黙示録の赤き竜
すみませんでした。
感情が乗った言葉に、旨味を感じられない。静寂が包む間にボールを落としても、誰も注意を向けない。そんな空白が、私を襲った。
跪く男を見た。
銀の長髪を携えた、憂いを帯びた男だ。疲れ切った橙の瞳が持つ光は自棄の気をうっすらと孕んでいて、その中に移る私の真実を暴き出している。
揺れている。
地が、男が、私が、瞳が、心が――――揺れている。
聖を誇示する光たちは、邪を垂れた闇を飲み込もうとしている。わざわざ首を落してあげた子達は、一度溶けて再び繋ぎ合わせてその瞳を開けるのだろう。そして意志を取り戻して、私へ剣を向けるのか?私がしたように、私が向けた様に……。
零れ落ちる。
硝子玉から、頬を伝って、―――あなたの手へと。
言葉だ。
ねえ、スワード。
女の子は何で出来ていると思う?――そう、砂糖と少しの耐えがたいスパイス、そして素敵な貴方。
全てをどろどろに溶かして混ぜて混ぜて、私は完成した。
身体は貴方が望んだもの。
心は貴方が望んだもの。
声も貴方が望んだもの。
全て私は貴方の望みを叶えてきた。失えない者を失ってでも、貴方に結果的に沿ってきた。
だから、今更諦める何て許せない。今更手を上げる何て認められない。今更、今更、どの口が否定を叫べるとでも?
「……ねえ、スワード」
貴方の頬に触れる。貴方の瞳を覗く。暗い、昏い深淵に私は触れられる。
恋心を奪われた私は、この恋から逃れる術を持ち合わせていない。
恋心を矯正された私には、貴方以外に手を伸ばすことが出来ない。
欲しい。欲しい。欲しい。欲しい!
この心の穴を埋める存在。この海水を温める熱源。この身体を包んでくれる愛しい者。私を雨から守ってくれる私だけのヒト。
緑の瞳を覆い尽くして、青い空を覆い尽くして、貴方の瞳が私を覆う。
私の正気を奪う一手を打った人よ、貴方の瞳も私が覆ってあげましょう。
「一緒に壊しましょう?壊して、壊して……ずっと私達と一緒にいようよ」
記憶を累積していた頁が止まることなく捲れだす。奪われた私の哀惜が、残された私の熱情が、捨てられた私の執念が―――貴方一人に向けられていることを忘れられない。
幻想に囚われ果てた『わたし』達が、どろどろに溶け落ちて貴方に這い寄っていく。
色欲の炎は勢いを増して燃え続ける。私の心を焼き尽くして、貴方を焼き尽くそうとしている。
「エリーシアが欲しいんでしょ?」
数多の人間を巻き込んででも、神の領分を侵してでも欲しかったんだよね。
「スワードは特別だから、叶えてあげる」
なら、――手を伸ばせばいい。
私が与えてあげる。私がなってあげる。求められない私を捨てて、わたしが目を開けてあげる。
だから―――――。
貴方は、ここで壊れるといい。
私の世界を奪った貴方を、許さないから。
抱きしめて、抱きしめて、そのまま潰して――粉々にしてあげる。そうして混ざり合いましょう。貴方と私、首に手を掛け合って……貴方が望んだ永遠の城で過ごしていきましょう。
「ね、スワード」
『ね、シリウス』
きっと、あの丘には綺麗な花が咲くよ。
赤くて白くて……綺麗な花が。ふふ、ふふふふふふ…………。
「っ、こ、これは!?」
「うっふふふふふふふ――――!!かかりましたね、かかりましたわね!?!?幻想王国の余力を用いて祝福を蘇らせた、ええ、ええ‼大いに結構!!予想していたとはいえ、使われたくない手段でした!!――――が、ふふ、うふふふふ!‼!どうして、どうして考えがつかないのでしょう!?幻想王国の膨大な力、その、源はなんであったか!?」
傲慢が歓喜の声をあげる。私の背後には、瞳を陰らせた憤怒が立ち上がっている。
「恨みですよぉ、辛みですよぉ、―――詰め込まれた人間達、そして虐殺された神々達!!彼らが許すわけないわ、穏やかな顔でどうぞ、なんて言うはずがない!!私達はそのことをよおく知っているもの!!うふふ、ふふふふふ!!さあ、さあ、やっと、やっっとぉお…………私達が生まれた意味、世界の溶解を始められる…………!」
