4話 廃棄場
私は袋を片手に持ったまま、ため息をついた。
人生の半分以上を生きた95歳の中年が、自分の尿が入った袋を持って施設内を歩くことになるとは。
いや……正確には違う。
今の私は95歳の記憶を持っているだけで、この身体は別人のものだ。
「アーバス。」
「はい、アーサー。」
「回収施設……いや、処理する場所はどこにある?」
「身体から出た不要なものを処理する場所だ。案内してくれ。」
アーバスは素直に頷くと、部屋の端へ向かって歩き出した。
私はその後ろについていく。
そこで、ふと気付いた。
目の前には壁しかなかったはずなのに映像が切り替わったように扉が存在した。
継ぎ目も、取っ手も、開閉装置もなかったはずだ。
「どうなってるんだ?」
「……最新型の医療施設か?」
戸惑うアーサーを尻目に、ロボットは廊下を進む
通路へ出て最初に感じたのは、違和感だった。
通路は完全な直方体……正確には、角だけがわずかに丸められた形状だった。
壁、床、天井。
その境界が曖昧だった。
上下は存在している。
足元は床で、頭上には天井がある。
それなのに、どこか方向感覚が狂う。
まるで巨大な箱の内部にいるようだった。
廊下の先を見渡すと異常なほど長い。
数十メートルどころではない。
廊下の先は、わずかに小さく見えるが距離感が妙だ。
距離が伸びているのか、空間そのものが歪んでいるのか。
目を凝らす。
廊下の先端が、陽炎のようにわずかに揺らいでいる。
空間そのものが、ゆっくり歪んでいるように見えた。
50メートルほど歩いただろうか。
いや、正確な距離は分からない。
ただ、ようやくアーバスが足を止めた。
目の前には何もない壁。
……またか。
そう思った瞬間、壁の一部が映像を切り替えるように変化した。
継ぎ目もなかった場所に、突然、開口部が現れる。
「ここです。」
アーバスはスタスタと、中へ入っていく。
中は、先ほどまでいた廊下より少し暗かった。
照明はある。
しかし、人間が快適に過ごすための明るさではない。
作業用の空間、そんな印象だった。
アーバスは部屋の隅を指差した。
そこには、大きな箱のような装置があった。
高さは腰ほど。
表面は滑らかで、中央に蓋のような開閉部がある。
ゴミ箱……なのか?
少なくとも、私にはそう見えた。
「そこへ入れてください。」
「……ここに?」
「はい。不要になった有機物を処理します。」
確かにこれは処理対象だ。
深く考えることでもない。
箱に近づくと自動で蓋が開いた。
わずかに鼻を刺激するアンモニアのような臭いと、それに混じる、酸っぱいような刺激臭。
何かが腐敗した臭いとは違う。
化学薬品のような刺激臭と、有機物が混ざったような不快な臭いだった。
私は袋ごと中へ放り込む。
蓋が自動で閉じた。
小さな音を立てて、処理装置が動き始める。
それを確認した私は、何気なく周囲を見渡した。
壁沿いに巨大な透明容器がある。
高さは……5メートルほどあるだろうか。
半透明の壁の向こうで、内部の液体がゆっくりと攪拌されている。
茶色く濁った液体。
何かを分解しているようにも見える。
「……これは?」
ゆっくり近づく……その時だった。
ドン。
何かが、容器の内側から壁へぶつかった。
一瞬、目の錯覚だと思った。
だが、違う。
液体の向こう側。
何か白いものが見えた。
……手?
人間の手のような形。
私は息を止めた。
次の瞬間。
茶色い液体の中から、何かが浮かび上がった。
頭部。
人間の
半分崩れた
頭だった。
目を閉じた顔が、ゆっくりと液面へ現れ、静かに液体の中へ消えていった。
奥まで続く巨大な容器。
その中で、無数の何かがゆっくりと攪拌されていた。
足から力が抜け、私はその場に尻もちをついた。
「違う……」
声が震える。
「違うだろ……」
科学者として、理解しようとする。
これは何だ。
胃の奥が急激に締め付けられる。
「うぇっ……!」
私は耐えられず床に手をつき、吐いた。
先ほど無理して飲み込んだ栄養剤の味が口内に広がる。
「違う、あれは違う、見間違いだ。そんなはずはない」
私は這うようにして入口へ向かった。
一秒でも早く、この場所から離れたかった。
白い廊下。
さっきまで何の違和感もなかったその空間が、今は不気味で仕方がない。
背後から、アーバスの足音が追ってくる。
「アーサー? 処理は正常に完了しました」
「近寄るな!」
「アーサー?」
「何だあれは、お前は何だ、何をしている、あんな、あの施設は・・・」
アーバスは首を傾げる。
「さっきの施設だ。説明しろ!」
声が震える。
「処理をしています。」
「処理だと?」
「はい。有機物を、再利用可能な状態へ変換しています。」
一瞬、意味が理解できなかった。
「不要になった有機物から、必要な成分を抽出し、再構成します。」
胃の奥が再び締め付けられる。
「人間を……か?」
「人間?」
「さっきの容器に入っていたものだ。」
「はい。」
「……あれは何だ。」
「人類維持用の資源です。」
その言葉に、背筋が凍った。
【人類の維持】
その単語だけが、異常なほど耳に残った。
「人間を作ったのか?」
アーバスの頭が少し傾く。
「作った?」
「そうだ、人間を」
そこまで言って私は自分の身体を見る。
若い身体、自分のものではない身体。
そして、先ほど見た大量の残骸。
まさか。
そんな考えが、一瞬だけ頭をよぎった。
しかし、すぐに否定する。
あり得ない。
クローンならまだ理解できる。
だが、人格を持った人間を作り出す技術など存在しない。
人格転写ですら未完成なのだ。
まして肉体そのものを生成し、人間として成立させるなど。
そんな技術が存在するなら、世界が変わっている。
そして、それは人類共同体連盟による倫理規定にも明確に反する。
人工的な人間の製造は、研究者生命の終わりどころか存在そのものを否定されるほどの重罪だ。
「……違う。」
私は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「そんなことは不可能だ。」
「アーサー?」
「私は……作られたわけじゃない。」
そう言いながらも、胸の奥には別の疑念が残る。
では、この身体は何だ。
なぜ私は、この身体にいる。
なぜここには、人間の残骸がある。
私はアーバスを睨む。
「答えろ。アーバス」
「ここは何だ、処理施設だけじゃない、全部だ」
「お前はここで何をしている!」
「ここは何だ。」
アーバスは迷うことなく答えた。
「居住できる星を探すための、恒星間宇宙探査船です。」




