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お好み焼屋のキャベキリスト


「ただいまあ!」 

  と、叫ぶような大声でガラリと横開(よこびら)きの格子戸(こうしど)を開けると、


「おかえりい!」

 と、やはり叫ぶような大声で返ってくる、父さんと母さん、そして弟の声。


「せとみ屋」というお好み焼き屋をやっているハルミの家は、お店と家の玄関が共同である。

 なので、扉を開ける前には中に聞こえるくらいに大きな声で「ただいま」を言わなければならない。

 さもないと、


「いらっしゃいませ!」

 と家族全員からあいさつをされたうえに、

「お一人さまですかあ?カウンターへどうぞ!」

 と満面の笑みで迎え入れられたあげく、

「お飲み物は?」

 と聞かれたりするのである。

 もちろんハルミが店に出ている時は、すすんで同じことをする。瀬戸宮家とは、そういう家なのだ。


 土曜日の夜。

 それは「せとみ屋」にとって戦場だ。

 

 もうもうと店の中にたちこめる、香ばしいソースの香り。

 お好み焼きをひっくり返すコテが鉄板をすべる音や、カチャカチャと楽しげな音を立てて触れあうグラスの音。

 そのあいだから聞こえてくるお客さんたちの話し声や笑い声。

 それらが(せま)い店の中に、わーんと耳鳴りのように響いている。

 そこに、


「カウンター七番さん、海鮮(かいせん)ミックスお好み焼きエビチリソースがけ、おまたせ!」

 と、カウンターの中から飛んでくる父さんの声や、


「三番テーブルさん、オムそばグリーンカレー味でパクチートッピング、ブタキムチ焼きそばハバネロトッピングで!」

 と、フロアで注文をとる母さんの声。


「二番テーブルさんに生ビール二つ追加!」

 と、ドッヂボール部の練習を終えて帰ってきた小学四年生の弟であるユースケも、土日だけは手伝いに走りまわる。


「お帰りなさい、ハルミちゃん」

 クローシェ(ぼう)と呼ばれる1920年代に流行した釣鐘型(つりがねがた)帽子(ぼうし)をかぶった年配の女性が、常連席であるカウンターの奥からニッコリと笑いかけてきた。

 この町でアンティークショップ「薔薇(ばら)蝙蝠(こうもり)」を経営する、マダム華子(はなこ)である。

 灰色のワンピースに黒いガウンのようなゆったりとした着を羽織(はお)り、真珠(しんじゅ)のネックレスを合わせた、レトロで垢抜(あかぬけ)けた着こなしだ。ちなみにマダムは商店街の代表である会長を(つと)めている。

 そのとなりから、


「スタンプラリーの呼びこみ、お疲れさん!」

 と声をかけてくるのは、副会長の「イワイ鮮魚」の大将だ。

 ツルツルに禿()げあがった頭と黒い(あご)ひげにダルマさんみたいなギョロリとした目玉。

 店さきに立っている時はいつもねじりハチマキにゴム製のエプロンすがただが、仕事を終えた今は野球帽にポロシャツだ。


「ほんっと、感心な子ねえ。女にしておくのがもったいないわあ」

 と、可愛(かわ)らしいローズピンクのリップが塗られた(くちびる)から深みのある低い声で語りかけてくるのは、会計係を引きうけている「ニューハーフバー・かおる」の店主、かおるママだ。

