大いなる罪『憤怒』
「ここは……」
「大罪と祝福が眠る大聖堂――主よ、貴女そのものが誕生を繰り返すところ」
私が傲慢を睨むような形で見ても、彼女はくすりとした笑みをフードの中で浮かべている。
「私が生まれた場所はここじゃない」
「ええ。そうですわね……今は」
下らない問答だ。――繰り返すつもりはない。
ぐるりと周りを見渡した。聖堂――と言ってはいるが、恐らく、私が今いる場所は聖堂ではあるが少し位置がずれているのだろう。サーベラス……暴食が放った穢れの空間を縫って此方に来たときと同じ空間が、未だ私達を包んでいるのだから。
聖堂そのものに私を連れてこず、この異空間に運んだ理由は明確だ。正しく、見ればわかるというもの。
黒い炎と白い炎が二つ、列を成して並んでいるこの状況に――嫉妬を目覚めさせた時の記憶が鮮やかに蘇る。
黒い女と白い男。二人が剣を軸に天秤の盃の様に座らされて、項垂れている状況を。一方を目覚めさせる為に、一方を……殺した事実を、今、この目で実感している。
そうだとも。一対で並んでいるはずの炎が、不揃いなのだ。私が入って来た方を一と数えた時、一番目、三番目、六番目だけが白い炎が無く、黒い炎が勢いよく燃え盛っている。
目覚めさせた大罪は三つ。――足りない。暴食が彼らを食べている間に全員目覚めさせたい。全員……いける?
「陛下陛下、焦っては駄目ですよぅ?」
炎と炎の狭間で、嫉妬はくるりくるりと踊っている。
「皆の声、聞こえましたよね?――残りの姉弟たちは、微睡んでいるんです。今か今かと目覚めを待っているんです。でもぉ……物事には順序というものがありますので……」
私が首を傾げると、嫉妬は赤い唇を吊り上げた。
「とっても焼けますけど……お尋ねいたしますわ。いいえ、一つ一つ紐解いていきましょう。あなたの、奥の、奥に仕舞いこんだその黒いものを……」
怒り、そして憎悪。
それ以外に何が残っている?
「――煩わしいよ。そんな暇あるわけない!」
私が剥いた牙を、彼女達は微笑んで宥めてくれる。
私が払う手を、彼女達は微笑んで再び差し伸べてくれる。
それが、――何よりも暖かいと感じ取れた。この私でも。
嫉妬はにっこりと赤い唇を三日月の様にして、私の頬をその胸に寄せて抱いた。わかりました、と嬉しそうな音がする。
「――では手始めに、隙を突いて、彼にご教授願いましょう。守護を司る竜……――アルピリに」
一つの白い炎が過剰に燃え盛る。傲慢の声を余所に、その様子に注意を向けていると、新しい気配が急に現れた。
穢れに巻かれ痛みに喘ぐ男――アルピリさんが、この空間に放り込まれた。
「……――それでは、強制的に覗かせて頂きますわ」
傲慢は上擦った声で、そう言った。辛うじて開いたと思われるアルピリの瞳が、揺れた。そして、傲慢の身体が霧のように霧散して……――アルピリさんの両目が大きく開かれる。
「あ"っ、あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"‼‼‼!」
叫びに呼応して湧き出る負の濁流に、空間が塗り替えられて行く。徐々に世界は映す景色を変え、一人の女の声が大きく響いた。
『―――エリーシア様!?エリーシア様ッ!!何を、何をしているの、シリウスッ!!』
私の視界に映る景色、それは――――血濡れた王の間。
緑の衣に身を包む、赤毛の女――リアラさんが扉を開いたことによって広がる景色は、誰が何を叫ぼうとあの日に違いない。私だって、何度も見てきたあの光景。この魂に刻まれた最も忌み嫌う情景。
『嫌……嫌……シリウスやめてぇ!!』
シリウスが、エリーシアを殺害した日。
即ち、シリウスの即位日。
王は、赤を身に纏う。そのとおりに私も赤を身にまとっているわけだが――この景色に映る彼もまた、赤を身に纏っていた。
