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灯し火の番人  作者: 天月 和宙 -sora-


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【第23話】 未来を綴る最も幽かな焔


 遠(とお)くに、いくつかの灯(とも)し火(び)が揺(ゆ)れていた。


 それは、深(ふか)い雪(ゆき)の底(そこ)に埋(う)もれた微(かす)かな熱(ねつ)が、春(はる)を待(ま)つ息(い)吹(ぶ)きを絶(た)やさぬよう、静(しず)かに脈(みゃく)打(う)っているかのような光景(こうけい)だった。


 瞬(またた)きさえ忘(わす)れた静止(せいし)した闇(やみ)の中(なか)、一(ひと)際(きわ)淡(あわ)く、けれど頑(かたく)ななまでに消(き)えることを拒(こば)むその明滅(めいめつ)は、絶望(ぜつぼう)という名(な)の寒(かん)気(き)を優(やさ)しく宥(なだ)めながら、秘(ひ)めたる核(かく)を温(あたた)め続(つづ)けている。


 白(しろ)一(いっ)色(しょく)に漂(ひょう)白(はく)された病室(びょうしつ)の沈黙(ちんもく)が、真綿(まわた)で首(くび)を絞(し)めるように私(わたし)の心(こころ)を圧(あっ)迫(ぱく)してくる。


 我(わ)が子(こ)の細(ほそ)い指先(ゆびさき)に流(なが)れる幽(かす)かな脈(みゃく)動(どう)だけが、私(わたし)を現(げん)実(じつ)に繋(つな)ぎ止(と)める唯一(ゆいいつ)の絆(きずな)だった。


 母(はは)として微笑(ほほえ)みを絶(た)やさぬよう努(つと)めるほどに、胸(むね)の奥(おく)では音(おと)もなく崩(くず)れゆく砂(すな)城(じろ)のような無力(むりょく)感(かん)が広(ひろ)がり、明日(あした)という光(ひかり)を遠(とお)ざけていた。


「この子(こ)の歩(あゆ)む道(みち)に、どうか幸(しあわ)せな陽(ひ)が射(さ)しますように」


 届(とど)かぬ祈(いの)りは溜(た)め息(いき)となって足元(あしもと)に澱(よど)み、私(わたし)は自分(じぶん)という存在(そんざい)さえも透明(とうめい)に透(す)き通(とお)っていくような、深(ふか)い虚(きょ)無(む)の淵(ふち)に立(た)ち尽(つ)くしていた。


「嵐(あらし)が去(さ)った後(あと)の渚(なぎさ)で、なお真珠(しんじゅ)の欠(か)け片(ら)を慈(いつく)しむ清(きよ)らかな瞳(ひとみ)ですね」


 氷結(ひょうけつ)した意識(いしき)を解(ほぐ)すように、柔(やわ)らかな銀(ぎん)糸(し)のような声(こえ)が闇(やみ)に溶(と)け出(だ)した。


 銀(ぎん)髪(ぱつ)の青年(せいねん)が、光(ひかり)の粒子(りゅうし)が舞(ま)う空間(くうかん)から、春(はる)の訪(おとず)れを告(つ)げる風(かぜ)のように穏(おだ)やかな足取(あしど)りで現(あらわ)れる。


 彼(かれ)が纏(まと)う白(しろ)き翼(つばさ)は、朝(あさ)露(つゆ)を含(ふく)んだ花(はな)びらのように瑞々(みずみず)しい光沢(こうたく)を放(はな)ち、重(おも)い空気(くうき)を芳醇(ほうじゅん)な安(やす)らぎへと昇華(しょうか)させていく。


 掲(かか)げられた角灯(かくとう)からは、琥珀(こはく)色(いろ)の温(ぬく)もりが波(は)紋(もん)のように広(ひろ)がり、私(わたし)の冷(つめ)たくなった手(て)を静(しず)かに包(つつ)み込(こ)んだ。


「貴方(あなた)が今(いま)抱(いだ)いているその壮絶(そうぜつ)な違和感(いわかん)は、逃(に)げ場(ば)のない悲(かな)しみではありません。光(ひかり)に届(とど)かぬ暗闇(くらやみ)の底(そこ)にいても、なお子(こ)の未(み)来(らい)を信(しん)じようとする、揺(ゆ)るぎない母(はは)なる大地(だいち)の熱(ねつ)なのです」


 青年(せいねん)は、私(わたし)の強(こわ)ばった心(こころ)を見(み)透(す)かすように、慈(いつく)しみに満(み)ちた眼差(まなざ)しを向(む)ける。


「生(い)きる理由(りゆう)などという飾(かざ)り言葉(ことば)は捨(す)ててしまいなさい。全(すべ)てを覆(おお)い尽(つ)くすような不安(ふあん)の中(なか)で、なお消(き)えずに灯(とも)り続(つづ)けているその最(もっと)も静(しず)かな焔(ほむら)こそが、何(なに)よりも尊(とうと)い絆(きずな)の証(あかし)。揺(ゆ)れながらも絶(た)えることのないその幽(かす)かな焔(ほむら)こそが、我(わ)が子(こ)の進(すす)む足元(あしもと)を永(えい)劫(ごう)に守(まも)り続(つづ)ける、母(はは)としての誇(ほこ)りなのですよ」