 今日はプラチナブロンドに染めあげた髪を和髪(わがみ)に結い上げて、ゆるめに(えり)を抜いた「つけ下げ」と呼ばれる女性用の着物すがたである。

 指に大きめの指輪をたくさんつけているのは、少しでも指さきを細く見せる工夫だという。


 三人とも、今年の商店街のイベントを取りしきる世話役たちのリーダーたちである。

 どうやら、来週おこなわれるフリーマーケットの打ち合わせのために集まったらしい。


「アヤコちゃ―ん、二番テーブルの麻婆(マーボー)焼きそば白ネギトッピング辣油(ラーユ)がけおまたせ!」

 カウンターの中から、父さんの声が聞こえた。


 坊主頭に丸メガネ。ずんぐりとした大きな体に「せとうち」のロゴが入ったTシャツすがた。

 いい年こいたオッサンのくせに、いつまでたっても母さんを「ちゃん」づけで呼ぶ。


 その母さんといえば、父さんとは正反対の小柄でほっそりとした体つき。

 お団子に結い上げた髪の毛を頭のてっぺんでまとめて、やはりお(そろ)いのTシャツすがたで、


「シュンペイくーん、カウンター四番さんに欧風(おうふう)野菜のお好み焼きトマトソースがけチーズトッピング追加!」

 と、いまだに父さんを「くん」づけで呼ぶバカップル。


 けれどもこの二人が作る「せとみ屋」の料理は、ほかの店では真似することのできないケタはずれの美味しさを誇る。


 小麦粉オタクの父さんが麦の品種はおろか(つぶ)の大きさから粉を()く温度にまでこだわった生地で焼き上げるお好み焼き。


 そこに加わるのは香辛料マニアの母さんが「アンタたちを産むよりも大変だった」と()らすほどに研究に研究を重ねた、口に入れた瞬間に舌がほどけてしまいそうな香りと旨みをとじ込めたソース。


 テレビの取材に訪れたリポーターが食べた瞬間に「視聴者に知らせたくなあい!」とダダをこねて放送されなかったという、いわくつきの店である。


「ところでハルミちゃん、次はいつ舞台に立つのかしら?」

 マダム華子(はなこ)が、カウンターから声をかけてきた。

「決まったら早く教えてね。うちの家族はみんな、ハルミちゃんのファンなんだから」


 舞台。


 その言葉を聞いた瞬間だった。

 まるで別の生き物のように、ピクリと自分の肩が(ふる)えたことにハルミは気がついた。


「あ、ありがとうございます……」

 と、力なく(つぶや)いたその背中に、


「ハルミ、キャベツ(きざ)んで!」

 助け舟を出すように、母さんの声がとんだ。

「あんたがいなかったから今日の仕込みがまだ終わってないのよ、お願い!」


「り、了解!」


 ハルミは厨房(ちゅうぼう)に駆け込むと、ハッピを脱いでスウェットの袖をまくった。

 手のひらで石けんを十分に泡立ててから肘のつけ根から爪の隙間までこすりつける。そうやって肌に十分に馴染(なじ)ませてから水道の水で流し落とすと、


「むん!」

 と、愛刀である「斬葉丸(ざんようまる)」を手にして気合を入れた。

 ちなみに斬葉丸とは、ハルミのマイ包丁の名前である。


 キリリと前かけをしめて四十五度の角度でまな板の前に立ったハルミは、

「いざ」

 デンと置かれたキャベツの玉をつかみ、根元に切り込みをいれて次々と葉をはがすと、


「おおりゃあああああ!」

 物心づいた時からキャベツを切り続けてきた「キャベ切りスト」であるハルミの前で、みるみるうちに積み上げられていくキャベツの千切(せんぎ)り。


 切って、切って、また切って。

 切って、切って、切りまくる。


「そう言えば来週から始まるフリーマーケットなんだけど、ひとつキャンセルが出ちゃってさあ」

 休むことなくキャベツを(きざ)むハルミの耳に届く、かおるママと父さんの話し声。


「せとうちさん出店しない?商店街の会費を払ってる所はタダなんだけど」

「いやー、うちは焼きたてにこだわってますからねえ」


 切って、切って、また切って。

 切って、切って、切り続ける。

 しかし、


(次はいつ、舞台に立つんだい?)

 先ほどマダム華子(はなこ)からかけられた言葉が、頭の中でグルグルと回り続けていた。


 舞台、か。


 いつの間にか、キャベツを刻む手が止まっていることにハルミは気がついた。

 

 刻んでも、刻んでも。

 どれだけまな板の上にキャベツの山を積み上げても。

 どうしても、その言葉が頭の中から離れない。


(あれから、もう一か月近くがたつって言うのに……)

 

 そこでハルミは何かを忘れようとするようにブンブンと首を左右に振ると、ふたたびキャベツを切ることに没頭(ぼっとう)した。


 切って、切って、また切って。

 切って、切って、切り続けた。


「おねえちゃん、キャベツ切れた……うわっ、切りすぎだよ!」

 と、悲鳴のようなユースケの声が聞こえるまで。


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