19 私は、勝負をしました
――隣接の森も保有する大きな居館を構えたオベラート邸の庭園には、ライラックの香りが広がっていた。
今日は少しきつい風が、豊かに咲き誇る真白を揺らす。その小さな花が舞い散る姿は、まるであたたかな雨のようだった。
テラスの柱にもたれて、遠い日を思い出すかに眺めたディルク・オベラートは、細めた目をしかめ唇を噛み締める。
……そう、あの日も雨は降っていた。
そして吹き込む風がすべてを一変させる――。
脳裏をかすめた景色が、片時に思考を占領してゆく。
すっと目を背けて記憶を遮り、逃れようとした彼の視界に――……一際明るい日差しが作り出す助長の影は、容赦なく闇を押し広げるのだった。
***
緑がそよぐ中、レハール家の馬車がひた走る。
私とロマンは現在、父に連れられてオベラート侯爵の邸へ向かっていた。
王宮で官僚として仕えるオベラート卿と父が話すうちに、侯爵にも二人の子供がいるので互いに会わせてみようかという話になったらしい。
ロマンが私の邸へ弟としてやって来たのと同じに、オベラート家も元々は嫡子一人だけだったが、兄夫婦の子を養子として迎え入れているそうだ。
少し違うのは弟ではなく兄という位置関係。
その人物の名は――ディルク・オベラート。
うん。まだ会ってないけど知ってる。今から会うディルクも攻略キャラの一人だった。
私が知るゲームの設定でも、ディルクは幼い頃に両親をなくしてオベラート邸に引き取られている。
……確か、魔物に襲われたのが原因だ。
だってティアナがディルクルートで、「あなたを魔物から守ってあげられるのは私だけよ」的に迫っていたはずだから。
ほんっと果敢だよねー。すべての攻略キャラ相手に、どれだけマルチに攻めるんだと思う。
さておきディルクの人物像といえば、いつもニヒルな笑顔で本心を見せない、どこか陰のある超ドS。
麗しの王国ファンのお姉様方はそんな彼のドS発言を男らしいといい、自分だけに時おり見せる優しい笑顔とやらにときめいてらしたようだけど……。苦手なんだよねー、Sキャラって。
Mの要素をまったく持ち合わせていない私は、今まで数々いたSキャラたちのセリフを目にしては、普通に「え? 何言ってるの、この人」としか思ってこなかったのだ。……それがドSとか!
我が儘にありのままに生き始めた私では、もう尚更、仲良くなれる気持ちがミジンコほどもしない。ドSの笑顔にも全然萌えない。
萌えるのは、ロマンの天使の笑顔だよ。
そう考える私は、自分的には仲良くなることもないし、会うのも今日限りで済むだろうと踏んでいる。
――特にフラグが立つ理由も思いつかないからいいや。なんて思いながら揺れる馬車の中、流れる景色を悠然と眺めた。
***
そうして、まもなく正面と言われてオベラート邸沿いの道を進んでいるけれど――。
邸の広さを知らしめるようにどこまでも続く白い外塀が見えるだけだった。
いつになったら着くんだろうと思って見上げれば、高い塀の向こうに立ち並ぶ木々が目に映る。
塀越しにも、邸内は色んな草花でいっぱいなんだろうなあと伝わるのは、内側から幾つかの蔓が顔を出すから。
その景色を見ているうちに、私の中ではやってみたいことがむくむくと生まれてきていた。
――そんな時、まもなく到着の声とともに馬車がオベラート邸の門前で停止してほくそ笑む。
誰もがその邸へ向かうことだけを考えて前を見据え、時を移さず悠々と開かれる大きな門に、続けて再び進み出そうとするわずかな時間。
一瞬の隙を狙い、今だ! とばかりに私はすかさず車外へ飛び降りた。
突然の行動に父とロマンが言葉を発する間もなく、「先に行ってて」と一方的に伝えてすぐ、来た道を引き返すように私は走り出した。
動き始めた馬車も急には止まれず、門へと吸い込まれるようにして行ったから、早々には捕まらないと思ってる。
してやったり――で目指すのは、塀から垂れた蔓の一番長く伸びていた場所。
少しの移動で目標を前にした私は、こらえきれない笑いを満面の笑みにのせて目を輝かせた。
一度やってみたかったんだよ。……蔓で塀越え!