「張(は)り詰(つ)めた想(おも)いを、一(いち)度(ど)だけ解(ほど)いて、私(わたし)の腕(うで)の中(なか)で安(やす)んでください」


 青年(せいねん)が慈(いつく)しむように翼(つばさ)をそよがせ、招(まね)き入(い)れるように広(ひろ)げると、無数(むすう)の羽根(はね)が空(そら)を埋(う)め、私(わたし)という存在(そんざい)を柔(やわ)らかな繭(まゆ)のように包(つつ)み込(こ)んだ。


 それは陽(ひ)だまりの中(なか)で微睡(まどろ)むような、根源的(こんげんてき)な安(あん)心(しん)の抱擁(ほうよう)。


 頑(かた)く閉(と)じ合(あ)わされていた心(こころ)の傷(きず)跡(あと)が、慈(いつく)しみの熱(ねつ)に触(ふ)れて和(やわ)らぎ、堰(せき)を切(き)ったように温(あたた)かい涙(なみだ)が溢(あふ)れ出(だ)す。


 溢(あふ)れたのは、この子(こ)と巡(めぐ)り会(あ)えた邂逅(かいこう)を慈(いつく)しむ、母(はは)としての芳醇(ほうじゅん)な雫(しずく)。


 銀(ぎん)の翼(つばさ)の中(なか)で、私(わたし)は自(みずか)らの弱(よわ)さをそのまま受(う)け入(い)れ、同時(どうじ)に、決(けっ)して折(お)れることのない豊(ゆた)かな強(つよ)さを再(ふたた)び紡(つむ)ぎ出(だ)していく。


 青年(せいねん)の光(ひかり)に満(み)たされながら、魂(たましい)は静(しず)かな融和(ゆうわ)を遂(と)げ、未(み)来(らい)を綴(つづ)る慈愛(じあい)の焔(ほむら)となって私(わたし)の奥底(おくそこ)に静(しず)かに根(ね)を下(お)ろした。


 青年(せいねん)が優(やさ)しく空(そら)を仰(あお)ぎ、春(はる)の雪(ゆき)解(ど)けのような光(ひかり)を放(はな)って翼(つばさ)を振(ふ)るうと、視界(しかい)は全(ぜん)細胞(さいぼう)を温(あたた)め潤(うるお)す眩(まばゆ)い白(しろ)に包(つつ)まれた。



……。



 遠(とお)くで、朝(あさ)の光(ひかり)を喜(よろこ)ぶ小鳥(ことり)の歌(うた)と、我(わ)が子(こ)が目(め)を覚(さ)ます微(かす)かな気配(けはい)が、和(なご)やかな現実(げんじつ)の訪(おとず)れを告(つ)げ始(はじ)める。


 目(め)を開(あ)けると、そこは昨日(きのう)と何(なに)ひとつ変(か)わらない、朝(あさ)の柔(やわ)らかな光(ひかり)が満(み)ちる現(げん)実(じつ)だった。


 静(しず)かな計器(けいき)の音(おと)、私(わたし)を待(ま)つ日々(ひび)の営(いとな)み、そしてゆっくりと紡(つむ)いでいく未(み)来(らい)。


 けれど、私(わたし)の心(こころ)を重(おも)く縛(しば)っていた違和感(いわかん)は、今(いま)や闇(やみ)を優(やさ)しく照(て)らし、共(とも)に歩(あゆ)むための、幽(かす)かな焔(ほむら)へと生(う)まれ変(か)わっていた。


 鏡(かがみ)に映(うつ)る、慈(いつく)しみと覚悟(かくご)を湛(たた)えた母(はは)としての貌(かお)を穏(おだ)やかに見(み)つめ、私(わたし)は愛(いと)おしき我(わ)が子(こ)を包(つつ)み込(こ)む温(ぬく)もりを、祈(いの)りのように身(み)に纏(まと)う。


「世界(せかい)に、私(わたし)とこの子(こ)の輝(かがや)きを、未(み)来(らい)を綴(つづ)る焔(ほむら)として灯(とも)し続(つづ)けていこう」


 夜(よる)を超(こ)えるたびに豊(ゆた)かさを増(ま)していく慈愛(じあい)を、唯一(ゆいいつ)の誇(ほこ)りとして背(せ)に負(お)い。


 私(わたし)は確(たし)かな足取(あしど)りで、眩(まぶ)しすぎる光(ひかり)が満(み)ちる現実(げんじつ)を、丸(まる)ごと愛(いと)おしむように踏(ふ)み出(だ)していった。



第(だい) 23話(わ)(完(かん))



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