安藤実花 Ⅰ
前話の、簒奪王と旧女主人にて挿絵を追加しております!
「――――!下がって皆ッ!!」
走る戦慄、感じた恐怖。
シリウスの浮かべた笑顔を見て、反射的に私は叫んでいた。
しかし、シリウスは笑みを変える事無く私に告げる。音は冷たく、色は無慈悲に。
「無駄ですよ」
そうして、私を守るために息を切らす彼らから鮮血が溢れ出た。勢いよく、上へ、上へ――なのに身体はその場に留まっていて、それでいて上に飛び出た血潮は素直に球体を描きながら落ちて行って……、朽花を赤黒く染め上げた。
マリオネットの様に宙に吊られたスワードとルイーズは、空に無数に浮かぶ魔法陣から伸びる糸に四肢を絡めとられている。零れだした血は、その糸が食い破るもの。地から彼らを吊り上げる為に掛る力、彼らを吊り上げ続ける為に掛る力――全ては吊るされる者へ負荷を支払わせるのだ。
「あ、ああ……ああ……!」
近づくシリウスから距離を取れずに、愚かにも私は嘆きに心が侵されながらその場に立ち尽くしていた。足が震えて、でも逃げろという二人の瞳に急かされていて。
瞳の端で、伸びる手が見える。私は吊るされた彼らから目を離せない。手が近づく。ルイーズが口を開いたけれど、咳と共に血が出る。手が近づく。スワードが、私を見る。スワードの口が、お、も、い、だ、せ、と―――――。
スワードは、またその言葉を言う。
思い出せ、と。――――本当の名前、だったっけ。
「……本当の、なまえ?」
手が一瞬だけ止まって、すぐに形を変えて私に指を食い込ませた。
「陛下。円卓の騎士アレウス、お傍に参上致しました」
振り下ろされた刃は、何人の肉を断ち切ることなく私から危機を遠ざける。魔術の盾により切断を免れたシリウスは、苦笑を浮かべながら数歩下がった。突如現れた騎士は、呼気を唇から吐き出してその大きな背越しに私を一喝した。
「何をしておられるんだか、エリーシア陛下ッ!また失いたいのか!貴女は!」
動きを止めていた私の身体。彼の声が私を縛る糸を断ち切って、私に私を返す。
我に返ると、目の前に三人の騎士が居た。
血塗れの二人。――スワードの横に立ち位置を変える円卓の騎士アレウスを加えて。
「迷っている暇は無いッ!――目の前の、シリウスとリアラを殺せ!」
「――はい!」
スワードの声、それに従う二つの声。
顔に焦りを浮かべたシリウスが、リアラに告げる。
「――加減は必要ない、壊せ!」
「御意、ロード」
刃のような糸達が力を失った様に項垂れ溶け、――大きな魔術陣が一つ描かれた。描かれていく途中、スワード、ルイーズ、アレウスの三人は少しでも距離を詰めようと己の武器を手に駆けていく。魔術の糸は溶けていく途中も刃の煌きを失っていないようで、彼らはその残滓を避けるように進んでいた。
「……思い出す、名前?何、どういうこと?名前って、誰の名前?」
きっとその名前こそ、この状況を打開する術なのだろう。スワードがあれほどの気迫で迫るのだ。そうであるに違い無い。
けれど、見当もつかない!スワードは何を言っているの!
