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灯し火の番人  作者: 天月 和宙 -sora-


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【第22話】 暁を穿つ焦燥の熾火


 遠(とお)くに、いくつかの灯(とも)し火(び)が揺(ゆ)れていた。


 それは暗(あん)夜(や)を噛(か)み破(やぶ)ろうともがく、猛(たけ)り狂(くる)う獣(けもの)の眼(まな)差(ざ)しに似(に)ていた。


 静止(せいし)を拒(こば)み、次(つぎ)の瞬間(しゅんかん)へと躍(おど)り出(で)ようと焦燥(しょうそう)を剥(む)き出(だ)しにする琥珀(こはく)色(いろ)の光(ひかり)。


 夜(よる)の静寂(せいじゃく)を置(お)き去(ざ)りにし、未(いま)だ見(み)ぬ黎明(れいめい)の熱(ねつ)を先取(さきど)りせんとするその明滅(めいめつ)は、荒(あら)い呼吸(こきゅう)を繰(く)り返(かえ)しながら暗闇(くらやみ)を威嚇(いかく)し続(つづ)けている。


 枕元(まくらもと)で時(とき)を刻(きざ)む秒針(びょうしん)の音(おと)が、鈍(のろ)間(ま)な歩(あゆ)みで私(わたし)の神(しん)経(けい)を逆(さか)撫(な)でする。


 五(ご)十(じゅう)の坂(さか)を越(こ)え、残(のこ)された砂(すな)時(ど)計(けい)の底(そこ)が見(み)え始(はじ)めたというのに、内側(うちがわ)に渦巻(うずま)く野(や)心(しん)は一(いっ)向(こう)に沈(しず)まらない。


 むしろ死(し)への行軍(こうぐん)が加速(かそく)するほどに、成(な)し遂(と)げられぬ渇(かつ)望(ぼう)が噴(ふん)火(か)口(こう)のように熱(ねつ)を吹(ふ)き上(あ)げ、安(やす)らかな眠(ねむ)りなどという惰(だ)眠(みん)を唾棄(だき)すべき敵(てき)へと変(か)え果(は)てさせていた。


「止(と)まるな、進(すす)め。夜(よる)を焼(や)き払(はら)え」


 閉(と)じた瞼(まぶた)の裏(うら)、血(ち)の色(いろ)に染(そ)まった思考(しこう)の中(なか)で、私(わたし)は未(いま)だ見(み)ぬ覇権(はけん)を追(お)い続(つづ)ける。


 若(わか)さという武器(ぶき)を失(うしな)い、代(か)わりに手(て)に入(い)れたのは老(お)いへの恐怖(きょうふ)ではなく、完(かん)遂(すい)への飢(う)えだ。


 何(なに)ひとつ満(み)たされぬまま終(お)わることへの凄(すさま)じい拒(きょ)絶(ぜつ)が、心臓(しんぞう)を金(かな)槌(づち)で打(う)つように乱(あら)し、一(いっ)刻(こく)も早(はや)く次(つぎ)の焦(じ)熱(ねつ)の普(ふ)請(しん)場(ば)へと私(わたし)を駆(か)り立(た)てていた。


「時(とき)という猛(もう)火(か)に身(み)を焼(や)きながら、なお灰(はい)になることを拒(こば)む壮絶(そうぜつ)な魂(たましい)ですね」


 灼(や)けるような男(おとこ)の殺(さつ)気(き)を裂(さ)いて、凛(りん)とした声(こえ)が響(ひび)いた。


 銀(ぎん)髪(ぱつ)の青年(せいねん)が、火(ひ)の粉(こ)の舞(ま)う闇(やみ)の中(なか)から一(いっ)歩(ぽ)、迷(まよ)いのない足取(あしど)りで踏(ふ)み出(だ)してくる。


 彼(かれ)の背後(はいご)には、幾(いく)千(せん)の純白(じゅんぱく)の羽根(はね)が鉄(てつ)のごとき密(みつ)度(ど)で重(かさ)なり合(あ)い、男(おとこ)の咆哮(ほうこう)さえ押(お)し包(つつ)む圧倒的(あっとうてき)な慈悲(じひ)の質量(しつりょう)を湛(たた)えた巨大(きょだい)な双(そう)翼(よく)が猛(たけ)り狂(くる)っていた。


