遠くに、いくつかの灯し火が見えた。
それは周囲の闇を慈しむように淡く、広く輪郭を広げている。
しかし、その光は他を照らそうと無理に引き伸ばされたがゆえに、今にも千切れそうなほどに薄く、透明に近い危うい輝きだった。
呼吸をするたびに、内側が削り取られていくような感覚があった。
誰かの不平を吸い込み、誰かの身勝手な願望を微笑みで包む。
周囲は私が擦り切れていることに気づかない。
なぜなら、私が「都合のよい聖域」であることを、彼らは当然の権利のように享受しているからだ。
自分を薪として焚べ続け、灰になるまで他者を温めようとする渇望。
その果てに残ったのは、誰からも顧みられない形骸としての私だった。
喉の奥が焼けるように渇き、虚しさが魂の底を白く侵食したその瞬間、視界が抜けるような白銀に染まった。
そこに、銀髪の青年は立っていた。
角灯の揺曳が、彼の透き通った眼差しに静かな憐憫を宿している。
彼は音もなく私の傍へと降り立ち、透明な声で囁いた。
「摩滅の淵に立つ、哀しき夜の旅人さん」
その一言が、誰も触れようとしなかった私の欠落を正しく射抜く。
「貴方が暖めた人々の陰で、貴方自身が凍え震えていることに、誰も気づきませんでした。……いいえ、気づかないふりを選んだのでしょう。」
彼の静かな断罪に、胸の内が激しく波み打った。
良かれと願った行いが、愛おしきはずの隣人を怪物へと変えていた。
その拒絶しがたい悔恨が喉までせり上がり、私は絶望に膝を折りそうになる。
それでも。
ボロボロに擦り切れた心の底に淀むのは、怒りではなく「それでも、冷たい世界であってはならない」という、呪いにも似た祈りだった。
銀髪の青年は、私の内に渦巻く泥のような葛藤を、全てを受け入れるような慈しみの眼差しで見つめた。
「貴方は、もうこれ以上、誰かのための焼かれる必要はありません。今はこの翼が、その尊き灯し火を、静かに覆いましょう」
彼が一閃、背後に湛えられていた光の奔流を解放つと、空間から一切の「他者の声」が消え去った。
私を縛り付けていた無数の要望や、答えねばならぬ声が、圧倒的な静謐によって跡形もなく上書きされていく。
翼の内側に満ちたのは、他者を照らすための光ではなく、私という存在を再び濃く編み直すための、潤沢な慈しみの熱だった。
翼に包み込まれた瞬間、磨滅し、透き通りかけていた私の輪郭が、彼の胸元から伝わる穏やかな鼓動に共鳴するように、確かな密度を取り戻していく。
「今はこの静寂の中で、自分という存在のためだけに息をしてください。……貴方が救われることを、誰に赦してもらう必要もありません」
彼の指先が、熱を持った私の目蓋を静かに鎮める。
それは凍てついた大地を解かす春の日差しのように、空漠として乾ききった私の淵を、穏やかな慈しみの滴で満たしていく感触だった。
「貴方が貴方として在る。それだけで、この灯し火は十分に尊いのですから」
彼の穏やかな微笑みが、汚れなき真綿のようなまどろみへと融けていく。
私は初めて、誰のことをも案ずることのない、深く澄んだ忘脚の淵へと沈んでいった。
……。
遠くで、朝を告げる鳥の囀りが聞こえた。
目蓋を持ち上げた先にある現実は、昨日と変わらず、私の献身を当然のように待ち構えている。
けれど、ふと胸に手を当てれば、そこにはもう、無防備に削り取られるのを待つだけの空虚はなかった。
掌に伝わるのは、誰にも侵させない、私自身を温めるために灯された、小さくも峻烈な灯し火の拍動だった。
私は深く、重く、一呼吸を置いた。
窓の外、無慈悲に明けていく今日。
今度は私自身を守り抜くという静かな傲慢を抱き締め、確かな一歩を踏み出した。
第 16話(完)