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【第17話】 言葉にならない夜


 (とお)くに、いくつかの(とも)()()えた。


 (やみ)深淵(しんえん)点在(てんざい)するそれらは、(たし)かな輪郭(りんかく)()たず、まるですすり()きを(こら)えているかのように(あわ)(にじ)んでいる。


 ()えることも、(あざ)やかに()()がることも(ゆる)されないまま、()()(うしな)った(ねつ)(よる)(そこ)(ただよ)っていた。


 四十八(よんじゅうはち)(あき)(わたし)足元(あしもと)(おと)もなく崩落(ほうらく)した。


 二十(にじゅう)余年(よねん)組織(そしき)という巨大(きょだい)歯車(はぐるま)一部(いちぶ)として(おのれ)(けず)り、(みが)(つづ)けてきた自負(じふ)は、効率(こうりつ)という()無機質(むきしつ)一筆(いっぴつ)霧散(むさん)した。


 家庭(かてい)(ささ)える大黒柱(だいこくばしら)として、(おとこ)として、弱音(よわね)()くことを(きん)じた歳月(さいげつ)が、(いま)さら言葉(ことば)(つむ)(すべ)(わたし)から(うば)()っていた。


 (むね)(おく)に、正体(しょうたい)不明(ふめい)(かたまり)(つか)えている。


 それは(さけ)びたいほどの激情(げきじょう)ではなく、かといって(なみだ)(なが)せるほどの純粋(じゅんすい)悲哀(ひあい)でもない。


 名前(なまえ)のない(おり)のような(なに)かが、(のど)(おく)(ふさ)ぎ、呼吸(こきゅう)(あさ)くさせている。


 ()きたいのかと()われれば、(くび)(かし)げるしかない。


 ただ、(おも)く、(つめ)たく、出口(でぐち)のない沈黙(ちんもく)だけが(はい)(なか)()ちていた。


 (わたし)は、ただ(しず)かに()()じた。


 境界(きょうかい)曖昧(あいまい)(とも)()が、(わたし)内側(うちがわ)(のこ)された(かす)かな温度(おんど)呼応(こおう)するように、(いく)()(いく)()脈動(みゃくどう)()(かえ)している。


 足元(あしもと)から(しの)()底冷(そこび)えに、(おとこ)としての矜持(きょうじ)すら()てつき(はじ)めていたその(とき)背後(はいご)から(おと)もなく巨大(きょだい)(かげ)()()んだ。


(かたち)にならない(おも)いこそ、(とき)として言葉(ことば)よりも雄弁(ゆうべん)(ひと)(しば)()けてしまうものです」


 (ひく)く、静謐(せいひつ)さを(たた)えた(こえ)()(かえ)れば、そこには(つき)(しずく)(あつ)めて(つむ)いだような、(まぶ)しい銀髪(ぎんぱつ)()らす青年(せいねん)()っていた。


 (かれ)(まと)圧倒的(あっとうてき)存在(そんざい)(かん)は、寒々(さむざむ)とした虚無(きょむ)()ちていた空間(くうかん)を、(しゅん)(かん)にして(おご)そかな静寂(せいじゃく)へと()(かえ)えていく。


 青年(せいねん)()から(あふ)()したのは、(とり)(つばさ)という概念(がいねん)()えた、深淵(しんえん)なる宇宙(うちゅう)一片(いっぺん)だった。


 幾重(いくえ)にも(かさ)なり()白銀(はくぎん)(つばさ)は、(あわ)く、けれど(たし)かな(またた)きを()星空(ほしぞら)粒子(りゅうし)(まと)っている。


 羽根(はね)(いち)(まい)(ふる)えるたびに、(あま)(がわ)(なが)れるような(かす)かな(おと)(ひび)き、()らばる光芒(こうぼう)(おとこ)足元(あしもと)幽玄(ゆうげん)()らし()した。


 青年(せいねん)(おとこ)(よこ)(なら)び、その(ほし)宿(やど)した(つばさ)で、()てついた(かれ)(かた)(つつ)()むように(おお)きく(たわ)めた。


 (つばさ)から(つた)わってくるのは、()すような(ねつ)ではない。


 幾千(いくせん)もの星々(ほしぼし)(とお)(たび)()てに(とど)ける、(かす)かで、けれど()えることのない(いの)りにも()(ぬく)もりだった。


無理(むり)(かた)必要(ひつよう)はありません。貴方(あなた)(かか)えるその(おも)みは、必死(ひっし)(だれ)かを(まも)ろうとしてきた(ねつ)(あかし)なのですから」


 (おとこ)内側(うちがわ)(かた)まっていた正体(しょうたい)不明(ふめい)(かたまり)が、星空(ほしぞら)余熱(よねつ)()れ、(しず)かに(ほど)(はじ)める。


 青年(せいねん)は、()くことを(わす)れた(おとこ)(かたわ)らで、ただ(だま)って(つばさ)(またた)きを(そそ)(つづ)けた。


 白銀(はくぎん)(いっ)(ぽん)羽根(はね)(ひかり)()()いて(おとこ)胸元(むなもと)()ち、言葉(ことば)にならない(いた)みを(やさ)しくなでるように()()っていった。


