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20 私は、森に入りました

 陽が昇りきる午後の陽射しも、サロンから眺めていれば一枚の絵みたいに綺麗だなあと思える。


 ちらちらと降り落ちる砂金を纏うように、幾つもの白い光の筋が真っ直ぐそそいで庭を照らす景色はとても素敵だった。



 ――美味しい紅茶とお菓子。

 そしてみんなと楽しむティータイムは、先ほどとは違って目にする通りのなごやかな雰囲気に包まれている。

 その中で、私はティーカップが空になったのをいいことに、ちらと彼を覗き見た。



「ディルク、おかわりまだー?」

「はあ?!」

「だって……」

「わかってるよっ」


 催促する瞬時に、ディルクがしかめる片眉を上げて不機嫌満載に放つので、こちらも負けじと口を開こうとしたのだけど。

 これまたすぐに肯定の言葉をくれる。

 ――ドSは意外と素直だった。



「にしししし」

「こいつ……ムカつく!」


 もう、楽しくって仕方ない。

 溢れるままに笑いをこぼす私は、本当にドSなのかも知れないと思い始めてる。


 一方、ぶすっとしながらも渋々お茶を淹れてくれるディルクは、口ほどに嫌がってない気がする。

 そして、はじめはあたふたしていたリリーも、今は最初に会った時より随分と楽しそうだ。



 こうしてそれなりに会話も弾み、のどかなティータイムを過ごしていった。



***



 オベラート邸を訪問する当初は今日をやり過ごすことしか考えてなかったけど、思いがけずに楽しんでる。


 ――何でも楽しもうと思えば楽しくなるんだなあという思いが、ぼんやり頭に浮かぶ。


 それから、エンドへの期限も決まってることだし、やっぱり一日一日を大切に楽しんで生きなきゃねーと改めて考えつつ、私はお菓子を口にした。



 その後も、タルトをたいらげた私のお皿へ律儀にお菓子まで取り分けるディルクには微笑みが沸く。

 いい人だよね、と思う(あいだ)にもナイフとフォークで器用に掴んだプロフィトロールをのせてくれる。


 ――ガチャン――ッ!


