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ELUXIAN MYTHOS  作者: ムつKey
6/7

序章「胎動」VI 変兆

さらに数か月にわたる準備を経て、第四段階の検証はついに完了した。


会議室に、久しく聞くことのなかった拍手が響いた。


四つの研究班が、それぞれ最終結果を報告する。


材料、生物、エネルギー、そして理論。


各班から提出されたデータは互いに矛盾することなく、すべての指標が予定されていた基準値を満たしていた。


トムは居並ぶ研究員たちを見渡した。


そして初めて、笑みを浮かべた。


「諸君」


「おめでとう」


「明朝九時――」


「第一号人工液の注入実験を、正式に開始する」


観察ホールに、押し殺した歓声が広がった。


拳を握り締める者。


互いに抱き合う者。


ようやく長い息を吐き出す者もいた。


数か月にわたり、文字どおり昼夜を忘れて続けてきた研究が――ようやく最初の一歩を踏み出そうとしていた。


ただ一人。


フェイマンだけは、ガラスの向こうにある培養槽を静かに見つめていた。


その表情は、冷淡とさえ思えるほど穏やかだった。


翌日。


午前九時、ちょうど。


実験が開始された。


第53区全域に、第一級警戒態勢が敷かれる。


実験に直接関係しない人員は、すべて退避させられていた。


中央実験槽が、ゆっくりと開く。


わずか〇・五ミリリットルの人工液が、機械アームによって培養槽内へ注入されていった。


ホールは、水を打ったように静まり返っていた。


全員の視線が、中央の一点へ注がれている。


液体が、青白い物質へ触れた。


――何も起こらない。


三秒。


五秒。


十秒。


また失敗か。


誰もがそう思い始めた、その時だった。


青白い物質が――わずかに震えた。


「反応あり!」


誰かが叫ぶ。


次の瞬間。


物質はゆっくりとその形を伸ばし始めた。


まるで自らの意思を持つ生物のように。


人工液を包み込むように、その身体を静かに広げていく。


同時に、すべての観測機器が一斉にデータを更新し始めた。


「エネルギー値、安定」


「分子構造、安定しています」


「磁場、正常」


「生命指標も安定――」


報告が次々と飛び交う。


張り詰めていた空気が、少しずつ緩んでいった。


やがて、どこからともなく拍手が起こった。


目に涙を浮かべている者さえいた。


数か月。


彼らはようやく――初めて、本当の意味で成功したのだ。


その時だった。


一人のオペレーターが、不意に動きを止めた。


「……待ってください」


声が震えている。


「この数値……」


「どうして、まだ上がってる?」


拍手が止んだ。


ホールが再び静まり返る。


全員の視線が、メインスクリーンへ向けられた。


これまで一度として観測されたことのない曲線が――あらゆる予測モデルを越えて、なお上昇を続けていた。


エネルギー出力。


一〇〇パーセント。


一二〇。


一五〇――。


「実験を止めろ!」


トムが怒鳴った。


「注入を直ちに中止!」


機械アームが瞬時に引き戻される。


培養槽が強制隔離モードへ移行した。


供給されていたエネルギーも、次々と遮断されていく。


数秒後。


メインスクリーンの数値が、ようやく下降を始めた。


ホールのあちこちから、一斉に安堵の息が漏れる。


「遮断成功」


「エネルギー、減衰しています」


「危険域を離脱――」


その場にへたり込む者までいた。


ジョンもゆっくりと息を吐いた。


一分近く強張り続けていた肩から、ようやく力が抜ける。


その時。


実験ホールの最奥で。


――ピッ。


ごく小さな電子音が鳴った。


誰も気づかなかった。


培養槽の外側。


空気が、わずかに歪んだ。


真夏の陽炎に揺れるアスファルトのように。


実験台の縁に置かれていた金属製のピンセットが――何の前触れもなく赤熱し始める。


次の瞬間。


――パンッ!


