12話 10秒の人生(中編)
「……また来たのか。」
声が響く。
目の前に、もう一人のアーサーが立っていた。
姿も、声も、何もかも違う知らない子供だった。それなのに自分だと自覚できる。
アーサーは驚かなかった。
もう何度も、この場所で自分自身と向き合ってきたからだ。
もう一人のアーサーが問いかける。
「何をしている。」
迷いなく答える。
「人類のためだ。」
「記憶という未知の領域を解明するためだ。」
「本当に?」
「当然だ。」
「違う。」
静かな否定に、アーサーは眉をひそめる。
「何が違う。」
「お前は人類のためにやっているんじゃない。」
「自分のためだ。」
「違う。」
反射的に否定する。
「私は人類の未来のために――」
「なら、なぜそこまで執着する。」
言葉が止まる。
「なぜ、失ったものを取り戻そうとする。」
「……」
「お前は、失ったものをまだ失っていないことにしたいだけだ。」
アーサーは目を伏せる。
「そんなことはない。」
「なら聞こう。」
もう一人のアーサーは静かに問いかけた。
「彼女は、本当に喜んでいるのか?」
「……何?」
「本当に、この実験を望んでいるのか?」
アーサーはすぐに答えた。
「当然だ。」
「エヴァは献身的だ。」
「この研究にも積極的に協力してくれている。」
「私を支えてくれている。」
「この前だって――」
そこで言葉が止まった。
「……この前?」
何かがある。
確かに残っている。
それなのに、そこへ辿り着けない。
「彼女に何を言われた?」
もう一人のアーサーが問いかける。
「……」
「エヴァは、お前に何と言った?」
頭の奥に痛みが走る。
あの日の空気。
なのに、触れようとした瞬間、それだけが霧のように消えていく。
「エヴァは……」
声が震える。
「エヴァは……」
もう一人のアーサーが見つめる。
「思い出せ。」
アーサーは必死に手を伸ばす。
そして、ようやく言葉が出た。
「エヴァは……私と……未来を、一緒に作る事が――」
その瞬間、世界に亀裂が走った。
音もなく、暗闇が崩れていく。
違う。
これは記憶ではない。
これは――
次の瞬間。
光。
アーサーは、見慣れた天井を見上げていた。
「おはよう、アーサー。調子はどう?」
いつもと変わらない、エヴァの優しい声に起こされる。
「ああ……最悪だよ。」
重いまぶたを開き、ゆっくりと身体を起こす。
「何年も眠っていたような気分だ。……何度やっても、これだけは慣れない。」
首を回しながら壁の時計へ目を向ける。
実験開始から4時間。
予定どおりだ。
ベッドを降り、机に置かれた薄いガラス片のような情報端末を手に取った。
「記録は同期している?」
「うん。」
エヴァは端末を確認しながら答える。
「主観時間で言うと45,870時間ね。正常に固定されているわ。前回との差異もほとんどない。」
端末には今回の実験結果が映し出される。
誤差はまだ残るものの、回を重ねるごとに主観時間の再現性は安定してきていた。
「あとは……生命指標が基準値を下回っているわね。」
エヴァは少し眉を寄せる。
「あとで検査しましょ。」
「エヴァ、実験のたびに検査入院になっちゃうよ。勘弁してよ。」
「だーめっ、あなたはいつも自分のことを後回しにするから。」
アーサーは苦笑する。
「分かったよ。」
「約束ね。」
アーサーは首を傾ける。
「エヴァ喉が渇いた、何かくれない?」
「いつものやつ?」
「ああ、頼むよ。」
エヴァは笑って立ち上がる。
その間、アーサーは手元の情報端末へ視線を落とした。
そこには、恒星間探査機から送られてきた最新の観測記録が表示されていた。
『TRAPPIST-1星系において、条件付きで居住可能性を持つ惑星を確認』
人類ネットワークは、その発見に沸いていた。
アーサーは関連情報を読み進める。
そこには、長期間航行を続ける探査船の情報も表示されていた。
「あれに積まれているのは、AGI戦争以前に建造された旧世代の自律型AIだ。」
