↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灯し火の番人  作者: 天月 和宙 -sora-


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/28

【第4話 】強がり仮面の輪郭


 遠(とお)くに、いくつかの灯(とも)し火(び)が見(み)えた。


 それは静止(せいし)し、いっさいの揺(ゆ)らぎを持(も)たなかった。


 けれど、その光(ひかり)からは、命(いのち)の証(あかし)であるはずの熱(ねつ)が、微塵(みじん)も伝(つた)わってこない。


 私(わたし)は、背筋(せすじ)を伸(の)ばして立(た)っていた。


 崩(くず)れてはいけない。


 弱音(よわね)を吐(は)いてはいけない。


 誰(だれ)も助(たす)けてくれないのだから、私(わたし)だけは完璧(かんぺき)な「私(わたし)」を演(えん)じ続(つづ)けなければならない。


 今日(きょう)も私(わたし)は完璧(かんぺき)だった。


 挨拶(あいさつ)は明快(めいかい)に、仕事(しごと)は迅速(じんそく)に。


 心(こころ)の奥(おく)で悲鳴(ひめい)を上(あ)げている「内側(うちがわ)の私(わたし)」に、厚(あつ)い鉄板(てっぱん)を被(かぶ)せ、その上(うえ)に綺麗(きれい)な塗装(とそう)を施(ほどこ)した。


 そうしていれば、大丈夫(だいじょうぶ)。


 誰(だれ)も私(わたし)を傷(きず)つけられないし、私(わたし)も誰(だれ)かを困(こま)らせなくて済(す)む。


 けれど、鏡(かがみ)に映(うつ)る自分(じぶん)が、自分(じぶん)ではない誰(だれ)かに見(み)えたとき、私(わたし)はこの淵(ふち)に立(た)っていた。


 そこは、冷(つめ)たい鏡(かがみ)の中(なか)のような世界(せかい)。


 風(かぜ)もなく、音(おと)もなく、ただ無機質(むきしつ)な群青(ぐんじょう)の空間(くうかん)が広(ひろ)がっていた。


「……何(なに)も感(かん)じない」


 自分(じぶん)の指先(ゆびさき)を噛(か)んでみるが、感覚(かんかく)が遠(とお)い。


 寒(さむ)さも、悲(かな)しみも、喜(よろこ)びさえも、分厚(ぶあつ)い防護服(ぼうごふく)の向(む)こう側(がわ)の出来事(できごと)のようだ。


「ずいぶんと立派(りっぱ)な外殻(がいかく)を身(み)に纏(まと)いましたね」


 氷(こおり)の表面(ひょうめん)を滑(すべ)るような、静(しず)かな声(こえ)がした。


 銀色(ぎんいろ)の髪(かみ)を持(も)つ「彼(かれ)」が、私(わたし)の数歩(すうほ)手前(てまえ)で立(た)ち止(ど)まっていた。


「きみの『大丈夫(だいじょうぶ)』は、世界(せかい)に向(む)けた宣言(せんげん)であって、きみ自身(じしん)の姿(すがた)ではありませんね。内側(うちがわ)にある『本当(ほんとう)の姿(すがた)』は、その冷(つめ)たい光(ひかり)の影(かげ)で、凍(こご)えて震(ふる)えていますよ」


 彼(かれ)は静(しず)かに歩(あゆ)みを進(すす)め、拒絶(きょぜつ)の色(いろ)を隠(かく)せない私(わたし)の正面(しょうめん)に立(た)った。


 そして、背中(せなか)に畳(たた)まれていた白(しろ)く巨大(きょだい)な翼(つばさ)を、音(おと)もなく解(ほど)いた。


「少(すこ)しだけ、肩(かた)の力(ちから)を抜(ぬ)いてくださいね」


 彼(かれ)が翼(つばさ)を大(おお)きく広(ひろ)げると、周囲(しゅうい)の停滞(ていたい)していた空気(くうき)が一変(いっぺん)した。


 白(しろ)い翼(つばさ)の一枚(いちまい)一枚(いちまい)から、淡(あわ)い黄金色(こがねいろ)の光(ひかり)の粉(こな)雪(ゆき)が私(わたし)を包(つつ)み込(こ)んだ。


 彼(かれ)は優(やさ)しく微笑(ほほえ)むと、その片(かた)方(ほう)の翼(つばさ)を私(わたし)の背中(せなか)へ回(まわ)し、繭(まゆ)のように包(つつ)み込(こ)む。


「あ……」


 翼(つばさ)の感触(かんしょく)は、想像(そうぞう)を絶(ぜっ)するほど柔(やわ)らかい。


 赤子(あかご)の頬(ほお)に触(ふ)れるような、あるいは陽(ひ)だまりに溶(と)ける雲(くも)に抱(だ)かれているような。


 何(なに)よりも驚(おどろ)いたのは、その圧倒(あっとう)的な熱(ねつ)だった。


 凍(い)てついていた私(わたし)の表面(ひょうめん)は、彼(かれ)の翼(つばさ)が触(ふ)れた瞬間(しゅんかん)、音(おと)を立(た)てて融解(ゆうかい)していく。


