遠くに、ひとつの灯し火が見えた。
それは激しく吹き付ける風に身を削りながらも、決して絶えることのない頑なな瞬だった。
幾千もの夜を越え、摩耗の果てに残されたその灯し火は、右へ左へと危うく翻りながらも、芯にある黄金色だけは凛として闇を拒んでいる。
七十の春秋を刻んだ魂が放つ、それは執念にも似た至純の揺らぎだった。
愛としき者の名を失い、守り抜いたはずの城塞が砂へと帰するを見届け、なおも胸の奥底に残留した、硬い種火のようなものだ。
かつての情熱はとうに瓦解し、後にはただ、自己という輪郭を維持するためだけの、剥き出しの意志が横たわっている。
その微かな震えが、暗澹たる夜の深層に一筋の亀裂を刻んでいた。
私の歩みは、既に自重に耐えかねるほど重く、冷たい。
舗道を踏み締めるたびに、磨滅した膝が悲鳴に似た軋みを上げる。
かつて「我が家」と呼んだ場所は既に空洞と化し、見知らぬ時間が静かに堆積している。
夜の冷気は容赦のない氷片となり、老い疲れた私の輪郭を刻一刻と侵蝕していく。
「どこへ帰ればよいのでしょうねぇ」
独白は白い霧となって闇に消えた。
役割を全うし、愛する者たちを見送った後に残されたのは、世界に対する微かな違和感と、自己の消失への予感だけだ。
意識が希薄になり、膝が屈しかけたその時、白銀の静寂が辺りを支配した。
そこに、彼は立っていた。
風を孕んで美しく蠢く銀髪は、悠久の時を凍てつかせた星の破片のように輝いている。
彼は新雪を撫でるような淡い歩調で歩み寄ると、私の積み重ねた歳月を包み込むような慈しみを湛え、最上の敬意を以って静かに頭を垂れた。
「……永き旅、誠に尊き歩みでした。先に道を拓かれた貴女に、不変の標を」
その声は水晶を打つように澄み、かつ温かい。
彼が静かに背後の翼を広げると、無重力の光輝が私を包み込んだ。
それは言葉を絶した救済の奔流だった。
白銀の翼が描く巨大な抱擁は、私の凍てついた四肢を、有無を言わせぬ慈愛を以って解いていく。
身体の芯まで染み渡る圧倒的な熱圧が、積もり重なった孤独という名の凍土を、根底から融解させていった。
彼が翼を一振りすると、眩いばかりの光の粒子が雪のように降り注ぎ、私の意識を優しく白く溶かしていった。
屋壁という虚ろな器が帰る場所なのではない。
幾星霜、凍える子の手を握り締め、絶えゆく命を看取り、繋ぎ留めてきたその掌の微かな熱の連なりこそが、私の真なる居所であったのだと、積み重ねた歳月の重みが教えてくれた。
白銀の光輝の中、彼は慈しみを湛えた炯炯たる眼差しを私に向け、魂の深淵を揺さぶるような低い声で囁いた。
「……まだ、終わりではありません。貴女が拓いた道を仰ぎ、その背を追う幼き雛たちがいます。貴女が得た智慧を、凍てつく世を照らす言葉を、彼らに遺さねばならない。……往きなさい、誇り高き先達よ」
それは優しくも峻烈な叱咤であり、私の内なる焔を再び煽る一陣の風だった。
翼が描く最後の弧が、私の背中を生の領域へと力強く押し戻していく。
……。
次に瞼を持ち上げたとき、視界を満たしたのは無機質な黎明の白だった。
頬は痩け、指先には鉛のような倦怠が沈着している。
現実という摩滅は何ひとつ容赦してはくれない。
けれど、節々が軋む身体を引き摺り起こした私を駆り立てるのは、絶望ではなく、胸の中に宿った消えぬ余熱だった。
まだ、語るべき言葉がある。
次代を生きる子らに、この冷たい世界を歩み抜くための、一片の熱を伝えねばならない。
私は鏡に映る己が形骸を睨み据え、深く、重く、一呼吸を置いた。
窓の外、薄闇の境界にあの黄金色の瞬を幻視しながら、私は再び震える足で今日という塵界へ踏み出した。
第 14話(完)