18話 アーバスはいらない
何日もラックに潜って作業を行ったおかげで、船は少しずつではあるが、明るい兆しが見え始めていた。
何より、今まで補修していたラックの中には、途中のフィードライン中継器が壊れているものもあった。
自己診断機能が使えるようになったことで、故障箇所の特定にかかる時間が大幅に短縮され、修復作業のペースもかなり上がっている。
ADMの自己診断が各ユニットの状態を拾い上げ、アーバスがそれを一覧化してくれる。
今までなら一つずつ探していた異常箇所を、今では船自身が教えてくれるのだ。
おそらく30~40日程度で、かなりのところまで復旧できるだろう。
もっとも、船を維持するために、いずれは資源の補給も必要になる。
現在の速度では周囲を詳しく観測することも難しいため、一度減速しなければならない。
探索や採取、再加速まで含めれば、補給だけで一年近くかかる可能性もある。
しかし、何か目的があるというのは、モチベーションの維持につながる
そう思うと、アーサーは整備士も悪くないなと思えるほどの余裕さえ出てきた。
石英メモリーのラックの下から這い出してきたアーサーは、アーバスに確認を取った。
「アーバス、現在のADMの稼働率はどのくらいだ?」
<現在17%まで復旧、順次DNAメモリーからの書き出しを進めています。>
<人類に関する情報の解凍と展開については、ほぼ完了しました。>
「ホントか? では、居住性の改善について情報が引き出せると?」
<はい。住居に関しましては、使用素材によっては作成不可能なものもありますが、必要最低限の施設は製作可能です。>
<食事に関しましては、料理のレシピを多数確認しました。>
「それは凄い。あの泥水が何とかできる!」
<材料がありません。>
「…………それもそうだ。」
<工業的に製造可能な甘味料、調味料、着色料、香料については、現時点で82種類の製造が可能です。>
「あぁ、うん……。」
そう言われても、どうやって泥水の改善に使えるのかなど、アーサーには分からなかった。
そもそも地球にいた頃から料理など作ったことがない。
全て自動で用意されるものだったし、エヴァもテーブルに並べるだけだったような気がする。
一度、二人でバーベキューという料理に挑戦したことがあった。
その結果、部屋の中が消火剤まみれになった挙げ句、アィーダに二人そろって怒られた。
「調味料があるだけでもましか。また今度試してみよう。」
<衣服については、簡単なものであれば化学繊維、あるいは生体プラスチック系素材を用いて製作可能です。>
<数量とデザインについては、製造設備と素材の制約がありますので、それほど多くの種類は作成できません。>
食事はともかく、服については何とかなりそうで一安心した。
今まで半透明の薄い袋のような素材一枚を身にまとって、長い間やってきたのだ。
はっきり言って、裸とさして変わらない。
腕もむき出しなので、ラックの中で作業をすると、あちこちに切り傷や擦り傷ができて、何度も痛い思いをしてきた。
何よりエヴァも同じ格好なので目のやり場に困る。
しかも油断すると、すぐに脱いで歩き始める。
まずは何かかわいい服を着せてやりたいが……。いやいや、何を考えているのか。
素材の補給をするためには、船の機能をある程度まで回復させておかなければならない。
今はおしゃれに構っている時間はない。
「アーバス、まずは服だ。我々のサイズに合った男女用の下着を何枚かと、シャツとズボンだ」
「あと、女性用のスカートも頼む。1種類……いや、3種類くらい。かわいい奴で頼む」
<了解しました。>
「調味料については、簡単にできるものでいい、数種類、あと使用量の情報も集めておいてくれ」
<了解しました。>
少し間を置いて、アーバスが続ける。
<アーサー、現在設置されているトイレの改善も要求します。形状が美しくありません。>
「…………それは後だ」
思えば子供の頃から教育機関には行かず、研究施設に出入りしてきたのだ。
研究者以外の道は全くと言っていいほど知らない。
人間の味覚が脳のどの部分で感じられているのかを知っているくせに、調味料のことはまるで知らない。
なんともおかしな話だ。
一段落したので、いったん補給にしようとアーバスに準備を頼む。
制御室の中を見回すと、エヴァは光子ケーブルの運搬箱の上に座って、つまらなさそうに足をぶらぶらさせていた。
アーバスが持ってきた栄養食の袋を受け取り、アーサーはエヴァに近寄った。
「補給にしよう。あと少ししたら、船外観測の準備もできるはずだ」
差し出した袋を、エヴァは見つめた。
そして、小さく首を振った。
「いらない」
「どうしたんだ? 君はその前もそんなことを言ってたじゃないか?」
<エヴァ、あなたには血中グルコース濃度の低下がみられます。これ以上の摂取不足は、身体機能に影響する可能性があります。>
「アーバスもこう言ってる。もう少ししたら味の改善も……」
「いらない」
<ちゃんと補給を受けるべきです。>
アーバスがそう言った途端、エヴァはアーバスに近づき、勢いよく頭を叩き始めた。
<……やめてください。私は精密機器で構成されていますので、過度な振動は避けてください。>
「いらない、いらない!」
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
何が気に入らなかったのか、エヴァは叫びながら怒りをアーバスにぶつけているように見える。
アーサーは驚いて止めに入った。
「どうしたんだ、君は……落ち着くんだ」
「アーバスはいらない、いらないっ!」
アーサーの腕を振りほどこうとする。
「エヴァ、どうしたんだ。アーバスが何をした?」
「…………」
「何が嫌なんだ?」
「……いらない」
「何が?」
「……いらないっ!」
エヴァはそれしか答えなかった。ただ、アーバスを睨みつけている。
<アーサー、エヴァの情動反応が急激に上昇しています。>
「俺は君に何か悪いことをしたのか?」
「…………」
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
エヴァは叫んだかと思うとその場で地団駄を踏み始めた。
「アーバスはいらない、いらないっ!」
「アーバスはいらない、いらないっ!」
「アーバスはいらない、いらないっ!」
まるで子供のように……
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
アーサーは初めて見るエヴァの反応にしばらく驚いていたが、なだめようとそっと手を伸ばした。
「いゃあーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
エヴァの目から大粒の涙がポタポタとこぼれた。
「いゃーー あ!」
一瞬エヴァの動きが止まる。
「ぁ……? ……ぁ……? ……これ……なに?」
エヴァは自分の目から流れ出る涙を受け止めようとしていた。
そしてアーサーの顔を見る。
流れる涙に驚いているようだった。
「私、壊れていない……壊れていない!」
「うわーーーーんーーーーーーーーー!」
制御室に、エヴァの泣き声だけが響いた。
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泣き疲れたのか、エヴァはスンスンと鼻を鳴らしながら眠ってしまった。
何か言おうとするアーバスを手で制し、アーサーはエヴァの頭を優しく撫でながら、小さく呟いた。
「もしかしたら……寂しかったのかい?」
そういえば、船の修理はアーバスと二人で長い時間をかけてやってきた。
手持ち無沙汰のエヴァに対して、怪我をしてはいけないとか、座って待っていてくれとか言って、端末を持たせたまま放置気味だったのは事実だ。
「何か、役に立ちたかったのかい?」
アーバスに当たったのは、自分の居場所を取られてしまったと焦っていたのだろうか。
元は一つだった。
それなのに、人として生まれ変わったことで、何もできなくなってしまった。
怒りの矛先が分からず、悲しくて、つらかったのかもしれない。
アーサーは眠っているエヴァの髪を、ゆっくりと撫で続けた。
「……すごいじゃないか、エヴァ」
「感情が出せるなんて……すごいことだよ」
アーサーはそう呟き、優しく頭を撫で続けた。




