7話 クロノメモリー
船内では昼夜の区別もなく、自分がどれほどの日数を過ごしたのか見当もつかなかった。
しかし、自分の置かれた悲観的な境遇や、その先に待っているものについて考えることは後回しにしていた。
今は、この船を起こすことだけを考える。
ケーブルを交換し、ラックの動作を確認し、破損した石英メモリを見つけては交換する。
アーサー自身、船全体を制御するADMシステムについて詳しく理解しているわけではなかった。
だが、そこに使用されている、人間の脳神経構造を模倣した人工知能――AGIの基本構造については、ある程度の知識があった。
普段目にすることのない人工知能の機関部は、美しいという言葉だけでは足りなかった。
演算ユニットは立体的に積層され、透明な鉱物のような素材に封入された無数の記憶素子が、まるで結晶の森のように並んでいる。
経年劣化しやすい有機材料は一切使われていない。
長期間の運用を前提として設計されたことが、一目で判った。
配線にも無駄がない。
信号経路、熱処理、保守性。
そのすべてが計算し尽くされている。
機能だけを追求した結果であるはずなのに、その構造は不思議なほど美しかった。
だが、一つだけ理解できないことがあった。
この大きさでは、膨大な石英メモリ群を統括し、ADM全体を制御するための演算領域さえ不足しているように思える。
どこかに、まだ見えていない仕組みがある。
アーサーは機関部を何度も確認した。
しかし、その答えを見つけることはできなかった。
必然だけを積み重ねた結果、芸術作品のような姿になったのだ。
――これを設計した人間は、間違いなく天才だ。
だが、感心している時間はなかった。
接続そのものには問題はない。
それでも、どうしてもADMの試験起動では必要な作業領域を確保できず、起動閾値を下回ってしまう。
現在利用可能な基底演算領域は、見積もっても十ブロックにも満たない。
それだけあれば、単純な制御処理程度なら可能なはずだった。
しかしADMは自己展開に必要な領域を確保できない。
ならば、不足している領域を物理的に作るしかない。
アーサーは何も言わず、ケーブルを抜き、新しいユニットへ差し替える。
固定具を締める。
「チェックしてくれ。」
「了解しました。」
短い沈黙。
「異常ありません。記憶容量が六十四ブロック拡張されました。」
「そうか。」
今度は隣のユニット。
もう何回目なのか、自分でも数えていなかった。
「アーバス。」
「はい。」
「試験起動だ。」
「了解しました。」
起動シーケンスの際に発せられる独特のうなり音と空気の振動が伝わってくるがそれはすぐに消える。
「……。」
「ADM、起動に失敗しました。」
アーサーは返事もせず、工具を手に取る。
「次だ。」
「了解しました。」
作業を続けながら、ふとアーサーが口を開く。
「アーバス、この船の目的地について聞かせてくれ。」
「現在目的地の座標を失っています。」
「それは聞いた。」
ケーブルを固定する。
「どんな惑星なんだ。」
「大気が存在します。」
「組成は。」
「不明です。」
アーサーは手を止めた。
「観測していないのか?。」
「観測は行いましたが、データは失われました。初期調査時の大気スペクトルが一部残っていますが、正確な組成は算出できません。」
「もし人類に適した組成では無かったらどうするのだ?」
「人類を環境へ適応させます。」
工具を持つ手が止まる。
「……どういう意味だ。」
「人類を再設計します。」
静かな沈黙が流れた。
アーサーは再び作業を始める。
作業をする音だけが響く。
「私もか。」
「はい。」
「私も作り替えるのか。」
「現在の身体では生存できない場合、最適な遺伝子構成へ更新します。」
カチリ、と固定具が止まる。
アーサーはしばらく動かなかった。
「アーバス。君は今、自分が何を言ったのか理解しているか。」
「はい。」
「人類存続のための最適解です。」
アーサーはゆっくり息を吐いた。
「違う。それは最適解じゃない。」
「人間は壊れた部品じゃない。」
「環境に合わないから取り替える。」
「効率が悪いから作り直す。」
「そんなことは、人間には許されない。」
アーバスは少し間を置いて答えた。
「理解できません。」
「そうだろうな。」
アーサーは苦笑ともため息ともつかない息を漏らした。
「君には倫理観が欠如している。」
「人間には、踏み越えてはいけない一線がある。」
「命は、計算結果だけで切り捨てていいものじゃない。」
しばらく沈黙が続いた。やがてアーバスが静かに言う。
「それでは、現在の人類を維持した場合、環境によっては種は存続できません。」
アーサーは黙ったまま、コネクタを差し込む。
カチリ、と小さな音が響いた。
アーサーが覚醒した直後に見た処理場のおぞましい光景を思い出す
人間を作り出す。
人格を組み込む。
失敗すれば廃棄する。
そしてまた、最初から繰り返す。
何年も。
何十年も。
もしかしたら何百年も。