 次の瞬間、皿が音を立てると共に、横に置いてあったフォークが跳ねた。



「――あっ!」


 そのまま直線に飛んだフォークは、目の前に座る私ではなく、咄嗟に庇ってくれたディルクの腕をかすめて床へと落ちた。

「っ……」

 ディルクが小さく声をつめたのがわかる。


 ――そして、これは……コタの仕業だった。



 本日外出する際――、私は側から離れないコタをそのままついて来させたものの、どこに魔力のある人がいるかわからないから「隠れていて」とお願いしていた。

 そして今まではシャンデリアの上などで大人しく遊んでくれていたのだけど……。


 目にしたプロフィトロールに、思わず飛びついてしまったようだ。

 そう。あの日以来、そのお菓子はコタの大好物になっていたから間違いない。



 さておき、コタのせいであることに「ヤバい!」と思うよりも、私の変わりにフォークを受けたディルクが無事かと焦った。



「ごめんなさいっ、大丈夫!?」


 すぐさま視線を巡らすと勢いをつけて宙を切ったそれは、ディルクの腕に赤い傷跡を残している。

 うっすらと血のにじむ様子は、私を蒼白にさせるには十分すぎた。

「早く、早く手当てしないとっ」

「……もう、罰ゲームは終わりでいいだろ?」


 場が騒然とする中、何とか絞り出す私に淡々と告げるディルクの言葉は、どのセリフへの返答でもなかった。


「勿論だよ! それより傷を……」

「こんなもんどうってことない。俺はもうこの茶会から消える。あとは、お前らだけで勝手に楽しんどけ」


 それでも必死に応えて、再度優先したい傷のことを口にするも、あっさりと流されてしまう。


 ……でも私はそれ以上を紡げなかった。


 踵を返して振り向き様に言う彼は、心をなくすように無表情で……今まで見たことないほどの冷たい目をしていたから――。



 そんなディルクの表情に、怒らせたのではなく何だかすごくひどいことをしてしまったと感じて思わず固まる。

 けれども私はかろうじて「ごめんなさい……」とだけ呟いた。


 それから、「お前のせいじゃない」とだけ言って去ろうとしたディルクに、同じく真っ青になるリリーが駆け寄って手をかけるが。

 彼は、その手を……心配する心ごと拒むように強く振り払った。



「……――俺に、触るな」



 無機質に突き放す物言いに、少し嫌な気持ちがする。


「でも兄様……怪我の手当てをしなくては……」

「余計なお世話だ。お前に心配してもらう筋合いはないし、本当の兄妹でもないのに兄と呼ぶ必要もない。俺は、一度も家族だと思ったことはないんだからな――」



 ――ベシッ! ――


「いっ……てえな、何しやがる!?」


 リリーが驚愕に開く目を潤ませた刹那、気づけばディルクの後ろ頭をツッコミのごとく(はた)いていた。


「言っていいことと悪いことがあるよ! そんなこともわかんないのっ?」

 彼の言い種で瞬間的に沸点を越えた私が、その思いのままに行動してしまったのだ。



「……俺は、本当のことを言っただけだ」



 だけど、ディルクは呟くような言葉だけを残してサロンを後にする。


 瞬時にロマンに押さえられていた私は、その場に留まり、入り口から消えてゆく後ろ姿を見送るしか出来なかった――。




 ほんとに心配した、けどそれ以上に腹が立った。


 なのに彼が去ったあと、何とも言えない寂しい気持ちになっている。


 すべて私の勝手な感情だけど、短時間でも一緒に過ごす今日がとても楽しかったから余計にそう感じるのだと思う。

 何にしても、あれはディルクの本心だったのだろうか? ……それは、わからない。


 でも一つはっきりするのは、おそらく私はまた悪役令嬢そのままに、攻略キャラを傷つけたに違いないということ。



 それが腕の傷ではなくて心だと思うのは、最後に捉える彼の横顔が……すごく切なそうに見えたからなのだった――。



***



 あの後、真っ白な日射しは突然に遮られ、空一面へと大きく広がる厚ぼったい雲が夕立を降らせた。


 それは彼の心模様みたいに感じてしまう……。



 ――そして今日の晩餐会に、ディルクが顔を出すことはなかった。リリーの沈みようは深く、いたたまれない。


 元はと言えば、私が連れてきてしまったコタのせいだ。

 加えて、これまた私が気持ちの動くままに(はた)いてこじれさせたと思ってる。

 うん……。見事に全部、原因は私でしかないね!



 思わず溜め息をつきそうになった。

 ……本当、自分に正直でありながら、誰も傷つけないで生きるのは中々に難しい。

 前世(いぜん)の私だった場合に思考を巡らせば、きっとこうはならなかったなと落ち込んできてしまう。


 けれど、回避する変わりに……そもそもみんなと楽しんで遊ぶこともなかったはずだと思い直した。



 今日一緒に遊んで、思いがけず打ち解けて。

 過ごした時間のすべては、私にとって大切な思い出の一ページになってる。

 私は、このページを作れた事実の方がより嬉しいし、楽しかった今日をなかったことにはしたくない――。


 だから、やっぱり今を後悔しないと頷いた。



「うん、そうだよ。後ろを向いて進んでも、余計につまづくだけだし。もう前を見るために、顔は前向きについてるって思おう。何より私は、自由が基本の悪役令嬢なんだからね!」


 そう言い放ち、――終わり良ければ全て良しだ! と私は俯きかける顔を上げた。


 下を向いてたら何も見えない。だけど、これから良くなる、良くしていく先を見ることしたのだった。



 こうして心を決めた私は、『ディルクの機嫌を直す』と、『壊してしまった二人の兄妹関係を戻す』の二つをすべき事としてオベラート邸の廊下を歩き出す。


 高飛車、我が儘な悪役令嬢だけど、そうしないと自分が気持ちよく帰れないから。

 ――全部、自分のためだもん!


