いつかは、いなくなっちゃうんだ
えびす橋商店街に、すっかりウォルフィは馴染んだようだ。
月曜日。
はごろも荘にあるウォルフィの部屋を訪れたハルミは、
「どうしたの、これ?」
ドアの前にデンと置かれている、箱いっぱいのジャガイモに眼を丸くした。
「ああ、八百屋の八百源さんがくれたんだ」
ドアの間から顔を出したウォルフィが言った。
「店のひさしに空いていた穴を修理したらオマケにくれた」
「えっ、直せるの?店のひさしを」
「テント用のキャンバス生地で出来てたからな。布製のものならば、糸と針があれば直せるさ」
と、フリーマーケットが終わり店が開けなくなっても、どこからか仕事をもらってくる。
火曜日になると、
「焼き鳥のとり久さんから、店先に立てる|幟《のぼりの修繕を頼まれた」
帰りに、焼き鳥をもらってくる。
水曜日には、
「飲茶処・楊々さんから暖簾の修理を頼まれた」
やはり皿からはみ出そうなほどに盛られたギョーザを持たされて帰ってくる。
木曜日になると、
「『パン・ド・ミ』から、エプロンを新調するオーダーをもらった」
ついでに袋いっぱいのパンを両手にかかえて帰ってくる。
金曜日の夜には、
「『ツムラ精肉店』のおかみさんから、お子さんの制服の仕立て直しを頼まれた」
新聞紙に包まれたコロッケを山ほどもらってくる。
そして土曜日。
「ホールスタッフをやらないかって、かおるママから頼まれたんだけど」
お直しと関係ないでしょ、それって。
「いやあ、面白いなあ!」
それが服だろうとノレンだろうと、布地を扱う仕事ならば関係ない。
むしろ、今までにやったことのない仕事ほど、闘志をかき立てられる。
ウォルフガング・カンパネロ・デュエマとは、そういう性格の少年らしい。
誰かに好かれようとして媚を売ったり機嫌を取るようなことは決してしない。
そして、誰にも威張らない。
醒めた表情の中に通った真っすぐで力強いものが、自然と人を引きつける。
商店街を歩けば、
「ようウォルフィ!このエプロン、なかなか調子いいぜ」
と、声を掛けてくる、ツルツル頭にねじり鉢巻のイワイ鮮魚の大将。
「ずっとヒザが痛くて困ってたんだけど、このエプロンにしてからずいぶん楽になったよ。なんていうんだっけ、ハクションプリーツ?」
「アクションプリーツです。膝の動きに合わせて閉じたり広がったりする折りジワをエプロンに入れてみました。
ヒザにかかる負担はずいぶん少なくなったはずです」
「うちの息子、生まれた時から目もよく見えてないし指先も不自由で、普通の生活をするのにいろいろと障害があってね」
と、相談を持ちかけてくるのは、和菓子屋「保永堂」の奥さんだ。
「物をうまく掴むことができないから、冬でもジャンパーの前を閉じないまま外に出かけちゃうのよ。いい方法はないかしら?
「マジックテープでジャンパーの前を開け閉めできるようにするのはいかがでしょうか。テープの貼ってある位置には外側にデコボコした布を縫いつけておけば、触った感触で位置をわかりやすくできますよ」
「三年前に事故にあった時から車椅子で生活してるんだけど、座ったままズボンを脱ぐのが大変でね」
という、「かきうち煎餅本舗」の若だんなには、
「太ももの外側にファスナーをつけて、楽に足を出せる工夫をしました。デザインは思い切って作業着っぽくして、ファスナーを隠す部分の布地をアクセントにしてみました」
と、すご腕職人の話を聞きつけた商店街の人々から、次々と依頼を持ちかけられる。
おかげで、「せとうち」のカウンターで夕食をとるウォルフィのまわりは、いつも人だかりで一杯だ。
「ウォルフィくん、今度はうちの仕事を手伝ってくれないか」
と、ビールのジョッキを片手に話しかけてくるのは、天馬堂という古本屋の店主さんだ。
「開店十周年記念にトートバッグと栞をお客さんにプレゼントしようと思うんだ。生地とか形とか、お勧めのものはないかな?」
「それよりも、うちの娘に裁縫を教えておくれよ」
と声をかけてくるのはツムラ精肉店のおかみさんである。
「春休みの間に宿題で雑巾を縫ってくるように言われてるんだけど、毎日遊んでるばっかりで。あんたが来るときだけはおとなしく机に向かうんだけどねえ」
「ウォルフィくん、余計なお世話かもしれないけど、行くところがないんだったらウチで働かないか?」
