5話 果てしなき旅路
アーサーは首を横に振る。震える声で否定する
「……違う。」
「そんなはずがない。」
アーバスが答える
<現在この船は……>
「うるさい、近づくな!」
言葉をかぶせるようにアーバスを睨みつけ、アーサーは逃げるように来た道とは反対方向に歩き出した。
ここは地球だ。質の悪いいたずらだ。宇宙船な訳がない。どこかの建物だ。
そう思いながらあてもなく出口を探すように白く長い通路を歩き続ける。
この場所が宇宙船だという事実だけは否定したかった。
やがて大きな隔壁が現れ天井が低い部屋へと辿り着く。
思わず足が止まった。
「……これは。」
壁一面にラックが並び、その中には無数の透明な結晶体が収められている。
石英メモリー。
研究施設で何度も目にした、超長期保存用の記憶媒体だった。
信じられない数が並んでいる。
否定したかったが、この規模は研究施設ではない。
船の中枢と考えた方が自然だった。
アーサーは中央のコンソールへ駆け寄る。
操作パネルを叩くが反応はない。
もう一台、さらに奥。
どれも沈黙したままだ。
あたりを見回すと部屋の隅に、小さな光が見えた。
アーサーは急いで駆け寄る。
表面にはかすれながらも文字が残っている。
『TOS_ADMSYSTEM』
「ADM……」
その時、後ろから小さな足音が聞こえた。
<アーサー。>
アーバスが静かに口を開く。
<現在、ADMシステムはスリープ状態です。>
「なぜだ。」
<基底演算域の問題と記録装置の劣化です、フィードラインに問題が発生しました。>
アーサーは黙って耳を傾ける。
石英メモリーは、その名の通りほぼ永久的にデータを保持し、結晶構造が崩壊しない限り記録媒体そのものが劣化することはない。
おそらく基底演算域か読み取り側の装置内の問題だろう。
<航行継続に必要な情報のみをADMサブシステムへ残し、それ以外のデータはDNAメモリーへ退避しました。>
<その際に多数のデータが消失しました。>
アーサーの表情が曇る。
「復旧は。」
<ADMが再起動し、他の恒星間宇宙船とのリンクが確立されれば、失われたデータの一部は再取得できる見込みです。>
「一部……か。」
<はい。>
アーバスは続ける。
<また、残存する演算資源の大部分は、人類再建計画へ割り当てられました。>
「……つまり。」
<人類の再生、および起動処理を最優先としました。>
アーサーは言葉を失う。人類の再生……少なくとも人類は滅びてなどいない。
「基底演算域の問題を解決すれば元へ戻せるのか。」
<はい。……ですが現在起動可能な保守ロボットは数台のみです。>
<復旧には長期間を要します。>
「どのくらいだ。」
アーバスは淡々と答える。
<不明です。>
<予測できません。>
「現在の航行状況は。この船はどこへ向かっているんだ。」
<現在地と目的地を見失っています。>
「……何?」
<おおよその現在位置は観測できます。しかし目的の恒星系の基準座標が失われたため、進路を算出できません。>
アーサーは深く息を吐いた。
「航行データを視覚化して表示しろ。」
次の瞬間、ADMサブシステムの上に青白い光が広がった。
空中へ巨大な立体映像が投影される。
銀河の一部と無数の恒星系。
文字情報は表示されないが、ジグザグに細く伸びた航跡が描かれていた。
データが消失したのか、とぎれとぎれになっている。
アーサーは息を呑む。
「あぁ……。」
常識では考えられない距離。恒星をいくつも越える長大な軌跡。
その絶望的な長さだけは理解できた。
「この船の現在速度はどのくらいだ?。」
<光速の98.989%です。>
アーバスの答えにアーサーは驚愕する。
<現在も最高巡航速度を維持しています。>
「……目的地を見失ったのに、なぜ減速しない。」
<他船との漸近位相空間リンクを維持するためです。>
<現在はリンクを喪失していますが、この速度域でなければ他船との同期は成立しません。>
アーサーは何も答えなかった。
足元へ視線を落とす。
床には腐食してどこかから剥離したのだろうか、金属片が幾つか転がっている。
アーサーはその一つを拾い上げ、床を削って数字を書き始めた。
数分もしないうちに、銀河の大きさと航跡のおおよその長さから距離を推定し、計算を終えたアーサーは静かにつぶやく。
「あり得ない……。」
「……一万年二千年だと。」
「船内でも……千五百年近い。」
金属片が手から滑り落ち、乾いた音が部屋に響いた。
拳を握り、そして何度も床を叩いた。
鈍い音だけが響く。
「くそっ!」
「くそっ!」
「なんてことだ、そんなことが!」
「なぜだ!」
地球は遥か彼方。
帰る方法などない。
知っている人間は誰一人残っていない。
親しい友人は少なかった。
それでも、あの星には自分が生きた証があった。
研究室も。街も。
そして、もう二度と会えない大事な女性のことも。
怒りなのか。
悲しみなのか。
自分でも分からなかった。
アーサーは拳を床についたまま、ただ虚空を見つめ続けた。
しばらくしてアーサーは気力のない声で、アーバスに問いかけた。
「システムは、なぜ起動できない。」
<自己展開に必要な最小演算資源を確保できません。>
「基底演算域の必要量は。」
<わかりません。>
頭脳はある。
だが、それを起こすための演算資源が足りない。
研究に使っていた基幹システムなら、起動に必要なのは数ブロック程度だったはずだ。
しかし、領域確保ができなければ、どれほど高性能なシステムでも、ただのガラス板のかたまりに過ぎない。
床に寝転がり、しばらく呆然と天井を見ていたアーサーが、ポツリとつぶやく
「ADMが起動すれば、この船は助かるのか。」
<はい。ADMが起動できれば問題ありません。>