王の間に広がる大理石。それをキャンパスのようにして広がる兵士たちの血。そして、屍骸。シリウスに馬乗りにされ、何度も心臓を穿たれたエリーシアの近くにその屍骸たちは多く折り重なっていた。
シリウスは、突然の来訪に手を止めた。錯乱し駆け寄るリアラに顔を向けると、その青という髪は誰の血によってか所々が黒ずみ、そして瞳は――――。
金色から、紅へと移り変わろうとしていた。
「目が……」
呟いた私に、嫉妬は囁く。
「王権の譲渡ですよぉ」
リアラがそれを認識した時―――、地を蹴る力が一際強まった。
『……リ、ア、ラ……――――』
エリーシアが虚空を見つめ、掠れる声で呟く。その声に手を伸ばすリアラを見て、シリウスが焦っているようだ。シリウスは大きく剣を天に掲げるとそのまま、振り下ろした。
大罪達は、心を世界に映している。
だからこの歪みは、エリーシアの瞳から光が消えたのを確認したリアラさんの心。
言葉にするならば――――怒り。
『―――――……うそ』
転がった音は、嘘のように真実の色を帯びている。竜は、そういうものだからね。仕方ないよ、わかるんでしょ?今の一突きで、エリーシアが事切れたこと。
アルピリさんは、力強く唇を噛み締めてこの光景から目を逸らした。深く、深く、眉間に皺を刻んで。
一度掻き消された炎は、ほんの少しの間静寂に立ち尽くしていた。頭ではわかっているのに、心に落とせない。信じられない。認められない。この眼に映る全てが夢であるのだろうか、と声が反芻する。
――頭では、わかっている。だから、炎は灯る。大きく、激しく、―――怒りとなって。
エリーシアの周りに赤黒い魔法陣が展開した。その間に、手を伸ばす。届け、届け、と喉が張り裂けても構わないと叫びながら。シリウスが何をしているか、わからない。けれど、竜の身体が反応しているのだろう。リアラさんは魔法陣に触れる前に、自分の胸から何かを取り出すと――……その手がエリーシアに触れた瞬間、意識を失った。
その時。それと同時に、リアラさんの意識の消失と同時に生まれたモノがある。
懺悔。後悔。願い。
そして、確かな怒り。
その全てを赤子に流し込んで、その子は泣き叫ぶ。
白亜の病室で、息の切れた母親の祝福を受けながら赤子が泣き叫ぶ。血濡れた身体は、誰の血だ。その涙は、どの涙だ。
その赤子は――――佐倉湊は、私に手を伸ばしながら泣いている。
憎しみに塗れて、泣いている。
その子は、よく笑う子だった。成長する過程で流していた涙の感情の処理方法を、いち早く習得してみせた。泣いて、泣いて、吐いて、血を流して、血を流させて、狂う寸前を別の力に流して耐えて、泣いて、泣いて。
その子は、よく笑っていた。
『なんだ、何が言いたい!俺に何をして欲しいんだ!わからねぇ、わからねぇよ……』
その子は、笑った顔の思い出が、多いのに。
『……痛てェ、……――は?あんた達がぶつかってきたんだろうが』
ただ、私の頭を優しく撫でで、笑っていたと思っていた。
『落ち着け落ち着け、実花は悪くない悪くない。俺が悪い、悪い、……クソ、クソッ!!何で、何で……―――実花を見ると、こんなに、ムカつくんだ』
リアラさんが零したモノで湊が生まれたのなら、この心こそ湊の本心なのだろう。
竜は一対だと聞いた。それならば、アルピリさんだって湊であるはずだ。
『嗚呼、……ああ……はは……胸糞悪ィ――――。ずっと、こんな気持ち、抱えたくねぇよ……』
湊とアルピリさんが繋がっていても、可笑しくはない。
『……―――エリーシア?』
中学生の湊が、瞳から溢れる涙を拭いもしないまま、その名を零した。
瞳に光が差し込んだ後、すぐに歪む。
答えを得たと、声を殺して泣いている。
全てが繋がったと、喜んでいるようにも見えて――絶望しているようにも、見えた。
