一筋の希望
「びっ――――――――――――ッ」
「……暴食?」
目を丸めて、耳をピンと立てて、化け猫は固まった。血が流れ出る肩を庇いながら、何事かと憤怒は暴食に触れる。総毛立った毛並みに手を置いた。もふ、とした感触に緊迫した状況ながら憤怒は一人でに頷いてしまう。
「び、び、び、び、び、び、びいいいいいいい!!!!!」
「……!?どうした、どうした?」
目をぎゅううっと瞑って尾を揺らす猫を宥めようと、憤怒は平坦な声色で話しかけ続ける。その最中にも、敵の意志を探るため周囲に視線を寄越し続けることを辞めない――が、暴食が涙をも出しながら暴れ続け、四肢も次第に動きが大きく成りついには、前足を虫を払うかのように振り回した。
暴食が暴れた為に、下の負素が掻き混ぜられている。霧の様に立ち込め視界を奪うそれらの奥深くで、何かが光っていた。
光るもの?……憤怒が目を凝らした先、覗き込んだ刹那、目元を掠めた鋭利な獲物。
片目を隠す前髪が数本空を舞う。上げた顔が、勢いよく下を覗き込んだ。
光る。光る。光る!いくつもいくつも、光が増していく。蛍が清流に飛び交う様に、煤け穢れた霧の中に銀色の光が―――――。
「銀……――――まさか」
霧の中から飛び出して来た黒は、その両手に光を握っている。
黒曜の瞳は白い光を内に取り入れたまま、手に持つ煌きは――――。
空に無数に広がる。
「そのまさかよ!!魔を退ける銀の刃、受けるがいい!」
蝶が大空に導を見つけて飛び立つか如き風景は、美しく心を打つ。それはどちらに傾いた心を持つ者でも、分け隔てなく感じ得るものだった。
しかし、銀は魔を退けるものだ。蝶は羽根を恥じらう様に振わせると、一斉に姿を変えた。剣へと、刃へと、――魔女が両手に握る退魔の短刀へと表情を変える。
美しいものは毒を持つ。――其れを証明する二つが、ぶつかり合う。
「――――憤怒っ……‼逃げて……ッ、‼」
何十とも、何百とも取れる刃の雨が二つの身を貫かんとせん隙間に、猫は身を振り憤怒を撥ね退けた。抵抗しない憤怒は、頷きの後に闇間に消えて往く。残る息を仕留めると緩やかに空中を漂っていた魔女は、一人の離脱を目視しその後を追った。
「くそっ……‼どこ!?どこに逃げた!!出てきなさいよ卑怯者ッ!!」
しかし、暴食の巨体が横倒しになり地を漂う負が浮き上がったことによる霧の濃さが視界を覆いつくしている。街灯の無い闇夜を行くには、あまりにも光が無いということに魔女は唇を噛むしかなかった。
肩で息をしながら、魔女は瘴気の核へと足を進める。両手に持つ剣は再び蝶へと変化し、その銀を鈍色へと緩やかに変化させながら魔女の行く道を照らしていた。
「見つけた。……こうしてみると、唯の猫にしか見えないじゃない。黒猫、……魔女の使い魔だっけ?確か……」
血、というには黒ずみ過ぎている体液を流す小柄な猫を魔女は広い上げた。弱り切った猫は、確かに先程の大罪の一つ『暴食』であるのだから油断は禁物だ。魔女は一度ごくり、と喉を鳴らすと蝶の導きのままに女王が待つ所へと足を速めた。
「リベカの様子は!?……っ、ごめんなさい、わたし、何も出来ない……!」
安全な場所で静観すること。それは、王を戴く者にとっては心臓を守ることと同義であり、王として戴かれた者にとっては身動きできない衝動に責められることと同義である。安堵の息と危惧の念がせめぎ合う丘の一角で、エリーシア一行は不意に光を見た。
可視化された実像の光では無い、感覚とも予感とも取れる抽象化された一筋の光。
エリーシアはリアラを見た。リアラは頷いた。眉を寄せた鏡子を一瞥しながら、エリーシアはアスティンを見る。