 掲(かか)げられた角灯(かくとう)の中(なか)では、超(ちょう)高(こう)温(おん)の星(ほし)のように輝(かがや)く黄金色(こがねいろ)の粒子(りゅうし)が、焦燥(しょうそう)を呑(の)み込(こ)む勢(いきお)いで渦(うず)を巻(ま)いている。


 彼(かれ)は、私(わたし)が放(はな)つ毒(どく)々(どく)熱(ねつ)を全(ぜん)身(しん)に浴(あ)びながらも、揺(ゆ)らぐことのない透明(とうめい)な眼差(まなざ)しで私(わたし)を射(い)抜(ぬ)いていた。


「貴方(あなた)が抱(いだ)くその苛(いら)立(だ)ちは、衰(おとろ)えへの不(ふ)安(あん)などという脆(もろ)いものではありません。終(お)わりが見(み)えるからこそ、一(いっ)秒(びょう)でも早(はや)く自(みずか)らの手(て)で全(すべ)てを完(かん)遂(すい)せんと逸(はや)る、峻(しゅん)烈(れつ)な焦(あせ)りなのです」


 彼(かれ)は一(いっ)歩(ぽ)、私(わたし)が堅(かた)く閉(と)ざしてきた孤(こ)高(こう)の領(りょう)域(いき)を蹂(じゅう)躙(りん)するように踏(ふ)み込(こ)み、低(ひく)く力強(ちからづよ)い声(こえ)で断(だん)罪(ざい)し、かつ賞(しょう)賛(さん)する。


「朝(あさ)を急(せ)かすその荒(あら)い鼓動(こどう)は、五(ご)十(じゅう)年(ねん)という歳月(さいげつ)を経(へ)てなお、運命(うんめい)に飼(か)い慣(な)らされることを断(ことわ)る不屈(ふくつ)の証(あかし)。停滞(ていたい)という監獄(かんごく)の格子(こうし)を叩(たた)き壊(こわ)そうとするその拳(こぶし)は、貴方(あなた)が今日(きょう)まで何(なに)ひとつ諦(あきら)めずに生(い)き抜(ぬ)いてきた、勇猛(ゆうもう)な戦(せん)士(し)の証(あかし)なのですよ。夜(よる)を呪(のろ)うその激(はげ)しい炎(ほのお)こそが、暗闇(くらやみ)に沈(しず)まらぬための最後(さいご)の灯(とも)し火(び)なのです」


「今(いま)だけは、その狂(きょう)気(き)に近(ちか)い熱(ねつ)を、私(わたし)の翼(つばさ)の中(なか)に叩(たた)き付(つ)けてください。次(つぎ)の黎明(れいめい)を焼(や)き尽(つ)くすための力(ちから)を練(ね)り上(あ)げるために」


 銀(ぎん)髪(ぱつ)の青年(せいねん)が烈風(れっぷう)を巻(ま)き起(お)こして翼(つばさ)を広(ひろ)げると、世界(せかい)の全(ぜん)光(こう)量(りょう)が収束(しゅうそく)したかのような純白(じゅんぱく)の壁(かべ)が、荒(あら)ぶる私(わたし)を真正面(ましょうめん)から受(う)け止(と)めた。


 それは柔(やわ)らかな布(ぬの)の感触(かんしょく)などではない。


 幾(いく)万(まん)の羽根(はね)が一(いっ)斉(せい)に鳴(な)り響(ひび)くような、生命(せいめい)の奔流(ほんりゅう)そのものによる圧(あつ)倒的(とうてき)な抱(ほう)擁(よう)。


 猛(たけ)り狂(くる)う波(なみ)を鎮(しず)める巨岩(きょがん)のような質(しつ)量(りょう)を持(も)った慈悲(じひ)が、私(わたし)の内側(うちがわ)で暴(あば)れる焦燥(しょうそう)の獣(けもの)を、力(ちから)尽(ず)くで、かつ限(かぎ)りなく慈(いつく)しむように押(お)し鎮(しず)めていく。


