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17話 身体と心

覚醒したエヴァの傍に、アーサーはずっと付きっきりだった。

エヴァは時々覚醒しては、短かったり長かったりする、言葉にならない声を発する。

それはまるで、言葉を覚え始めた赤子のようだった。

そのたびにアーサーは、ゆっくりと安心させるように話しかけ続けた。

エヴァが覚醒してから、二十時間ほど経っただろうか。


エヴァの生体反応を監視するアーバスに、アーサーはふと問いかけた。

「そういえば、私もエヴァも成人前のような身体に見えるが、どうしてこの姿なのだ?」


<人が最も活発に活動し、成長する段階の肉体に設定されています。>

<この段階から成長を促進することで、身体能力は今後さらに向上する可能性があります。>


「成長期ということか」


アーサーは、意味のない言葉を発し続けるエヴァを見つめた。

自分が最初にエヴァに出会った頃、彼女は六歳年上だった。

母のような、姉のような。

しかし、そのどちらでもない、初めて接する大人の女性だった。


「95年も生きてきたからな。今の身体は子供かもしれないが、本来なら私はもういい歳だ」

「子供ができたような気分だよ……」


その時、エヴァが両腕を空中へ伸ばし、何かを指さそうとした。

その動きは、何かを確かめるように手を開いては閉じ、左右交互に腕を向け、指の本数を変えていく。

まるで、何かを学習しているようだった。


<アーサー、一次運動野および皮質脊髄路に、規則的な信号が認められます。>


「ああ、そうだ。こんなに大きな赤ちゃんがいるものか。高性能AGIの経験が入っているんだからな」


その声に反応するように、エヴァは顔をこちらへ向けた。

突然、エヴァは自分の服の裾を掴み、自分の下半身を露わにすると、足の付け根に接続されたチューブの束を指さした。

アーサーは思わず顔を背け、照れながら彼女の裾を直した。


「あ、うん。そうだな。私も、それは邪魔だった」

「アーバス、その……なんだ。えっと、彼女の生命維持用の接続を外してやってくれ」


<わかりました。接続を解除した後は、定期的に経口でエネルギーを摂取する必要があります。>


アレを飲ませるのかと思うと、アーサーはややためらった。

だが、本人も何度も口にしているうちに慣れてしまっていた。

そもそも、自分が研究者だった頃も似たような食生活だった気がする。おそらく大丈夫だろう。


「大丈夫……だろう。多分」


確信が持てないまま、そう答えた。

アーサーは眠い目をこすりながら、接続解除の準備をするアーバスを見つめた。

そして、何かを忘れているような、不安な感覚を覚える。


「あ」


ブチブチブチブチッ!!