「苦(くる)しかったですね。誰(だれ)にも弱(よわ)さを見(み)せず、独(ひと)りで凛(りん)と立(た)ち続(つづ)けようとするのは、どれほど過酷(かこく)なことだったでしょうか」


 彼(かれ)は囁(ささや)きながら、翼(つばさ)の内側(うちがわ)で私(わたし)を抱(だ)きしめた。


 白(しろ)いダウンのように豊潤(ほうじゅん)な翼(つばさ)の束(たば)が、私(わたし)の強(こわ)ばった筋肉(きんにく)を一(いっ)層(そう)ずつ解(ほぐ)していく。


 首筋(くびすじ)に触(ふ)れる羽毛(うもう)の一筋(ひとすじ)までもが、意思(いし)を持(も)った温(ぬく)もりとして浸透(しんとう)し、心(こころ)の中(なか)に溜(た)まった冷(つめ)たい鉛(なまり)を溶(と)かしていった。


「……っ、あぁ……」

 

 堪(こら)えていたものが、決壊(けっかい)した。


 彼(かれ)の腕(うで)の中(なか)で、私(わたし)は自分(じぶん)が思(おも)っていたよりもずっと小(ちい)さく、震(ふる)えている存在(そんざい)であることを知(し)った。


 鎧(よろい)のように固(かた)めていた「強(つよ)がり」が、翼(つばさ)の温(あたた)かさに当(あ)てられて、脆(もろ)くも崩(くず)れ落(お)ちていく。


「いいんですよ。この翼(つばさ)の中(なか)では、完璧(かんぺき)である必要(ひつよう)はありません。きみの弱(よわ)さも、震(ふる)えも、すべてこの翼(つばさ)が吸(す)い取(と)ってしまいますから」


 彼(かれ)は私(わたし)の後頭部(こうとうぶ)を優(やさ)しく包(つつ)み、自分(じぶん)の胸元(むねもと)へと引(ひ)き寄(よ)せた。


 翼(つばさ)から溢(あふ)れ出(だ)す光(ひかり)が、私(わたし)の視界(しかい)を白(しろ)く塗(ぬ)り潰(つぶ)していく。


 それは意識(いしき)を奪(うば)う白(しろ)ではなく、すべてを許容(きょよう)し、書(か)き直(なお)してくれる慈悲(じひ)の色(いろ)だった。


 私(わたし)の嗚咽(おえつ)が止(と)まらなくなる。


 彼(かれ)の清潔(せいけつ)な香(かお)りと、翼(つばさ)が擦(す)れ合(あ)う微(かす)かな囁(ささや)き。


 その至福(しふく)のような癒(い)やしの時間(じかん)を経(へ)て、私(わたし)の前(まえ)にあった青(あお)白(じろ)く冷(つめ)たかった灯(とも)し火(び)が、ようやく人間(にんげん)の吐息(といき)を受(う)けたかのように、柔(やわ)らかく、暖(あたた)かな琥珀(こはく)色(いろ)へと変化(へんか)し、小(ちい)さく揺(ゆ)れ始(はじ)めた。


「……ありがとう」


 頬(ほお)を赤(あか)らめ、涙(なみだ)に濡(ぬ)れながらも、自分(じぶん)の体温(たいおん)を取(と)り戻(もど)し、掠(かす)れた声(こえ)で呟(つぶや)いた。


 すると彼(かれ)は再(ふたた)び翼(つばさ)を大(おお)きく羽(は)ばたかせ淡(あわ)い黄金色(こがねいろ)の光(ひかり)の粒(つぶ)を振(ふ)りまいた




 ……。




 朝(あさ)のアラームが鳴(な)る。



 私(わたし)は一度(いちど)だけ深呼吸(しんこきゅう)をし、鏡(かがみ)の前(まえ)に立(た)った。


 仕事(しごと)に行(い)くための化粧(けしょう)をし、乱(みだ)れのない服(ふく)を着(き)る。


 外側(そとがわ)は、昨日(きのう)までと同(おな)じ「しっかりした私(わたし)」だ。


 けれど、今日(きょう)の私(わたし)は、自分(じぶん)の内側(うちがわ)が震(ふる)えているのを隠(かく)さない。


 自分(じぶん)の瞳(ひとみ)を見(み)つめる。


 そこには、独(ひと)りで戦(たたか)うための鋭(するど)い光(ひかり)ではなく、自分(じぶん)を愛(いと)おしむような、穏(おだやか)な琥珀(こはく)色(いろ)の輝(かがや)きが宿(やど)っていた。


 背中(せなか)を支(ささ)えてくれた、あの白(しろ)い翼(つばさ)の温(ぬく)もりを、微(かす)かに肌(あか)に感(かん)じた。


「行(い)ってきます」


 自分(じぶん)でも驚(おどろ)くほど柔(やわ)らかな声(こえ)が部屋(へや)に溶(と)けていった。




第(だい) 4話(わ)(完(かん))



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。