と、真剣な顔で声をかけてくるのは生地や糸や裁縫道具を扱う「えびす橋手芸店」のご主人だ。
「来てくれるんならば、おれもカミさんも大歓迎だけど」
「なに言ってんのよ。この子はフツーの家の生まれじゃないよ。地元に帰れば、きっとどこかの若殿さまよ!」
と、時代劇のセリフみたいなことを言うのは、かおるママだ。
「この子はね、あたしたちとは違う世界の住人なのよ。ったく、ふだん客前に出ている人間がそんなこともわかんないの?」
「違う世界の住人は、むしろおめえの方だろうが」
とボヤくのはイワイ鮮魚の大将だ。
「とっとと元いた世界に戻りやがれ。どこだ?お化け屋敷か?」
「失礼ね!海上自衛隊よ!」
(……そうだよね)
やいやいとカウンターのまわりで話を弾ませる「せとうち」の常連たち。
その隣で夕食を取るウォルフィのすがたをながめながら、カウンターの内側で洗い物をしていたハルミは溜息をついた。
ウォルフィはいつか、自分の国に帰ってしまうんだ。
たしか、イタリアのナポリから来たって言ってたっけ。
今は春休みを利用して放浪修行に日本に来ているだけ。
その後は―
(いったい、どうしちゃったんだろう)
ぶっきらぼうで、無愛想。
めったに感情をおもてに出すことのない、陶器でできた人形みたいな横顔。
仕事以外のときは徹底して無口な、氷色の眼差し。
けれどもその眼差しと目を合わせるたびに、ハルミの中にそれは起こった。
まるで胸の奥深いところが溶けおちて、あたたかく体の中に満ちていくような感覚。
けれどもその後、溶けおちた胸の奥は二度と満たされることなく、いつまでも空ろなままに鳴り響き続けているようだった。
その人のことを考えると、そうなった。いつの間にか、その人のことを考えずにはいられなくなっていた。
―けれども、いつかは、いなくなっちゃうんだ―
「そんなことより、みんな見てよ、このワンピース!ウォルフィくんが仕立て直してくれたんだけど、ハルミの体にぴったりでしょ?」
洗い物をするハルミの肩に両手を乗せて母さんが言った。
「この子すぐに背が伸びちゃったから、あたしの着ていた服を着せる時間がなかったのよ」
ウォルフィがサイズを直してくれた、母さんが若い頃に着ていたワンピース。
その服を着たハルミの肩を抱いて、はしゃいだ顔を見せるお母さん。むかし自分が着ていた服を娘が着てくれるのって、親からしてみると嬉しいものらしい。
(それにしても、この服は本当に着ごこちがいいなあ)
ソースやマヨネーズがこびりついたお皿や、お好み焼きを切りわける金属製のコテを洗いながらハルミは思った。
どこかが突っぱったり、引っ張られている感覚がまったくない。
まるで空気で仕立て上げられているみたいに、体をゆるやかに包みこんでくれる。
ウォルフィに寸法をとられた時は、ちょっと恥ずかしかったけど。
「ま、まったく、人のからだって大変よねえ」
その時のことを思い出したハルミは、赤くなった顔を悟られまいとしてうつむいた。
「太ったり痩せたり。身長が伸びたり、背中が曲がったり、体が思い通りに動かせなくなったり。そのたびに服を直したり買い替えたりしなきゃならないなんて」
「そのおかげで、俺たちみたいなお直し屋が食っていけるんだけどな」
と、相変わらずぶっきらぼうな口調で答えるウォルフィ。
今日も灰色のベストにパンツ、そして黒革靴というお直し屋さんスタイルで、お皿に盛られた焼きそばを黙々と口に運ぶ。
「ところでハルミちゃん、次の舞台はもう決まったのかい?」
不意に、イワイ鮮魚の大将が口を開いた。
「スケジュールが決まったら教えてくれよ、ここに居る連中みんなで応援に行くからよ」
「舞台?」
焼きそばを食べる手を止めてウォルフィが顔をあげた。
「舞台って、なんの?」
「あ、いや、そのことなんですけど……」
と、いつもの歯切れのよい口調から一転して、モゴモゴと口ごもるハルミ。
そこに、
「あちゃー、シナモン切らしちゃった!あ、クミンシードも!」
と、素っ頓狂な声を母さんがあげた。
「ハルミ、五丁目にある『スパイス・寺北』まで買ってきてくれない?」
「わ、わかった」
と、前掛けを外して洗い場から出たハルミに、
「夜道は危ない。途中まで一緒に行こう」
食事を終えたウォルフィが席から立ちあがった。




