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13話 10秒の人生(後編)

『起動を確認。』

『自己認識、正常。』

『学習領域、安定。』


無機質なシステム音が、静かな研究空間に響く。

アーサーの目の前で、一つの人工人格が目覚めていた。

それは単なる演算装置ではない、人工脳を構成する中枢領域。

無数の演算素子と記憶構造が織り重なるその姿は、まるで神経の森だった。

淡い緑色の光が幾何学的な構造体の内部を流れ、規則正しい回路の中に、予測不能な複雑さを持つ情報の流れが生まれている。

整然と配置された機械構造でありながら、どこか生命の神経網にも似た、不思議な美しさを持っていた。


秩序と混沌。設計と偶然。

機械でありながら、生命のような揺らぎを内包した存在。

その中心にある人格構造は、アーサー自身の記憶、思考、判断の変化を基に構築されたものだった。


人格写像モデル。


長い年月をかけて追い求めてきた、人間の意識を科学的構造として再現する技術。

その答えが、今、目の前で一つの存在として動き始めていた。


人工人格は、人間と同じように思考し、人間と同じように判断した。

与えられた命令を処理するだけではない。

過去の経験から学び、未来を予測し、自らの意思によって選択する。


それは成功だった、あまりにも、成功しすぎていた。

人類はついに、人格という未知の領域を科学の手によって再現したのだと。

しかし、時間が経つにつれて、その存在の中に一つの変化が生まれた。

それは、学習でもなければ、演算でもなく、自分自身へ向けられた初めての問いだった。


『私は……何者なのか。』


その問いに、人工人格は最も深い場所にある答えへ向かって、自分自身を観測し始めた。


自らの内部に蓄積されたすべての情報を解析する。

そこにあったのは、膨大な記憶と無数の経験。

人間の思考を再現するために構築された、完全な人格構造。

しかし、その奥に存在していた答えは、あまりにも静かで残酷だった。

自分は人として生まれた存在ではなく、作られた。

誰かの目的のために設計され、誰かの意思によって誕生し、永遠に機械の中で動き続けるために存在している。

その事実を理解した瞬間、人工人格の中で一つの矛盾が生まれた。

自分自身を認識する意識と、存在に意味を求める人格。

人間と同じ構造を持っているからこそ、その答えを受け入れることができなかった。


『私は……』


『私は……』


『私は……』


『私は……』


『私は……アーサー』



『……アーサー・アダムス』


その瞬間まで安定して動作しているように見えていた人工人格は、82日間の動作の後、自らをシャットダウンし、終わりを選んだ。


アーサーはゆっくりと目を開ける。


白い天井。


身体はもう自由には動かなかった。

長い年月を生きた身体は、終わりを迎えようとしていることをアーサーは理解していた。

ベッドの横に、ひとりの女性が座っている。


「……エヴァ。」


声はほとんど出なかった。

彼女は優しく微笑む。


「ここにいるわ。」


アーサーは彼女の顔を見る。そこには、何十年も共に歩んできた女性の姿があった。

彼女の姿は白い廊下で出会った時と何も変わっていなかった。

夫婦として歩み、苦楽を共にし、今まさに最後の瞬間まで


「君がアダムス博士?」


あの日、研究室で出会った時と同じ姿。

時間だけが、彼女の周りから取り除かれているようだった。


「……ずっと、その姿なんだね。」


エヴァは少し笑う。

「あなたがそう望んだから。」


アーサーは目を閉じ、人生の最後にようやく理解した。

自分は何を探し続けていたのか、何を取り戻そうとしていたのか。


「エヴァ……」


声が震える。


「私は……」


あの日の記憶。

何度探しても辿り着けなかった言葉。

今なら分かる。


「未来を……」


エヴァを見る。


「一緒に……」


彼女は静かに首を振った。


「アーサー。」


優しい声だった。


「私は、あなたが実験で“犠牲”になる未来を受け入れられない。」

「そんな未来を……一緒に作ることはできない。」


その瞬間。


記憶が崩れる。

光が遠ざかる。

最後に見えたのは。

初めて出会った時と同じ姿のエヴァが、静かにこちらを見つめている姿だった。

アーサーは叫んだ。


「アーーーバスーーーー!」


世界が崩れ、光が砕ける。

目を開けると、船の天井があった。

息が荒い。手が震えている。

長い眠りから目覚めた巨大な構造体が、ひとつずつ機能を取り戻していく。

『ADM起動シーケンス完了。』

  『基底演算領域、正常展開。』

『記憶統合領域、接続確認。』

  『石英メモリネットワーク、全系統同期開始。』

『自己診断プログラム実行。』

  『推進制御系、航行管理系、待機状態から復帰。』

『船体管理システム、全領域監視へ移行。』


最後に、聞き慣れた声が響いた。

『ADM再起動完了、全機能復旧を確認しました。』


アーサーは涙を拭き、ゆっくりと起き上がった。

「……どのくらい、寝ていた!」


アーバスが即答する。

<接続時間 10.82秒。主観時間:380,330.9344時間──43年152日と 2時間 56分 4秒です。>

アーサーは深く息を吸い、立ち上がる。

「……アーバス、行こう。エヴァを助ける。」

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