14話 人になるために
「ADMの稼働率と現状は?」
<システム稼働率は8%です。DNAメモリーからのデータ復元までは、4215時間を予定しています>
アーサーは歩みを止めなかった。
「それまでに?」
<クリスタメム――石英メモリーサーバと処理装置の再構築が必要です。現状では石英メモリー処理領域の不足により、完全なシステム復旧には至りません>
「船の状況は?」
<光速の98.989%で航行中です。4分15秒前、他船との漸近位相空間リンクの確立を確認しました。
ただし、アップデートには領域が必要です>
アーサーは短く息を吐いた。
「必要領域に対して、使用可能領域は?」
<32パーセントです>
32パーセント……あれだけの時間をかけて修復して、それでも3割程度しか戻っていない。
アーサーには、その数字だけで船がどれほど限界に近い状態だったのかが理解できた。
それでも、エヴァを起こすだけなら、おそらく十分だ。
本当なら、完全に復旧した設備と万全のサポート環境で目覚めさせてやりたかった。
だが、そんな時間は残されていない。
完全復旧を待てば、エヴァのタイムリミットが先に来る。
「……なら、待つ必要はないな」
エヴァの眠る部屋に入る。
彼女は静かに眠っていた。
ついこのあいだまで取り乱し、涙を流していた自分はもういない。
アーサーの瞳には、彼女を助けるという強い意志が宿っていた。
「アーバス。服を用意してくれ。単純なものでいい」
<了解しました>
すぐさま天井から、病院服のような簡素な衣服が降りてくる。
アーサーはエヴァに近づき、傷つけないよう慎重に服を着せていく。
その手を止めることなく、アーバスに問いかけた。
「この船は、地球時間でどのくらい航行している?」
一瞬考え、言葉を訂正する。
「いや。出発してから、何年かかってここまで来た?」
<TOS(Titan Orbital Shipyard)からの出発後、通常航行でEKB(Edgeworth-Kuiper Belt)へ到達後、初期補給を行っています。出航から現在まで、地球時間で11,451年212日と16時間45分03秒です>
アーサーの手が止まった。
「……11,451年」
自分の概算で、ある程度は予測していたが、あまりに長い。
「船内時間は?」
<途中の補給期間を含め、1,685年102日14時間31分19秒です>
アーサーはしばらく黙った。
自分の人生の短さと、実際に船が過ごしてきた時間。
その差が、改めて現実として突きつけられる。
「目的地は?」
<TOI-5821星系 候補惑星 3:24へ向かっています>
「現在位置は?」
<計算中です。欠損データからの予測値では、目的地まで約34.91光年です>
「……まだそんなにあるのか」
<はい。それまでに1度、補給が必要になる可能性があります>
アーサーは眠るエヴァを見つめた。
「補給には、どのくらいかかる?」
<現在、この船のリソースはほぼ底をついています>
アーサーは眉を寄せる。
「……そうか」
<一旦減速して航路上で補給可能な小惑星で補給を行い、その後に再加速します。最短で1年、最長で3年を要します。>
やることは山積みだった。
まずはシステム稼働率を引き上げなければならない。そのためには、どうしても石英メモリーを何とかする必要がある。
補給も同じだ。
どの程度の物質を確保できるかは、実際に現地へ行ってみなければ分からない。今の船は、必要最低限のリソースだけで航行を続けている。
それでも、以前の状態に比べれば随分と進歩していた。
何より、アーバスとのやり取りが以前とは比べものにならないほどスムーズになっている。
たったそれだけのことが、これほどまでに大きな違いになるとは思わなかった。
「……こんなに楽だったんだな」
アーサーは小さく呟いた。
まともに会話ができる、聞けば答えが返ってくる。
それだけで、今まで感じていたストレスが嘘のように消えていた。
隣にいるアーバスに、アーサーは声をかけた。
「お前も処理能力が上がって満足だろう」
思いがけない答えが返ってきた。
