15話 君が見たもの
アーバスが用意した端末に、次々と情報が表示されていく。
アーサーはその一つひとつを検証しながら、エヴァのクロノメモリーに適したパターンを探していた。
幾つもの候補を生成し、シミュレーションにかける。
だが、どれも途中で破綻する。
神経構造の形成が止まり、人格へと成長する前に崩れてしまう。
やはり、うまくいかない可能性の方が大きい。
アーサーは端末の画面を凝視したまま、隣に立つアーバスへ問いかけた。
「お前は今までの航海の経験……いや、記録をどのくらい保持している?」
<全航海記録の89%が失われています。現在、DNAメモリーからの復旧を待機中です>
「復旧は可能なのか?」
<他船とのリンクおよび残存データの復旧が完了すれば、ほぼ完全な復元が可能と判断しています>
アーバスは淡々と続ける。
<しかし先ほど報告したように、現在は容量が不足しています。クリスタメムが復旧しなければ、DNAメモリーは再凍結となります>
アーサーはしばらく考えた。
「……色々あったんだろうな」
<記録上では、多数の事象が発生しています>
アーサーは小さく笑った。
「そういう意味じゃない」
「お前の航海の記録じゃない。お前が経験してきたことだ」
<経験……ですか?>
「そうだ」
アーサーはアーバスの方へ向いて問いかける。
「お前の経験をクロノメモリーにできるだろ」
アーバスが沈黙する。
「エヴァには、お前の記録……いや」
アーサーは一度言葉を止めた。
「お前の人生経験を入れたい」
<疑似人格と私に、それ程の差異は認められませんが?>
アーサーは即答した。
「知ってるよ」
「必要な容量を算出してみてくれ。」
数秒後、端末に数字が表示された。
<1ブロック未満です。0.2ブロック分です>
「……0.2」
アーサーは数字を見つめる。
「それは、お前の経験によって変化した部分だけか?」
<はい。経験による構造変化のみを抽出した場合、0.2ブロックです>
アーサーは目を細めた。
「やはりそうだ。」
「じゃあ、AGIに格納されているクロノメモリーのうち、神経回路が発達する前の初期構造に、お前のクロノメモリーを重ねたらどうなる?」
<シミュレーションします>
しばらくして、結果が表示された。
<構造全体として完成させた場合、3.8ブロックです>
アーサーは画面を見つめた。
「……4ブロックか」
自分が再生された時と、ほぼ同じ容量だった。
そこで、すべてが繋がった。
クロノメモリーの経験そのものが容量なのではなく、経験によって変化した神経構造そのものが記録なのだ。
だから、人生そのものを保存する必要はない、変化した部分だけを残せばいいのだ。
残りは、初期構造が自ら補完する。
「やはり思った通りだ」
アーサーは呟いた。
「クロノメモリーの経験は容量じゃない。形なんだ」
「この船のAGIには、クロノメモリーの初期段階……神経構造が形成される前の形が格納されているはずだ」
<はい>
「なら、私の人生経験によって変化した部分を使う必要はない」
アーサーは画面に表示された構造を指差した。
「この船が今まで覚えてきたものを使う」
<航海記録をクロノメモリーへ変換する、ということでしょうか?>
アーサーは首を振ってアーバスを見る。
「違う、記録じゃない」
「お前が航海してきたことで変化した構造だ、お前の人生だよ。」
アーバスは何かを察したのか、再確認するように聞き直す。
<……経験そのものではなく、経験によって生じた神経構造の変化をシュミレートですか?>
アーサーは頷いた。
「そうだ、航海の記録を転写するんじゃない。お前の人生によって変わった形だけを焼き付ける」
アーバスの声が少し低くなる。
<しかし、それでは今の欠損した記録から構築することになります。それで本当に良いのですか? 成功する保証はありません。>
アーサーは静かに笑った。
「私の時だって、そうだっただろ」
「だが、私には確信がある」
その言葉と同時に、この船のAGIの深層へ接続した瞬間の記憶が蘇った。。
自分でも理解できなかった知識が、まるで最初からそこにあったかのように蘇った。
ADMSの基礎。
AGIの構造。
そして、その原理。