 そうやって一人納得し、まず向かったディルクの部屋を訪ねるが、そこには誰の気配もなかった。



「どうしよう……」

 せっかく決意しても会えなければ実行できないと悩み始める。


 ……すると、目の前に現れたコタが「こっちだ」というように先導してくれた。


 私は小走りでコタの後を追い、一階の廊下に着いたところで、ふと窓から外を見れば――。

 雨の上がった庭の先、そこから続く森の辺りへ進むディルクに気づく。



 だんだんと日が高くなりつつあり徐々に夜を迎えていた空も、今はもう深藍に満ちている。

 勝手を知る自邸の領内とはいえ、……さすがに子供が、一人でこんな時間の森に入るのは危険だと思う。

 私は慌てて、ディルクに向かって駆け出した。



***



 残念な脚力のせいで、彼が森へ踏みいる前に止めることは出来なかったけど。

 必死で辿り着いた入り口からは、その姿がまだ十分に望める。


 何とか声の届く範囲には近づけたと一息ついて、私はすぐに呼び掛けた。



「――ディルク、待って!」


 叫ぶとディルクはびっくりしたように立ち止まり、振り返ってくれたけど……とくに何も言わず、更に歩みを速めてより深くへと行ってしまった。


 ……くそう、失敗した。もっと近くで声をかけるんだった。


 しくじったと自責する私の目前に構えるのは、視界を覆うように立ち並ぶ鬱蒼とした木々――。

 その集まりに少しばかり不気味さを覚えたけど、私はぐっとこらえて森の中へ踏み込んだ。



 それから自分的全力で駆け寄り、少しずつ距離を縮めながら話しかけるを開始する。


「危ないから、早く戻ろうよ」

「だったらお前は帰れ。ついて来るな」


 うん。取りつくしまもない、とはこのこと。


 それでも諦めずに追うのは心配なのと、今の行動は私が傷つけたせいだと考えられるから。


「自分のしたことには責任を持ちたいの。ディルクを傷つけたならちゃんと謝りたい」

「――は? ワケわかんねえ」



 返事はしてくれるが、歩みを止める様子はない。


 許してくれるかどうかというのはさておき、彼の不快な気持ちを少しでも減らしたいとは思う。


 謝ることでそれが出来るかわからないけど、何もしないで知らないふりはしたくなかった。

 ――とはいえ、むやみに謝るのもおかしいので、まずはディルクと話をしようと思い至る。


 それには、とりあえず止まってもらおうと走り続けた。

 やがてようやく追いついた私は、やっとの思いで彼の腕を掴んだけれど。



「――触るなっ!」


 私の手は即時に、思いっきり払われた。

 そして振り向いたディルクは、すごく……怒るように顔を歪ませる。


「近づくなって言ってるだろうっ。俺はすべてを、不幸にするんだよ!」

「え……?」


 ……その言われた意味が理解できなかった。


 不快感をあらわに怒ってると見せた顔も、眉を寄せた苦し気なものに思えてくる。



「魔力があるお前ならわかるだろ……今ここにただよう禍禍(まがまが)しい空気が。これは、俺が不幸を呼ぶ存在である証拠だ……っ」



 ――『あっ、それ違います。現在ここで、若干暗めのオーラを放っているのは、うちのコタくんです!』

 彼の心情を聞き終えた直後に、私は頭の中で即答していた。


 だけど彼は、自分のせいだと勘違いしているらしい。……うん、ごめんね。

 でも、なぜそう思うのかは不思議だった。



「……ディルクのせいじゃないよ」

「何も知らないくせに適当なことを言うな!」


 歩き続けながらも、とりあえず誤解を解こうと試みる。


 ――先ほど食事の席で、彼とリリーも魔力があるというのはオベール侯爵から聞いていた。

 それは、現在、コタの気配を感じていることからも明らかだ。


「あー、適当ではなくってですね……。この禍禍(まがまが)しい空気は、本当にあなたのせいではないからです」

「じゃあ、これは誰のせいだっていうんだ?」

「えーっとお……それはですねえ……」


 どう反応されるかが予測できないだけに、何となく渋られて変な敬語になる。

 それでも、誤解を解くためには致し方ない……と私はまた覚悟を決めた――。




「――じゃーんっ。うちの可愛いコタくんのせいでしたあー!」



 私は真横でふよふよと飛んでるコタを手で示しながら、ことさら明るく紹介してみた。


 その瞬間、わずかに目を見開かせたディルクは、反射的に足を止める。

 顔つきはすぐに無表情なものへと戻ったが、視線は私とコタを捉えたままだ。



「……おい。何だ、それは」

「うさぎさん」


 一拍置いてゆっくり紡がれた問いに、あっけらかんと即答すれば、彼は更に続ける。


「顔が二つある気がするが」

「あるね」

「背中に小さな翼が見える気もするが」

「すごいよね!」


「――絶対、普通のうさぎじゃないだろうがっ!」

「えー。そんな常識の枠に囚われてちゃダメだと思うー」


 そんな掛け合いの(のち)、ディルクはうなだれたように膝へ両手をつくと……、長い溜め息を吐いた。



「安心した?」

「ああ……少し、な……」

 覗き込みながら訪ねれば、やや弛んだ顔でそう呟く彼に私も少しほっとした、のもつかの間。


 ……ディルクは体勢を上げて、再び歩き出す。


「――ちょっと! 何でまた歩くのっ」

 大股で進む彼に驚きながら、取り残されないよう懸命に走る。


「もう、いい加減に……止まってよ!」



 どうにか彼の歩みを止めようと、私は自分的全力で走ってつけた勢いで――。


 ディルクの後ろ頭をひっぱたいた。



「おっ前は……何度俺の頭を叩きやがるっ!」


 ドSには屈辱であろう行為に怒りの形相で振り返るが気にしない。足止め出来た私、グッジョブ!


「だって。さっき、ディルクのせいじゃないってわかったはずでしょ?」



 ――言いながら、ゆっくりと辺りを見渡す。

 私たちは、いつしか随分と奥にまで来ていた。


 そこは狭い道から少し開けたところになり、木々の合間から降りそそぐ光がやわらかに森の中を照らしてる。

 私は見上げた彼越しに澄み渡る――、夜空の明るさを目にして、森へ入ったのが今日で良かったなと思っていた。



 ……そんな時。ディルクは怒りの表情から一変、ニヒルな笑顔を浮かべる。

 そして斜めに向けた顔で私を見おろすようにして鼻で笑った。



「はっ……。

 それでも――不幸にするのは変わらないんだよ」




 二人の合間に小さな風がそよ吹く。

 

 ディルクが放った、言葉の意図は掴めない。

 こちらに向き直り影を落とす、彼の顔もよくは見えない。


 だけど、月光を背中で受けて浮かぶシルエットは儚く。

 ……どうしようもないほどに悲しい空気を伝えるのだった――。



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