ピンセットが弾け飛んだ。


「何だ!?」


研究員が勢いよく立ち上がる。


直後。


別の場所でも、異変が始まった。


ガラス製のビーカー。


鋼鉄製のトレー。


実験記録を綴じていたステープル。


周囲にある金属という金属が、何の前触れもなく急激に熱を帯びていく。


空気のあちこちで、乾いた破裂音が連続した。


「シールド外部に未知のエネルギー反応!」


「隔離フィールドを透過しています!」


「なぜ防壁が止めない!?」


「放射線じゃない!」


「そのまま抜けてくる!」


全員の顔色が変わった。


その瞬間になって、ようやく彼らは理解した。


本当に危険なのは――


培養槽の中にあるものではない。


彼らがまだ、その存在すら理解していない――何らかの「場」だった。


実験台のガラス器具が次々と砕け散る。


照明が激しく明滅する。


空気そのものが、巨大な見えない手に掴まれ、捻じ曲げられているかのようだった。


鋼鉄製の装置の一部が引き剥がされ、フェイマンへ向かって飛んだ。


「教授!」


ナンシーは、考えるより先に動いていた。


フェイマンへ飛びつき、その身体を覆うように床へ押し倒す。


鋼板が、二人のすぐ脇へ激突した。


ガラス片が四方へ飛び散る。


「全電源を落とせ!」


「実験を完全に切れ!」


トムの命令は、もはや怒号だった。


ジョンは真っ先に中央制御盤へ駆けた。


警告灯が狂ったように明滅している。


電子制御系は、すでに完全に機能を失っていた。


ジョンは制御盤側面の鋼鉄製カバーを跳ね上げた。


その奥から現れたのは――これまで一度として使われたことのない、機械式の主電源遮断レバーだった。


手を伸ばす。


掌が冷たい金属に触れた――その瞬間。


聞き覚えのある笑い声が、何の前触れもなく耳の奥へ入り込んできた。


「クッ……クク……」


小さい。


それなのに――まるで耳のすぐ後ろで笑っているように近い。


ジョンの瞳孔が収縮した。


首筋の毛が、一斉に逆立つ。


あの地下室で聞いたものと、まったく同じだった。


どこから聞こえているのか分からない。


室内のどこかからなのか。


それとも――直接、頭の中に響いているのか。


確かに聞こえた。


だが今度は。


ジョンは振り返らなかった。


音の正体を探すための時間すら、自分に与えなかった。


両手でレバーを掴む。


歯を食いしばり――


一気に押し下げた。


――ガコン!


