↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灯し火の番人  作者: 天月 和宙 -sora-


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/28

【第2話】不動の火が嵐を呑み干す


 遠(とお)くに、いくつかの灯(とも)し火(び)が見(み)えた。


 どれも揺(ゆ)れることなく、一定(いってい)のままそこに在(あ)った。


 冷(つめ)たい闇(やみ)の中(なか)、私(わたし)は荒(あら)い呼吸(こきゅう)を繰(く)り返(かえ)していた。


 肺(はい)が焼(や)けるように熱(あつ)い。


 心臓(しんぞう)の鼓動(こどう)が耳(みみ)の奥(おく)で早鐘(はやがね)を打(う)ち、視界(しかい)が怒(いか)りと絶望(ぜつぼう)で赤(あか)く染(そ)まっていた。


「ふざけるな……、ふざけるなよ!」


 私(わたし)は虚空(こくう)に向かって叫(さけ)んだ。


 何(なに)もかもが理不尽(りふじん)だった。


 懸命(けんめい)に積(つ)み上(あ)げてきた信頼(しんらい)も、夜(よる)を徹(て)っして仕上(しあ)げた仕事(しごと)も、誰(だれ)かの一言(ひとこと)で無(む)に帰(き)した。


 私(わたし)を嘲笑(ちょうしょう)した者(もの)たちの顔(かお)が、瞼(まぶた)の裏(うら)に焼(や)き付(つ)いて離(はな)れない。


 なぜ、私(わたし)だけが。


 まっとうに生(い)きようとする者(もの)が、これほどまでに踏(ふ)みにじられなければならないのか。


 私(わたし)は足元(あしもと)の靄(もや)を力任(ちからまか)せに蹴(け)った。


 しかし、この静寂(せいじゃく)に満(み)ちた場所(ばしょ)は、私(わたし)の怒(いか)りを全(すべ)て吸(す)い込(こ)み、何(なに)ひとつ響(ひび)かない。


 揺(ゆ)らぎのない、まっすぐな光(ひかり)。


 遠(とお)くに点在(てんざい)する灯(とも)し火(び)は、私(わたし)の荒(あ)れ狂(くる)う心(こころ)を嘲笑(あざわら)うかのように、微動(びどう)だにせずそこに存在(そんざい)していた。


 その静(しず)けさが、余計(よけい)に私(わたし)の神経(しんけい)を逆(さか)なでした。


「おい! 誰(だれ)かいるんだろ! 出(で)てこいよ!」


 叫(さけ)び声(ごえ)が霧(きり)に溶(と)けていく。


 その時(とき)、視界(しかい)の端(はし)に動(うご)くものがあった。


「内側(うちがわ)の嵐(あらし)に、自分(じぶん)自身(じしん)を奪(うば)われてはいけませんよ」


 耳元(みみもと)で囁(ささや)くような、けれど深(ふか)い湖(みずうみ)の底(そこ)まで届(とど)くような声(こえ)だった。


 私(わたし)は弾(はじ)かれたように振(ふ)り返(かえ)った。


 そこには、銀色(ぎんいろ)の髪(かみ)を静(しず)かに靡(なび)かせた、人(ひと)ならざる気配(けはい)を纏(まと)う青年(せいねん)が立(た)っていた。


 彼(かれ)の瞳(ひとみ)は、燃(も)え盛(さか)る私(わたし)の怒(いか)りを静(しず)かに映(うつ)し出(だ)している。



「僕(ぼく)からみたきみが、あまりに熱(あつ)い火(ひ)を抱(かか)えて震(ふる)えていたので、会(あ)いに来(き)ました」


「……放(ほう)っておいてくれ。今(いま)の私(わたし)は、自分(じぶん)でも制御(せいぎょ)できないんだ。この怒(いか)りで、きみを傷(きず)つけてしまうかもしれない」