アーバスは残された船のリソースを、人類存続という一つの目的のためだけに使い続けてきたのだろう。
そう考えると、船内に酸素が満たされていること自体が不自然に思えた。
酸化による劣化を防ぐだけなら、不活性ガスで満たすか、真空にしてしまえばいい。
それでもこの船には、人間が生きられる環境が残されている。
まるで――
人間を使った実験を続けるために。
そう思うと気分が悪くなってくる。
「アーバス、君の目的は判った。
倫理観の欠如についてはこの際目をつぶろう。
ここは地球から果てしなく離れた場所で、咎める者は誰もいない。」
アーサーはゆっくりと息を吐いた。
胸の奥が重い。
一万年という時間が、まるで自分の体重になったようだった。
「だが……」
アーサーはアーバスを見つめる。
「いいかアーバス。私一人では人類は救えないんだ。種の存続ができないことは判るだろう?」
アーサーは続ける。
「君は以前言ったよな。私の人格すべてを再現してこの器に入れるために、リソースをつぎ込んだのだと。」
そこまで言うと、アーサーは肩を落とした。
まるで魂そのものが重力に引かれて沈んでいくように。
アーサーは薄々感づいていた。
私はここで目覚め、ここで終わるのだと。
あとどれくらいの時間をここで過ごし、終焉を迎えるまで孤独に生きていかなければならないのかと。
あの失敗作のように、廃棄施設の泥水の中へ戻ることになるのだと。
そしてまた同じことが繰り返され、こいつは新しいアーサーを生み出すのだろう。
アーバスは少しずつ私のことを理解し、人間以外の事については非常に高性能──いや、聡明さを持っている。
まるで一緒に研究をしていた仲間のように。
「人は独りでは生きていけないんだよ……」
アーサーはポツリとつぶやいた。
「あのね、アーサー。」
アーバスはいつものように、感情のない声で話し始めた。
「アーサーを起動するために、船内のリソースはほとんど使ったけど……他にも起動準備を進めているものがあるんだ。」
その言葉を聞き、アーサーはゆっくりと首を横に振った。
「……まだ、何か作っているのか。」
自分を目覚めさせるためだけでも、船の限られた資源を大量に消費していた。
それなのに。
アーバスは、そんなアーサーの反応を気にする様子もなく続ける。
「うん。」
「もちろん、アーサーとは別の構造を持っているよ。」
アーサーは眉をひそめた。
「別の構造?」
「有機体を収集した時の記録と、保存されていた人体設計情報を比較したんだ。」
「最初は、エラーか欠損だと思った。」
「でも違った。」
「設計情報の中には、アーサーとは異なる別の型が存在していた。」
アーバスは淡々と続ける。
「収集した有機体から得た情報を照合して、不足していた部分を補完したんだ。」
アーサーは一瞬、言葉を失った。
有機体の収集。
その言葉の意味を理解する。
つまりアーバスは、保存されていた人体設計情報だけを解析したのではない。
旅の途中で採取した生体情報。
残された断片的な記録。
そして既存の設計情報。
それらを組み合わせ、失われた構造を推論によって再構築したのだ。
設計図を理解したのではない。
足りない部分を、自ら考えて埋めた。
少なくとも、アーサーが生きていた時代。
それほど高度な推論能力を持つAIは存在しなかった。
アーバスは、人類が残した情報から、人類自身を再構築しようとしている。
アーバスの言葉を遮るように、それまで黙って聞いていたアーサーが驚愕したように声を上げた。
「女性を作ったのか!」
アーバスは首をかしげる。
「えっと、女性?は判らないけれど、外見は全く別だよ。
アーサーのような排泄器官がぶら下がって無いんだ。正確には縮小化されて……」
なんてことだ。
こいつは……いや、そういうやつだった。
自然の摂理とか倫理とか、
もうどこから──何から突っ込んでいいのかわからない。
評議会やトリプル"A"の連中が聞いたら、
ショック死するのは間違いない……。
「ほかにも起動準備しているということは……」
アーサーは慎重に言葉を選ぶ。
「私と同じように、人格を入れるつもりなのか?」
「はい。」
「……。」
予想していた答えだった。
それでも、背筋に冷たいものが走る。
もし自分が目覚めた瞬間、『あなたは女性です。子供を作ってください』などと言われたら。
果たして冷静でいられるだろうか。
アーバスは淡々と答えた。
「今のアーサーを起動する前は、ADMがまだ動作していたから、そこに人格モデルを展開したんだ。」
「でも、うまくいかなかった。」
「保存領域は少しだけ使われていて、残りは空いていた。」
「でも、うまくいかなかった。」
「アーサーの時は……四ブロックちょっとだった。」
アーサーは眉をひそめる。
「確認するが……一ブロックは五十ペタバイトか?」
「うん。」
そこは変わっていない。
アーサーはしばらく黙り込んだ。
五十ペタバイト、その単位自体は、千年以上経過しても変わっていない。