私はその衝動のままに蔓を掴み、塀に足をかけた。そして手綱を引き寄せるごとく持ち変えつつ、一歩一歩よじ登っていく。
思うように登れるのが楽しくて仕方ない。
子供の体重だから出来る業だね! と喜びながらようやく辿り着いた塀の頂点に手をかけた。
それから気合いを入れて体を伸ばし、足を跨がせたところでふと気づく。――おおう。登ったはいいけれども。
……どうやって降りよう?
そう。外には蔓が出ていたけど、内側の壁面に広がるのは花や葉をつけた蔦ばかりで……。
先ほどの蔓のように綱変りに出来るような手頃なものがなかったのだ。
うーん、予想外。
私は一番近くにある木に跳び移って降りれないかと、腰かける塀から手を伸ばしてみた。
「おい、でこっぱち。――何やってんだ?」
声がした方を見ると塀の真下あたりに、いつの間にか男の子が立っていた。
『でこっぱち』って私のことかな?
確かにおでこは出してるけど、初対面で変なあだ名をつけないで欲しい。
……それにしても、よく足元から声をかけられるなあ。
「何って、塀越え?」
「越えられてねーだろうが」
はい、そうですね。彼は、明らかに不審者の私を冷ややかな目でばっさ斬りしてくれました。
「お前は阿呆か」
「阿呆じゃないもん。ちょっぴり自分の衝動に素直なだけ」
「それを阿呆っつーんだよ」
その子は発したあと大きく溜め息をついたかと思うと、なぜか木に登り始める。
「もう少し考えて行動しろ、ほら」
そして私の目線に合う位置に来たところで、一番太い枝に腰掛け、手を差し出してきた。
どうやら助けようとしてくれてるらしい。
でも、せっかくの塀越えを自力でやり遂げたい思いと、彼の呆れたような態度に若干の反発を感じて、私はただじっと見つめるだけでいる。
「おい、早く手を出せよ。降りれないんだろーが」
「……降りれないけど、自分で降りたい」
「あのな。それが出来ないから、仕方なく手伝ってやろうとしてんだろ」
「う……その通り。でも途中で諦めて投げ出す人に、私はなりたくない」
「それ、全然かっこよくないからな」
いいからさっさとしろと手を伸ばされ、私は反射的に体を引いてしまいバランスを崩した。
「――あっ」
「危ないっ!」
そのまま斜めになる体を支えるべく、助けに来た彼は腕を伸ばしてくれたけど。
塀と木には少しの距離があったから、彼に抱き止められた状態で二人一緒に落ちていった。
これは大怪我をするのは間違いない――。
そう思った地面に叩きつけられる瞬間、私はぎゅっと目を閉じる。
そんな瞬きほどの時、――ふわっと体が浮いた気がしたら、次にぽすんという微かな衝撃と草の感触が伝わった。
あ……コタだね……。
私たちが落ちきるわずか数センチ手前で、コタが下から二人の体を受け止めるように支えてくれたとわかる。
そして何事もなく消えて、私たちはそこからすとんと着地できたのだ。
優しい騎士の行動に、自然と微笑みを湧かせる私は「……コタ、ありがとう――」と心の中で呟いた。
「――おいっ、怪我はないか?!」
「あ、うん。大丈夫。ありがとう」
「いい加減にしろよ! ……けどそれよりも、さっき一瞬……」
「ああっ、ごめんね。あなたが庇ってくれたおかげで助かったよ。ありがとう!」
コタの存在に気づかれてはいけないとすかさず遮って素直に謝り、お礼も言った。
本当にありがとう――とは思ってる。
「……礼を言われてる気がしねえ」
うん、勢い余って胸ぐらを掴んでるのは失敗だったね。
「何でもいいから早く降りろ」
ついでに私は彼の体に乗り上げたままだ。もっともだね、すぐ降りるよ!
