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灯し火の番人  作者: 天月 和宙 -sora-


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【第26話】 絢爛たる彩りの陰に伏せる沈黙


 遠(とお)くに、いくつかの灯(とも)し火(び)が揺(ゆ)れていた。


 それは幾(いく)重(え)もの厚(あつ)い着(ちゃく)色(しょく)ガラスに遮(さえぎ)られた、外(そと)からは一(ひと)滴(しずく)の揺(ゆ)らぎも見(み)えぬ密(みつ)閉(ぺい)の光(ひかり)だった。


 完璧(かんぺき)な調(ちょう)和(わ)を装(よそお)う硝(がら)子(す)の奥(おく)で、内(うち)なる焔(ほのお)は激(はげ)しく身(み)を悶(もだ)えさせているというのに、その狂(くる)おしさは誰(だれ)にも知(し)られることはない。


 他(た)者(しゃ)を安(やす)らがせるために自(みずか)らの乱(みだ)れを徹底(てってい)して隠(かく)し、静寂(せいじゃく)を貫(つらぬ)くその輝(かがや)きは、美(うつく)しい嘘(うそ)の裏(うら)に本(ほん)音(ね)を葬(ほう)り去(さ)った、気(け)高(だか)き職(しょく)人(にん)の横(よこ)顔(がえ)のようだった。


 胸(むね)の奥(おく)が、冷(つめ)たく尖(とが)った硝(がら)子(す)の破(は)片(へん)で突(つ)き刺(さ)されるように痛(いた)む。


「さすが先(せん)代(だい)の名作(めいさく)だ。裏(うら)まで一点(いってん)の曇(くも)りもない」


 街(まち)の人々(ひとびと)の無邪気(むじゃき)な賛(さん)辞(じ)が、の修(しゅう)復(ふく)士(し)である私(わたし)の心(こころ)を容赦(ようしゃ)なく抉(えぐ)る。


 偉大(いだい)な師(し)が遺(のこ)したステンドグラスの裏(うら)面(めん)に、私(わたし)は気(き)づいてしまったのだ。


 晩年(ばんねん)の師(し)が病(やま)いと焦(あせ)りから犯(おか)してしまった、致命的(ちめいてき)な歪(ゆが)みと補強(ほきょう)の手(て)抜(ぬ)きに。


 もし真実(しんじつ)を告(つ)げれば、亡(な)き師(し)の名誉(めいよ)は失(しっ)墜(つい)し、それを信(しん)じる人々(ひとびと)の美(うつく)しい記憶(きおく)も砕(くだ)け散(ち)る。


 だから私(わたし)は「傷(きず)つけないための沈(ちん)黙(もく)」を選(えら)んだ。


 自(みずか)らの持(も)てるすべての技(わざ)を尽(つく)し、名(な)を伏(ふ)せたまま、完璧(かんぺき)にその歪(ゆが)みを直(なお)す。


 それは私(わたし)の職(しょく)人(にん)人生(じんせい)における最高峰(さいこうほう)の仕事(しごと)となるだろう。


 けれど、その手柄(てがら)はすべて先(せん)代(だい)の幻(まぼろし)へと捧(ささ)げられ、私(わたし)の名前(なまえ)はどこにも残(のこ)らない。 


「お前(まえ)の仕事(しごと)はどこにある」と、内(うち)なるプライドが激(はげ)しく揺(ゆ)れ、叫(さけ)びを上(あ)げる。


 その激(はげ)しい葛(かっ)藤(とう)を誰(だれ)にも分(わ)かち合(あ)えぬまま、私(わたし)の呼吸(こきゅう)は細(こま)かくひび割(わ)れていくようだった。


「愛(いとお)しい人(ひと)の面(めん)目(ぼく)と、世(せ)界(かい)の美(うつく)しさを守(まも)るため、自(みずか)らの名(な)を消(け)し去(さ)る誇(ほこ)り高(たか)き星(ほし)よ」


 静(しず)かな夜(よる)の底(そこ)に、透(とう)明(めい)な鈴(すず)の音(ね)のような声(こえ)が響(ひび)いた。


 銀(ぎん)髪(ぱつ)の青(せい)年(ねん)が、黄(おう)金(ごん)色(いろ)の光(ひかり)の粒(りゅう)子(し)を足元(あしもと)に遊(あそ)ばせながら、確(かく)実(じつ)な足(あし)音(おと)と共(とも)に現(あらわ)れる。


