21話 アーキライトの道草
恒星系内での詳細観測および精密航行が可能な速度域まで船速が落ち、休眠していた船外センサー群が本格的に稼働を始める。
長大な減速シークエンスを耐え抜いた『アーキライト号』は、ついに相対論的な超高速度域を脱した。
ちなみに――この船に『アーキライト号』という名を与えたのはイブだった。
命名の際、アーバスはなぜか露骨に渋るような反応を見せたが、もともと彼にもこの巨大な船にも正式な個体名称は与えられていない。いつまでも無機質な「TOSの舟」と呼び続けるのも味気ないため、アーサーは軽い気持ちでその提案を了承したのだった。
船体各部の観測ユニットから送られてくる膨大なセンサー情報が、アーバスの主記憶体へ順番に処理・整理されていく。
<減速フェーズ完了。これより通常航行フェーズへ移行します>
アーサーは生返事を返しただけで、作業を止めなかった。
相変わらずラックの下の狭い隙間に身体を潜り込ませ、剥き出しになった複雑な配線と格闘している。
やがて、船外観測システムが全系稼働を始めた。
<対象恒星系の総合観測を開始します>
船外に取り付けられた複数の観測装置が一斉に立ち上がる。
可視光、赤外線、紫外線領域の光学走査。
さらには広域分光観測によって、恒星のスペクトルや周囲を回る惑星群の大気組成、宙域に漂う周辺物質の化学成分が次々と解析されていく。
しばらくの沈黙の後、アーバスが落ち着いた声で報告を入れた。
<観測結果を報告します。主恒星は2つ。その周囲を公転する惑星は大小合わせて全20個を確認。その他、複数の小惑星帯および岩石質天体の存在を確認いたしました>
「双子星……ってことか?」
<正確には連星系です。2つの恒星が共通の重力中心を軸として相互に公転運動を行っています>
「なるほどな」
アーサーは短く答えただけだった。その視線は手元の基板から一切離れない。
<……アーサー>
「なんだ?」
<イブの最近の行動について、少々苦言を呈したく存じます>
「……またか」
胸の奥で嫌な予感が跳ねた。
<最近、彼女の試行錯誤を称した悪戯行為が、非常に活発化しております>
「……具体的には何をした?」
<先日、彼女は旧人類のスポーツである『ボウリング』という概念を学習いたしました>
「……ああ」
<それに大変熱中しておりまして>
「確か……ボールを転がすスポーツだったか?」
<然りです。球体を投擲して標的に命中させる競技です>
<そして彼女は標的として、運搬用小型作業ロボットであるラティスを使用いたしました>
「……うん?」
<結果として、ラティスのフレームおよび駆動系が著しく破損いたしました>
アーサーの手がピタリと止まった。
「あぁ……」
アーサーは手元の工具を置き、しばし無言で天井を見上げた。
<なお、ラティスの完全修復にはおよそ16時間を要する見込みです>
「……そうか。後で注意しておく」
溜め息混じりにそう言うと、アーサーは気を取り直して再び作業の手を動かし始めた。
<……アーサー>
「今度はなんだ?」
<なお、現在イブが最も強い興味を示している対象は……『化粧』です>
「化粧……?」
さすがに無視できず、アーサーはラックの下からズルズルと這い出した。
そして、目の前に立つアーバスの顔面をふと見上げ――絶句した。
「……お前」
<はい>
「その顔……どうしたんだ?」
アーバスの眉部分に、妙に太く、力強く描かれたような黒い眉毛が存在主張を放っていた。
しかも、左右の眉毛が中央でバッチリ繋がっている。
「……案外似合ってるぞ」
<ありがとうございます。……ですが、消えないのです>
「……なぜイブに油性の塗料を渡したんだ」
<……私にも理解できません>
「お前が渡したんじゃないのか?」
<……否定はできません>
アーサーは深いため息をついた。
<消えないのです>
「……そうか」
アーサーはそれ以上、何も言わなかった。
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そんな日常の裏側で、船が星系外縁部へ侵入すると同時に、待望の資源採取作業が開始されていた。