「……大罪が一つ、消滅しました。眠る祝福と目覚めた大罪の天秤はつり合った……エリーシア様、今ならば活路を開けます」
手が震える。最後のチャンスだ、とエリーシアは確信している。
王であるエリーシアにとって、世界の存続こそ絶対条件。シリウスへ向ける刃を、己が目覚めた意味を再び噛み砕くことに迷いなど――――無い。
それでも、それでも!!胸が張り裂けそう。こんなの感じた事無かったのに。あの時なら、簡単に世界を選べたのに。
「それでも……わたしは……この世界を、選ぶものよ」
自分に言い聞かせた。エリーシア、エリーシアよ。わたしという意味を意味とするために。
わたしは世界を、何度でも選ぼう。
「ならば活路を開くまでよ。既に道は見えた。―――わたしは、聖堂へ行くわ」
「……そのお身体で?」
リアラは苦々しく言葉を零す。発言しなくてもエリーシアは続けて言葉を紡いだだろう。しかし、リアラは苦しくとも言わなければいけないと思った。リアラは竜だから。今も尚、エリーシアの竜として在り続ける。
「いいえ。わたしは……わたしの身体へと還る。そして、鏡子。お前にやってほしいことがあるの」
「鏡子に?……ええ、何だってやりますわ。今更怖気づくなんて安倍の名が廃るというものですから!」
もはや霊力無く、意識の糸にしがみ付く人間をエリーシアは愛おし気に見ていた。一度頷くと、この身体の胸の部分に手を当てる。
「鏡子、わたしがあの聖堂へ横たわる死体へと還った後、この身体は蛻の空になるわ。前にも言ったでしょう。生きている身体は、魂が無いと死んでしまう。だから、守って欲しいの」
「……鏡子の力で、護れるのなら護りたい……です」
自信に裏打ちされた姿勢を誇る彼女が、自信なさげに俯いた。
「護れるわ。だって、これはお前にしか出来ないことなんですもの。聞きなさい。わたしがこの身体を離れた後、お前は泉の奥へと潜るの。お前の魂はわたしと繋がっている。わたしは泉と繋がっている。……わかるわね」
「魂そのものに干渉せよと言うのですか……!?危険です、下手をすれば鏡子が上山さんを壊してしまう!!」
「壊れないわ。わたしはその程度では壊されない。……深い深い意識の水底に、きっと泉は居る。泉はわたしだもの。わかるの。……わかるのよ。わたし達はね、決して……――――」
世界を、壊せない。
エリーシアは言えなかった。不安に揺れる目の前の愚者に、それを言えなかった。
「安倍さん。七つの大罪……というものを知っているかな」
声を掛けたのはアスティンだ。優しく落ち着いた声色で、鏡子の傍に腰を降ろした。
「簡単な知識なら……あります。キリスト教で、悪徳を戒めるものと記憶しております」
「そうだね。博識じゃないか、……よく勉強してるんだね」
「いえ……当たり前ですもの」
固く閉じた蕾が、綻ぶのを感じている。アスティンに任せれば問題ないとエリーシアは息を吐いた。
「七つに別け隔てられた大罪は、それぞれが別の性質を宿してはいるものの結局は一つに収束するんだ。破壊、……つまりは……――死、かな」
「……死……」
「サルース卿。ここからは、貴女にお話いただくのが筋というものでしょうか」
アスティンの呼び掛けに、リアラは頷いた。固い面に揺れる瞳は、いつかの風景を呼び起こしている。
「陛下は……エリーシア様は、祝福を始めに与えられました。七つの祝福と呼ばれる、大罪と対になってしまった者達です。しかし、世界は時を経て変わっていきました。世界と繋がる陛下は、世界の影響を直に受けます。その中でも悪意は、負は、痛みや苦しみとなって……貴女を襲った」