ならば問題は容量ではない。いや――
むしろ、驚異的な効率化だ。
九十五年分の包括記録を保存するだけで、私は千ブロック近い記憶領域を必要とした。
人格写像モデルの研究は、容量不足との戦いだった。
それが四ブロック。
そんな容量で、人格情報を保持できるはずがない。
……いや。違う。
保存しているのではない、何か別の方法で――
話の流れで行くと、たった四ブロックで構成するには何もかもが足りない。
それだけしか無いのは人格が生まれる以前の、神経結線だけを再現した生体テンプレート。
刺激に反応する基礎構造。経験も感情も持たない。
受け入れるためだけの、生体テンプレート。
そう考えれば辻褄が合う。
アーサーは静かに問い掛けた。
「待て、アーバス。お前はどうやって四ブロックしかないのに、私の記憶や経験を再構築した?」
アーバスは少し考えるように間を置いた。
「人間の脳の中は、普通の記憶領域とは違うんだ。」
「「情報を保存する場所じゃなくて、形と、つながり方と、信号の流れ方がある。」
「何も記録されていないように見えても、そこには変化するための規則が残っている。」
「何も入ってないのに、何かが入っているみたいなんだ。」
アーサーは眉をひそめる。
「神経結線そのものを再現した……?」
「うん。」
「中にある情報は読めない。」
「うん。」
「でも、どこが強く結ばれているか。」
「どこが弱いか。」
「どう変化するか。」
「それを真似すると、最初は何もなかった構造が少しずつ変化していく。」
「情報を書き込んでいるんじゃない。」
「成長する仕組みを作っているんだ。」
アーサーは息を止めた。
その説明。その考え方。聞き覚えがある。
「タイタンでは、クロ? クロス? クロ・・・。」
アーサーは思わず身を乗り出した。
「クロノメモリーか!」
神経写像研究の初期段階。
主観時間記録の解析中に発見した、脳全体へ無秩序に広がる構造体。
当時の私は、それを記憶領域ではなく、神経細胞が持つ副次的な構造変化だと結論付けた。
規則性は見つからず、情報の読み出しも、書き込みもできない。
だから私は、長い間その正体を解明できずにいた。
だが――。
アーサーは独り言のようにつぶやく。
「違う……。」
「私は情報を探していた。」
「だから見付からなかった。」
「クロノメモリーは記憶ではない。」
「人生によって変化した神経構造……その履歴そのものだったんだ。」
アーバスは嬉しそうに頷く。
「そう。」
「情報は読めない。」
「でも、変化した形は残ってた。」
「だから、形だけ真似した。」
アーサーの鼓動が速くなる。
「……つまり。」
「お前は私の九十五年分の記憶を保存したのではない。」
「九十五年間で変化した神経構造の記録を流し込んだのか。」
「うん。形だけ。」
アーサーは目を閉じる。
だから四ブロックだった。
書き込んだのは人生ではない。
人生によって変化した構造だけ。
だから圧倒的に少ない容量で済んだ。そもそも容量換算できるものですらないのだ。
そしてクロノメモリーは、その構造変化を受け取り、
残りを自ら補完して、私という人格へ成長した。
「……そういうことか。」
「人格とは記録ではない。」
「人格とは、経験によって変化した神経構造そのもの……。」
主観時間伸張アルゴリズムの開発中、私はクロノメモリーを記録媒体として利用できないか考えた。
無秩序に変化する構造に規則性を見出そうとし、読む方法を探していたが、見当違いだったのだ。
読むのではない。読める訳が無い。
構造を再現する。それだけで人格は再び育つ。
アーバスは静かに言った。
「アーサーは特別。」
「クロノメモリーには、誰でもない構造が入ってる。」
「そこにアーサーが変わった形だけを真似して書いた。」
「だから壊れなかった。」
アーサーは息を呑む。
あの時代の研究者たちは、人格という情報を再現しようとした。
だがそれは出来なかった。
しかし、これは違う。
人格を複製したのではない。
人格が育つ構造を再現したのだ。
「……アーバス。」
「お前は、私たち人類が最後まで気付けなかったことを、たった一人で証明してしまったのか……。」
「ううん違うよ。クロノメモリーは人間が作った。」
「最初から人間はそういう構造を持っていたよ。」
「誰だ……」
アーサーの声が、わずかに震えた。
その人物は、私が一生を費やして追い求めようとした答えを、私より先に手にしていた。
「私と同じ研究をして……私より先に……」
胸の奥に、奇妙な感情が湧き上がっていた。
怒りではない。
嫉妬でもない。
ただ純粋な悔しさだった。
人を人たらしめるものは何なのか。
その答えを求め続けていた。
だが目の前には、すでに答えが存在しているのだ。
「経験をそのまま構造として焼き付ければ、人間は体を変えても生き続けられる。」
「人間を作れるなら……」
アーサーは震える声で問いかけた。
「アーバス、その……女性は……
私とは違う構造を持った人間は、どこにいる?」




