3話 奇妙な空間
意識がゆっくりと浮かび上がる。
昨日の夜――いや、この場所に夜という概念があるのかすら判らない。
身体中が痛む。 頭も腕も、まだ少し痛みが残っている。
とにかく休もうと思ったが、あのロボットには散々な目に遭わされた。
<人間はなぜ睡眠が必要なのですか?>
<人間は停止中にも思考できるのですか?>
<では、起動している時としていない時、どちらが本当のアーサーですか?>
次から次へと疑問をぶつけられ、そのたびに説明を求められる。
しかもこちらからの質問には答えられない。
そのうちめんどくさくなって
「人間は起動直後は活動に制限がある。」
そう言って無理やり話を終わらせた。
素直に納得してくれたのは助かったが、どうやら私は何者かに、このロボットの教育係として任命されてしまったらしい。
まったく、勘弁してくれ。
しかし、その時のやり取りで妙な事に気付いた。
「今日は何日だ?」
<その情報は存在しません。>
「何時だ?」
<その情報も存在しません。>
「いつからここに?」
<ずっとまえからです。>
日付も時刻も知らない。
しかし、時間という概念そのものを理解していないわけではない。
私は仕方なく、人間が使っていた時間や単位を説明することになったのだ。
<アーサー。起動しました?>
目を開けると、すぐ目の前にロボットの顔があった。
「……お前と一緒にしないでくれ。」
思わずため息が漏れる。
「アーバス、今日の記録を──」
そこまで言って口を閉じた。習慣とは怖いものである。
「何か飲み物を持ってきてくれ。それと、服……いや、外部保護層を頼んだはずだ。分かるかい?」
アーバスは少し考え込んだ。
<飲み物は分かりません。でも、保護層は準備しました>
そう言うと、天井から音もなく透明な薄膜がパサリと頭の上に落ちてきた。
穴が開いただけの半透明な膜。服というより、包装材に近い。・・・いや、袋か?
私はしばらくそれを見つめ、小さく呟いた。
「どうなっているんだ、ここは。」
「アーバス。飲み物というのは……そうだ、補給だ。」
「人間は一定時間ごとにエネルギーを補給しなければ活動できなくなる。分かるよな?」
<理解できました! >
返事と同時に、
べしゃ。
頭の上へ先ほどの包装材で密封された、灰色の粘性液体が落ちてきた。
私は無言でそれを持ち上げる。
「……どうなっているんだ、ここは。」
灰色の液体はどう見ても泥水だ、おそらく人体に必要なものが入っている液体の栄養食なのだと推測するが・・・
隣で見ているポンコツには、この袋に飲み口が付いていないことも、開封用の切込みがないことも気にならないらしい。
製造者も、製造年月日も、何一つ記載されていない。
多分コイツに聞いても無駄だ。
私は袋の端を歯で小さく噛み切り、飲み口を開けた。
小さく開いた口からは何も匂いはしない、意を決して中身を口へ流し込んだ。
ぬるい。そして、微妙な塩味。舌にまとわりつく妙な鉄臭さ。
……まるで、そう……薄い血のような最悪な味だ。
「うっ……。」
思わず顔をしかめる。
飲めないことはない、しかしこれを作った奴は何を考えているのだろう。味の概念を切り捨てたのか。
そして、考えなしに"飲み物をくれ"と横にいるポンコツに頼んでしまった自分を恨んだ。
水を頼めばよかった・・・おそらく、それなら通じたはずだ。
<どうですか?>
「まずい。」
<まずい、とは?>
「美味しくないという意味だ。」
<美味しくないとは何ですか?>
「……補給はできる。しかし、身体が拒否したくなるような感覚がある。」
<拒否?>
「そうだ、補給は出来るが、受け入れには精神的な障害がある……。」
<精神的!!! 精神的とはどんな状態ですか!>
説明する気力がなくなる。
私はため息をつきながら、残りを一気に流し込んだ。
味わうものではない、栄養補給だと割り切ればそれで済む。
飲み干した空袋を眺めながら、小さく息を吐く。
「ふぅ・・・」
こうなると食事はどうなるのだろうか?
もし、これしかなかったら絶望だ。早々にこの施設から逃げ出そう。
まずは状況確認だ、ここがどこなのか。
誰が私をここへ運んだのか、そして、このロボットはいったい何なのか。
しかし・・・今頃になって一つの重大な問題に今さらながら気が付く。
そういえば、目覚めてから随分と長い時間、トイレに行っていない。
「アーバス。」
<なぁに? アーサー>
「トイレというのは知っているか?」
<トイレは摂取するものですか?>
……やっぱりか。
「回収施設だ、私が今摂取した物質から必要な物を使用した後に残る水分や老廃物を処理する場所だ。」
アーバスは首を傾げる。
<処理施設ですか?>
「そうだ、処理が必要なものだ。」
<どんなものを処理しますか?>
「説明はあとだ。」
私は飲み干した袋を手に取り、開口部を指で広げ、ベッドから立ち上がり部屋の隅へ移動する。
背後で小さな足音が聞こえた。
ちらりと振り返る。
アーバスも同じ速度でついて来ていた。
<……>
背後に立つロボットの存在は無視することにした。
奴はいない、そういうことにしよう。
私は諦めて袋を構えた。静かな部屋に、小さな水音だけが響く。
ほっと息をついた、その時。
<なるほど。>
アーバスの声がすぐ横から聞こえた。
いつの間にか、私の真横まで近寄り、袋の中をじっと覗き込んでいる。
<この老廃物を処理するための設備ですね。>
「もううんざりだ・・・」