船体の格納庫から射出された50機あまりの自律型採取ドローン群が、小惑星帯や岩石質天体に向かってクモの子を散らすように散開していく。
星系内をゆるやかに航行して探査を行っている間に必要な物質を採取・精錬し、星系を離脱するタイミングで一括回収する計画だ。
採取の目的は実に明確だった。
「水」――そして「金属資源」。
長期間にわたる虚無の航行によって、船内に蓄えられていた資源はほぼ底をついていた。
採取可能な天体から貴重な水を回収し、同時に鉄、ニッケル、ケイ素といった各種金属・鉱物資源を確保する。
それらは船体の構造修復だけでなく、停止している各種製造プラントを再稼働させるためにも絶対不可欠な資材だった。
そして、この星系内第八軌道に位置する巨大なガス惑星。
その周囲には、美しく広大な環が確認されていた。
<リングおよび惑星大気において、高濃度の物質集積を確認いたしました>
分光分析の結果、そこには有機分子を含む多種多様な炭素化合物、さらには水や酸素をはじめとする複数の有用元素が濃密に存在していることが判明した。
まずそこを一次採取拠点としてドローンを集中投下することになった。船の再起動に必要な資源は、およそそこで事足りるはずだった。
また、アーサーが手作業で進めていた石英メモリの修復作業も、ようやく終わりの兆しが見えていた。
手持ちの予備交換部材はすでに底をついていたが、減速開始からの3ヶ月間、アーサーとアーバスは付きっきりで損傷した記憶素子を1つずつ繋ぎ合わせてきたのだ。
<石英メモリシステム、主要機能の復旧を正式に確認いたしました>
「データ保持性能はどれくらいだ?」
<現在、損傷前の状態の約76%まで回復しております>
「十分すぎるな」
<残存する不完全なデータ領域に関しましては、準光速航行復帰後に他船との同期通信を行うことで、欠損箇所の相互補完および再構築が可能です>
「よし……じゃあ、あとは船体を直して再加速するだけか」
アーサーはようやく腰を伸ばして立ち上がった。
本当に長い道のりだった。
減速を開始してからというもの、この船はずっと満身創痍のギリギリの状態で走り続けてきたのだ。
そして今、ついに目的の星系へと辿り着き、復活の足がかりを得た。
<……アーサー>
「……まだ何か?」
<星系外縁部への侵入時におきまして、船体前方ブロックへの隕石質天体の衝突を検知いたしました>
<船体第一外殻に構造的損傷が発生。現在、非常用自動隔壁の展開により、内部区画の減圧漏れは最小限に防止されております>
アーサーの晴れやかな表情が、一瞬で凍りついた。
「……穴の大きさはどれくらいだ?」
<直径およそ80メートルです>
アーサーは遠い目をして、ゆっくりと天井を仰ぎ見た。
「……そうか」
結局、彼の修理作業に終わりは来ないのだった。
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「アーバス! 外の景色見せて!」
イブがバタバタと足音を立ててサーバールームへ駆け込んできた。
アーバスがコンソールを起動するやいなや、イブはその操作権限を奪い取るように小さな手で画面を叩き始める。
ほどなくして、船外カメラが捉えた高解像度の映像が、メインモニター群へ一斉に映し出された。
航行中はずっと漆黒の虚無だった視界が、いまや別世界のような輝きに満ちあふれていた。
寄り添うように黄金色に輝く2つの主恒星。
その光を浴びて青や赤に光る無数の天体群。
漂う小惑星帯や岩石質天体、はるか遠くに見える巨大惑星のシルエット。
星系内部の光景は、アーサーが想像していた以上に鮮やかで、息を呑むほど賑やかだった。
アーサーも手作業を忘れ、思わずその美しい光景に見入ってしまう。
それにしても――とアーサーは思った。
イブは一体いつの間にこんな高度な端末操作を覚えたのだろうか。
言語テキストすらまだ満足に読めないはずなのに、コンソールを叩く小さな手に迷いがない。
まるで画面のプログラム構造そのものを、直感的に理解しているかのようだった。
「アーバス、あそこ! あそこに行こうよ!」
イブがモニターに映る一つの小さな岩石質天体を指差したかと思うと、慣れた手つきで連続入力し始めた。
直後――船内に甲高い緊急警報が鳴り響いた!
