幽愁の子守歌
最終章、始めていきます。
どうぞ最後までよろしくお願い致します。
人形に詰められた少女の憎しみは、深く深く下に落ちていく。
深く深く、まだ深く。それは地球よりも下、地底よりも下、思考よりも下、想像よりも下。
まだ、まだ、まだ、まだ、まだ下へ流れいく。
例えるならそれは、砂時計の様に。
――――嗚呼、開いてしまった。
深い深い闇の中で、光を対とした地獄の王は瞼をあけた。死者が蠢く世界で、咎人が這いずる世界で、罪が落ちる世界でその王は地上を見上げる。
聞こえる声に耳を澄ます様に。絶えない悲しみに、溜息を吐くように。
「嗚呼、大罪が流れていく。……姉上、貴女は本当に何もわからないんですね」
地獄の王は、傍観に腰を降ろした。
――――血潮香る風よ、
――――血濡れた花よ、
その魂、……迎えに行く時をしばし此処で待っているよ。お前たちは、お前たちのしたいようにすればいい。輪廻の輪を、少しだけ遠ざけてあげよう。
この、冥府にて。
**
意識を手放してしまいたい。
見張り続ける眼球も、憎しみに滲む頭の中も辛くて辛くて堪らない。悲しみの波に呑まれてしまいたい。暖かな思い出と共に目を閉じてしまいたい。どんなに冷たくても構わないから、もう……。
狂ってしまいたい。
そうしたら私、これ以上考えなくて済むよね?
上に手なんて伸ばさないから。吐き気を催す現実には何も求めないから。
嗚呼。
瞳を黒く塗り潰しても、くっきりと差し込む明るい光。深く深く沈んでも、私を照らす。
浮き上がりたくないのに、浮き上がる私の身体。狂いたいのに、そう思えば思うほど冴えていく私の思考回路。
誰の手も掴んでいないんだよ。誰一人、水面から私に腕を伸ばしていない。私を引き上げるヒーローなんていない。
なんで?なんで?……私は今も水面から顔を出そうと、息をしようと上昇するの。
私に逆らう様に下降する黒いマリンスノウ。
私の遥か下で留まって眠り逝く。その様が、何て、羨ましい――――。
主 よ 深 淵 に お い で か し ら ?
我 ら は あ な た の 闇 を 歓 迎 す る
や っ と こ ち ら 側 に き て く れ る
さ あ
主 の 御 心 の ま ま に 手 を 握 っ て ?
ね え
あ な た の 慟 哭 を 殺 さ な い で く だ さ い
そ の 悲 し み は
主 よ あ な た の も の だ よ
そ の 怒 り は
あ な た が 感 じ た も の
僕 ら は あ な た の 意 志 を 尊 重 す る か ら
ど う か そ れ 以 上
あ な た か ら 離 れ る の は お よ し な さ い
そ れ を
あ の 子 達 が 望 ん だ の で は な く っ て ?
浮き上がる胴を絡めとって、光翳す指を絡めとって、光を探す瞳を深淵へと優しい手が向けさせる。
微かに開いた目に、美しく黒い者達が見えた。皆、微笑んでいた。皆、嬉しそうに微笑んで私へと両手を広げていた。
おいで、と言うかのように。
「……行かないと」
けれど、私の脳の奥底に居る何者かが私を上へと向かわせる。
「何故?貴女を傷つける世界へ何故行くの?」
「……だって私は……」
「だって、貴女は?」
「実花や湊が生かしてくれたから」
黒い少年は微笑んで、私の頬を包んだ。
「……そう。なら、そんなに泣かなくてもいいじゃないか」
視界が揺れる。
光が遠ざかる。
「……どうしたの?ここは君を守る者達しかいないよ。……さあ言ってごらんよ。どうしたの?」
唇が震えた。
喉が震えた。
彼らを越した向う。深海の奥の奥へ実花と湊が消えていく。――笑って、ゆらゆらと沈んでいく!
「私、私なんかの為に実花と湊が命をかける必要なんて無かった!代われるものなら、私が代わってあげたかった……!!私一人残るくらいなら、私も一緒に逝きたかった!!!!」
「うん」
「でも、でも二人はきっと……許してくれない……‼」
「なんで?」
「それは、」
――――それは彼らが、剣と竜だから。
剣は私が死ぬ前に敵を殺すもので、竜は私を癒すもの。手段は異なるけれど、目的は同じ。
二つは、私を生かす者。
「悲しいですわね」
美しい黒の女が――――この温もりは覚えている。ずっと私、貴女に抱かれていた。泣き叫ぶ私を宥めるその音色は、今も尚耳に優しく木霊する。
「別の存在と貴女に言い聞かせながら、自分達は過去の者と同一に扱っているなんて。貴女の為なら命なんて要らないと魂に染み付いてしまっている」
震える私を抱きしめて、女の唇は甘い心を零している。
「悲しいですわね。――憎いですわねぇ、そんな世界」
深い深い海の底。
漂う私達は、皆瞳に昏い光を灯す。
「君は、ただ平穏に暮らしたかっただけなのに」
「あなたはただ、三人の世界があればよかったのに」
「楽園なんて望まない」
「世界なんて欲しくない」
「欲したのは、些細な幸せだけですね」
「それだけなのに、もうその幸せは手に入らない」
割れた。
私の中の、心。
どんなに辛いことでも、どんなに理解不能なことが起きても強く輝いていた心の深奥。足を動かしていたもの。思考回路を必死に回し続けていたもの。
それは、この海を浮上する力。
「――だから、其れは此処に眠らせましょう」
胸に置かれた手。
私の瞳は閉じていく。ああ、ああ、悲しい、悲しい。
「よく、頑張りました」
「よく、耐え抜きました」
「僕たちは、ずっと見てきたよ」
だから、
「だから、……もう我慢しなくていいのです」
水を湛えた硝子を割れば、中の水はどうなる。空気を溜めこんだゴム風船を割れば、その空気はどこへ行く。
とどまらぬ意志。
外側が抑え込んでいた、内側の黒いもの。お腹の奥深くにこさえていた、黒いもの。
割れた。
敗れた。
もう、中身の流出は止められない。
「さあ、貴女の望みのままに」
「主の、願いのままに」
地を蹴って、一気に浮上する。差し込む光に目もくれないで、私達は海の底を蹴って、其れを置いて行って、浮上する。
嗚呼、私に逆らう黒いマリンスノウ。今しばらく、眠る私を慰めていて。
「僕らは、貴女の闇を歓迎する」
私は、愛しい者を奪う世界で何度でも目を開けよう。
彼らの死から、目を逸らさない様に。
なんと、実は正気を保っていた泉ちゃんでした。大罪達の手によって闇落ちしたけど……。
最終章はシリアス続きになると思います。作者もずーんずーん……ハッ!くず餅バーを食べよう……。