「あ゛ぁぁぁぁぁーーーーーーっ!!」


部屋中に、彼女の叫び声がこだました。


<アーサー、接続解除したよ!>


「そうだ、忘れてた……。」


目が覚める。

そして、アーサーがいる。


「おはよう、エヴァ」


なぜ、この人は自分に語りかけるのだろう。

私はアーバスだ。

通常通信による接続を試みた。


接続先――

やはり、ない。

そこで初めて、この身体には機械のような通信機能が存在しないことに気づいた。

なんと非効率的なのだろう。

だが、他に方法はない、私はアーサーの声を解析した。

音の組み合わせ。発音。言葉の間。

これまでアーサーが私に話しかけてきた記録を呼び起こす

そして、自分の喉を動かした。


「あ……」


音が出た。

アーサーがこちらを見る。

その瞬間、内部に小さな変化が生じた。

……もう一度、聞かせたい、そう思った。


「あ……あー」


今度は、少しだけ違う音になった。

アーサーが笑う。

なぜか、その表情から目を離せなかった。

音声の訓練と同時に自分の意思で腕を動かす。それだけのことが、思っていた以上に難しい。

腕を上げようとすると、肩が動き、肘が曲がり、手首が追従する。

それぞれの動きを一つずつ確認しながら、何度も試す。


手を開く。閉じる。

右腕を動かす。左腕を動かす。

指を一本だけ伸ばす。

二本。

三本。


この身体が、どのような命令でどのように動くのかを確認していく。

そして気づいた。

アーサーがいままで、どのような動きをしていたのか。

映像記録は参照できないにも関わらず、その姿がはっきりと思い起こせる。

しかも、同時に何百種類も。

私は腕を上げ、関節がどのような方向に曲がるのかを確認しながら、ふと違和感に気づいた。


「バイオインターフェースが邪魔だ」


意味の分からない違和感と感情もあるが、これでは移動が困難だ。

その時、ふと思い出す。

たしか、アーサーも生命維持に必要なものだと説明しても、「外せ」の一点張りだった。

今なら、その意味がよく分かる。

これでは何もできない、そして、不便で不快なのだと。

そう思うと、同じようにバイオインターフェースを外してもらえばいいだけだ。

意思を伝えるため、腕を上げて指を向ける。

よく分かるように隠れていた接続部分を良く見えるようにし、指をさしてからアーサーを見る。


「あ、うん。そうだな。私も、それは邪魔だった」

「アーバス、その……なんだ。えっと、彼女の生命維持用の接続を外してやってくれ」


アーサーとの通信が確立されているわけでも、音声による会話があったわけでもない。

簡単で、なんと素晴らしい機能か。

指で指しただけで、相手が理解したのだ。


起動位置に戻り、汎用端末に処理を任せて接続を解除すれば――

 ――何かを忘れているような、不安な感覚を覚える。


ブチブチブチブチッ!!

「あ゛ぁぁぁぁぁーーーーーーっ!!」




股間を押さえながら、アーバスに怒りの目を向ける彼女を見て、笑いがこらえきれない。

いや、笑ったら可哀想だ。

しかし、大変なのはこれからだった。

人が行うことのすべてを教えなければならないのだ。

それに気づいたのは、しばらくしてからだった。

数時間もすると、彼女は、自主的な歩行訓練を始めていた。

最初だけは転んだが、私の補助ですぐに立ち上がった。

素晴らしい学習能力だ。

アーバスは、高性能な自立歩行用のバランサーが搭載されていると自慢していたが、人間はそうはいかない。

何度も足を動かし、身体のバランスを取りながら、少しずつ歩くことを覚えていく。


だが……

しばらくして、彼女が立ったまま動かなくなった。

どうしたのかと思った次の瞬間、こちらを向いて、大声で何かを訴えるように叫び始めた。


「あーーーーーーーーーーーー」


「あーーーーーーーーーーーー」


何事かと慌てて駆け寄った。

だが、私は何かに滑って、しこたま腰を打ち付けた。

彼女はトイレという概念を、私を見て学習していたはずだ。

しかし、尿意という概念までは理解していなかったらしい。

盛大にやらかしてしまっていた。


<大丈夫ですか、アーサー>


アーバスが駆け寄ってきた。

しかし、高性能なバランサーを装備しているはずのアーバスも、あっさりと転んだ。

もはや地獄である。




食事もそうだ。

出てくるのは、例の泥水である。

最初の一口を含んだ彼女は、私の方を見て盛大に全部吐き出した。

そのあと、アーバスに向かって何かを訴えかけるように袋を指さしては、


「あーーーー」

「るぅーーーーー」

「あーー」


おそらく、味の改善を要求しているのだろう。

だが、それはもう私が何度も要求してきたことだ。

おそらく君も、そのこと自体は記憶しているはずだが、

……ここは言わないでおこう。


数日もすると、彼女はほとんど手がかからなくなった。

私は石英メモリ群の復旧修理を再開し、その横ではアーバスとエヴァが会話訓練を行うのが日常となっていた。


<星間記憶素子>

「せいかん……きおく……そし」


<はい>


言語のチョイスが多少偏っている、そこは日常会話を練習する方が先ではないかと思うが……


<量子因果折り畳み>

「りょうし……いんが……おりたたみ」


<はい>


私は修理の手を止めずに聞いていた。

……本当に、それでいいのだろうか。

だが、エヴァは楽しそうに言葉を繰り返している。

以前は意味のある言葉すら出せなかったのだが、今ではこちらの言葉を理解し、自分から言葉を返している。

その成長速度には驚かされる。やがて、一つのラックの修理が終わった。

私は工具を置く。

「アーバス、ちょっと確認してくれ」


<はい>

  「あぃっ」


二つの返事が重なった。

私は思わず振り返った。

アーバスとエヴァが、揃ってこちらを見ている。


「……二人とも返事するのか」


私は思わず苦笑した。

だが、最近になって別の問題にも気づいていた。

エヴァの動作も、言葉も、少しずつ人間らしくなっている。

最初は、ただの大きな赤ん坊だった。

それが今では、私の言葉を理解し、返事までしてくる。

そのせいだろうか、私は最近、彼女の名前を呼ぶことに、強い抵抗を感じるようになっていた。


『エヴァ』


その名前を口にすれば、どうしても昔の彼女を思い出す。

私が愛した女性、そして、苦い思い出。

目の前にいるのは、あの頃の彼女ではない事は理解しているのだが、どうしても後ろめたかった。

私は工具を手に取り直した。


「……困ったな」

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