考えないといけなのに。わかってるのに。三騎士が走るスピードよりも速く術式は組みあがっていく様子に、心臓が痛い感覚がする。ドクドクドクドク、早く唸って私の瞳を塞ごうとする。
血は、嫌だ―――考えが、浮かぶ。
私の代わりに、―――なに、これ。
彼も私のせいで――――この思考はなに!?嫌だ、手が震える。
あの子まで死んじゃったら、もう。
「……あの子……」
私の瞳が映すのは、スワード。
スワードの姿に、手が、足が、身体が、後を追いたいと叫ぶ。前のめりに駆け出した身体を一つの腕が抱えるように遮った。
その人は、私が驚いて顔を見ようとすると消えてしまった。けれど、確かに私を止めたその人は―――緑の瞳を細めて顔を横に振った。
行ってはならないと。私では、彼らに対抗できないと――ただの足手まといだとわかっているのに。首にかかる石を持ってしても、敵わない。
「戦乙女達よ、進め!」
リアラの声に顔を上げた。
魔法陣から召喚された大勢の人間――――戦乙女達は、意志の無い瞳でスワード、ルイーズ、アレウスを見下げると一斉に下降する。
私一人がいる場所だけを安全地帯に作り替えて、彼らの場所は死地へと化す。
「わ、私、世界を、まもろうと、した、だけなのに」
震える口が紡ぐ言葉は、私の弱さの証明。
「こんな、こんなの、――――」
朽花に私以外の影が混じる。顔をあげるとそこには――、一人の戦乙女が私に剣を振り上げていた。
その顔は、彼女は確か……カーラ。
「しっかりしろエリーシア!俺は負けない!エリーシアの前では二度と負けないと、誓ったから!信じろ!俺の強さを!」
カーラの無機質な攻撃を避けようとした本能と、力が湧かない身体が不均等に釣り合えず尻餅を付く。ふと、諦めた心に――スワードの力強い瞳が沁みた。
その一閃は、意志のないカーラの首を飛ばした。出るはずのものが出ることなく真後ろに倒れたカーラを見る事無く、スワードは血が流れる額を腕で拭くと後方から忍び寄る影に剣を真っ直ぐに構えた。
「――あの時のやり直しといこうか」
剣先を向けられたシリウスは、仕方なく剣を構えた。
「君も愚かなものだ。一度も僕に勝てたことなどないくせに」
「――――ふふふっ、そうだな。魔術では、お前に勝てたことなど無かった」
「……は?くっ、なん、」
スワードの猛攻は、シリウスの腕では到底裁き切れるものではない。その実力差があまりにも大きい実力差が見て取れてしまう。シリウスはどんどん圧されていき、後退せざるを得ない。そして柄をスワードに狙われ吹き飛んだ剣――シリウスは、開いた手の中に魔法陣を展開させスワードの必殺の一手を防いだ。
「いい加減この茶番もうんざりだッ!!エリーシアを狙うお前はシリウスでは無い!俺は、剣は……―――己の全てを懸けてッ!」
スワードが纏う力が増す。シリウスが展開する防御壁に亀裂が入る。
「エリーシアを守り通す男だッ!‼‼!」
持ち替えて突き刺す剣は、シリウスの防御壁を打ち破る。その様に頬を掠め、また地に足を付け、スワードは踊る様に立ち位置を入れ替えるとシリウスへと低空のまま切り込んだ。
防御をする暇も無く、シリウスは目だけをスワードに向ける。――その目は、歪に笑っていた。
「ご無事……ですか……スワード……様……」
シリウスの眼前で、赤い剣が食い止められる。人一人分の重さを担う剣は、展開に理解が追い付くとその先を震わせた。
宙にぶら下がる私の竜は、溝内部分に剣を大きく咥え込んで――戦乙女の指揮系統を失った。
戦乙女達はリアラが受けた一撃により動きを止める。誰一人終始声を発する事は無い。
スワード、と呼びかけられて笑うのは――――、
シリウスだった。
戦乙女の動きが停止した。それならば、残る二人は誰を狙う。主たる私を殺そうと企む者へ、その剣を槍を向け駆け出す。その男は、女王の剣。その男は、私の恋人。その男は―――。
指を鳴らす。
宙に残る魔法陣の糸に追われ、追われ、再び囚われて―――ルイーズだけが意志を失い、世界は……。
この丘は、変貌する。
戦乙女達は、ルイーズは――――その全員が金を纏う。意志の感じられない瞳は、全てが赤色をしていた。金の髪、赤の瞳――全てが、私そっくりだった。
そして、絶句せざるを得ない状況の中で見たシリウスは。
何処にも居ない。
リアラも、何処にも居ない。
今この場に残るのは――私と、剣に貫かれたルイーズとは毛色の違い桃色を持つ女と、その女を貫く濃紺の髪を持つ男と、その男の傍に駆け寄るアレウスと、
剣先を向けられ、指を鳴らした後の様に腕を上げるスワードだけだった。
