂は、輪廻の輪に乗って人間へと生まれ変わる。冥府の彼の王へ渡った魂への干渉権は、スワードには無い。
人が変わった様に城を作り替えるシリウスに頭を垂れながら、スワードは事を着々と進めていた。輪廻転生の理が適用されるならば、必ずしもエリーシアとシリウスが共に生まれ変わることはない。それならば、一刻も早くエリーシアを見つけ出し保護しなければならない、と。己の命を千切りもう一人の自分を捜索に遣うのは随分と回りくどいことだと、判断を下した。
エリーシアの魂を探しながら、スワードは何故シリウスがエリーシアを手に欠けたのか……その理由も探していた。しかし、探せども探せども理由が見つからない。全てがこの為に仕組まれていたのかとさえ思えてくると、スワードは髪を掻き毟るしか心の冷静さを取り戻せない。
いっそ―――――
「俺が……俺がシリウスならば……こんなことには、ならなかった」
という思いが、一人歩きし始めた。
彼女が向ける無垢な笑顔にも同じ程度の無垢を返し、彼女が手向ける花に劣らぬ花を手折り渡し、彼女が向ける想いと同等の想いを返し、彼女の苦痛たる眠りに欲する形で傍に居続けられる。自分がシリウスならば、シリウスの役目をアレ以上に上手くやれる。それこそ、完璧に……!
あの日の彼女の絶望を思う度に、彼女の痛みに思いを馳せる毎にその思いは肥大化していく。次第に髪は伸び、威圧的になるシリウスとは対極に位置する様に穏やかさを瞳に形取っていった。
シリウスが下女を手打ちにすれば、スワードはその頬に手を添え。
シリウスが騎士を罰すれば、スワードは慎ましやかに弔った。
一人は一人の影を追い、一人は一人の光を真似る。
それがいつしか均衡を取れた時、もはや誰一人違和感を口にしなくなった。始めからそのようであったように。始めから彼は彼であったように。
スワードは、椅子に座らせた黄金の髪を持つ少女に触れる。壊れモノを扱う様に、震える指先が頬に伝う。
「……これだ……これこそが……エリーシアだ……‼」
少女の頬を優しく包み、少し上に顎を上げると閉じた瞳が緩やかに開かれる。薄桃色の瞳に、正気は未だ無い。
「……ロード」
「ははっ、ははははは――――ッ!‼‼!魂、あとは魂さえ見つかれば……‼エリーシア、待っていて。必ず、次こそは……」
橙の瞳を陰らせたメイドは、フレイアは口を閉じた。
己の主が壊れて居ること。己の主が人形狂いと噂されていること。己の主が、愚者をかどわかしていること……―――。全てに口を閉じ、メイドは頭を下げる。
あの日から、壊れたのは世界の方だとフライアは知っているから。壊れた世界に己の主人は壊されたのだ。だから、仕方ない。だから、フライア如きがそれを正すことは出来ない。頭を下げる。肯定をする。手足となり従う――――とうに枯れ果てた涙腺は震えなかった。
もし、もし、と限りなく近い無の境地に立ちながらフライアは願っていた。主人を救える者がいたとしたら、それはエリーシア陛下以外に無く。このグリームニルの悲願とまで囁かれる人形劇に、エリーシア陛下と紛うこと無き偽物が誕生出来たとしたら……主人を救ってほしい、と。
麻痺する罪悪感を沈めながら、フライアはそう願っていたのだ。
水泡映る真実の景色。
泉はそれを、見つめている。鎮まり行く意識の中で。
泉が持つ冷徹さを宿した意志が、大罪が注ぐ嵐の様な感情を凌いだのはまさにこの瞬間だった。騒ぐ心を見下ろした泉は、己が掴んだ銀の糸を見やる。いつか向こうの世界で聞いた逸話が脳裏によみがえった。蜘蛛の糸――――……其れは確か、昇る途中で同じ地獄に堕された罪人たちが続くことにより結局誰一人天へ昇れなかった話だった、と思う。私の下には誰も居ない。いや、形ある者が誰もいない。
自分が傲慢により突き落とされたコレは、人で出来ていると言っても過言では無いのだから形ある者が誰もいない、で正解なんだと思う。あれほど私を襲った怨嗟の声はぱったりと聞こえなくなってしまっているけれど。
「紛うこと無き、偽物……」
その言葉はしっくりと耳に返らなかった。
わかっている。わかっているのだ。もう、否応なしに、是非も無く。
腕が震えた。
その結果、泉は銀の糸を引いていたのだ。
ゼルダしたい十二国記読みたいゼルダしたい十二国記読みたいああぁああああああぁああああ
なぜ私は三人居ないのだ。
私はゼルダをするし私は十二国記を読むので、君は薄明を書いていればいい!適材適所!