 彼(かれ)の背(はい)後(ご)には、幾(いく)千(せん)の純(じゅん)白(ぱく)の羽(は)根(ね)が、世(せ)界(かい)の哀(かな)しみの影(かげ)を半(はん)分(ぶん)背(せ)負(お)うように重(かさ)なり合(あ)い、巨(きょ)大(だい)な双(そう)翼(よく)が静(しず)かに脈(みゃく)動(どう)していた。


 掲(かか)げられた角(かく)灯(とう)の中(なか)では、琥(こ)珀(はく)色(いろ)の輝(かがや)きを湛(たた)えた尊(とうと)き誇(ほこ)りの灯(とも)し火(び)が、外(そと)を灼(や)くことなく、内(うち)側(がわ)だけで静(しず)かに息(いき)を潜(ひそ)め、密(ひそ)やかに瞬(またた)いていた。


 青(せい)年(ねん)は、私(わたし)が誰(だれ)にも言(い)えずに抱(いだ)いてきた、血(ち)を流(なが)すような優(やさ)しい嘘(うそ)を、すべて見(み)届(とど)けていたかのような温(あたた)かい眼(まな)差(ざ)しで私(わたし)を見(み)つめていた。


「貴方(あなた)が選(えら)んだその沈(ちん)黙(もく)は、臆(おく)病(びょう)ゆえの逃(にげ)ではありません。大(たい)切(せつ)な想(おも)い出(で)を守(まも)るための、最(もっと)も高(こう)潔(けつ)な職(しょく)人(にん)の矜(きょう)持(じ)なのですよ」


 青(せい)年(ねん)は適(てき)度(ど)な距(きょ)離(り)から、私(わたし)の誇(ほこ)り高(たか)く張(は)り詰(つ)めた輪(りん)郭(かく)を優(やさ)しく解(ほぐ)すように語(かた)りかける。


「名(な)を残(のこ)したいという本(ほん)音(ね)と、師(し)への敬(けい)愛(あい)の狭(はざ)間(ま)で、貴方(あなた)の魂(たましい)は内(うち)側(がわ)だけで激(はげ)しく揺(ゆ)れてきました。声(こえ)を上(あ)げじ、己(おのれ)の最高峰(さいこうほう)の技術(ぎじゅつ)を影(かげ)に伏(ふ)せることは、身(み)を削(けず)るような痛(いた)みを伴(ともな)うでしょう。けれど、硝(がら)子(す)の裏(うら)面(めん)に刻(きざ)まれた貴方(あなた)の完璧(かんぺき)な仕(し)事(ごと)の跡(あと)は、誰(だれ)に知(し)られずとも、この世(せ)界(かい)の美(うつく)しさを確(たし)かに支(ささ)えています。その誰(だれ)をも傷(きず)つけないための美(うつく)しい嘘(うそ)こそが、夜(よる)の底(そこ)に溜(た)まった澱(おり)を照(て)らす、最(さい)後(ご)の灯(とも)し火(び)なのですよ」


「今(いま)だけは、その誰(だれ)にも誇(ほこ)れなかった最(さい)高(こう)の仕(し)事(ごと)の誇(ほこ)りと、隠(かく)し続(つづ)けた悔(くや)しさを、私(わたし)の翼(つばさ)の中(なか)で解(と)き放(はな)ってください」


 青(せい)年(ねん)が繭(まゆ)のように翼(つばさ)を広(ひろ)げると、赤(あか)ごの頬(ほお)が触(ふ)れ合(あ)うような圧倒的(あっとうてき)な熱(ねつ)と優(やさ)しさが、私(わたし)を包(つつ)み込(こ)んだ。

 

 それは自(みずか)らの存在(そんざい)を全(すべ)て肯(こう)定(てい)してくれるかのような、至(し)上(じょう)の祝(しゅく)福(ふく)の光(ひかり)。


 誰(だれ)にも認(みと)められず、闇(やみ)に葬(ほう)るはずだった自(みずか)らの極(きょく)致(ち)の技(わざ)を、この青(せい)年(ねん)だけが完璧(かんぺき)に理(り)解(かい)し、称(たた)えてくれた。