 (わたし)青年(せいねん)()()べられた(いつく)しみを(こば)むように、(ひざ)(うえ)(かた)(こぶし)(にぎ)()めた。


「……(なさ)けないと、(わら)えばいい。(まも)るべき家族(かぞく)がありながら、(わたし)(かえ)るべき場所(ばしょ)(うしな)った。()(あげ)てきた(ほこ)りも、(おとこ)としての面目(めんぼく)も、すべては(すな)(しろ)だったのだ」


 (しぼ)()した(こえ)は、自分(じぶん)でも(おどろ)くほど()()て、(つめ)たく(ひび)いた。


 二十(にじゅう)余年(よねん)一度(いちど)(あし)()めることなく(はし)(つづ)けてきた。


 家族(かぞく)笑顔(えがお)(かて)に、(みが)()らしてきた(たましい)代償(だいしょう)が、この出口(でぐち)のない暗闇(くらやみ)なのかと、(むね)(おく)(はげ)しく波打(なみう)つ。


 銀髪(ぎんぱつ)青年(せいねん)は、反論(はんろん)同情(どうじょう)もせず、ただ(しず)かに()(つばさ)()ばたかせた。


 白銀(はくぎん)羽根(はね)()()うたびに、(あわ)青白(あおじろ)星々(ほしぼし)光輝(こうき)()(おど)り、(わたし)(かた)()ざした(てのひら)()(そそ)ぐ。


 その(ひかり)()れた瞬間(しゅんかん)脳裏(のうり)()かんだのは、()()れた背広(せびろ)や、深夜(しんや)(えき)()寒々(さむざむ)とした(つき)ではなく、(たし)かな手応(てごた)えを()った(いと)おしい記憶(きおく)断片(だんぺん)だった。


貴方(あなた)(まも)ってきたものは、数字(すうじ)肩書(かたが)きという()偶像(ぐうぞう)ではありません」

 

 青年(せいねん)(こえ)が、波立(なみだ)(わたし)(こころ)(しず)めるように(ひび)く。


(こご)える(よる)(とも)(つづ)けた家族(かぞく)への献身(けんしん)(おのれ)(りっ)(つづ)けてきた積年(せきねん)矜持(きょうじ)……。それらは(だれ)にも(うば)()ることのできない、貴方(あなた)という生命(せいめい)(はな)真実(しんじつ)(ねつ)です」


 (つばさ)から(はな)たれる星空(ほしぞら)のような(まぶし)光芒(こうぼう)が、(わたし)(しば)()けていた虚栄(きょせい)という()(くさり)()()っていく。


 (なさ)けなさも、(くや)しさも、すべてを(かか)えたままでいい。


 その(おも)みこそが、(わたし)今日(きょう)まで(だれ)かのために()きてきた(あかし)なのだと、()()ちた瞬間(しゅんかん)(のど)(おく)(つか)えていた(ねつ)一気(いっき)(あふ)()した。


 青年(せいねん)(おお)きく(つばさ)(ひろ)げた最後(さいご)()ばたきは、部屋(へや)()たしていた(つめ)たい沈黙(ちんもく)膨大(ぼうだい)余熱(よねつ)蒸気(じょうき)となって(しろ)視界(しかい)(おお)っていった。


 白濁(はくだく)する景色(けしき)(なか)で、(わたし)自分(じぶん)()()つめ、そこに(のこ)された(かす)かな(ぬく)もりを(たし)かめる。



……。



 洗面(せんめん)(だい)(つめ)たい(みず)(かお)(あら)い、(かがみ)(うつ)自分(じぶん)対峙(たいじ)する。


 (きざ)まれた(しわ)白髪(しらが)は、(たん)なる老化(ろうか)(しる)しではなく、荒波(あらなみ)(なか)家族(かぞく)という小舟(こぶね)()(つづ)けてきた航海(こうかい)()勲章(くんしょう)のように(おも)えた。


 組織(そしき)(はな)れ、名刺(めいし)という(たて)(うしな)っても、指先(ゆびさき)()()いた技術(ぎじゅつ)と、修羅場(しゅらば)(くぐ)()けてきた知見(ちけん)までは(うば)()れはしない。


 (わたし)()()げてきたのは、無機質(むきしつ)数字(すうじ)羅列(られつ)ではなく、困難(こんなん)(あらが)い、最適(さいてき)(かい)(みび)()そうと苦闘(くとう)した誠実(せいじつ)時間(じかん)集積(しゅうせき)だったのだ。


「おはよう」


 食卓(しょくたく)(かこ)家族(かぞく)へ、二十(にじゅう)余年(よねん)(はじ)めて、虚飾(きょしょく)のない(こえ)()ける。


 (おとこ)として背負(せお)ってきた重圧(じゅうあつ)は、(いま)(いと)おしい(もの)たちの体温(たいおん)(まも)()くための(しず)かな決意(けつい)へと昇華(しょうか)されていた。


 言葉(ことば)にならない(よる)()えたからこそ、()にできる(つよ)さがあることを、(わたし)(たし)かな予感(よかん)として(いだ)いている。


 (ほこ)りは(くだ)かれたのではない。


 今日(きょう)という真新(まあたら)しい(みち)()らすための、(とも)()へと姿(すがた)()えたのだ。




(だい) 17()(かん)




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