記憶の坩堝
「やだ……やだ……こんなの、知らない……」
取り囲み、覗き込まれる。
私は聞くに堪えなくて、黒い膜の中から逃げ出したくて、突き破る様に駆け出した。
「 あなたにはできない 」
「 だって、ワタしたちにモ出来なかった 」
「――違う!!あんなこと、私ならしない!あんな酷いこと、なんで、なんで!?間違いばっかり……っ!」
「 そういう、ものですよね? 」
「 過ちから 」
「 学ぶもの 」
だから、何度も何度も傷つけて傷付いて殺して殺して己を黒に染め上げたなんて言うの!?その先がこれじゃない!学んだっていうなら、何を学んだの!
私には、何も残っていないのに!
「ちがう!!間違っていいのは……人だけだよ……!間違っていいのは、」
「 なら、あなたは 」
足を止めた。
追う影が、潜んだ。
その代わり、それは耳元で――――。
「 間違えて、いないの? 」
走って、走って、どんどん声を離して行く。視線も、血も、涙も、全てを後方に置き去りにして。
また走って、そして走って――――やっと声が鳴り止んだと足を止めた刹那、泣き声が、聞こえた。
すすり泣く声だった。いや、切り裂く声だった。
身に覚えのない声なのに、私の意識はその声に向く。いいや……この声を、私は知っている。
言葉を叫んでいるのはわかるのに、意味として形を成していない。……あの扉の向うだ。僅かに開かれた扉の向こうで、誰かが泣いている。
「……行かないと」
悲しいと思った。
己の愚かな叫びより、この少女の嘆きの方がずっと胸を刺す。と――言い訳をして、後ろ髪を引かれながら私はドアノブに手を掛け、中を覗いた。
「あああああ‼うっっ、ぁ、あああ‼――みなと、湊……あああああ!」
「……!愚者……!」
髪の色は、罪の色。黒く染めた、咎人の証。闇を纏った少女がいた。
私は扉を開け放ち中に飛び入った。記憶を辿ることなんて、もう考えてはいない。手の届く所で泣き叫び、己を潰さんとするこの少女の嘆きを抱きしめたかった。
――誰かに、それを願った様に。
足が動く。手が伸びる。
しかし、その少女を既に抱き留めていた者が居た。闇に紛れて気づかなかったが、その女は少女と同じように闇を身に纏っていた。同じ色を纏う者の慰めは、優しく優しく少女を撫でつける。
「みなと……みなと……う、うぅぅ、あぁあああ!どうして、どうしてこんな目に……こんな目に遭わなくちゃいけないの……!?みなと、みなと――返して、返してええええ!!」
「黒――これは一体、」
罪に塗れた少女が顔をあげた。その証を滲ませた漆黒の瞳が私を見た瞬間に、
一瞬で、その瞳孔が開いた。
「エリーシア!!おまえの、おまえのせいで‼全部全部おまえのせいで……‼‼湊も、実花も!全部――エリス、おまえのせいで……!」
「なに、をっ!?」
獰猛な獣の様に私を床に叩き落とした愚者は、ただただ黒の瞳から零れ落ちる穢れを溶かさないものを私へ注ぐ。
深い悲しみを覗かせて、深い絶望を吐いている。
「私が……何をしたっていうの……?湊は死んじゃわなきゃいけないくらいの罪を犯したっていうの……?実花は、実花はどうなるの?私は、どうやって湊や実花に謝ればいいのッ!?死んじゃったら、もう、謝ることも……出来ないのにッ……‼」
「ね、ねえ、あなた」
「私……私……確かに、諦めてた。私自身が流されるままに、行きつくままに行けって思ってた。だって、それが最善だったよね?わけのわからない世界で、エリス、あなたは……何も教えてくれなかった……!教えてあげるって言ったのに、あの時、私、助けてほしかったから――あなたの手を取ったのに。エリーシア、あなたは……あな、あなたは……私は……ああっ……やっぱり、私の、せいだ……ぁぁああ、ああ……‼」
" 記憶の摩耗を確認した"
日記の一文が脳裏に蘇る。
この漆黒の少女は、何を言っているのだろう。
わからない……わからない。恐らく、私の中にあったであろうその記憶は長い繰り返しの中で消えてしまったのだ。
嗚呼、こんなに私の心を震わすのに、かける言葉が、浮かばない。
「結局、実花を身代わりに差し出した!!嫌だ、嫌だこんなの嫌だ!!!!実花まで、失ったら、私、生きて、」
――ここまで黒く穢れたものを、私は知らない。
私は、こんなもの知らない。
少女は段々と鎮まるように落ち着きを取り戻していくように思えた。それに反動して、頭の奥が鼓動に合わせて痛み始めている。
忘れていた感情を呼び起こすように。
涙に濡れた頬を上げ、泣き腫らした瞳と怨嗟を垂らす唇が次に落とす言葉に、純粋に恐怖した。
「…………私は、失うために」
この少女を宥めていた女が、少女を優しく立ち上がらせて再びその腕に抱いた。