『警告! 予定設定航路からの逸脱を検知!割り込みによる進路変更を確認!』
無機質で冷静だったはずのアーバスが、珍しくうろたえ始めた。
<あああ、ああああああっ!?>
「イブ! お前、一体何をした!?」
アーサーが慌てて駆け寄る。
イブは操船コンソールからパッと手を離し、悪びれもせずに口を尖らせた。
「……あそこに行くの! あそこには絶対に凄いものがあるもん!」
「だからって勝手に船の進行ルートを書き換えるな!」
イブは両頬をぷくっと膨らませた。
「ちょっと近くで見るだけなのに……アーサーのケチ」
アーサーは深々とため息をつくと、パニックから復帰したアーバスへ尋ねた。
「……そもそも、この船の操船権限はどういう設定になってたんだ?」
<私以外には操船不能の設定です>
「じゃあ、なんでイブが勝手に進路を変えられた?」
<わかりません……論理的な説明が不可能です>
アーサーとアーバスは、同時にイブの方を振り向いた。
当のイブは何事もなかったかのようにすまし顔で、モニターに映る天体をワクワクした目で眺めている。
「……どうなってるんだ、一体」
アーサーは諦めたように肩を落とし、長く息を吐き出した。
「……アーバス、ちょっとだけ寄り道してやってくれ」
<アーサーはイブに対して甘すぎます>
「……」
目的の天体へ到達するまで、およそ4日間。
アーバスの計算によれば、この無茶な寄り道によって合計8日間のタイムロスが生じるという。
その4日間、イブはモニターに映し出される天体の映像を、飽きることなく目を輝かせて眺め続けていた。
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4日後、アーキライト号は目的の天体軌道へと到達し、周囲を緩やかに周回しながら詳細な科学観測を開始した。
天体の直径はおよそ1,000キロメートル。
一見すると、どこにでもある寒冷な岩石質準惑星に過ぎない姿だったが、精密スキャンを進めるにつれて、いくつか奇妙な物理的特徴が浮き彫りになってきた。
<アーサー、内部コア付近に微弱ですが熱源反応が存在する模様です>
「熱源か?」
<地表の一部の亀裂より、アンモニアを含む液体および高濃度の塩水が間欠泉状に噴出しているのを確認いたしました>
「地下に熱源があるなら、氷床下で熱水活動が起きているのか?」
<その可能性が極めて高いと思われます>
アーバスが観測データをさらに深く解析していく。
船外センサーのレーザービームが、漆黒の天体表面を丁寧に走査していく。
やがて――アーバスの解析処理がぴたりと止まった。
<……アーサー>
「どうした?」
<非常に興味深い反応を検出いたしました>
「何が見つかった?」
<……有機物です。単なる自然堆積物とは明らかに構成比が異なる特殊なパターンです>
「へえ……」
<直ちに、採取プローブを降下させます>
「イブが満足したらすぐ出発する」と言っていたわりには、アーバスの対応は驚くほど乗り気で迅速だった。
当の言い出しっぺであるイブはといえば、とっくの昔にその天体への興味を失い、修理されたラティスを連れて船内のどこかへ遊びに行ってしまっているというのに。
「……随分と嬉しそうじゃないか」
<……そうでしょうか? 私はただ、観測プロトコルに従っているだけに過ぎません>
「何を企んでる?」
<……いえ、特には>
珍しく言葉を濁すアーバスをチラリと盗み見ると、アーサーは再びモニターへ視線を戻した。
アーバスがその人工知能の奥底で何を考え、何を望んでいるのか――アーサーには何となく分かる気がした。
有機物を採取する。
その生体情報を詳細に解析する。
そして……また何かを作ろうとしている。
かつてイブの身体を作り上げるために、アーバスが暗闇の中で孤独に続けていた果てしない作業を思えば、彼が何を目指しているのかを想像するのは難しくなかった。
アーサーは小さくため息をついた。
「……まあいい。せっかくだ、サンプルくらいはちゃんと持ち帰れよ」
<……了解いたしました>
アーサーも、それ以上は聞かなかった。




