遠くに、いくつかの灯し火が見えた。
それは揺れることさえ忘れたかのように、冷たく透き通っていた。
鏡面のように磨き抜かれた光の粒子が、静止した空気の中で鋭く固定されている。
限界まで張り詰めた弓の弦のような、危うい均衡。
そこには、誰も踏み込むことを許さない、美しい拒絶が満ちていた。
「次の計画も、問題ありません」
そう報告する自分の声が、遠くの洞窟で鳴り響く鐘のように無機質に聞こえた。
失敗は許されない。
弱音を吐く場所もない。
積み上げた実績という名の石塔の頂上で、私は自分という存在を磨き続けた。
ふと、手元の万年筆を握る指先を見る。
白く乾き、感覚が希薄だ。
まるで自分が精巧な彫像に作り替えられていくような、静かな恐怖が足元から這い上がってくる。
夜風が、密閉された部屋のはずなのに頬を撫でた。
夜の密度が、唐突に変質する。
頭上から音もなく降り注いだのは、闇を根底から書き換えてしまうような、底知れない白銀の奔流だった。
それは眩しさを通り越して、皮膚の裏側まで直接照らし出すような、逆らいようのない重みを持っている。
銀髪の青年が、光の膜を切り裂いて姿を現す。
彼の存在そのものが、凍てついた空気を一瞬で春の嵐のような熱に変え、逃げ場所をすべて奪い去っていく。
呼吸を忘れるほどの輝きの中、私はただ、自分という存在が巨大な太陽の前に立つ一枝の枯れ木になったかのような、抗いがたい充足と熱量に呑み込まれていた。
背後に広げられた翼は、一枚が零れるたびにその身を削るような痛ましさを伴ってなお、巨大な威容を誇っている。
広げられたそれは救いという名の圧力を以って、見る者の逃げ道を塞いだ。
「正しさという純白に窒息して、呼吸を忘れてしまったのでしょう」
言葉を交わすより早く、彼の翼から溢れ出した光が、私の周囲に張り巡らされた透明な壁を溶かし始める。
圧倒的な熱が、皮膚を通して骨の髄まで染み込んできた。
それは優しいだけの温かさではない。
冬眠していた意識を強制的に呼び起すような、鮮烈な衝撃だった。
「うぁっ……」
指先に血が通い、同時に胸の奥がズキリと疼いた。
完璧にこなすために切り捨てた、数々の迷いや不器用な本音。
歪で人に見せられない自分の欠片が、熱を帯びて疼き出す。
「淀みのない水面は美しいが、そこには何も育たない」
銀髪の青年が静かにそう告げた瞬間、彼の背後の空間が激しく歪んだ。
優雅な輪郭を持ちながらも、そこから放たれたのは強烈な熱風であり、私の心を映していた鏡のような水面を容赦なく叩き付けた。
砕け散った氷のような静寂の破片が、銀髪の青年の熱にあてられて、一瞬で春の霧へと姿を変えていく。
荒荒しく吹き抜けたはずの嵐は、私の肌に触れた瞬間、驚くほど密やかな慈しみに転じていた。
張り詰めていた糸がふっと緩み、私は生まれて初めて深く、自分を許すための呼吸をした。
……。
窓から差し込む朝陽が、机の上の万年筆を照らしている。
今日もやるべき仕事は山のようにある。
期待も責任も、変わらずそこにある。
けれど、鏡に映る自分の目には、昨日までにはなかった微かな揺らぎと、確かな温度が宿っていた。
「……さて、行こう」
完璧な答えではなく、今日の自分なりの足跡を刻むために。
胸に宿った温かな火が、あの夜に触れた翼の柔らかな余熱を絶やさず、色を失っていた景色を優しく照らし続けている。
第 10話(完)