「が……、あああ……っ!」


 理性(りせい)の堤防(ていぼう)を決壊(けっかい)させ、逆(ぎゃく)流(りゅう)を繰(く)り返(かえ)していた苛立(いらだ)ちが、彼(かれ)の白(しろ)い猛(もう)火(か)に当(あ)てられて、呻(うめ)きを上(あ)げながら純粋(じゅんすい)な涙(なみだ)へと精製(せいせい)されていく。


 溢(あふ)れ出(だ)したのは、挫折(ざせつ)への悔(くや)しさではなく、己(おのれ)という難(なん)攻(こう)不(ふ)落(らく)の砦(とりで)を守(まも)り続(つづ)ける自(みずか)らへの、凄(すさま)じいまでの敬(けい)意(い)。


 狂(きょう)乱(らん)の縁(ふち)にいた魂(たましい)は、彼(かれ)の白(しろ)い光(ひかり)に貫(つらぬ)かれ、静(しず)かな殺(さつ)意(い)のような決意(けつい)を宿(やど)したまま、深(ふか)い淵(ふち)へと沈降(ちんこう)していく。


 銀(ぎん)髪(ぱつ)の青年(せいねん)が天(てん)を突(つ)く勢(いきお)いで一(ひと)度(たび)翼(つばさ)を羽(は)ばたかせると、視界(しかい)は全(ぜん)身(しん)の細胞(さいぼう)が蒸発(じょうはつ)するような眩(まばゆ)い白(しろ)に灼(や)き尽(つ)くされた。



……。



 強烈(きょうれつ)な引力(いんりょく)に引(ひ)き戻(も)されるように、遠(とお)くで冬(ふゆ)の雷鳴(らいめい)にも似(に)た重(じゅう)機(き)の唸(うな)り声(ごえ)が、仮容(かよう)のない現実(げんじつ)の幕(まく)開(あ)けを告(つ)げ始(はじ)める。


 目(め)を開(あ)けると、そこは昨日(きのう)と何(なに)ひとつ変(か)わらない、光(こう)量(りょう)に飢(う)えた現(げん)実(じつ)だった。


 未(み)完(かん)の業(ぎょう)務(む)、狡(こう)猾(かつ)な競争者(きょうそうしゃ)、刻(とき)一刻(いっこく)と削(けず)り取(と)られていく寿命(じゅみょう)。


 けれど、私(わたし)の心臓(しんぞう)を焼(や)いていた無益(むえき)な苛立(いらだ)ちは、今(いま)や暗(あん)夜(や)を穿(うが)ち、明日(あした)を照(て)らし出(だ)すための、峻(しゅん)烈(れつ)な灯(とも)し火(び)へと精(せい)錬(れん)されていた。


 胸(むね)の奥(おく)に、宵闇(よいやみ)を踏(ふ)み潰(つぶ)して掴(つか)み取(と)った琥珀(こはく)色(いろ)の一(ひと)欠(かけ)らが、熾(おき)火(び)のように鋭(するど)い熱(ねつ)を放(はな)っている。


 それは「急(せ)かす」のではなく「制(せい)する」ための、私(わたし)だけの不滅(ふめつ)の灯(とも)し火(び)だった。


 鏡(かがみ)に映(うつ)る五(ご)十(じゅう)年(ねん)を戦(たたか)い抜(ぬ)いた猛(もう)将(しょう)の貌(かお)を一(いち)瞥(べつ)し、私(わたし)は重(じゅう)厚(こう)な外套(がいとう)を鎧(よろい)として身(み)に纏(まと)う。


「世界(せかい)に、私(わたし)の刻(とき)を突(つ)き立(た)ててやる」


 夜(よる)を超(こ)えるたびに苛烈(かれつ)さを増(ま)していく渇(かつ)望(ぼう)を、唯一(ゆいいつ)の誇(ほこ)りとして背(せ)に負(お)い、私(わたし)は確(たし)かな足取(あしど)りで、眩(まぶ)しすぎる光(ひかり)が満(み)ちる現実(げんじつ)を、真正面(ましょうめん)から蹴(け)破(やぶ)るように踏(ふ)み越(こ)えてく。



第(だい) 22話(わ)(完(かん))



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