「……そうだ」
アーサーが呟く。
「私は知っていたんだ」
胸の奥で、何かが繋がっていく。
「ADMSの基礎も、AGIの仕組みも……」
そして確信する。
「私が最初に作ったんだ」
アーサーはアーバスへ向き直った。
「アーバス」
<はい>
「お前は、いままで何回補給を行ってここまで来た?」
<現在確認できる記録では、三回です。その他多数の記録は欠損しています>
アーサーは少しだけ笑った。
「人間、そういう時はな、『忘れた』って言うんだよ」
アーバスは答えなかった。
アーサーは端末へ向き直る。
「とりあえず、クロノメモリーを構築してくれ、シミュレーションにかける」
<種類は?>
アーサーは指を立て。
「私の時のデータ」
そして、二本目。
「この船の記憶から抽出したもの」
<了解しました、アーサー>
ものの数秒で、端末上に二つのデータが並んだ。
――STAND-BY。
アーサーは一度だけ深く息を吸った。
まず、自分が覚醒した時のシミュレーションを開始する。
最初は何も起こらない、画面上には、ほとんど変化のない構造が表示されている。
だが、時間を進めるとすぐに変化が始まった。
次の瞬間。神経構造が爆発的に変化していく。
一本だった経路が分岐し、繋がり、複雑な網目を形成していく。
「自律神経・生命維持……」
アーサーは呟いた。
「運動系……」
「感覚系……」
さらに構造が変化する。
「高次脳機能……」
そして、
「感情……本能……」
科学者として見れば、これほど興味深い現象はない。
生命が誕生し、発達し、学習し、成熟していく。
本来なら何十年もかけて観察しなければならない現象を、わずかな時間で目の前に見ることができる。
アーサーは思わず画面に見入っていた。
「……凄いな」
<アーサー?>
アーバスの声で、アーサーは我に返った。
「……なんでもない」
アーサーは次のデータを選択する。
船の記憶、アーバスが航海してきた経験。
そこから抽出された、クロノメモリー。
シミュレーションを開始したが、やはり最初は何も起こらない。
初期段階では、運動系も感覚系もほとんど反応しない。
アーサーは画面を見つめる。
「……そうか」
人間には身体がある、動かせばその結果を感覚として受け取る。
外界から刺激を受け、それに反応し、その経験が神経構造を変化させていく。
だが、アーバスには人間の身体がない。
「船そのものが身体だと言えなくもないが……」
アーサーは首を振った。船と人間では、あまりにも構造が違いすぎる。
「やはり違う、これでは……ダメなのか」
そう思った次の瞬間だった。
画面上の構造が変化した。
「……え?」
一つ。また一つ。
神経回路が伸びていく。
運動系。
感覚系。
自律神経。
高次脳機能。
感情。
本能。
まるで最初からそこへ向かうことが決められていたかのように、構造が変化していく。
アーサーは言葉を失った。
「そんな……」
画面の中で、一つの神経構造が完成していく。
それは――
人間の脳だった。
アーサーは画面へ顔を近づける。
「……これでは」
声が震えた。
画面の中で神経構造が完成していく。
これが魂の本質なのか。これが、人間なのか。
いや――
人格とは、経験によって変化した神経構造そのものなのか。
アーサーは、その問いから目を逸らせなかった。
倫理的に許されることではない、そんなことは、最初から分かっている。
それでも。何故か、美しいと思った。
目を離すことができない。
そう思った瞬間。
頬を――
頬を一筋の涙が伝った。
アーサーはしばらく、そのまま立ち尽くしていたが、我に返り腕で涙を拭う
「……何を泣いているんだ、私は」
自分でもどうして涙が出たのかわからなかった、しかし、迷いはなかった。
アーサーは画面に表示された神経構造を見つめる。
「アーバス、これを使う、船の記憶を戻す必要はない」
アーバスはしばらく沈黙したあと、短く返事をした。
<はい>
アーサーは静かに息を吐く。
「クロノメモリーを、エヴァの初期構造へ適用する。」
端末の表示が切り替わる。
――CHRONO MEMORY : READY
アーサーは眠り続けるエヴァの傍へ歩み寄り優しく頬をなでる
「……エヴァを起こそう」




