22話 希望と不安と
寄り道をしたことで当初の予定より8日遅れとなったものの、アーキライト号は無事に目的のガス惑星軌道へと到着した。
ここで船体の外装補修に必要な各種素材をはじめ、今後の長大な航行に必要となる補給物資を一挙に確保する。
巨大ガス惑星の濃密な大気成分中には、船体の製造や構造修復にそのまま利用可能な各種元素や化学化合物が豊富に含まれていた。
アーキライト号はガス惑星の自転速度と同調する周回軌道を精密に維持しながら、船体から長大な採取プローブを展開する。
高層大気を取り込んで、内部の精錬プラントで必要な成分だけを幾重にも分離・精製していく。
採取された純度の高い素材は逐次船内へと運ばれ、採取された純度の高い素材は逐次船内へと運ばれ、加工プラントで巨大な外殻装甲パネルなどの補修部材へと次々に成形されていった。
採取、分離、精製、そして加工。
地味で果てのない工程を、船はひたすら繰り返していく。
必要とされる資材の総量は、まさに膨大の一言に尽きた。
一度に取り込める量には限界がある。
現在の補修だけでなく、今後の航行に備えた予備の素材も確保しておく必要があった。
およそ8ヶ月という、気の遠くなるような時間を費やし、ようやく目標量の素材確保が完了した。
これでついに、本格的な船体大規模修復作業に取りかかることができる。
まずは、もっとも被害の大きい船体外殻の修復だ。
船内プラントで連続出力された装甲パネルを、外部マニピュレーターで少しずつ損傷箇所へと運んで宛がっていく。
アーサーは作業コンソールのカメラ映像を慎重に確認しながら、指定の位置へ外殻パネルを精密に誘導して仮固定する。
そこへ自律型補修ロボットが滑るように接近し、パネルの繋ぎ目を高熱プラズマで少しずつ溶接・接合していく。
1枚が完全に固定されたら、また次のパネルを静かに運び込む。
退屈で単調な作業の繰り返しだった。
だが、幾多の星間物質や隕石衝突によって痛々しく削られていた船体が、1枚また1枚と新しい装甲に覆われていくのを見るにつけ、アーサーは確かな手応えと充実感を抱いていた。
――そんな地道な作業を連日繰り返していたある日のこと。
アーサーは、カメラ映像の中に「それ」を発見して思わず目を丸くした。
おそらく……いや、間違いなくイブの仕業だ。
新しく溶接されたばかりの広大な外殻装甲の上に、巨大な文字で『Archilight』という落書きが描き殴られていた。
(……一体いつの間に?)
それよりも――。
「……そもそもこの塗料、どこから持ってきたんだ?」
アーサーは思わずコンソール前で呟いた。
船内の備品データベースに「塗料」なんてものが存在するはずもない。
いや、そもそも今まで分子プリンターで塗料を出力・精製したという報告すら聞いていないのだ。
アーサーは巨大な『Archilight』の筆跡を見上げながら、腕を組んでしばらく考え込んでしまった。
そういえば――最近のイブは、アーバスと2人で何やらコソコソと怪しい動きをしている。
決まった食事の時間になっても何かに熱中しているらしく、出てこないことも珍しくなかった。
イブ単独ならともかく、アーバスまで巻き込んで一体何を企んでいるのか。
外殻パネルの自動成形プロセスは、現在アーバスに一任してある。
ちょうど後ろから、ペタペタというお馴染みの足音が近づいてきた。
アーサーは振り向きざま、次のパネルの完成予定時間を尋ねようとした。
「アーバス、次のロットのパネルはあとどれくらいで出力が終わる――」
