扉の向こう側の少年
「話しかけても、いいか」
寝室の外から、心配そうな表情ででこちらをのぞき込んでいるウォルフィのすがたが見えた。
栗色の髪に合わせたネクタイや靴に、瞳の色に合わせた青みがかったグレーのスーツ。
憎らしくなるほどに互いを引き立てあう、洗練された着こなし。
けれどもその正体は、すがたを見ただけでオーク族が逃げ出すオオカミ人間だった。
「……ひどいよ」
ドアの外に向かってハルミは言った。
自分でも顔がこわばっているのがわかった。
「なぜ、今まで黙ってたの」
「……すまない」
ウォルフィが顔を伏せた。
「もっと早く、せめてこの世界に来るまでに言うべきだった。
けど、どうしても言い出せなかった」
「どうして?」
「ハルミにだけは、嫌われたくなかったんだ」
「え?」
「怖かったんだ」
しぼりだすような声で、ウォルフィが言った。
「はじめて会った時からずっと、ハルミのことを思わない日はなかった。
いっしょに居るだけで楽しくて、他には何も要らなくて。
気がついたら、ハルミのいない生活が考えられなくなっていた」
「……」
「「ハルミの顔を見るたびにいつも、からだごと大きな波にさらわれていくみたいな気持ちになった」
顔をうつむかせたまま、ドアの向こうから語りかけてくるウォルフィの声。
「一秒でも長く一緒に居たくて、眠るときはいつも次の日がくるのが待ち遠しくて仕方がなかった。
少しでも早く明日がきてくれるように、太陽が昇る方角に走りだしたくなるくらいに」
(どうして)
ハルミは思った。
どうして、今になってそんなことを言うのよ。
はじめて会ったときから変わらない、凍てついた氷みたいな瞳。
めったに感情をあらわにすることのない、陶器でできた人形みたいな横顔。
いつも醒めた表情で、服のことばかり考えて。
弱みなんて一度も見せたことがなかったくせに。
なのに、
「だまそうなんて気持ちは、これっぽっちもなかった」
ウォルフィの声は続く。
「一日が終わるたびに、明日はちゃんと言おう、今度こそは打ち明けようと心に誓うんだ。
けれども次の日にハルミの顔を見たとたん、頭の中が真っ白になってしまうんだ。
本当のことを打ち明けて、会えなくなってしまうことが恐ろしすぎて。
この瞬間の幸せを、ただただ失いたくなくて……」
小さい子供みたいだ。
扉の向こう側に立っている少年の声を聞きながらハルミは思った。
ひとりぼっちの、小さな男の子。
その声が、誰の耳にも届くことのない真空の世界で、
―信じて―
と訴え続ける子どもの泣き声のように、ウォルフィの声はハルミに聞こえた。
ハルミはベッドから足をおろすと、裸足のまま床に降りた。
一歩、また一歩。
冷たい大理石の感触を足の裏に感じながら、少年に歩み寄る。
「ずるいよ」
ウォルフィの前に立って、ハルミは言った。
「ずるい、ウォルフィは」
ハルミの肩に、ウォルフィが顔をあずけた。
その場所に立ち止まったまま、ハルミはウォルフィの体を支えた。
支えながら、ワンピースの肩に温かい涙がにじんでいくのを感じていた。