「長期間航行で、船はおそらくボロボロになっている頃だろう。」
「今も次々と新造船が打ち上げられているらしいが……」
独り言のようにつぶやく。
「そのうち何隻が、生き残って……」
なぜか、その船の情報から目を離せなかった。
新造船の紹介ページ。
そこには、新型ADMシステム搭載船と記載されている。
ADMシステム (Advanced Distributed Memory System)
旧世代の処理装置を刷新し、処理能力と記憶領域を統合。
大量の石英メモリを統括する、新世代の人工頭脳。
その処理能力は従来型AGIを遥かに凌駕する。
「どうしたの?」
エヴァが飲み物を持って戻ってくる。
「アーサー、次の95年分人格包括記録実験の準備があるんだけど。」
その言葉に、アーサーは再び画面を見る。
「僕は……この船を知っている。」
なぜか分からない。
初めて見るはずなのに。
胸の奥に、説明できない既視感があった。
「これ?」
エヴァが画面を見る。
「今までのAGIとは全く違う仕組みね。」
「有機材料だとどうしても劣化するから、すべてを無機物質のみで構成した人工脳型AGI。」
「そういう設計思想なのね。」
「ああ……」
アーサーは画面を見つめる。
「このAGIの機関部は……美しくて、とても芸術的な……」
言葉が止まる。
何故だ。
なぜ、自分は知っている?
見たことなどないはずなのに。
何か大切な事を……
しかし、それはまた霧の向こうへ消えていく。
「アーサー?」
エヴァの声で我に返る。
「……いや。」
アーサーは首を振る。
「何でもない。」
エヴァは微笑む。
「じゃあ、明日の実験の打ち合わせをしましょう。」
その言葉に、アーサーは静かに頷き実験室の電気を消した。
暗闇にアーバスの端末の光だけがかすかに光っていた。
その暗闇の中で巨大なスクリーンに、一つの名前が表示された。
【Arthur Adams】
その瞬間、会場を埋め尽くしていた人々から大きな拍手が起こった。
長い年月、理解されることのなかった研究と危険性を指摘され何度も中断を求められた実験の数々、
それでも彼は歩みを止めることなく研究を続け、そして今、人類の意識研究における一つの到達点として、その成果が認められようとしていた。
「それではご登壇いただきます。」
司会者の声が響く。
「脳科学者、神経情報工学分野における第一人者。」
「人格写像モデル――SPMの提唱者。」
「アーサー・アダムス博士。」
会場からさらに大きな拍手が響く。
アーサーはゆっくりと立ち上がり、壇上へ向かった。
かつては異端と呼ばれ、危険な研究として批判の対象となったその成果は、人間という存在そのものを理解するための新たな基盤技術として、人類の意識研究における重要な一歩として認められていた。
アーサーはゆっくりとマイクの前に立つ。
会場の静寂の中で、わずかな間を置き、静かに話し始めた。
「人類は長い間、一つの問いを追い続けてきました。」
「人間とは何か。」
スクリーンに脳神経ネットワークの映像が表示される。
「我々は記憶によって過去を認識します。感情によって現在の状況を判断し、そして経験によって未来の選択を変化させます。しかし、それらを単独の情報として分解し、個別の要素として解析するだけでは、人間という存在そのものを説明することはできません。」
「なぜなら、人間の人格とは、単純な記憶データの集合ではないからです。過去に経験した出来事、その時に抱いた感情、そこから導き出された判断、そして時間の経過によって変化した価値観。それらすべてが複雑に結びつき、常に変化し続ける情報構造として、現在の自己を形成しています。」
映像が変化し、膨大な神経活動データと時間軸に沿って変化する情報パターンが表示される。
「人格とは、固定されたデータではありません。単純に保存や複製が可能な記録情報でもありません。それは、生涯にわたって積み重ねられる経験、そこから生じる感情、判断、価値観の変化によって形成され続ける動的な情報構造です。」