そこまで言いかけて、アーサーの言葉はぴたりと止まった。
目の前に立っていたアーバスのボディが、完全な新品に生まれ変わっていたのだ。
……そういえば、ここ8ヶ月で豊富な金属素材とケイ素系材料が手に入ったのだ。
イブの悪戯で描かれた、あの消えない油性つながり眉毛も、パーツごと骨組みごと新調してしまえば一発で解決する。
アーバスとしても、渡りに船だったのだろう。
アーサーは、妙に納得した。
<次のロットの成形完了は、およそ2時間後を予定しております>
まあ、アーバスの筐体がピカピカの新品になったところで、内部の思考アルゴリズムや中身が変わるわけではない。
アーサーはあまり気にしないことにした。
「そうか。……ところでイブはどうしてる? 一緒にいないのか?」
<…………>
「アーバス? どうした?」
<……素材加工ルームにおきまして、色々な物に興味を示している模様です>
「そうか。まあ、怪我をしないようによく言っておいてくれ。危険な事はさせるなよ」
<…………>
「アーバス……?」
<……了解いたしました>
どこか不自然な応答を残すと、アーバスはスタスタと硬い足音を立ててサーバールームから出て行ってしまった。
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やがて夕食の時間になり、2人が揃って食堂へ戻ってきた。
しかし――アーサーは自分の目を疑った。
先ほどまでピカピカの新品だったはずのアーバスが、なぜか元の傷だらけのボディに戻っていたのだ。
しかもおでこには、あの例の「中途半端に残った油性つながり眉毛」がバッチリと居座っている。
思わず、「……なぜ筐体が元に戻ってる? ていうか、さっきの新品は2体目か?」
と言いかけたが、それより早くイブが慌てた様子で口を開いた。
「アーサー! き、今日の外殻の修理はどうだった!?」
(……怪しい。実に怪しい)
ダミーの新品アーバスを作業場に置いて、2人で裏で何か別の良からぬ作業をやっていたな?
「あぁ、外殻パネルはかなりの枚数を取り付けたよ。まあ外側はこれで順調として、内部構造フレームも相当やられているからな。船内からの補修作業はもう少し先になりそうだ」
「ふーん」
「……ところで、今日はイブもおとなしかったみたいだが、一体何をして遊んでたんだ?」
アーサーが尋ねた途端、イブの瞳が泳ぎだした。
「と、特になにもしてないよ?」
明らかに何かを隠している態度だ。
またラティスを破壊した時以上の何かをやらかしているに違いない。
「ふーん……今日はアーバスとずっと一緒に作業部屋にいたんだろ?」
<……アーサー。私は本日、外殻修理の補助プロセスとしてずっとあなたの傍におりました>
(こいつら……)
アーサーが呆れてじっとイブの顔を見つめると、視線に耐えかねたイブが突然、顔を真っ赤にして吹き出した。
「フヒッ……」
「フヒ……ヒヒ……!」
変な声で笑い出すイブを見て、アーサーは思わず自分自身の口元まで緩んでしまいそうになり、慌てて後ろへ反り返った。
(くそっ……!)
かつての恋人であり、天才研究者だったエヴァは、どこまでも気品に満ちた聡明な女性だった。
逆立ちしても、絶対にそんな情けない不審者みたいな笑い方はしない。
だが、その面影を色濃く残した少女が、必死に悪戯を隠そうとして「フヒヒ……」と変な笑い声を漏らしている。
(……何という破壊力だ。耐えられるかこんなの!)
