魔窟(まくつ) はごろも荘
「廃墟じゃないの?」
と、問いかけるハルミに、
「廃墟ではない」
と、首を横に振るウォルフィ。
「その証拠に、家賃を取られる」
「いろいろとありがとう、ハルミ」
フリーマーケットの受付を終えた後のことだった
「よかったら、うちでお茶でもどうだ。すぐそこに住んでるんだ」
と、誘われるがままについてきた、ウォルフィの住まい。
「ほ、本当に存在したんだ……」
そのアパートを見あげたハルミは、思わず絶句した。
燃えないゴミを集めてできたようなその建物のすがたは、アパートというよりは遺跡に近かった。
雨つゆをしのぐというよりは、むしろそれらを受けとめるようにあちこちがへこんだ屋根。
どう見ても、壁にもたれかかっている柱。
開くと建物が倒壊する危険のあるドアや、雨が降ると閉まらなくなる窓。
建物を構成するすべての要素が、本来の役目とは真逆の状況に陥っている建造物。
「どうしてもはごろも荘に行くというのならば、この父を倒してから行くがよい」
と、地元の子供は聞かされて育つ。
都市伝説だとばかり思っていたその場所が自分の目の前にあることに、ハルミは軽い戦慄を覚えた。
歩くたびにギシギシと音を立てるお化け屋敷の通路みたいにうす暗い廊下。
その上を、おっかなびっくり進んでウォルフィの部屋の前にたどりついたハルミは、
「うわあ」
中をのぞき込んだ瞬間に、声をあげた。
服、服、服。
あっちにも服。こっちにも服。
きれいに畳まれて腰の高さぐらいにまで積み重ねられた、しかし足の踏み場もないほどの服。
床だけではない。壁も柱も窓さえも服が掛けられたハンガーでおおい隠されている。
「あっ、あの服は」
ハルミは目を見はった。
先週の土曜日に綺羅綺羅寿司の従業員たちが着ていた、バラバラにほどけて布きれになったはずの割烹着。
それらがきれいに洗濯された上に、元どおりに縫いなおされてハンガーに掛けられていたからだった。
「ねえ、ウォルフィ」
積み重ねられた服を崩さないように、ソロソロとつま先立ち歩きをしながらハルミは尋ねた。
「なんだ」
服と服との谷間に座った少年が、電気ポットでお湯を沸かしながら返事をする。
「どうして、物置きに住んでるの?」
「物置きではない、マイルームだ」
「でも、服でいっぱいだよ」
「資料だ」
「資料?」
「服の勉強をしているんだ。だから参考になりそうな服を見かけたら、ついつい買ってしまうんだよ」
服の谷間に正座したハルミに、緑茶のはいった湯呑みを勧めるウォルフィ。
「ああ、その湯のみだが、両手でギュっと握りしめてくれ」
「どうして?」
「ひび割れてるんだ。両がわから強く押しつけないとお茶が漏れる」
「……ところで、ふだんは何をやってる人なの?ウォルフィは」
「学生だよ。中等科の五年生、ニッポンでいうと高校一年生だな。今は春休みを利用して、あちこちを旅行している」
放浪修行という風習がドイツやオーストリアにはある。
大工や家具職人になる若者を、マイスターと呼ばれる一人前の職人に育てるために修行の旅に出すことだ。
同じようにウォルフィの一族にも、十七歳になると外国に旅をさせて色々な経験を積ませる習わしがあるらしい。
そこで、ウォルフィは日本を選んだ。
「じつは、母さんがニッポン人なんだ」
ボロアパートの部屋で、ヒビのはいった湯のみを手にしてウォルフィは語った。
どうりで、日本語がうまいと思った。
幼い頃に母親から聞かされた、日本の昔ばなしや子守り歌。
時々手に入る絵本やマンガ、映画やアニメーションのDVD。
そして、それらの物語の中にたびたび登場する、漢字のたくさん入った服を着こなす人々。
「いつかはニッポンに行って、同じ服を着て生活してみたかったんだ」
と、ハンガーに掛けられた色とりどりのヤンキーファッションをうれしそうに眺めるウォルフィ。
「ほんと、漢字ってクールだよね?!」
どうやら映画に出てくるサムライやニンジャにあこがれるように、この少年は日本のヤンキー文化に魅せられてしまったらしい
「服だけじゃないぞ。住むところにもこだわったんだ。ニッポンには、『詫び』や『寂び』の文化があるからな。ぜひともそれを体験してみたかったんだ」
歪んだりヒビが入ったりした不完全なものから美しさを見いだす『わび』という考えかた。
あるいは衰えたり古くなったりしたものから味わうことのできる『さび』の魅力。
そういった日本独特の文化のなかに、じかに身を置いてみたかったという。
「その意味では、このアパートは理想的だ」
と、嬉しそうな表情でボロアパートの擦り切れたタタミをなでるウォルフィ。
理想的?このアパートが?