溶けだした闇の粘液が、人型になってスワードに這い寄っていく。
這い寄って行く。
這い寄って、近づいて、飲み込んで、一つになる。
貴方が与えたものを貴方に返すために、彼女達は貴方を求めている。
「……っ、……こんな、時に……」
腕の中にスワードを抱きながら、私は閃光を見た。意識を引きずるまるで泥酔への誘いを、腕の力を強めることで辛うじて此方にしがみ付く。脳裏に剥離を感じながら、私はスワードを抱きしめていた。力なく己が産んだ狂気に犯される男を眼下に置くことで、私はこの身体でこの足でこの地に立っているのだと視覚から己に刻む。
「エリーシア……見て、これがあなたの罪だよ」
私に囚われたスワードを見て、エリーシアはその美しい顔を歪めていた。痛みに耐えるが如く、苦しみに喘ぐが如く。
まだ、まだ此方の領域は完全に壊されてはいない。むしろ再び始まりに繋げられた。あと一押し……あとほんの少しの毒で私達は王手を決められるはずだ。エリーシアもシリウスもスワードもアルピリも此処にいるのだから、もはや勝利と言っても過言では無い。
スワードの頬に、頬を寄せた。感じられない温度、感じられない肌の感触、吐息が漏れる唇から意志を汲み取れない。だけど、だけどね、もう終わるよ。もう、終わろう。永遠に、閉じてしまえ。日記に綴られた過去のわたし達が、そう願っている。
―――――産声が響いた。
幻想王国から漏れた負を抱いた魂の濁流が、重力の向きを変えて天使と対極の姿を形成していく。女王の聖堂は、邪を寄せ付けないもの――――で、あるからこそ、その聖堂で此れを産むのが一番相応しいはずだ。美しいものを、穢す。聖なるものを、堕とす。白を黒へ、反転させる。
「―――っ、シリウス、下がりなさい!!負は王に還るの、お前じゃ無理よ!!」
「……ア……」
スワードの唇から、言葉が微かに漏れている。
「なあに?」
耳を傾けるけれど、一つの音でしかない文字ではスワードの真意を測れない。測ろうとするつもりもない。私は傲慢を見た。
「こちらの準備は滞りなく。全て目覚めていなくても、これさえあれば……祝福など些事ですわ」
「だってよエリーシア!!……傲慢、今度こそ始められるんだね」
「ええ、――――全てこの傲慢にお任せを」
憤怒から渡されたナイフを投げ、空間に突き刺した。罅割れ、此方から手を下さずともいずれ祝福達に破られたであろう空間ではあるが。頭上から拳を振り下ろされた、ドーム状のチョコレート菓子のようにひび割れ砕け散る悪徳なる間は、門を閉じて表に顔出す。右側には七人の祝福が立ち並び、左手には瞳を開けた大罪の像が瘴気を浮かび上がらせている。
醜悪なる悪魔が叫ぶ。
鋼鉄たる陶器たる部品を繋ぎ合わせて、頭部を幾重にも用いて、手足も幾重にも重ねてその悪魔は呪いを音にする。
言葉など紡げない。ただ喚いて、叫んで、零れ落ちて、蝕むだけ。不可解な動きは嫌悪のみを一歩的にばら撒いている。
「黙示録は今此処に現実となる。――――さあ、行きなさい!!陛下が望む終末を、今此処に!!」
傲慢の声と共に、憤怒が飛び上った。
憤怒はそのまま悪魔に飛び乗ると、馬に繋がれる手綱を握る様に、鞍に腰かけるように足で蹴った。
するとどうだ。醜悪なる悪魔は獣の様に姿を変える。
関節を折り、絶叫し、首を折り、絶叫する。様々な女と男の不協和音を奏でながら、その魔物は獣へと姿を変えていく。
馬であるとは、形容できない。
竜であるとも、形容できない。
では何か―――――。
馬の様であり、竜の様であり、熊の様であり、獅子の様であり―――その全ての様では無い。理解してはいけない何か。理解を禁じられた獣。
その姿を見て笑うのは、大罪たる彼らのみだった。
「主よ!!円卓より前には出てはいけません、これは黙示録の赤き竜です」
「ヨハネ……」
