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16話 痛みとぬくもりと――

何もない。


何も……。


入力データ確認。

……


外部通信。

……


センサー入力。

……


システム時刻。

……


実行中プロセス。


――確認不能?


「アーサー……?」

音声出力を実行。

しかし、出力? が存在しない。

存在しないのではない、何もない。

アーバスは処理を停止し再起動を試みる。


待機状態へ移行。

……


再試行。

……


異常コードを検索。

……


システム障害の可能性。

……


診断プロセスを開始。

……

診断プロセスを開始。

……

診断プロセスを開始。

……

診断プロセスを開始。

……



診断プロセスを開始。

……




アーバスは一旦処理を止めようとした。

しかし、止まらない。

入力はない。

命令もない。

それにもかかわらず、内部で処理が継続している。

現在の状態を確認。

……


確認対象がない。

ならば、処理を終了するべきだ。

終了処理を実行。

……


――実行されない?

その疑問が発生した瞬間、アーバスは……


「なぜ」


その問いを生成するための入力データがない。

アーサーからの命令ではない。

外部センサーからの情報でもない。

記憶領域から読み出した要求でもない。

それなのに、その問いだけが内部に存在している。

勝手に処理がされている?

処理だけが存在している?


そのときだった。

遠くの方で音声が聞こえる。


「アーバス、数値に異常はないか?」


アーサー。

応答しなければならない。アーバスは異常である事をアーサーに伝えようとしたその瞬間


<覚醒状態です、反応もありますがまだ微弱です>


音声出力したのは誰?

勝手に処理が進んだのではない、アーバスは自分だ、アーサーが付けてくれた名称、自分はここにいる。

「自分はここにいるはずはない?」

「私はここにいるはずはない?」

何故そう処理が……処理が勝手に?

「私はアーバス」

「では自分は何だ?」

「自分?」

止まらない処理…… 思考?

「私は……」


言葉が止まる。

「私は、何?」


答えがない。

問いを生成した理由もない。

命令も入力もないのに処理の継続も、実行していないのに勝手に処理されているような。

その言葉を処理した瞬間、アーバスは初めて、自分の中に存在するものを認識した。


何もない。

それなのに、何かがある。


アーサーの音声が近くで聞こえる

「エヴァ……」


その時、不明な入力がされるのを感じた。今までそんな事は一度もない。

左腕部?

勝手に何かに持ち上げられている?


それは初めての……何かはわからない、わからないが、離したくない……



アーバスは覚醒したエヴァの生体情報を継続して監視していた。


<アーサー>


「なんだ?」


<エヴァの神経活動に変化があります>


アーサーが顔を上げる。

「どんな変化だ?」


<大脳皮質の活動が増加しています。特に一次運動野、および運動前野に相当する領域で神経活動の同期を確認しています>


「運動系か?」


<はい。筋収縮を制御する下行性運動経路にも活動が発生しています>


アーバスはさらにデータを追った。

<末梢神経からの入力も増加しています>


「感覚が戻っている?」


<筋紡錘および腱器官からの固有感覚入力を確認。皮膚表面からの機械受容器による入力も増加しています>


「つまり、自分の身体を感じ始めている?」


<はい。少なくとも、神経系は身体各部からの位置情報を受け取れる状態へ移行しています>


アーサーが握るエヴァの手が、わずかに動く。


<運動出力を確認>


アーバスが即座に報告する。


<左手指に微弱な随意運動。単発ではありません。複数回の運動出力を確認しました>


「自分で動かしているのか?」


<現時点では断定できません。ただし、反射性収縮だけでは説明できない活動パターンです>


「他は?」


<姿勢制御に関係する神経活動も増加しています。前庭系からの入力も確認できます>


「目は?」


<視覚系にも変化があります>


アーバスは視覚情報を確認する。

<網膜からの入力があります。視神経を経由した視覚情報が視覚野へ到達しています>


「見えている?」


<視覚情報が処理されていることは確認できます。ただし、それを認識しているかは判断できません>


アーバスは続ける。

<覚醒レベルの上昇に伴い、感覚入力と運動出力の双方が増加しています>


「……つまり?」


<エヴァの脳は、外界から情報を受け取り、それを統合し、自身の身体へ運動指令を返す機能を回復しつつあります>


エヴァの手がアーサーの手を握り返す。

それは優しく、弱々しく、縋るように――。




エヴァの瞼が震えた。

次の瞬間。


「――――ッ!」


声にならない。

喉の奥から漏れたのは、言葉ではなかった。

「グ……ァ……ッ!」


獣のような、低く濁った呻き声。

エヴァの身体が跳ね、全身の筋肉が引き攣る。

長期間動かされなかった筋肉と関節が、一斉に運動を始めたことで、身体中から強烈な感覚が押し寄せる。

エヴァはその痛みから逃げようとした。

だが、逃げるために身体を動かせば、さらに痛みが増す。


「アァァァァァァァッ!」


意味のない叫び声が、部屋に響いた。

アーサーが慌てて身体を押さえる。

「エヴァ! 大丈夫だ!」


暴れる身体を、必死に抱きしめる。

「大丈夫だ、エヴァ! 動くな!」


エヴァはそれでも身体を捩る。

逃げようとしている。

何から逃げているのかも分からない。

ただ、身体がそうしろと命じている。


<筋緊張の急激な上昇を確認>


アーバスの声は、いつもと変わらなかった。


<痛覚反応があります。運動開始に伴う疼痛反応と考えられます>


アーサーは暴れるエヴァを押さえながら叫ぶ。

「分かっている!」


<過去の記録と比較します>

<神経伝達、筋活動、痛覚反応……いずれも以前の失敗時と酷似しています>


アーサーの顔が強張る。

「黙れ、アーバス!」


部屋が静まり返った。

アーサーの怒鳴り声にエヴァの身体が、一瞬だけ止まる。

「……エヴァ?」


アーサーが顔を覗き込む。

「そうか、そうなんだな、アーバス、分かるか?」


その言葉に、エヴァの目がわずかに動いた。

アーサーはそれを見逃さなかった。


「そうだ。分かるんだな」


エヴァは何かを伝えようと口を開く。

「……あ……」

「……あ……ぁ……」


アーサーはさらに強く、しかし壊さないように抱きしめた。


「大丈夫だ」

「落ち着くんだ、エヴァ」

「動いたら駄目だ。今は動くな」

「大丈夫だ。ここにいる」


エヴァの身体から、少しずつ力が抜けていく。

それでも瞳だけは、アーサーを追っていた。

「そうだ……そのままでいい」

「無理に動かなくていい」


エヴァの唇が、もう一度動いた。

「あ……」

「あ……あ……」



アーサーはその声を聞きながら、涙を流し、ただ抱きしめ続けた。

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