「シンプルなところがいい。台所もトイレも共同でフロは無し。無駄を省いたミニマルな美しさは、わびを極めていると言っていい」
単に貧しいだけだと思うけど。
「建物の形も独創的だ。屋根とは本来、雨を防ぐためのものなのに、逆に受けとめるように凹んでいて、そこから生えた苔や草によって周囲の景色と調和している」
いやいやいや、そこってホントは修理が必要なところだから。
「部屋の中も味わい深い。たとえばこの天井だ。真ん中がゆるくカーブを描いた、まるで赤ちゃんのおしりみたいな優しい形状をしている」
それって、二階の床が重みで抜けかかっているだけじゃないの?
「柱にも工夫がある。わずかに傾けることで壁と柱の間にすき間をつくり、外の空気を取りこむように計算されている」
倒れかかってるだけだよ!危ないよ、ここ!
「台所はゴキブリが気絶しそうなくらいに汚いし、トイレで用を足すことは拷問に等しい。せまくて古くて隣の部屋の話し声はまる聞こえ。昼間はうだるように暑いくせに、明けがたは風邪を引きそうになるくらいに寒い。自然と一体化した、つつましやかな暮らし……」
なんだか腹が立ってきたな、聞いてるうちに。
「さて、そろそろフリーマーケットの準備をするか」
そう言ってウォルフィは古ぼけたトランクを引き寄せると、カチャリと音を立てて止めがねを外した。次の瞬間、
「わ、何これ?」
パタパタと四方にトランクの外蓋が倒れ、中からいくつもの引き出しを持った四角い箱が現われた。
ソーイングボックスと呼ばれる、洋服の仕立て道具のはいった道具箱。その中に収められていたのは、
「すごい……」
背すじを伸ばして整列した銀色の兵士たちのような、さまざまな長さや太さの針。
たくさんの糸巻きやカードに巻きつけられた、色も材質も異なる糸。
針のお尻を受け止めるためのツブツブ模様がはいった銀製の指ぬきや、手首に巻きつけて使うためのリストバンドがついた別珍の針刺し。
三角定規や曲線定規、竹でできた物差しやスチールでできた巻き尺。
肌に巻きつけても皮膚を傷つけない、やさしい材質でできたテープメジャー。
中でもすごかったのは、生地を裁断するときに使う刃渡りが三十センチちかくある裁ちばさみだった。
それは、特別なハサミだった。
ハルミもマイ包丁を持っているからわかる。
いい材料でできているとか名人に作られたとか、手入れが行き届いているとかいうレベルではない。
仕事で使う道具、とくに刃物には、使い込んでいくうちに人間を導いてくれるような気配を持ち始めるものがある。
それを手にした人間がどんなふうに振る舞えばいよいのか、使い手に語りかけてくるようなオーラをそのハサミは纏っていた。
「ところで、ハルミ。フリーマーケットで店を出すときに着る服なんだけど、どれがいいと思う?」
ハルミが振り返ると、そこには買い集めた何枚もの服を腕いっぱいに抱えたウォルフィのすがたがあった。
おそらく古着屋で漁ってきたのだろう。それはありとあらゆる素材でできた、さまざまな和服のコレクションだった。
普通の着物だけではない。お坊さんの着る袈裟や、神社の神主さんが着る狩衣。よくよく見れば中学校の名前の入った柔道着や高校の名前の入った剣道着、小学校の名前の入った帽子や幼稚園の名前の入ったリュックサックまで混じっている。
共通しているのは、どの服にも漢字が刺繍されたりプリントされている点だろうか。
その中から
「これなんかどうだい。漢字をふんだんに使ってあるし。いかにもニッポンって感じだろう?」
「そっ、その服は……」
「できるだけニッポン人らしい服がいいとか思うんだ。まわりに自然と溶けこめるような」
と、亡くなった人をお棺に入れる時に着せる、白地にびっしりとお経が書きこまれた経帷子を自慢げに見せるウォルフィ。
「溶けこめるかあっ!」
ハルミは思わず声をあげた。
「逆に浮きまくるわい!」
「浮く?これが?とてもシンプルで落ち着いたデザインに見えるけれども」
ほら、と経帷子を羽織ってみせようとするウォルフィの手から、
「落ち着いてない!ほぼ罰ゲーム!」
と、ひったくるハルミ。
その後、ウォルフィを説得するのに一時間近くかかってしまった……