 私(わたし)は拳(こぶし)を固(かた)く握(にぎ)り締(し)めた。

 爪(つめ)が掌(てのひら)に食(く)い込(こ)み、鈍(にぶ)い痛(いた)みが走(はし)る。


 けれど、その痛(いた)みさえも、胸(むね)の中(なか)の炎(ほのお)を消(け)すには足(た)りなかった。


「いいですよ、傷(きず)つけても。けれど、きみが本当(ほんとう)に傷(きず)つけたいのは、僕(ぼく)でも、自分(じぶん)でもないはずです」


 彼(かれ)は、私(わたし)の荒(あら)い呼吸(こきゅう)に合(あ)わせるように、ゆっくりと歩(あゆ)み寄(よ)ってきた。


 その足音(あしおと)は、騒(ざわ)つく私(わたし)の意識(いしき)を凪(なぎ)がせていく。


「あの火(ひ)を見(み)てください。あれが、きみの今(いま)の『外側(そとがわ)』です」


 彼(かれ)が指(ゆび)さした灯(とも)し火(び)は、凍(い)てついたように静止(せいし)し、ただ冷(つめ)たく、そこにある。


「なぜ、あのアカリは揺(ゆ)れないの……?」


「きみの怒(いか)りが、あまりに強(つよ)すぎて、周囲(しゅうい)の時間(じかん)を止(と)めてしまったからです。激(はげ)しい感情(かんじょう)は、ときに世界(せかい)を拒絶(きょぜつ)し、自分(じぶん)だけの檻(おり)を作(つく)ります。その檻(おり)の中(なか)では、誰(だれ)の声(こえ)も届(とど)かず、誰(だれ)の助(たす)けも受(う)け入(い)れられないのです」


「……そうだ。誰(だれ)も助(たす)けてくれなかった。私(わたし)がこれほど苦(くる)しんでいるのに、世界(せかい)は平然(へいぜん)と回(まわ)っている。それが許(ゆる)せないんだ。壊(こわ)してしまいたいんだよ」


 私(わたし)の瞳(ひとみ)から、熱(あつ)い雫(しずく)が溢(あふ)れた。


 それは悲(かな)しみではなく、煮(に)え滾(たぎ)る怒(いか)りの残滓(ざんし)だった。


 彼(かれ)は静(しず)かに手(て)を伸(の)ばし、私(わたし)の拳(こぶし)を包(つつ)み込(こ)んだ。


 驚(おどろ)くほど冷(つめ)たく、けれど芯(しん)まで染(し)み通(とお)るような慈(いつく)しみに満(み)ちた感触(かんしょく)だった。


「きみの怒(いか)りは、正(ただ)しいです。不当(ふとう)な扱(あつか)いに怒(いか)りを感(かん)じるのは、きみの魂(たましい)が、まだ死(し)んでいない証拠(しょうこ)です。自分(じぶん)を守(まも)ろうとする、気高(けだか)い炎(ほのお)なのですよ」


「気高(けだか)い……? こんな、醜(みにく)い感情(かんじょう)が?」


「はい。怒(いか)りは、生(い)きるための強力(きょうりょく)な燃料(ねんりょう)です。ただ、その使(つか)い方(かた)を間違(まちが)うと、守(まも)りたかったはずの自分(じぶん)まで焼(や)き尽(つく)してしまいます。今夜(こんや)は、その熱(あつ)さを、僕(ぼく)に少(すこ)しだけ預(あず)けてくれませんか」


 彼(かれ)が眼(め)を閉(と)じ、静(しず)かに祈(いの)りを捧(ささ)げるような仕草(しぐさ)をすると、私(わたし)の胸(むね)の奥(おく)で暴(あば)れていた灼熱(しゃくねつ)が、濁流(だくりゅう)から緩(ゆる)やかな川(かわ)へと変(か)わっていくのを感(かん)じた。


 不思議(ふしぎ)だった。


 怒(いか)りが消(き)えたわけではない。

 

 けれど、その熱(あつ)さが心地(ここち)よい温(ぬく)もりへと変換(へんかん)され、私(わたし)を内側(うちがわ)から支(ささ)えてくれるような感覚(かんかく)へと変化(へんか)したのだった。


「……楽(らく)になった。でも、あのアカリは揺(ゆ)れないままだ」


「それでいいのです。揺(ゆ)れない灯(とも)し火(び)は、きみの揺(ゆ)らがない意志(いし)の象徴(しょうちょう)です。誰(だれ)に何(なに)を言(い)われても、きみという存在(そんざい)は侵(おか)されない。その強(つよ)さを、今夜(こんや)はここで確(たし)かめてください」


