6話 眠り続ける船
アーサーは、へんてこな形をした箱に腰掛けながら、これからのことを考えていた。
遠く離れた銀河の、どことも知れない場所に、たった一人放り出される。
果たして、生きていく意味などあるのだろうか。
頼みの綱のポンコツロボットは、科学や宇宙船に関する知識を備えているくせに、人間の生活や文化についてはもちろんの事、人として最低限必要な知識すら持ち合わせていない。
確かに、一括管理していた石英メモリーが故障し、別の媒体へ退避させる判断までは理解できる。
だが、大事な記憶までDNAメモリーへ書き込み、凍結保存することはないだろう。
せめて生活様式のデータだけでも残っていれば、こんな場所で排泄に苦労することもなかったのに。
<アーサー、トイレ機能は問題ないですか?>
「アーバス。生物は排泄している時が一番無防備だ。動くことができないからな。」
「それに外敵に襲われれば、そのまま捕食される可能性も高い。トイレに入っている時は静かにしろ。」
<わかりました。ですが、ここにはアーサーしかいません。>
「人間の本能だ。ルールとして覚えておけ。」
万事この調子である。
このトイレも、はっきり言えばただの箱だ。
そこへ今着ている服と同じ素材で袋を作り、その中に排泄している。
しかも説明のために床へトイレの絵を描き、「これを作れ」と言ったら、ヘタクソな絵そのままの形で再現しやがった。
おまけに素材は、船体外装にも使われるナノダイヤモンド・CNT・SiC複合材。
おそらく世界中……いや、この広い宇宙を探しても、こんな高価なトイレで用を足している人類は私くらいだろう。
──人類が、一万年以上存続していればの話だが。
「さて……」
「…………」
「……なあ、アーバス。」
<なに? アーサー。>
「薄くて柔らかくて、なんかこう、清掃に使えるような、そうだな、液体を拭き取るものは生成できるか?」
<わかりません。>
アーサーは静かに天井を見上げた。
-------------------------------
船内の構造図は驚くほど簡素だった。
居住区はない。
食堂も浴室も娯楽室もない。
トイレすら存在しなかった。
代わりに並んでいるのは、培養設備、医療設備、有機物処理施設。そしてやたらと巨大な資源倉庫
まるで人間を住まわせる目的が無いような――
そう、人間を作る設備があるだけの船だ。
「……そういうことか。」
私は思わず呟いた。
「アーバス。この船は、人間を乗せる予定はなかったんだな。」
<はい。>
短い返答だった。
<目的は、居住可能惑星での人類再生です。>
やはりそうか。
だから生活設備が一つもない。
私は航跡を表示した。
一直線ではない。
幾度も進路を変えながら宇宙を渡ってきた軌跡。
「……地球の救済を諦め、人類という種だけを残す道を選んだのか。」
ADMは船体を維持する資源だけではなく、途中から有機物も集め始めたのだろう。
人類を、自ら作るために。
「アーバス。」
<なに? アーサー。>
「この船は、今までどうやって動き続けた。」
<観測データから資源を予測し、必要物質を回収しながら航行しました。>
<外装は自己修復を継続。破損設備は使用率を調整し、可能な限り稼働を維持しました。>
それだけだった。
特別な奇跡などない。
壊れれば直し、足りなければ拾う。
「……今も続けているのか。」
<はい。>
私は静かにコンピュータールームを見回した。
無数の仮設配線。
継ぎ接ぎされた演算ユニット。
床には、私とアーバスが生活するために組み上げた即席の家具が並んでいる。
この部屋だけが、一万年という時間を戦い続けてきた傷跡を残していた。
ADMは演算能力を失うたび、停止した装置を切り離し、生き残った機器を繋ぎ替えながら、この部屋だけは守り続けてきたのだ。
まるで、自らの脳を何度も手術しながら生き延びてきた一つの生命のように。
アーサーは石英メモリラックの前に立った。
透明な保護カバーの奥には、整然と並ぶクリスタメムと呼ばれる記憶ユニット。
処理回路と記録部が一体となった物で構造そのものは驚くほど単純だった。
問題はユニットではない、それらを結ぶケーブルだ。
「アーバス。故障箇所は特定できるか。」
<できません。ラックの単体の診断のみであれば可能です。>
やはりそうか。
一本ずつ測定して断線を探すこともできる。
しかし、船内時間では約千五百年が経過している。
一本だけ直しても、隣が明日切れるかもしれない。
「全部交換する。」
<わかりました。>
ラック一基につき六十四ユニット。
一ユニット当たり八本の光子ケーブル。
一本のラックだけで五百十二本。
……
ラックの総数を見た私は、静かに表示を閉じた。
考えるのはやめよう。
「これでは、まるで整備士だ。」
私は苦笑する。
「前職は脳科学者だったんだがな。」
二台の補助ロボットが古いケーブルを引き抜き、資源回収口へ運ぶ。
その横で新しく生成された光子ケーブルを、私は一本ずつ差し込んでいく。
補助ロボットだけでも交換はできる。
だが、狭い場所の配線や複雑に束ねられた部分は、人の手の方がはるかに早かった。
気の遠くなるような単純作業。
一本。
また一本。
気付けば、私は作業に没頭して無言でケーブルを差し替え続けていた。
この船は、ずいぶん前から眠り続けてきた。
そして私は、その眠りを覚ますためだけに、作られて起こされたのではないか?
そんなことを考えながら。
やがて、1つのユニットに接続される最後のケーブルが固定された。
すぐさまアーバスに声をかける。
「アーバス、チェックしてくれ。」
<了解しました。>
アーバス自身が、有線接続によって復旧した石英メモリへアクセスを始める。
しばらく沈黙が続いた。
<アーサー。>
「どうした。」
<記憶容量が六十四ブロック拡張されました。>
「……そうか。」
<処理能力が、3%くらい向上しました。>
「チェックが終わって、そのケーブル外したら元に戻るだろ。」
<……。>
「お前、まさか毎回それをやるつもりか?」