重い機械機構がロックポイントを越え、主電源遮断レバーが最下部まで叩き込まれる。


笑い声が、途絶えた。


次の瞬間。


地下実験区全域に、第一級電源遮断シーケンスの警報が鳴り響いた。


赤い非常灯が、一斉に点灯する。


ホール上部を走る直径五メートル近い主供給管が順次閉鎖され、巨大な電磁弁が腹の底に響くような衝撃音を立てた。


地下施設全体が、わずかに震える。


周囲では、高圧コンデンサ群が強制放電を開始していた。


太い冷却管から、大量の白い蒸気が噴き出す。


まるで巨大な鋼鉄の獣が、荒い息を吐いているようだった。


実験を維持していた数百台の大型装置が、次々と停止していく。


幾重にも重なっていた低い駆動音が、一つ、また一つと消えていった。


まるで――


この地下都市そのものが、ゆっくりと自らの鼓動を止めていくかのように。


中央実験槽へ流れ込み続けていた莫大なエネルギーが、段階的に断ち切られていく。


拳にも満たない未知の物質を目覚めさせるために。


人類は、この地下施設そのものを動かした。


そして今。


それを再び檻の中へ押し戻すために――


同じ施設のすべてを使わなければならなかった。


最後の緊急遮断シーケンスが作動する。


実験槽の周囲を覆っていた、肉眼ではほとんど捉えられない空間の歪みが、少しずつ薄れていった。


実験台の温度上昇が止まる。


宙に浮かんでいたガラス片が、次々と床へ落ちた。


空気が静まった。


スクリーン上のエネルギー曲線も急速に下降し――


やがて、安全閾値を下回った。


ホールに、静寂が戻った。


消え残った白い蒸気だけが、照明の下をゆっくりと漂っている。


まるで――


何も起こらなかったかのように。


培養槽内部の光も、ようやく完全に消えた。


それと同時に。


空気を押し潰すように満ちていた圧迫感も、ゆっくりと薄れていった。


真っ先にその場へ座り込んだ研究員が、防護マスクを外した。


肩を大きく上下させながら空気を吸い込む。


額からは、汗が止めどなく流れていた。


操作台へ身体を預けたまま、震える脚で立っている者もいた。


静まり返った培養槽を呆然と見つめ、いつまでも動けない。


別の研究員が、机へ拳を叩きつけた。


「……あと少しだったのに」


数か月にわたる努力。


最後の一歩を越えられるところまで来ていた。


それでも――失敗した。


研究員たちは黙ったまま、床に散乱した記録を拾い始めた。


割れた眼鏡を慎重に拾い上げる者もいる。


レンズは、真っ二つに裂けていた。


焼損した機器を前に、言葉を失っている者もいた。


どれも高価な装置だった。


それ以上に――その多くは、地球外技術を応用して改造された、代替の存在しない試作機だった。


歓声はない。


不満を口にする者もいない。


ただ。


死を免れた者たちだけが知る、重い沈黙がそこにあった。


中央制御盤の前で、トムはゆっくりと軍帽を脱いだ。


眉間を深く揉む。


再び封鎖された実験槽を、長いあいだ見つめた。


やがて、大きく息を吐く。


「記録はすべて封印する」


「本日の実験は、ここまでだ」


声には、隠しきれない疲労が滲んでいた。


それ以上に――


押し殺した苛立ちがあった。


あと一歩だった。


成功したと。


ほんの一瞬、本気でそう思った。


だが結局――失敗した。


それでも。


少なくとも、死者はいない。


トムは軍帽をかぶり直した。


表情から感情が消え、軍人の顔へ戻っていく。


「後方支援班は、設備の損傷状況を確認」


「理論班は全データを再解析しろ」


「実験は一時凍結する」


「再整備が完了次第、次の試験へ移る」


研究員たちが、低い声で応じる。


ホールは再び動き始めた。


装置を停止させる者。


記録を整理する者。


工具車を押して現場へ入り、損傷した機器を確認する者。


少しずつ。


実験室には、いつもの秩序が戻り始めていた。


まるで先ほどの異常事態など――


運よく大事に至らなかった、ただの事故にすぎなかったかのように。


ジョンもようやく、長い息を吐いた。


張り詰めていた肩から、少しずつ力が抜けていく。


ふと両手へ目を落とす。


そこで初めて気づいた。


掌が、いつの間にか冷たい汗で濡れていた。


終わった。


少なくとも――今は。


ジョンは一度目を閉じ、乱れた呼吸を整えようとした。


だが。


そのわずかな静寂の中で――


ふと思い出した。


あの笑い声。


ジョンは目を開いた。


さっき。


主電源遮断レバーへ手を触れた、まさにその瞬間。


あれは再び現れた。


偶然にしては――出来すぎている。


まるで。


自分がそこへ手を伸ばすのを、ずっと待っていたかのように。


緩んだはずの肩が、再び強張る。


ジョンはゆっくりと顔を上げた。


沈黙した制御盤。


惨憺たる有様の実験ホール。


そして最後に――


視線は培養槽へ向かった。


何もない。


それでも。


安心することはできなかった。


