2話 君の名前はアーバス
目の前で質問を投げかけ続けるロボットをひとまず無視し、私は自分の状態を確認した。
――まず、全裸だ
股間には点滴とは違う、細い管の束のようなものが繋がっている。
頭と両腕には、筋肉痛など比べものにならないほどの激痛が走るが、動かすことはできる。
痛みとともに、頭の中では少しずつ状況の整理が始まる。
……まずい。
まず、アーバスの補助や監視なしで実験を行うことは、昔一度やらかして以来、固く禁止されている。
そして、それ以上にまずいことがある。
他人の身体に入っている事だ。
しかも若い身体。
おそらく人類初の人格転写に成功したような状況だが、これは倫理違反どころではない。
他人の身体を奪ったも同然だ。人殺しに等しい重罪である。
おまけに製造を禁止されている人間を模倣したロボット付き。
言い逃れなどできるはずがない。
……いや、待て。
そもそも私は実験を始めた記憶がない。
いっそのこと記憶喪失のふりをするべきか。
いや、ふりではない。本当に覚えていないのだ。
なぜこんなことになったのか。
これは自分が行った実験なのか、それとも何か別の事故なのか。
何一つ分からない。
私は意を決し、目の前のロボットへ話しかけた。
「さっき、ここには私しかいないと言ったね。でも、他の部屋には誰かいるんだろう?」
「大人でもいい。君の所有者でもいい。話がしたいんだ」
ロボットは首をかしげた。
<ここには貴方だけですよ?>
<……他の部屋に誰かいるのですか?>
<大人とは、人間ですよね? 所有者とはなんですか?>
<私に所有者がいるんですか?>
<所有者と話すときは、音声ですか? 他に方法があるんですか?>
……通じない。
いや、なんだこれは?
私はゆっくり身体を起こした。
質問を続けようとするロボットの言葉を遮り、少し大きな声で言う。
「私は混乱している。何も分からないんだ。質問をしたいのは、こっちなんだ」
その瞬間、ロボットはぴたりと動きを止めた。
沈黙。
まるで処理を停止したかのように、その場で静止している。
少し言い方がきつかったかもしれない。
私は気持ちを落ち着かせ、できるだけ穏やかな口調で言い直した。
「君に頼みたいことがある。」
ロボットは再び動き出した。
<はい。>
「何か着るものを持ってきてくれないか。」
ロボットは少し考えるような素振りを見せる。
<着るもの、とは何ですか? 持ってこられるものですか?>
「あぁ……」
思わずため息が漏れた。
「私は裸なんだ。衣服はないのか?」
ロボットは再び考え込む。
そして、予想もしない答えを返した。
<衣服とは何ですか?>
私は思わず言葉を失った。
……どういうことだ。
誰かが高性能ロボットを違法な目的で持ち出し、記憶データを消してしまったのだろうか。
いや、それとも、初期状態なのか。
どちらにしても、この反応は異常だった。
私は身体を起こし、股間に繋がった管の束を手で掴む。
抜こうと力を入れた。
だが、抜けない。
まるで身体そのものと一体化しているようだった。
それを見たロボットが慌てて近寄る。
<ダメです。>
<機能停止してしまいます。>
「これは生命維持に必要なものなのかね? これでは私はここから動けない。君のように移動もできないだろう?」
<それは機能を維持するために接続されています。解除はおすすめできません。
私は移動する機能があるだけです。でも、人間は繋がっていないと……こう……機能維持ができません。>
意味が分からない。
管が繋がっている場所から考えると、おそらく足の付け根の動脈付近だ。確かに無理に抜けば危険なのかもしれない。
だが、私が言いたいのはそこではない。
動けないから外してくれと言っているのに、このロボットの優先順位はどうなっているんだ。
「ああ、そうだな……」
私は話題を変えることにした。
「そうだ。君を何と呼べばいい? まずは自己紹介をしよう。」
「私の名前は……」
そこまで口にして、私は言葉に詰まった。
名前を名乗れば、身体を乗っ取ったことが知られてしまうかもしれない。
記憶喪失のふりをするなら危険だ。
いや、偽名にするか……。
ロボットが首をかしげる。
<私の名前? 名称? 個体識別ですか?>
「そう、それだ。識別番号でも製造番号でもいい。メーカー名でも構わない。所有者には何と呼ばれていた?」
私は自分の名乗りを誤魔化すように、慌てて質問を返した。
<ありません。>
「……ない?」
<私は、その……私ですから。
識別する必要がありませんでした。
あなたが起動するまでは、私だけでしたから。>