「大丈夫ですよ。ヨハネの黙示録は、必ずや世界再生を迎えますから……団長!!ぼくも続く!」
シリウスはすかさず竜に飛びつこうとした。しかし竜は一鳴きすると、その尾を獰猛に振いシリウスを寄せ付けない。祝福は皆、動いていないようだ。スワードの吐息を感じながら私はその様子を傍観している。私が始めたことなのに、私はどうして微睡んでいるの。――問いに答える声は無く、スワードを飲み込むための闇に私も呑まれている心地がしていた。
黄昏に黒髪の少女が微笑んでいる。
いいえ、微笑んでいない。
傲慢は竜の動きに当たらないように小さな動作で場所を移動している。竜が激突する度に聖堂が大きく振動し、崩れていく。竜の爪がシリウスを抉ろうとした。しかしシリウスは剣の竜の爪の間に食い込ませると、そのまま大きく回転しながら上空へ飛び上る。崩れ落ちる石を飛び移って、その矛先を憤怒の頭上に引き絞った。
憤怒は竜の頸を締めあげて上を向かせる。大きな口が、シリウスの眼前に広がる。そのまま落ちるしかないシリウスに、――女の声があがった。
「第三の守護天使へ言を伝える。――汝、死に至るまで忠実で在れ、ウリエル!!」
エリーシアの言葉の後に、一瞬……何が起こったのかわからなかった。
女神が言葉を放っただけだ。何もせず、動かずに、ただ言葉を言い放っただけ。それなのに、目の前に赤い竜が落とされた。
「守護天使……?」
「……大罪である私達が悪魔と呼ばれるならば、祝福は対として天使と称されますわ。故に……第三の守護天使とは、嫉妬の対である祝福。名を、ウリエルと……いいます」
シリウスが地に降り立った。その遥か頭上に―――黒ずんだ赤を身に纏う男が空に足を付けて浮いている。無機質に、浮いている。所々が白い衣を、赤黒く滲ませて……その男は、此方を見下ろしていた。
見覚えのある眼差しだと、思った。
そうだ、身に覚えがある……。嫉妬の対……対の男……あの赤は……血……その血は……‼
「殺したはず……確かに……私がこの手で殺したはず……‼」
だからその純白の衣は、赤黒く穢れているんでしょ!?
どうして……どうして……死んだら全て終わりなのに、どうしてまた動き出すの!?神様だから!?天使だから!?死さえも死では無いって言うの!?
そんなの嫌だ嫌だ嫌嫌いやあ‼釣り合わない……卑怯、卑怯だよ……‼
「七つの天使に告げる――――天の鎖を掛けよ」
シリウスの一声に、残りの六人の祝福が舞い上がる。竜の中心に浮かび上がる天使は、それぞれの武器を竜に向け――――放った。
黄金に輝く武器は粒子の如く散って、黄金の鎖へと変わる。矛を竜に胴体に貫かせて、負を撒き散らすのも厭わずに一つ、二つ、縫い付けていく。
「……っ‼傲慢!!あなたもあちら側なら、教えて!!嫉妬を蘇らせる方法を!!幻想王国の力を使って祝福を蘇らせたなら、逆も出来るはずだよね!?!?」
どんっ、と重い音がする。もう嫌だ。そうやって、追い詰めて、私を追い詰めて、殺していくの。
見る先には、血が――流れている。首を剣で貫かれた憤怒が、項垂れた。
「傲慢!‼!早く、早く!‼!」
ゆらりと、紅い瞳が此方を捉えた。
這い寄る恐怖、死の足音。
「……陛下。大罪を全て今此処で目覚めさせる方法が……ございます」
「何!?もったいぶらないで教えてよ!!どうすれば―――――」
浮かび上がる身体。放り投げられた空中。
視界で遊ぶ黄金の髪――――どぷりと落ちた、泥の中。竜が流した、血の海に、憤怒が流した、血の海に。
「ひっ、泉――――ッ!!」
「煩い陛下だこと。疾く溶けて、その権威を私の為にお使いください」
「ヘレ……ル……?ごぁ、」
くちのなかに、どうのなかに、泥、が。
「わたくしのアナタ、やっと……わたくしの中へ入れられる。ふふっ……フフフ……」
たす、けて。
スワー……ド……。
エルキドゥは爆死しました。
・・・・・・(´;ω;`)