――何にせよ、うまく誤魔化せたみたいで良かったと一安心した。
***
それから私は、先ほど下敷きにした彼のあとについてオベラート邸へと入った。
向かう道すがら互いに簡単な自己紹介は済ませている。
――いかにも。
この人こそが例の攻略キャラ、ディルク・オベラートだ。
途中から何となくそうかなあとは思っていた。
それはまず、この場所にいるということ。そして彼の容姿から。
すっとした濃紺のサファイアのような瞳はどこか鋭い輝きを放ち。
短く切り揃えられた深い夜色を思わせるブルーブラックの髪は、若干襟足長めでちょっぴりワイルドな雰囲気を醸し出す。
子供ながらも全体的にクールで男らしい印象は、――これは成長したらお姉様方の心を掴みそうだなと納得する。
イラストや設定を覚えていたわけじゃないけど、対面して見た感じで予測が立ったのだ。
さておき、無事オベラート侯爵と初見の挨拶を果たした私は、もう邸内にいた父とロマンから軽く詰め寄られるのだけど。
隣に立つディルクが、塀越えのことを言わないでいてくれたのはありがたかった。
ドSの中でも、彼は案外いい人なのかも知れない。最初から私を助けてくれようとしてたしね。
そんな中、私とディルクについては、揃って登場したことで早くも仲良くなってると思われたようで……。
気さくで優しそうな人だったオベラート侯爵から、「これなら大丈夫だね」と子供たちだけでサロンに取り残されてしまった。
***
――こうした経緯から私とロマン、そしてディルクと妹にあたるオベラート侯爵の嫡子リリーの四人でティーセットが並ぶテーブルを囲んでいる現在。
はた目には穏やかな光景なのかも知れないけど。
……うん。すっごく気不味い。
何気にドSは寡黙だし、リリーは大人しい上に人見知りみたいで、静まり返った空気に時計の音だけが響いてるよ。
ちなみにリリーはロマンと同じ私の一つ年下で、ディルクが一つ年上だった。
だけどここは精神年齢的に年長の私が何とかするべきか、と世渡り術を発揮しようと考えるも、やっぱり途中で面倒くさくなってやめた。
私はこの世界で過ごすうち、随分と高飛車で我が儘な自由さが板についてきてるらしい。
とにかく楽しみたい! その思いが勝ったよ。
「ねえ、みんなで鬼ごっこしよう!」
そうして私が出した唐突の提案に、ディルクは眉をしかめ、リリーはおどおどしてる。
「勝手にやってろ、でこっぱち。俺はそんな子供じみたことには付き合わねーからな」
瞬殺で拒まれたけど、ここで引っ込んだら何も始まらない。
私はあえてスルーして続けた。
「だだの鬼ごっこじゃないよ。増やし鬼。言い出しっぺだから最初の鬼は私でいいよ」
「何でも一緒だ。俺はやらねえ」
さすがドS、ノリが悪い。けどそれくらいで負ける私ではない。
「ディルクは私にすぐ捕まるのが怖いんだ?」
「そんな挑発にのるか」
――くそう、見破られた。
やっぱりドSは人様の言うことに、簡単にはのらないらしい。
だけどそれも、ちゃんと心得ているのだよ。
「じゃあ、私がディルクを捕まえられなかったら、今日一日奴隷になってあげる。何でも言うこと聞くよ」
食いつくだろう言葉を告げた途端、獲物を見つけた捕食者の目になるディルク。
彼は、薄く開いた目を光らせてニヤリと笑った。
「へえ……何でも聞くんだな?」
対する私も、「――かかったな」と内心でニヤリとしている。
そして、ディルクが参加の興味を示したことでリリーも加わってくれそうな様子を見せたから、私は彼らの気が変わらないうちに始めようとすぐさまルールを説明した。
増やし鬼とは――。まず最初は鬼が一人で残りは子になる。
そして逃げる子を鬼が追いかけてタッチするところまでは鬼ごっこと同じだけど、通常そこで行われる鬼の交代を増やし鬼ではしない。
元の鬼はそのままで、タッチされた子も鬼になるというのがこのゲームの重要なポイント。
その名の通り、増えた鬼から残った子は逃げなければならない、というのがあらかたのルールだ。
そうして遊びの内容を一通り伝えたあと、子が逃げる範囲をとりあえず、このサロンから見渡せる庭一面に限定することで話はまとまった。
***
「この範囲内なら、隠れようが木に登ろうが問題ないってことだな?」