「くっ……!」
「フヒヒ……ッ!」
アーサーは顔を覆い、爆発しそうな笑いを必死に噛み殺すのだった。
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<TOI-5821星系、惑星3:24を光学観測で捉えました。最終目的地までの残距離、34.6422光年>
<本星系内への侵入は、およそ5年と152日後を予定しております>
十分な資源回収と、船体補修を終えたアーキライト号は、いよいよ最後となる長距離航海に向けて準備を整えつつあった。
船体外装の補修自体は順調に終わったものの、内部フレームの損傷は想定以上に深刻であり、結果として船内補修には丸2ヶ月の歳月を要した。
だが、最大の懸念事項であったSpatial Compression Drive(空間圧縮ドライブ)への直接的な損傷は、奇跡的にも免れていた。
もしあの大穴の衝撃がドライブコアに直撃していれば、良くて航行不能。
最悪の場合、船体そのものが微粒子レベルまで無限に圧縮されるか、あるいは位相の狭間へ弾き飛ばされて消滅していたはずだ。
<対象惑星の分光観測におきまして、大気中の高濃度酸素および水分子の存在が正式に確認されました。現時点の観測モデルに基づきますと、80%以上の確率で旧人類の生息に適した環境であると推測されます>
5年――。
次の目的地に到達するまで、あと5年。
しかしアーサーの胸に去来していたのは、焦りや不安ではなく、温かな「希望」だった。
研究者として生きていた頃、アーサーの人生は決して平坦なものではなかった。
成果が出ず、不遇をかこった長い年月。
最愛の人を若くして失い、晩年はただ静かに人生の幕を下ろすだけの孤独な日々。
それでも、振り返ってみれば、自分の人生が無意味だったとは思わない。
歴史には、アーサーの研究が人類の存続に貢献した記録が残っている。
だが、その人類が今どこで、どうなっているのかは、もはや誰にも分からない。
1万年以上も昔の出来事なのだ。
果たして、自分の捧げた人生は本当に何かの役に立ったのだろうか。
そう考えると、己の人生はある程度充実していたとはいえ、どこか納得しきれないものが残っていた。
もっと、うまくやれたのではないか。
そんな思いだけが、心のどこかに引っかかっていた。
「……先は長いが、間違いなく希望はある。1万年という時間に比べれば、たったの5年なんて無いに等しいさ」
アーサーは、誰に言うでもなくぽつりと呟いた。
メイン端末のモニターに映し出された、宇宙の暗闇の中にぽつんと浮かぶ、うっすらとぼやけた淡い緑色の点。
その画像を小さな手で撫でながら、イブはどこか不安げな瞳でアーバスを見上げた。
「ねぇアーバス……私達、本当にここに行くの? なんか……全然楽しそうに見えないけど」
<『楽しい』という主観的基準は個体により様々です。次に精密観測を行う段階では距離がおよそ7光時間まで縮まりますので、今より遥かに鮮明な画像が得られるはずです>
補給や修理作業には想定以上の時間を費やしたが、アーサーは科学者として生きていた頃よりも、どこか充実していた。
毎日やることが山積みで、退屈している暇がないのだ。
船体の各ステータスをチェックし、修復箇所を細かくログに記録する。
復旧した石英メモリの状態を監視し、古いアーカイブデータを整理する。
この巨大なアーキライト号そのものを維持・稼働させるだけでも、やるべきタスクは山ほど残されていた。
そして何より――イブのことだ。
教えたことを吸収するたび、彼女はまた新しい疑問を持ってくる。
人としての倫理や心。
それだけではない。
目的地に無事到着した時、彼女が困らないようにしておかなければならないことも、まだまだ残っている。
5年という時間があれば、教えられることは山ほどある。
アーサーは、これからの5年間で成すべきことを1つずつ頭の中で整理しながら、まだ見ぬ緑色の点の、その遥かな先を見つめていた。
<アーサー。安全上のプロトコルに従い、SCDによる再加速シークエンスの開始は、星系外縁部から十分な安全距離を確保できる12時間後となります>
「了解した。私はそれまでに復旧した石英メモリのデータインデックスを再チェックしておくよ。……イブはどうする?」
「……べつに、なにもしない。なんか、ちょっと疲れたかも」
「また寝不足かい? 人類のアーカイブを読み漁るのも程々にしなさい」
「……うん」
イブは力なく短く答えると、端末に表示された小さな緑色の点を、どこか虚ろな目でぼんやりと見つめ続けていた。
いつもなら、新しい星やデータを見つけるたびに目を輝かせ、アーバスにしつこいほど質問を浴びせるはずのイブが――今日は妙に静かで、大人しかった。
だがその時のアーサーは、それを単なる長旅の疲れか、ちょっとした気まぐれだろうと思い込んでいた。