『そうか……泉……大丈夫、大丈夫だ。今度こそ、俺が――……守ってやるから』
逃れられないと、脱力しているようにも見えて私は瞳を伏せた。
『だから、最後だけ……許してくれ……。―――死にてぇ、よ』
抱えきれない思いに押しつぶされた男の子は、泣いていた。
ただ、逃れる術も無く、泣いていた。
感情のまま泣き叫んだ日。感情のまま暴力に身を委ねた日。感情のまま傷を受けた日。感情のまま罵った日。感情のまま首に手を掛けようとした日。
私を探してくれた日。私を慰めたくれた日。私を抱きしめてくれた日。私の暴言を受け入れた日。
全部全部、裏を隠して、表で綺麗に笑っていた。
『死にたい』
死にたいと、願いながら。
『殺したい』
竜の女の狂気に、侵されながら。
『俺は――……狂ってる』
湊は、その足で立っていた。笑いながら、立っていた。
「もうやめて」
私は傲慢に語り掛ける。
「もう、十分、わかったよ」
湊に背を向けた私を見た嫉妬は、その頬を歓喜に染めた。
「それでこそ――……わたくしのあなた」
「嬢ちゃん!違う!違ェよ!!アイツは、湊は、そんなこと望んじゃアいない!!」
傲慢が私の傍に侍る。既にアルピリさんを元に抽出した景色は無い。
「――お前に、湊の何がわかるの?……ううん、私だって、わかってなかった」
アルピリさんを見下ろし笑う私に、目を開いたアルピリさんは何も言わない。
それでいい、それでいいんだ。――湊の怒りを確かに受け取った私に、掛ける言葉など不要というもの。
不毛というもの。
私の心がある位置から、黒い一滴が零れる。それは下に落ちていき、床を這い、彼を起こす香炉となって空気に溶けていく。
嫉妬が跪いて、私に剣を差し出した。迷わずに、その柄を手に取って――もう一人の彼の下へ足を運ぶ。
無垢を示す者へ。光を纏う者へ。
「苦しい。怒りが心を覆って、苦しい。嗚呼……この、怒りは……」
白い炎の前に立つ。炎はいつのまにか、一人の白いローブを纏う女となって意識無く頭を垂れていた。
「嬢ちゃん……やめてくれ」
アルピリさんを一瞥して、私は嘲笑う。
腕を上げた狭間にも、嘲笑は止まらない。
「アルピリさん。私ね―――自分自身に、一番怒ってる。何も、何も、知らなかった知ろうとしなかった自分自身が腹立たしいッ!!」
感情に任せるまま、剣を振り落した。
目に血が入る。私は閉じない。目を背けない。深く抉れようとも、強く強く目を見張り続ける。
これは血なのか?――考えて、放棄した。目の前のこの状況をどのような言葉で取り繕うとも、やっている事が変わることなんてないのだから。
口から血を零す白いローブを纏う女が一度だけ、意識を取り戻した。哀れみに満ちた瞳だけを私に向けたから、私は、
「……おやすみなさい」
と言って背を向けた。
轟音が響き渡る。巨大な瓦礫が崩れるような、建物が一気に崩壊したようなそんな耳を塞ぎたくなるような轟音だ。
「お前、名は?」
きっと、外が崩れただけ。私がいるこの空間には、崩れたお陰で目覚めた者が頭を垂れているはず。
――ほら、ね。
黒いローブに身を包んだ痩せ形の男が、私に跪いている。
「憤怒の――サタン。確かに呼びかけに応じました」
静かな、無表情な声色をその男は紡いだ。表情を隠す黒のローブからはその目が見て取れないが、身に纏う空気が確かに彼の感情に色を付けている。
「あなたの怒りは正当たるものだ。だからこそ我らは、この身全てを捧げてあなたを……いいえ」
「――あなたの怒りを証明しよう。我らが主よ、お喜び申し上げる」
四本目の杭が、抜かれた。
これで目覚めた大罪は四人。これで残る祝福は、三人。
――今この瞬間、この衝動を抑えられる者の数が下回った。
「陛下ぁ!お喜び申し上げますわ!世界は、世界は―――崩壊を始めますっ!」