" ねェ、わたし "
こ、声がする。無数に浮かぶ『私達』が、私に赤い瞳を向ける。
" そろそろ、ワかったヨね? "
幾重にも首が落ちる。落ちた首だけの成りで、カタカタと笑う。
" お前には、出来ない "
" 出来ない "
" 出来ない! "
震える手を見た。信じられなかった。震える球体の手で、頬を擦った。――陶器の様な、温度。
私は、同じ姿を持つ其れを見上げた。
彼女たちの瞳に移る私は――――。
人形の、成りをして立っていた。
「あ、ああ、あああああ、わ、わた、わたし、私、わたし!」
「――泉!くそっ!!泉、しっかりして!……っ、スワード貴様!!」
暗い、黒い、闇の中。握られた手はわかるけど、温度が見えない。
「……シリウス。いいえ、シリウスの欠片、君は今……シリウスはエリーシアを守り通す男だと言ったね」
「……」
「僕だって、そう思っていたよ。――あの男が、君が、シリウスが……エリーシアを殺して王になるまでは!」
「……エリーシア様を……殺した?」
「ふふ、―――ふふふふふ、くく、っふふふあはははははッ!!忘れたのか、幸せ者め!俺は、僕は一日たりとて忘れたことは無かったというのにッ!!」
滴る血が、私の掌に落ちる。
「出鱈目を言わないで!シリウスはそんなことしない!」
「では何故エリーシアは死んでいる!?何故生まれ変わっている!?俺が居て、お前が居て、リアラがいて、――エリーシアが失われる可能性など無いというのに!エリーシアは、死んでいるんだ!何故だ!?」
血、赤い、血――――――あ、あああ、いや、黒が私に手を伸ばす。思い出したくないと叫び続けていたのに、遠ざけていた景色が浮かび上がってくる。
誰、男の子、赤い血、誰、やめて、いかないで、閉じないで、やだ、いやだ、――――嗚呼、もう。
「お前だよ、シリウス。……お前が、エリーシアを殺したんだ。よく考えてみろ。……彼女の紅の瞳は、禅譲以外でどうやって引き継げる?」
「…………――――簒、奪」
**
二つの声を聞きながら、空に浮かぶ無数の私の視線を受け止めながら、私は別の空間にいるような心地を浮かべていた。その空間に一つ、足音が響く。
その男は私の元まで来ると、肩を叩いた。
「……なあ」
ゆっくりと、男の顔を見る。白んだ景色にはっきりとした色彩で存在する少年は、目を合わせるとはにかむように笑うのだ。
「……泣くなよ」
泣く?誰が?……私が?
『漸く理解出来たようだな。……自分が、その少女に相応しくないということに。さあ、エリーシアを渡せ』
私は自分の目に触れてみたが、指に雫はついていない。
「泣いてないよ。私ね、もう泣けないんだって」
見覚えのある男の子は、少し寂し気な顔をして私の頭を叩くように撫でた。鼻がツン、とする――気がした。
『……嫌だ。この子は泉だ。もう、エリーシア様じゃない!』
『……わからないか。欠片と言えど、本質はシリウスだからな。……ふふ、喜べ欠片の少女。そのエリーシアの魂を持つ愚者の少女は、俺の力で今度こそ永遠に世界に君臨する女王に成る』
「ねえ、私ね。貴方が……言ってくれた様に、自分なりに調べて、行動して……世界を救おうとしたんだ」
「やるじゃん」
「でしょ?でも……駄目だったみたい。失敗しちゃった……やっぱり私じゃ、エリーシアは務まらないのかな」
呪いの様な過去の『私』達の言葉が、私に纏わりつく。逃れたいのに、彼女たちの為にも成し遂げたかったのに。
『随分時間が掛ってしまった。エリーシアの肉体に与える負荷を完全に無くす方法は、シリウスのお陰で間に合わなかったが……お陰で研究は進み、完成した。お前が彼女を殺してくれたお陰で、俺の中で……研究が完成するまでに、彼女が消えてしまったらという不安が消えたからな』
「あー……そりゃそうだろ。それで良かったんだぜ、失敗してよかったんだ」
「……何が失敗してよかったの?私は世界を守る王様なのに……ッ!」
不用意な優しさは要らない。惨めな自分が浮き彫りになるだけだから。
『彼女の魂を、無限に続くような時間の中探し続けた。お前に対する憎しみが、俺を前へと進ませてくれたから。見ろ、シリウス。エリーシアの器を作るのに何度も失敗したが、こうやって幻想王国を構成する一部には利用出来た。唯のゴミに成らず良かったと、その点に関しては安堵している』
『エリーシア様の器……バレンは、自分をエリーシアだと……――‼待って、この術式は……バレンが造り上げたものと同じ!』