あの感覚が、また戻ってきていた。


何かを見たわけではない。


何かを聞いたわけでもない。


ただ――


理性では説明できない警戒心だけが、身体の奥に残っている。


まだ終わっていない。


ジョンは振り返った。


まずは、今もフェイマンを庇うように伏せているナンシーを起こそうとした。


その瞬間だった。


培養槽の中央に――


光が灯った。


警告はなかった。


装置が再起動する音もない。


地下実験区の主電源は、間違いなく物理的に遮断されている。


それなのに。


言葉では形容できない青白い光が――


何の前触れもなく、あの物質の内側から溢れ出した。


音はなかった。


爆発もなかった。


ただ。


世界のすべてが――


純白に染まった。


ジョンは反射的に腕を上げ、目を庇った。


だが。


その光は――


瞼を通り抜けたのではない。


まるで直接、意識の中に生じたかのようだった。


視界が、白に呑み込まれていく。


そして。


すべての音が――


消えた。


次の瞬間。


耳を裂くような耳鳴りが、突如として鳴り響いた。


世界が回転する。


身体から、重さが消えた。


意識だけが――底のない深海へ沈んでいく。


音はない。


光もない。


上下も、左右もない。


ただ、言葉では形容できない静寂だけが、ゆっくりとすべてを呑み込んでいった。


自分が落ちているのか。


それとも、世界のほうが遠ざかっているのか。


ジョンには、もう分からなかった。


その時。


暗闇の中で――


何かが、目を開いた。


それが何なのか、ジョンには形容できなかった。


眼ではない。


生命ですらない。


むしろ、人間の認識そのものを超えた何かが、別の次元から――ゆっくりとこちらへ視線を落とした。


ただ、それだけだった。


それだけで。


ジョンの思考は、内側から崩れ始めた。


最初に意味を失ったのは――距離だった。


自分がまだ実験室に立っているのか。


それとも、尺度という概念すら成立しない何処かへ落ちてしまったのか。


分からない。


巨大な輪郭が幾重にも重なり合い――


さらに、その内側から別の輪郭がゆっくりと生えてくる。


山岳のようにも見えた。


都市のようにも見えた。


黒々とした巨大構造が、知覚の果てまで延びている。


その間には、用途の想像すらつかない柱状構造や、深い溝が無数に走っていた。


ある部分は、地層のように幾重にも積み重なり。


別の部分は、巨大な建造物群を思わせる規則的な輪郭を形作っている。


ジョンは、呆然とそれを見つめていた。


やがて。


その「山」の一つが――動いた。


ゆっくりと。


あまりにも、ゆっくりと。


巨大な稜線が持ち上がり――


再び沈んだ。


まるで。


呼吸しているかのように。


ジョンの身体が硬直した。


そこで初めて気づく。


あれは岩ではない。


山脈だと思っていた表面を覆っているのは、暗赤色と灰白色が複雑に入り交じった何かだった。


それらは互いに絡み合い。


幾重にも積層し。


目に見えない力に従って、ゆっくりと収縮している。


――筋肉。


大地を横断していた「峡谷」も、峡谷ではなかった。


その奥では、黒く粘性のある何かが流れている。


一度脈打つたび。


周囲の広大な「地表」が、それに合わせて隆起し――沈む。


そしてジョンは気づいた。


都市のように並んでいる、あの構造物も。


建物ではない。


血肉から――生えている。


巨大な灰白色の柱が、暗赤色の組織を突き破って伸びていた。


互いに交差し。


枝分かれし。


さらに高い場所で、再び連結している。


工学構造物を思わせるほどの精密さ。


その一方で。


そこには、生物の骨格だけが持つ不規則な湾曲があった。


――骨。


その認識が生まれた瞬間。


ジョンの胃が、激しく収縮した。


もし、あれが骨なら。


自分が今まで「都市」だと思っていたものは――


いったい、どれほど巨大なのか。


それ以上は考えたくなかった。


だが。


彼の恐怖など、そこに存在するものには何の意味もなかった。


さらに遠く。


平原だと思っていた領域が、突然裂けた。


数十もの巨大な裂け目が、一斉に開いていく。


その内部に、歯はなかった。


ジョンが知る、いかなる器官も存在しない。


ただ。


幾重にも重なった半透明の膜状組織が、深部でゆっくりと開閉を繰り返していた。


それが閉じるたび。


周囲の空間そのものが――ごくわずかに歪む。


吐き気にも似た感覚が、ジョンを襲った。


――呼吸している。


違う。


そう理解した直後。


さらに深い場所にある何かが、その判断を否定した。


「呼吸」。


それはただ――


人間の脳が、目の前で起きている現象に対して辛うじて与えることのできた、最も近い言葉にすぎない。


本当にそこで行われている現象には。


そもそも――対応する人間の言葉など存在しないのかもしれない。