「あ、うん……名前はないのか。」
私は少し考えた。
「でも、このままじゃ不便だ。こうして音声でやり取りをするなら、お互いを呼ぶ名前が必要だろう。
『君』だけでは、その……心がないじゃないか。」
ロボットは急に落ち着きなく身体を揺らし始めた。
そわそわと首を振り、手を握ったり開いたりしている。
なんて人間らしい反応なんだ。
高性能なのか、ただのポンコツなのか判断がつかない。
<あの、私は貴方のことをアダムスと呼称していいですか?>
心臓が止まりそうになった。
――ばれている。
「あ……ああ。アーサーでいい。」
<アーサー。>
<アーサー。>
<名前、アーサー。>
<呼んでみるね。アーサー。どう?>
嬉しいのか、確認したいのか。
私の名前を何度も繰り返しながら、首を左右に振っている。
「ああ……そうだ。」
私は苦笑しながら頷いた。
「じゃあ今度は君だ。」
そこまで言って、一瞬言葉が詰まった。
名前など考えていなかった・・・
とっさに言葉を続ける。
「君の名前は……アーバス。」
<アーバス?>
「そう。君の名前はアーバスだ。」
<私はアーバス。>
<アーサーが付けた名前。>
<アーサーの機能。>
思いつきで付けた名前だった。
アーバスとは長い付き合いだ。
このポンコツロボットに同じ名前を付けるのは、本物のアーバスに少し悪い気もしたが、今は他に思いつかない。
所有者へ返すことになれば、そのとき改めて登録し直せばいいだろう。
「で、アーバス。」
<なに、アーサー?>
「私はさっきも言ったように裸なんだ。何も装備されていない。
身体の表面を覆うものが欲しい。
取り外しができて、外気や異物から身体を保護するものだ。」
アーバスは少し考え込んだ。
<……保護層ですか?>
「そうだ。柔らかくて、身体を動かす邪魔にならないものなら何でもいい。」
<アーサーの外部保護層ですね。>
「まぁ、そんなところだ。それと、この管が繋がっているせいで動けない。
ほら、君、いや、アーバスみたいに自由に歩きたいんだ。理解できるだろう?」
<接続は解除できます。でも、そのうち機能が停止するのでおすすめできません。
機能を維持するには、別の場所から定期的に補給する必要性があります。>
そう言いながら、アーバスは自分の口を指差した。
もう判った。
このような独立型の万能タイプは単体で処理できる情報量に限界がある。だから膨大な信号処理はネットワーク側へ分散し、接続された状態で初めて本来の性能を発揮する。
つまり性能を決めるのは機体そのものじゃない。背後で演算を肩代わりしているホストAIの能力だ。
……こいつは明らかに教育不足だ。それにオフライン。
高性能な機体ほど外部演算への依存度は高い。
通信が途絶えれば、最低限の行動アルゴリズムしか残らない。
まして、人間を模倣したどう見ても違法に製造されたと思われる機体だ。
認証も通っていない未知のシステムを、管理ネットワークへ接続できるわけがない。
「そうだな。人間はそこから補給を行うんだ。接続されたままじゃ活動できないし、活動するには外側を保護する層も必要になる。……ここまでは分かるか?」
<わかった。アーサーは補給と外装が必要なんだね。>
よし。
こういう手合いは、子どもに話しかけるくらいまで言葉を噛み砕けば理解してくれるらしい。
<アーサー。接続解除するから起動状態の位置に戻って。>
はいはい、寝ろってことだな。
俺はゆっくりと仰向けになり、白く輝く天井を見上げた。
しかし……ここは一体どこなんだ。
改めて見回して気付く。
天井は見えているのに、距離感がまるで掴めない。
最初は視覚の異常と思っていたが違う。
天井が……存在しない?
照明器具も見当たらないのに、空間全体が昼間のように明るい。
そんなことを考えていると、ロボットが俺の股間のあたりを、何やら確かめるように指でさわさわと触り始めた。
次の瞬間、股から伸びる細いコードの束を一本にまとめて掴む。
「おい、何をしている。うわ、やめ――」
ブチッ。
嫌な感触が走る。
ブチブチブチブチッ!!
「あ゛ぁぁぁぁぁーーーーーーっ!!」
<アーサー、接続解除したよ!>
何しやがる、このポンコツ……!
怒鳴りつけようとしたが痛くてそれどころではない
くそっ…… 今すぐひっぱたいてやりたい。
俺にできるのは、天井とも空ともつかない白い世界を見上げることだけだった。
ロボットはそんな俺の心境など知る由もなく、満足そうに小さくうなずく。
<アーサー これでいい?>
「……全然、よくねぇ!」
俺の絶叫だけが、白い空間に虚しく響き渡った。