『バレンは器こそ完成していたが、魂が成り得なかった不良品。……しかし、アレはしっかりと役目を果たしてくれた。そしてその仕上げを、俺が施す。その愚者が持つ魂……その中に正しいエリーシアを誕生させ、正しい未来へ行くためにこの幻想王国はある』
『正しい……エリーシア様?未来?』
「違うって言ってくれたヤツの声を聞き逃すな。……なあ、そろそろ目を覚ます時だぜ」
「……醒ましたくない。夢は醒めてしまったら、消えてしまう。……貴方も、消えるんだよね」
ドレスを掴んだ。耳元で笑う息が聞こえるが、私は顔を頑なに上げない。
上げたくない。意固地になっても私はここに居たい。
私は、貴方と――――……。嗚呼、馬鹿だなぁ私。貴方の、その表情。貴方のその、声。忘れることなんて、出来ない。
「……ねえ。貴方は、名前を思い出せた?」
恐る恐る尋ねる声に、笑う声が返ってくる。
だから、私も笑った。また、泣くなよって言われる。だから、泣けないって言ってるのにさぁ。
「見てみろ。外から想いが届いたぜ。大切にされてんなぁ」
指差す彼方にこちらに向かいくる法撃に似たものが見える。それは丘の結界にぶつかって弾けたけれど、キラキラ綺麗な輝きが私達へ降り注いだ。
『そうだ。この俺が――――次こそ、彼女に祝福を届けよう。案ずるな、俺は上手くやれる』
粉雪のような煌めきが、私に語り掛ける。ひどく心配した声だ、少し憔悴したような声色だ。……上山さん、上山さん、無事ですか、上山さん……って、あはは、……らしくないね。私のこと、そんなに乞いてくれるほど心配してくれるなんて。
「見つめるべきは、既に失われた者じゃねぇ。今、その目に映る人間だ。そうだろ?泉」
私は、ふ、と笑った。胸から湧き上がる思いを抑えて、頷く。
頭を掻き交ぜるように彼が撫でるので、冗談めかして「やめて」と言う。いつもそばに有り触れていた日常は、もう幻想のような軽さでしか触れ合えない。
『では、欠片の少女よ。在るべき所へ、還るがいい』
「……――ありがとう、湊」
彼はとても嬉しそうに笑って、白く溶けた。
……どうかな。湊を、上手く騙せたかな。
私の後少しで砕けそうなこの心。まだ、まだ辛うじて繋ぎ合わせている。もう少しだけもって、もう少しだけ……。
**
「――スワードッ!!私は、スワードの思い通りには成れない!」
「泉、大丈夫!?」
目の前で私を背に隠していた、私がよく知っているシリウスに飛びついて転がり込んだ。私達が先程までいた場所が黒く焦土している。……間に合った!
「……」
この顔は、確かにシリウス。紺碧の髪、金色の瞳……城で見かけたシリウスとは年齢も表情も違うけれどこの感覚は……。
「……実花?」
「―――‼泉、会いたかった!」
「待って待って今そういう場面じゃないから!」
花のように―――とは思えないが、喜んだ表情から飛びつかれると察した私は、その大きな体が大を描く前に釘を刺す。
姿形も変わってしまった、私の大好きな親友の女の子。けれど、その黄金の瞳は……その力強さは変わってない。私を見て笑う表情は、随分と勇ましくなったけれど所々がね、実花のままだよ。
可愛い、私の実花。
「スワードッ!……今の話、全部聞いたよ。そして、全部わかった。……――スワード、聞いて」
実花は私の横に並び、スワードを黙って見据えている。
半ば背中合わせの私達は、戦う意志を瞳に灯す。
「私は、確かにエリーシアの器だと思う。実際にこの身体にエリス……エリーシアは居たよ。会いたいなら会わせてあげる!だからこんなこともうしないで!皆が可哀想だよ!皆……シリウスを……いいえ、スワード――貴方を、愛していた」
スワードは、不思議そうに目を丸めた。その刹那、その顔は心底愉快だと肩を震わせながら大きく歪み、砕けた。
「ふふっ、ふふふふふふふはははは!当たり前ですよ、泉。エリーシアとはね、シリウスを愛しているものですから。俺ではなく、僕を愛さなくてどうしてエリーシアとなれるのでしょう!」
私の声は届かない。……私の声では、駄目なのか。
嫌な風だ。スワードの魔力を孕んだ風が徐々に強さを増していく。
「さあ、泉。もう一度やり直しましょう。僕ならば、君の願いに応えることが出来る」
差し伸べられた手。――光と相対して、深くなる闇。
前ならばただ庇護の温度しか感じなかった笑顔に、今は無条件に飛びつけない。私は次こそ間違えない。次こそ、失わない!
「……いいえ。私、帰ります。実花と一緒に、待ってくれている人たちの所へ!」
「アレウス!まだ行ける!?」
「ええ、実花様。その為に馳せ参じた次第ですからね」
湊……お願い。力を貸して。
実花を守るための力を!
次の話も続けて投稿します。