「うん。邸内とか、それ以外に行かなければ何でもありだよ」
「今さらさっきの話はなし、とか言っても聞かねーからな」
「勿論わかってる」
私は、自信あり気に念を押すディルクにも動じず、この邸の勝手も知らないけど平然と答えた。
あれから決めた罰ゲームは、結局負けた方が勝った方の命令を一つだけ何でも聞くことになってる。
一つと言いながら、なぜか私が負けた場合には、勝手につけられた『でこっぱち』という変なあだ名も受け入れる、というのまで盛り込まれてるけど。
うん、これは何としても回避しなければと思う。
――それから私たち四人は、おもむろに庭へと続くテラスに向かった。
罰ゲームに戸惑うリリーへ俺が勝つから問題ないと言ってるディルクはお兄さんらしい。
ロマンも少し心配そうにしてたけど、私が大丈夫だよと笑うとすぐに笑顔になった。
もう、本当に天使だね。
思いながらふと隣を覗けば、ニヒルな笑顔をつくるディルクはドS心に火がついたのか少し楽しそうにも見える。
だけど、その横では私もにやつく顔を抑えるのに必死だ。
……ふっふっふ。この遊びの怖さを知らないよね、と心の中でほくそ笑む。
こうして私の秘かなたくらみのもと、増やし鬼はスタートした。
***
鬼となった私は、子が逃げるまでの時間をしばし待つ。
ゲームで使える範囲を庭一面にしたとはいえど、ここはオベラート侯爵邸。そこらの公園よりはるかに広い。
ゆっくり十を数え終える頃にはみんなが米粒に見えるほど遠くへ離れていた。
その様子を見渡したあと、私は懸念を抱かせないために、まずはディルクへ向かって走っていった。
「……おい。それは走ってるのか? よくそれで鬼に名乗りをあげたな」
「う、うるさいよっ!」
振り返るディルクに、遠くからディスられた。
うう……自分の運動神経が引き千切れていたことをすっかり忘れてたよ。そこはちょっとだけ誤算。
だから、いつまでたっても辿り着けない二人の追いかけっこは早々に諦め、当初の予定通り進めることにした。
瞬発力はないけど持久力なら自信がある私。
それに比べてお嬢様のリリーは、そんなに運動をしないだろうからずっと逃げ続けることは出来ないと踏んでいた。
そして思惑通り、疲れてきたところをタッチしてまず一人目の仲間をゲットする。
続いて狙いを定めたロマンは何気にすばしっこい。可愛い上に快活で、本当に、非の打ち所がないとはこのことだよね。
おまけに誰より優しい我が弟は、「――あっ」とつまづいてうずくまった振りをした私に、鬼ごっこ中なのも忘れて駆け寄ってくれたところをゲット。
さあ、残るはただ一人、ここからが本番だ。
この増えた三人の鬼から逃げられるものなら逃げてみなさい! と私たちはディルク捕獲に走った。
***
「お前ら、汚ねーぞ!」
「汚くないもん。ルールだもん」
三人、三方から追い詰められてディルクが登った木の下を取り囲んで会話する。
――しめて計算通り。
今回のゲームである増やし鬼は、またの名を『ゾンビ鬼』とも言う。
これは、徐々に味方を増やせる鬼にこそ勝算があるんだよ。
でもずるくないもん。
事前にルールは説明してるし、勝負というのはゲーム選択時から始まるものだと思う。
「諦めて降りてきなさいよ」
「……くっそ」
ようやく嵌められたことに気づいたドSは、だいぶん不機嫌になりながらも潔く降りてきた。
「約束は約束だ。言うことはちゃんと聞いてやる」
不本意ながらもきちんと貫くところは男気がある。そういうところは好きだなと思った。
そんな私は、言うことを聞いてもらえる報酬よりも、ドSを追い詰められたことでにまにまが止まらず。自分も実はSだったのかな――? と考えたりもしていた。
「――それで。何が望みだ?」
「うーんと、みんなで楽しくお茶したい」
「は? さっきもしてただろうが」
「違うよ。楽しく。楽しく会話をする楽しいティータイム!」
楽しく遊べて、勝負に勝ったことにも大満足する私は、せっかくだからみんなともっと打ち解けたいなあと思って述べた。
かくしてサロンに戻った私たちは、今度は本当に穏やかに過ごせるだろうティータイムを再開するのだった。