リアラはエリーシアを見た。エリーシアは、瞳を伏せて聞いていた。
「陛下は、願ってしまわれたのです。……たった、一瞬だけ。世界の……」
「―――終わりを、願ったのよ。閉じてしまおうと、壊して、死を撒き散らせて終わらせようと、ね」
リアラは口を噤んだ。エリーシアは、どこか冷たい声色で何かの書物の一文を呼びあげるかのように告げた。
「そうした感情を切り離す為に、生まれたのか大罪……七つの大罪と呼ばれる者達だ。彼らを穏やかな眠りに就かせ続ける為に、また祝福も眠る。そうすることによって、世界の天秤を水平に保ち続けているんだよ。だから、大罪は目覚めてしまうと……一つの目的を成し遂げようと動き出すんだ」
「世界を壊すこと……ですわね。だからと言って……魂に干渉する理由には…………。あ、れ。待って、ください。大罪が、世界を死に至らしめる存在ならば……上山さんは……必要ない、はずですよね。あそこまでして、上山さんに拘っているのは……」
「――流石は安倍晴明を継ぐ者だね。そう、彼らはあくまでも『泉さんが望むから』世界を壊すと言っている。……わかるかい、この意味が。泉さんの魂は、エリーシア様と同じものだ。つまりは、王を戴かなければ大罪とて世界を滅ぼせないということだよ。王の決定が必要だから、王の意志を破壊へ向けなければならない」
鏡子の顔色が変わる。不安気に揺れた瞳は、強い意志を伴って見据える方向を定めた。
「上山さんを引きずり込むつもりだということ!許せない……許せません!!これ以上、上山さんを傷つけられてたまるものですか……‼」
エリーシアは鏡子に近づき、その手に触れた。
「わたしが本気になれば、大罪一人で世界を滅ぼすことが出来る。それが出来ていない以上、泉の本心にまだ大罪の手が届いていないの。だから、この身体を通じて泉を探してちょうだい。深く深く……意識の水底に潜って、泉を探して。そして、もし、泉を見つけたら――――」
「引き上げます。頬を叩いてでも、鏡子がこちら側へ引き戻します。それが人間である安倍鏡子の役割なのですね」
もう、迷いはない。
エリーシアは立ち上がり、聖堂を見据える。
「リアラは泉と鏡子の身体を死守しなさい。大罪の瘴気に触れさせては駄目」
「――御意」
「アスティンは鏡子の道標となりなさい。鏡子が泉を見つけたのなら、巫女と巫の補佐を。……スワードのことも、頼むわね」
「お伴出来ず、申し訳ありません」
リアラとアスティンは膝をついて、拝命を受ける。
かつての在りし光景を、ここに再現している。
「構わないわ。わたしは残る杭を世界に打ち続けんが為、エリーシアへと還る!!十二天将よ、わたしを離しなさい。――ありがとう。さあ、我が騎士ヨハネよ!!わたしの手を取れ!」
生が聖と言うのなら、死は穢であろうか。
生が白と言うのなら、死は黒であろうか。
――エリーシアは、死した神である。
故にその身体は、大罪の門へ行ける。
虹の入江にて霞む眼を開く騎士は、光の声を聞く。己を強く呼ぶ声を、求めて求めて見えなかったあの声を聞いた。
無い力を振り絞って、身体を起こす。声が呼ぶ。答えなければ、己が円卓であると叫べない。
光へ、手を、伸ばして――――――確かにその手を、掴み取った。
実は前回を書き上げて更新した後、風邪を引きました。夏風邪にはお気を付けください。
闇落ち展開が続いて続いてやっと雲間に光がさしたーーー!!そして8月の最後に更新出来たーー!!えらーーーい!えらーーい!!・・・ふう、ゼルダを助けに行くぜッ!!えーーん!新しい地区怖いよ――ッ!!