「今回発表する人格写像モデル【Subjective Pattern Mapping――SPM】この技術は、人間の主観意識を構成する時空間記憶パターンを高次元情報空間上の構造として解析し、その変化の過程を一つの写像モデルとして抽出するものです。」
「重要なのは、単に記憶を保存することではありません。ある経験が、その後の人格形成にどのような影響を与え、どのように現在の自己へと統合されていくのか。その過程そのものを解析対象とすることです。」
会場のスクリーンに複雑な数式モデルが表示される。
「脳内では、記憶、感情、判断、そして自己認識は、それぞれ独立した情報として存在しているわけではありません。」
「それらは常に相互作用し、過去の経験を現在の自己へ変換し続ける、一つの動的な情報流束として存在しています。」
「例えば、同じ出来事を経験したとしても、人は時間の経過によって異なる判断をします。それは記憶が単純に保存されているのではなく、新たな経験によって再解釈され、現在の人格構造へ組み込まれていくためです。」
「我々は、この絶えず変化する情報流束を解析しました。」
「過去から現在へ連続する自己認識の変化。」
「経験によって形成される人格の変遷。」
「そして、その過程で生じる神経情報構造の変化。」
「それらすべてを、一つの時間発展型の動的構造として記述することに成功しました。」
アーサーは、静まり返った会場を見渡す。
「しかし、誤解してはいけません。これは、人間の魂を作り出す技術ではありません。我々が目指したのは、魂という言葉で表現され、長い間、哲学や思想の領域に置かれてきたものを、初めて科学的に観測可能な情報構造として理解することです。」
「私が、いや、人類がこの研究を通じて発見したもの。それは、人間とは単なる情報の集合ではないということです。記録された記憶、蓄積された経験、形成された人格。それらを並べただけでは、人間という存在を再現することはできません。」
「人間とは、時間の中で形成され続ける存在です。過去の経験が現在の判断を変え、現在の選択が未来の人格を形作る。その絶え間ない変化の連続こそが、一人の人間を成立させているのです。」
「人は、過去の記録だけでは成立しません。何を経験し、何を感じ、どのような選択を積み重ねてきたのか。その過程そのものが、人間という存在を形作っているのです。」
アーサーは微笑む。
「これが、人格写像モデルです。」
大きな拍手が会場を包んだ。
アーサーは一礼し、ゆっくりと顔を上げる。
その時、客席の一角から声が飛んだ。
「博士、相変わらず難しいよ。みんなに判るように簡単にして最初からもう一度頼むよ」
会場に笑いが起こる。
アーサーは声の方向を見る。
そこには、長年研究を共にしてきた仲間たちがいた。
「……まあ、確かに少し難しい話になってしまったかもしれません。」
「ですので、ここからはもっと簡単な話をしましょう。」
アーサーは一度、客席へ視線を向ける。
「私がこの研究をここまで続けてこられた理由についてです。」
会場が静かになる。
アーサーは壇上の横へ視線を向けた。
「私の研究人生において、最も大きな支えとなってくれた人物を紹介します。」
「エヴァ。こっちへ」
名前を呼ばれ、エヴァがゆっくりと立ち上がると会場から拍手が起こる。
「彼女は、私の研究の最も近くで支えてくれた人です。」
「数え切れないほどの実験を共にし、何度も失敗を乗り越え、そして今日、この場所まで歩いてくることができたのも、彼女がいてくれたからです。」
エヴァは少し困ったように笑う。
「そんな大げさなことじゃないわ。」
会場から声が飛ぶ。
「また始まったぞ、博士の奥さん自慢、研究発表より、こっちの方が長くなるんじゃないか?」
大きな笑いが起こる。アーサーも笑った。
「……否定できないところが困るね。」
会場が温かい空気に包まれる。
アーサーとエヴァ、二人の姿は、長い年月を共に歩んできた研究者夫婦そのものだった。