 その救(すく)いに、頑(かたく)なに閉(と)ざしていた沈(ちん)黙(もく)が熱(あつ)く融(と)け出(だ)し、涙(なみだ)が眼(め)から溢(あふ)れて止(と)まらなくなる。


「あ……っ、私(わたし)の、私(わたし)の仕事(しごと)だ……っ! 誰(だれ)に知(し)られずとも……っ!」


 溢(あふ)れ出(だ)したのは、消(き)え去(さ)る悔(くや)しさではなく、師(し)の影(かげ)を完璧(かんぺき)に超(こ)えてみせた自(みずか)らへの凄(すさま)じいまでの誇(ほこ)り。


 揺(ゆ)れを内(うち)側(がわ)に隠(かく)し続(つづ)けた魂(たましい)は、青(せい)年(ねん)の白(しろ)い光(ひかり)に抱(いだ)かれ、真(しん)の平(へい)穏(おん)を宿(やど)しながら、深(ふか)い眠(ねむ)りの底(そこ)へと沈(ちん)降(こう)していった。


 銀(ぎん)髪(ぱつ)の青(せい)年(ねん)が一(いち)度(ど)、その気(け)高(だか)き沈(ちん)黙(もく)を祝(しゅく)福(ふく)するように羽(は)ばたかせると、視(し)界(かい)は純(じゅん)白(ぱく)の光(ひかり)に灼(や)き尽(つ)くされた。



……。



 遠(とお)くで響(ひび)く、工(こう)房(ぼう)の古(ふる)びた時(と)計(けい)が朝(あさ)を刻(きざ)む規則(きそく)正(ただ)しい秒(びょう)針(しん)の音(おと)が、現(げん)実(じつ)の扉(とびら)を静(しず)かに開(あ)け放(はな)つ。


 目(め)を開(あ)けると、そこは昨日(きのう)と何(なに)ひとつ変(か)わらない、色(いろ)硝(がら)子(す)の破(は)片(へん)が散(ち)らばる薄(うす)暗(ぐら)い工(こう)房(ぼう)だった。


 作(さ)業(ぎょう)台(だい)の上(うえ)には、修(しゅう)復(ふく)の大(おお)詰(づめ)を迎(むか)えた、先(せん)代(だい)の大(おお)窓(まど)が横(よこ)たわっている。


 現(げん)実(じつ)は何(なに)ひとつ変(か)わらない。


 私(わたし)の名前(なまえ)が歴史(れきし)に記(しる)されるわけでもない。


 けれど、私(わたし)の瞳(ひとみ)の奥(おく)には、もう焦(あせ)りの色(いろ)はなかった。


 硝(がら)子(す)に映(うつ)る、静(しず)かな覚(かく)悟(ご)を湛(たた)えた自(じ)分(ぶん)の顔(かお)を見(み)つめ、その奥(おく)に宿(やど)る琥(こ)珀(はく)色(いろ)の微(かす)かな光(ひかり)を確(かく)認(にん)する。


 誰(だれ)の目(め)にも触(ふ)れぬ硝(がら)子(す)の裏(うら)面(めん)に、私(わたし)は一(ひと)筋(すじ)の完璧(かんぺき)なハンダの線(せん)を走(はし)らせる。


 それこそが、私(わたし)と世界(せかい)を繋(つな)ぐ、私(わたし)だけの不滅(ふめつ)の灯(とも)し火(び)。


 私(わたし)は重(おも)いハンダゴテを確(たし)かな手(て)つきで握(にぎ)り直(なお)し、静(しず)かに微笑(ほほえ)む。


「……さあ、仕(し)上(あ)げだ」


 己(おのれ)の名(な)を伏(ふ)せる、気(け)高(だか)き無(む)銘(めい)の職(しょく)人(にん)の心(こころ)に、もう迷(まよ)いはない。


 師(し)の彩(いろど)りを裏(うら)から支(ささ)える美(うつく)しい嘘(うそ)を誇(ほこ)らしく胸(むね)に抱(いだ)き、私(わたし)は朝(あさ)の光(ひかり)が射(さ)し込(こ)む現(げん)実(じつ)の硝(がら)子(す)へと、静(しず)かに熱(ねつ)を灯(とも)していった。


第(だい) 26話(わ)(完(かん))


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