嫉妬が振り返る空間の奥で、――地割れの様な振動が生まれ波及した。
身に触れて、実感した。世界の崩壊を、震えるほど感じている。
ああ、もっと、もっと揺らして崩して、壊さないと気が済まない。私の世界を奪ったのだから、お前たちの世界も私が奪ってやる。
抱きしめるようにして、壊してしまおう。――燻る胸とは裏腹に、頬は吊り上がる。
「……アルピリさん。大切なこと、教えてくれてありがとうございました」
「嬢ちゃん……今、自分がどんな顔をしているか、わかってンのか」
地べたに転がされて私を見上げる彼の表情に、一度吹き出して私は頷いた。
「はい。きっと私が元々もっていた顔ですよ、これは」
私はアルピリさんに背を向けて、未だ跪く憤怒の下へ歩く。憤怒は僅かに顔を擡げると、また深く頭を垂れた。
私と彼は、怒りを共有している。アルピリさんを通じて得た怒りを私が引継ぎ、彼へと流した。その結果対と成る祝福は死に絶え、大罪が目を覚ます。微睡んでいたいと言う彼へ腕を伸ばすと、抵抗も無く私の手を受け入れる。
「……陛下」
私は、息を吐いた。見えている答えに手を伸ばすのが、未だに少し億劫で。
「……ご命令を」
「サタン。人の世が終わりを迎えると聖人とか神様とかが降りて来て、良い人達は天国に運ばれて幸せに暮らせるんだよね」
「……黙示録のお話ですか」
「そう。授業だったかな、それとも何かのお話だったかな……小耳に挟んだ程度の小さな知識。その時は何とも思わなかった。ただの空想上のお話、ただの宗教のお話……私には何の関係も無い、別の世界のお話だって思ってた」
フードの下の瞳は見えないけれど、私はその瞳を見ている。
「私の世界に神はいなかった。見えなかった。だから、信じなかった。天国も地獄も罪も祝福も何もかも……この世界に来るまでは、どこか他人事だと思ってた。でも、この世界に連れてこられて、別の身体に移って……湊を……実花を奪われてから――私、気づいたんだ」
彼の頬に当てた手に、力が籠る。
「人間を救う神は居ない。自分の目的の為に奪って、奪って、滅茶苦茶にする神ならいる!神様が人を救う!?違う違う!人は、抵抗しないと――神に奪われるだけの人形に成り果てる!」
頬に添えていた手を握られた。露わになっている口元が、おもむろに開く。
「――あなたの望みは?」
「――神を、殺したいの。二度と、奪われないように、二度とこんな悲しい……」
私の肩に誰かが触れた。包み込む様にして私に触れるのは、最初に目覚めた傲慢だった。
傲慢が笑う。その微睡んだ空気に、私の意識は包まれていく。
「――――神を殺したいの。私を欺いた者を、私を陥れた者を、私を裏切った者を一人残らず殺したいの」
「左様ですか」
微笑んだ。目の前の彼が、私に微笑んだ。
「ご安心を。我らは、あなたの闇を歓迎する。――傲慢、私は外へ出る」
「フフフ――……暴食と合流するのね?あの子、対が割れただけだからあまり本調子じゃないの。手伝ってあげて」
「……了解した。陛下、失礼を」
私は微睡んで意識に揺られて、身体を傲慢へ預けている。
見える視界の端で――アルピリさんが……何かを……言っている……ような。
「ヘ……傲慢」
霞む視界の奥に遠ざかる糸へ手を伸ばして、掴んだ。
「王都を――――焼け」
声にした自分の言葉に心を静かに冷やしながら、私は私の目の前で嬉しそうに笑う女を見ていた。
うふ。
うふふふ。
ふふふふふふふふふふふふふふ。
――ふふ、一つ、二つ、また増えた。
主よ、貴女に届くかしら?触れられるかしら?
手を伸ばしてみましょう。
ふふ、ふふふふ……。早く、早く……―――アナタが、欲しいわ。
もうおこなんだからね!!!!激おこぷんぷん丸なんだからねッ!!!!!(泉談)