ジョンは本能的に視線を逸らそうとした。


できなかった。


目を閉じようとする。


それすら、何の意味もなかった。


その時になって。


ようやく理解した。


自分は――


眼で見ているのではない。


それらは直接。


彼の意識の中に存在していた。


そして。


なおも深部へ向かって――展開を続けている。


血肉の下に、さらに構造がある。


構造の下には、また血肉がある。


ジョンの脳がその一部に、辛うじて理解可能な「形」を与えるたび。


次の瞬間には、その形そのものが崩壊した。


そして、その下から。


さらに巨大で。


さらに異質な何かが露出する。


山岳は、組織だった。


都市は、骨格だった。


河川は、脈打っていた。


そして。


あらゆる表面を覆っていた紋様までもが――


動き始めた。


文字ではない。


少なくとも。


最初は、そうではなかった。


紋様は血肉を這い。


骨格を渡り。


名づけることすらできない構造の表面を、ゆっくりと移動していく。


交差し。


分裂し。


再び結合する。


ジョンがそれを見つめていると――


脳内に、奇妙な「意味」が生まれ始めた。


どの言語にも属していない。


音ではない。


文章でもない。


口に出すことのできる、いかなる概念でもない。


それなのに。


自分が今――


それを「読んでいる」ことだけは、分かった。


その事実は。


眼前に広がるあらゆる血肉よりも――ジョンを恐怖させた。


なぜなら。


自分は――


理解し始めている。


「……やめろ」


本当に声が出たのか。


ジョン自身にも分からなかった。


「やめてくれ……」


何も応えなかった。


その直後。


すべての紋様が――


同時に停止した。


ジョンも動けなくなった。


尺度すら判断できない巨大構造のすべてが、その瞬間、完全な静止状態へ入った。


血肉の隆起が止まる。


「河川」の脈動が止まる。


裂け目の奥にあった膜状組織さえ――


半ば開いた状態で、静止していた。


何かが起きた。


ジョンには、それが何なのか分からない。


次の瞬間。


紋様が、再び動き始めた。


一つ。


十。


百。


千。


やがて――数えることすらできなくなった。


山岳のような血肉から。


都市のような骨格から。


そして、知覚の彼方にある――さらに遠い何処かから。


無数の紋様が。


ゆっくりと。


その向きを変えていく。


やがて。


そのすべてが――


たった一つの場所を指した。


自分。


ジョンの呼吸が止まった。


一つの認識が。


何の前触れもなく、意識の中へ生じた。


――気づかれた。


続いて。


もう一つ。


――あれは、自分が見られていることを知った。


その瞬間。


ジョンは初めて――本当の恐怖を知った。


死ぬことが怖いのではない。


ようやく理解したのだ。


これまで。


自分が「あれ」を観察していたのではない。


ただ――


「あれ」が今まで。


自分へ注意を向けていなかっただけなのだ。


次の瞬間。


幾重にも重なる巨大な輪郭の中央で。


何かが――


ゆっくりと。


こちらを向いた。


その姿を、ジョンは理解できなかった。


いや。


理解しようとした。


ただ、それだけで。


意識そのものが、激しく震え始めた。


眼前のすべてが歪む。


空間が――紙のように折り畳まれる。


時間が――水のように流れ去っていく。


無数の。


古く。


聞いたこともない囁きが――


あらゆる方向から、一斉に押し寄せた。


一つの言語ではない。


それなのに。


あらゆる言語であるようにも聞こえた。


それらは。


同じ発音を――


何度も。


何度も。


繰り返していた。


その音は、ジョンの知るいかなる言語にも属していなかった。


いや。


そもそも――


この世界の内側で、自然に生まれ得る「音」とすら思えなかった。


それなのに。


なぜか。


意味だけは――分かった。


まるで。


それが人類の言葉となるよりも遥か以前から。


人間という種の、最も深い場所に――


刻み込まれていたかのように。


ジョンは必死に、その音を聞き取ろうとした。


その時になって初めて。


両耳から――


血が流れていることに気づいた。


次の瞬間。


すべての光景が――


砕け散った。


世界は再び。


目を灼くほどの――


純白へと還った。


それが。


ジョンの意識が途切れる直前に見た――


最後の光景だった。

科学は、未知を既知へ変えてきました。

観測し、記録し、再現する。

そうして人類は、世界を少しずつ理解してきた。

けれど、もし――

観測するという行為そのものが、

向こうから観測されることを意味するとしたら。

それでも私たちは、未知を覗くのでしょうか。

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