 私(わたし)は深(ふか)く息(いき)を吐(は)き出(だ)した。


 先(さき)ほどまで世界(せかい)を呪(のろ)っていた自分(じぶん)が、遠(とお)い昔(むかし)のことのように思(おも)えた。


「きみは、いつもこうして誰(だれ)かの夜(よる)を守(まも)っているの?」


「守(まも)っている、というのはおこがましいですね。僕(ぼく)はただ、きみたちが本来(ほんらい)持(も)っている光(ひかり)を、曇(くも)らせないように磨(みが)く手伝(てつだ)いをしているだけです」


 彼(かれ)は微笑(ほほえ)んだ。


 その笑顔(えがお)は、朝日(あさひ)のような力強(ちからづよ)さではなく、静(しず)かに闇(やみ)を照(て)らす月(つき)のような柔(やわら)かな優(やさ)しさだ。


「夜(よる)が明(あ)けますよ、旅人(たびびと)さん」


「……また、あの嫌(いや)な日常(にちじょう)に戻(もど)らなきゃいけないのか」


「いいえ。戻(もど)るのではなく、進(すす)むのです。昨日(きのう)までのきみとは違(ちが)う、自分(じぶん)を守(まも)る術(すべ)を知(し)ったきみとして」


 彼(かれ)が白(しろ)い翼(つばさ)をひと振(ふ)りすると、世界(せかい)は眩(まぶし)い白光(はっこう)に包(つつ)まれた。


……。


 パチリと、目(め)が開(あ)いた。


 天井(てんじょう)の木目(もくめ)が、朝(あさ)の光(ひかり)に照(て)らされている。


 身体(からだ)には、まだ昨日(きのう)の疲労(ひろう)が残(のこ)っている。


 スマートフォンを開(ひら)けば、また嫌(いや)な通知(つうち)が来(き)ているかもしれない。

 

 玄関(げんかん)を出(で)れば、私(わたし)を不当(ふとう)に扱(あつか)う者(もの)たちが待(ま)っているんだろう。


 けれど。


「……負(ま)けることはない」


 私(わたし)は、自分(じぶん)の胸(むね)の中心(ちゅうしん)にある、あの熱(あつ)い灯(とも)し火(び)を感(かん)じることができたのだから。


 以前(いぜん)のような暴発(ぼうはつ)しそうな火(ひ)ではなく、静(しず)かに、けれど力強(ちからづよ)く燃(も)え続(つづ)ける不動(ふどう)の火(ひ)。


 洗面所(せんめんじょ)へ行(い)き、鏡(かがみ)に映(うつ)る自分(じぶん)を見(み)つめた。


 昨日(きのう)と同(おな)じ顔(かお)。同(おな)じ部屋(へや)。同(おな)じ服(ふく)。


 でも、瞳(ひとみ)の奥(おく)にある光(ひかり)だけは、確実(かくじつ)に昨日(きのう)とは違(ちが)っている。


「よし」


 私(わたし)は短(みじか)く気合(きあい)を入(い)れ、ネクタイを締(し)める。


 日常(にちじょう)は何一(なにひと)つ変(か)わらない。


 世界(せかい)は残酷(ざんこく)なほど静(しず)かに回(まわ)っている。


 けれど、私(わたし)の中(なか)にはもう、自分(じぶん)という城(しろ)を守(まも)るための明(あ)かりが灯(とも)っていることを知(し)ったのだ。


 ドアを開(あ)け、冷(つめ)たい朝(あさ)の空気(くうき)を吸(す)い込(こ)む。


 踏(ふ)み出(だ)す一歩(いっぽ)は、昨日(きのう)よりもほんの少(すこ)しだけ、重(おも)みが増(ま)していた。


 戦(たたか)う準備(じゅんび)は、もうできているのだ。


 私(わたし)だけの、揺(ゆ)らがない光(ひかり)とともに。




第(だい) 2話(わ)(完(かん))


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。