私は立ちあがることもできずに、次の言葉に怯えている。
抱きしめられた腕の隙間に見える頬に、涙は未だ流れ続け、憎悪は更に燃え上がり負素を濃縮させていく。
「諦めたんじゃない……っ!」
「――うっ、ぉぇ」
唐突な吐き気に、嗚咽した。
誰が産んだ膿を、誰のお腹に宿して、誰の喉を通して、誰が外へ吐き出すのか。
少女の嘆きは罪の色を深く宿して、私の奥へと流していく。
折角遠くに追いやれたと思っていたのに。
軸をずらした意識の中で、遠ざけていたのに。
「―――っ、は、ッ……――っ」
視線をあげると見下ろす少女と宥める女の視線が降る。
顔を上げると追いかけ追いついて来たそれらが私の喉を通り出す。
「うう……っ」
苦しくて、痛くて、悲しくて。
ついに私は額を床に付けた―――時に、誰かの足元が見えた。
その瞳は命の色。
誰かが会いたがっていた――――そんな記憶が、水底にあったような。
「――――っ!あ、あ、あれ……スワー……ド?」
「……アスティン!なんだこれは!」
崩れていた私の身体を抱いたスワードが、私の覚醒に一呼吸置くと上方に座るアスティンを一喝した。突然の魔導士の出現に、私は重力に逆らいながらアスティンを見る。私の視線にアスティンが気づくと、スワードの追求に苦笑いを浮かべたまま肩を竦めた。
「わざわざ入れてあげたのに……。そんなに怒らなくてもいいじゃないか」
「貴様……ッ!!」
「まあ、まあまあ……わたしの主人は怒りやすくて大変だなぁ」
「アスティン……」
私が手を伸ばすと、アスティンは気づいて降りて来てくれた。そのままこの手を掴んで、彼は私の意を汲む。
「記録です。――そして、記憶です。擦れた記憶を埋めようと、以前の陛下がわたしに強請ったもの」
「これが……?こんな、ものが……」
「――こんなものが、エリーシア陛下でありました」
「違うッ!!」
スワードはアスティンの手を弾くと、己の手で私の手を掴み取り私の胸元で強く握った。
その顔は、威嚇の色を前面に出していた。
「あんなものが、エリーシアであるはずがない!」
困ったなあ、とアスティンは頬を掻く。
そうか、と下がった視界を持ち上げて私はスワードに礼を言う。立ち上がらなければ。――情けない王だと、スワードに思われたくないのだ。
だけど、震える手をスワードは離さなかった。
離して?、と穏やかに――違う穏やかに言ってみせた、なんて。……弱く、そんな風にしか言えなかった。心に、黒の少女の激昂が棲み付いている。恐ろしく、悲しく――黒い、黒い感情は未だ私に牙を剥くのだ。そのことが怖くて、過去の私の凄惨さを覆い潰してしまう。
「……怖い。……怖いよ、スワード……」
気を許せば、きっと私の心はすぐに食べられてしまう。
「私……私……きちんと……――エリーシアに、なれる?っ、」
スワードは一度口を開いたが、何も言わず私を抱きしめた。
零れる涙を肩に受け止めて、私を抱きしめた。
あれ、この感じ……――知っている。
スワードは何も言わず、私を抱きしめた。
「……ね、ねねねね」
ひょこ、とアスティンが此処に居るよーと身体を傾ける。
それに我に返った私達は、勢いよく身体を離した。
「――――い、いまの」
「見なかったことにして!」
と、見事に言葉をスワードと重ねて、二人同時にアスティンに詰め寄った。アスティンは圧され気味に頷いている。ちらりとスワードを見ると、難しい顔をして頭を掻いていた。そのことが微笑ましくて、口角が僅かに上がる。
少し心が軽くなった。
そうだ。私はありとあらゆる全てから目を背けてはいけないのだ。心を強く、持たなくては……。
「ふふふっ……。アスティン、記録を開いてくれてありがとう。……この本と向き合ってみるよ」
「エリーシア、」
「スワード」
スワードの唇の前に人差し指を立てて、彼はその合図に口を噤む。
「来てくれてありがとう。……ねえ、ちょっと付き合ってくれる?」
「え、あ、……嗚呼。勿論だとも」
ふらつく身体に手を添えて、私達は書庫を出る。
笑う私の様子に何事かを察した外の彼らに手を振って、スワードと私は執務室へ向かった。
湊の事、そんな簡単に克服できるわけないよね、って話でした。でも今の泉ちゃんは湊の死すら理解出来ないので,ある意味幸せのような……。実は作者、湊の死に向かって書いてる時め~~ちゃ筆進めるのが辛くて仕方がなかったです。あと絵師には散々愛のある文句を言われました。ワハハ。
これを読んでる受験生は流石にいないとは思うのですが……いたらありがとう!ありがとうね!
そろそろセンター試験ですので、がんばれよ~~~~~!という思いをここに綴ります!がんばれよ~~~~~!!




