【第3話 】共鳴、放課後の星図
遠くに、いくつかの灯し火が見えた。
それは、これまでのどの夜よりも数が多く、それでいて不思議な静寂を保っていた。
一つ一つが独立した光でありながら、全体としてゆるやかな星座を描いている。
そこは、深海の底に星空が映り込んだような、透き通った闇の広がる世界だった。
私は、駅のベンチに座るような心持ちで、その光景を眺めていた。
今日、私は放課後の昇降口で、たまたま目が合ったクラスメイトに自分から「さよなら」と口にした。
それは返事を期待したものではなく、ただ、私もここに存在しているという微かな狼煙のようなものだった。
相手は驚いたような顔をして、けれど小さく「さよなら」と返してくれた。
「……独りじゃないって、こういうことかな」
自分の指先を見つめる。
触れ合うことはなくても、声を掛けた瞬間に通じ合う見えない振動。
孤独が消えたわけではない。
けれど、その孤独を抱えたまま、誰かの孤独と並走できることを知ったのだ。
「いい眼差しになりましたね」
背後から、聞き慣れた透明な声がした。
振返ると、銀色の髪を夜風に揺らした青年が、淡く光る星の欠片に、まるで腰を掛けるようにして座っていた
彼の背中にある白い翼は、今日は銀河を纏ったように煌びやかに輝いている。
「『僕さん』……。また会いにきてくれたのね」
「きみが自分の内側を見つめ、そして外側へと眼差しを向け始めたことでこの場所をこんなにも澄んだものに変えたんですよ」
彼は軽やかに飛び降りると、私の横に立った。
今日の彼は、どこか誇らしげに見えた。
「見てごらんなさい。あの灯し火たちの距離を」
言われて、点在する光を見つめる。
一見すると離れて散らばっているけれど、光の縁が微かに重なり合い、闇の中に道を作っている。
「きみが誰かに掛けた一言、きみが自分のために淹れた紅茶。そんな些細な出来事が、きみの火を強くし、隣の誰かの足元を照らす光に変わったのです。繋がらなくても、影響し合う。これが孤独たちの正解のひとつです」
「私の光も、誰かを照らしてたのかな。あんなに透明になりたいって、消えたいって思ってたのに」
「消えたいと願うほどの純粋さは、裏返せば何よりも鋭い輝きになります。きみが痛みを抱えたまま教室に立っていた、その後ろ姿に救われていた誰かが、必ずいたはずですよ」
彼は、包み込むような翼の代わりに、形ある手を伸ばした。
私の制服の肩をポン、と叩く。
その一瞬、閉じられた翼の隙間から、柔らかな光の粒子が一房だけ零れ、私の体温と溶け合った。
翼を広げて守るのではなく、同じ地平に立つ一りの友として、その重みは何よりも私の心を打った。
その一瞬の重みが、どんな慰めよりも現実的な勇気をくれた。
「さあ、夜が明けます。きみはもう、透明な存在ではありません。自分だけの光を持ち、他者と響き合う、一つの星になったのです」
彼の姿が、白い夜明けの光に溶け始めていく。
「……待って。また、寂しくなったら会える?」
「きみが自分のために火を灯す限り、僕はいつもきみの傍にいます。おやすみなさい、誇り高孤独な星よ」
……。
枕元で鳴り始めた電子音が、重いまどろみを鮮やかに切り裂いた。
私はゆっくりと目を開ける。
「……誇り高孤独な、星」
唇から零れた言葉は、冬の朝の空気に溶けて、白く輝いたような気がした。
朝の光が、教室の窓ガラスに反射して眩しく揺れている。
HRが始まる前の、騒がしい空気。
私は自分の席に座り、鞄から教科書を取り出した。
隣の席の子が、消しゴムを落とす音がした。
私は、黙ってそれを拾い、そっと机の上に置いた。
「あ、ありがと」
その短いやり取りの中に、昨日見たあの灯し火のかすかに重なりあう揺らぎを見つけた。
私は、微笑みを作る代わりに、一つ頷いた。
それだけで、胸の中が春の日差しのように温かくなる。
独りだけれど、共鳴している。
離れているけれど、確かに繋がっている。
窓の外には、どこまでも続く青い空。
私は深く息を吸い、目の前の一日という真っ白なキャンバスに、最初の一筆を置くように、ペンを握り締めた。
第 3話(完)




