世界で最も美しいシワ
「カンパネアは神聖帝国の中でも、最も南に位置する土地です。
くわえて活火山であるボルカネロ山から噴きでるガスの影響で、気候は非常に温暖でした」
町の彼方で煙を吐き続ける火山を指さしてヴィンセントさんが言った。
暖かい気候のために羊を育てても羊毛があまり生えず、牛もそれほど太らなかったらしい。おかげで牧畜には不向きな土地とされていたようだ。
「貧しい漁村に追いやられたマクシム公でしたが、しばらくするとこの土地ならではの魅力に気づき始めました。
帝国の首都にいた時には目にすることのなかった美しい海や豊かな自然。
そしてボルカネロ山のふもとから湧き出る、良質の温泉」
そうか、ここは温泉地でもあるんだ。
「しかし、公爵がなによりも衝撃を受けたのは、農民たちが着ていた野良着でした」
「野良着?」
思わずハルミは尋ねかえした。
「野良着って、お百姓さんが畑仕事をする時に着る作業服のことでしょう?
それのどこにショックを受けたの?」
「当時の帝国の貴族たちが着ていた服は、ぶ厚い羊毛でできた生地と生地との間に、馬の毛を撚り合わせた固い芯地を入れて作られていました。
もともとデュエマは大陸の北方に住んでいて、戦いによって南へ南へと領土を広げてきた一族です。
そのため、彼らが着る服は戦場で雨と寒さを防ぐことを第一に作られていました。
彼等にとって服とは、軍服のことだったのです」
そういえば学生服のブレザーや詰め襟も、もとは軍服だったって聞いたことがあるな。
「けれども、この地方に暮らす人々は、服の中に芯地など入れませんでした」
一年を通じて温かく、雨の少ないカンパネア。
そこではぶ厚い羊毛の服は、そもそも必要がなかったのだ。
「貧しい漁村だったおかげで戦火に巻きこまれることもなく、温暖な気候の中でノンビリ暮らしてきたカンパネア人。
彼らの着る服はペラペラのヨレヨレでシワだらけでした」
それじゃあ、ダメじゃない。
「そのシワに、公爵はこれまでにない美しさを見てとったのです」
美しさ?シワに?
「軍服をもとに作られた、丈夫で型くずれのしない北部の服。
完璧なシルエットを保ち続けるガッチリとしたそのすがたは確かに美しい。
けれどもカンパネアで作られた南部の服はそれを着る者に、決して北部の服には現れることのない『この世にまたとないシワ』をまとわせることができるのだ、と」
「この世にまたとない、シワ……」
それまで醜いとされてきた服に浮かびあがるシワを、美しいものとして尊ぶこと。
それは、新しいことや強いこと、あるいは若さや豊かさを最上のものだと考えていた帝国の常識を、完全にくつがえすものだった。
何のことはない。
「自分たちが支配の頂点にある」
そう信じて疑うことのなかった最大最強の帝国が実は、
「頂点でなければならない」
という|思い込みに支配されていた《・・・・・・・・・・・・》ことに、人々は気づかされたのだった。
「哀れな女王様だ!齢にふさわしいシワさえも纏う自由さえ許されぬとは!」
張りのあるテノールで、運転席のヴィンセントさんが歌った。
「歌劇『皇帝の姿見』第一幕の道化師の台詞にも残っている故事です」
色やかたちや質感で「それが何か」ということを表現するのではなく、
「何を問いかけているか」ということに初めて踏みこんだ衣服。
それこそがマクシム公が目指した服づくりだった。
「マクシム公は自ら先頭に立ってカンパネア・スタイルの服の製造を始めました。
ブランドの方針やデザインや品揃え、品質管理や貴族層への売りこみ」
服にお金を惜しまなかっただけあって、おしゃれに敏感な友人は多かったらしい。
斬新なカンパネア・スタイルはあっというまに当時のファッション界を席巻し、一大ブームを起こしたという。
「同時にマクシマム公は、ボルカネロ山のふもとに湧き出る温泉の開発を始めました。
親しい芸術家たちを呼びよせて町を絵画や彫刻でいろどり、いくつもの劇場を建てて毎晩のように歌劇や演奏会をもよおしました。
ここに『芸術で満たされた町』と謳われたカンパネア公国が誕生したのです」
美しい建物。美しい町なみ。
その中を行きかう人々の、しとやかで気品のある身のこなし。
けれどもそれは、土地の農民たちが着ていた野良着の中から見いだされたものだった。
「時代は変わり、カンパネアは王族が国を治める公国から、選挙で選ばれた国民の代表が政治を行う共和国へと生まれ変わりました。
デュエマ家は政治の世界から身を引き、衣服の製造や布地を作る紡績業、リゾート地の開発やホテルを経営するグループ会社となりました。
高級服のブランド『デュエマ』も、その中のひとつです」
「なるほど、実家が高級ブランドを経営していたとはね」
となりの席に座っているウォルフィを、ハルミは横目でチラリと見た。
どうりで服にこだわりがあるわけだ。
「じゃあ、そのカンパネア国王の血を引くウォルフィが、なぜ人間の世界で暮らしていたの?」
「それは……」
ハルミの問いかけにヴィンセントさんが答えようとした時だった。
「少し、休憩しよう」
それまで黙っていたウォルフィが口を開いた。
「喉が渇いた。車を止めてくれ」