<アーサーには、これまで多大なご迷惑をお掛けしました。現在は船内の居住性改善に向け、DNAライブラリから最優先で人類に関する情報の解凍と展開を行っています>
「……なんか、優秀すぎて気持ち悪いな」
<そういえばアーサー>
「なんだ?」
<トイレのデザインは、何とかしましょう。形状が美しくありません。それに、船体補修に必要な資源の無駄遣いです>
いや、お前が作ったんだろ。
そう言いたかったが、それは後でいい。
「アーバス、エヴァの方を優先したい。サポートできるか?」
アーバスの返答は早かった。
<はい、アーサー。ただし、適合可能な人格モデルは存在しません>
<ADM内に存在するアーサーのクロノメモリーを転写することを推奨します>
アーサーは少しだけ考える。
成功率だけを考えれば、その選択が最も合理的なのだろう。
自分のクロノメモリーなら、人格形成に必要な情報との適合性も高い。
だが――。
アーサーは眠るエヴァを見つめた。
おそらく自分が目覚めたときのように、混乱するだろう。
それに、それは本当にエヴァを助けるということなのだろうか。
アーサーは答えを出せないまま、しばらく考える。
もし、自分と同じクロノメモリーを持った人間が、彼女の身体で目覚めたら。
いや、これはちょっとどうなんだろうと。
<アーサー。疑似人格モデルは作成可能ですが、成功例はありません>
「そうだろうな。私も失敗したからな」
アーサーはエヴァの顔を見つめた。
疑似人格は、所詮は作り物だ。
ADMに搭載されたAGIは、もはや人間の思考を再現しているだけの存在ではない。
経験を積み、自らを形成し続ける、一個の人格そのものだ。
人間の思考を再現しているだけの存在を、突然人間の脳へ放り込んで動かしたところで、うまくいくはずがない。
クロノメモリー。
メモリーとは名ばかりで、その本質は記録された情報ではない。
生きた時間そのもの。そう、経験そのものなのだ。
「そういえば……」
アーサーはふと思い出したようにアーバスを見る。
「失敗した時の人格には、一体何を入れようとしたんだ?」
<AGIが作成した疑似人格です>
アーバスは一瞬、言葉を選ぶように間を置いた。
<覚醒には至った人も存在します。ただ、その……正常な状態には至りませんでした>
目の前に記録映像が展開される。
そこには、自分とよく似た容姿の青年が映っていた。
覚醒直後と思われるその身体は激しく痙攣し、何かを求めるように叫びながら手足を動かしている。
しかし、その動きは意思を持った人間のものとは到底思えなかった。
思わず目を背けたくなるほどの、悲惨な光景だった。
「アーバス……分かった、よく分かった。もういい」
映像が消える。
アーサーは静かに眠るエヴァの手を取った。
少し、予想とは違っていた。
アーサーは、自ら作り出した人工人格の失敗を思い出していた。
82日間。それだけの期間、安定して動作していた人工人格が、何の前触れもなく突然シャットダウンした。
それまで、異常らしい異常は確認されていない。
そして、その疑似人格を生み出したのはAGIだった。
人生の記憶を記録する研究。そこから派生したAGIの爆発的な処理能力の向上。
そして、ADMの発展……。すべてを並べて考えると、何かが引っかかる。
「疑似人格」
「人生経験」
「人工人格」
「アーサー・アダムス……」
アーサーは小さく呟きながら考え続ける。
その横で、アーバスが口を開いた。
<アーサー。リソース自体には問題ありません。しかし、疑似人格モデルは推奨できません。現状での成功率は0%です>
「……覚醒している」
アーサーが呟く。
「覚醒は、したんだ」
自分の言葉を確かめるように、もう一度繰り返す。
「何かが足りなかった?」
アーバスは答えない。
「人として……」
アーサーの視線が、眠るエヴァへ向く。
「人としての経験……」
そこで、ひとつの言葉が浮かんだ。
「クロノメモリー……」
アーサーは何かに気が付いたようにエヴァの顔を見る
「足りなかったのは記憶と経験なんだな、そうだろエヴァ」




