21 【小話】俺と過去の闇 byディルク
陽射しのほとぼりが緑を匂わせる森の中に、ふっとやわらかく甘い香りが掠めた。
それは今朝、雨のように散る花たちが放っていたもの――。
光のある場所へ身を置くほど、逃れられずにつきまとう影と同じく。
どこまでも追うのだな……と笑えてくる。
庭園で俺の元へと届き、足先から侵食するかのごとく包んでいった影は、今もしっかりと濃い闇を伸ばす。
――すべてが暗示だったのかも知れない、あるべき姿に向かわせるための。
でもそれは、未来ではなく……過去への回帰。
俺は、還るべき場所へと身を運んでいたのだった。
***
そうしてようやく開放されるはずの運びは――。
……全力で頭を叩かれるという暴挙に遮られて振り向く。
おせっかいにも邪魔をしまくるそいつは、瞬く琥珀で俺を見つめた。
この薄ら暗い森の中で、月明かりを淡く体に纏わせながら。
反して、背後で輝くだろう光が、分かりきるように俺の目前を鈍色へと染める。
「はっ……。
それでも――不幸にするのは変わらないんだよ」
嘲るように俺は発した。
間を置くことなく暗然と霞む視界は、よりはっきりとした闇色に支配される。
一面を覆い尽くす黒に浮かび上がったのは、本来なら終わりを迎えるべきあの日の光景。
それはまるで、目指す場所を示すように思えた。
だから俺は「――……わかっている」、そう頷くように黙って目を閉じ、自らを過去へと誘わせていった――。
***
それは二年前、俺がまだ幼かった今頃の時期。
午後から降り始めた緑雨で早々に陽も陰り、夕食が用意されるのを待つ俺と両親は、サロンで軽いティータイムを楽しんでいた。
穏やかに広がるのは、今日あった他愛ないことを話す普段通りの光景。
そしてやむことなくだんだんと強まる雨に、メイドがいつもより早めにテラスの窓を閉めはじめたその時、――風は吹いた。
突如、窓へ向かうように席を立ったのは父。
俺がそちらを振り返るより早く、遮るように抱き締めたのは母。
包まれる瞬間、上げた目の端に黒い影を見た気はする、……けれど。
そのあと俺が感じていたのは、いつもと変わらぬ温もりだけだった。
――当たり前に過ごした、何気ない日常を覚えているのはそこまで。
いつまでも強く抱き締められる腕に息苦しくなり身をよじると、母の体は崩れ落ちた。
驚く俺の目に映るのはどこまでも続く闇……。
そして室内にいるはずの俺を、なぜか雨が濡らしていった。
事態が把握できずにいた時間はどれくらいだっただろう。やがて雲が晴れて、月に照らされ目の前に浮かび上がったのは。
「――ひ……っ」
……破壊された邸と、人……だったもの。
「う……、お、あ……ああああああああ――っ!」
意味を持たない音を咆哮する。体中の隙間という隙間から、溢れる感情が噴き出すように。
流れるのが涙かもわからない。だけど、すべてが止めどなくほとばしり続けた。
すべてが無意識だった。
そうしなければ、きっと壊れていただろう。
気密に心が砕けないよう、喉が切れるほど叫ばせるのは……誰の仕業かもわからない衝動。
――けれどむしろ壊れることが出来ていたなら、どれほど楽だったかと後になって思う。
「ああああああああ――――っ――」
……月夜に広がった一面の赤は、徐々にその色を朱殷に変える。
それから……同化する暗い闇が、わめきたてる俺を静かにのみ込んでいった――。
***
――次に記憶するのは、このオベラート邸。
眩い日差しに白く照り返るシーツが、わずかに開いた目に映る。まどろむ俺を包みこむいつもと変わらない陽光。
そしてベッドの感触は……なぜか違うもの。
バッ――と瞬時に跳ね起きた俺の脳裏へ、辺りを見渡すより早く走る光景。――あれは夢だ――。
短い思考を一気に駆け巡らせ、すぐさま両親を探そうと顔を上げる側にいたのは……叔父だった。
騎士団からの知らせを受けて駆けつけた彼が、自邸に連れてきたと言う。
そして……、放心する俺はそこでことのあらましを聞かされた。
結界に入った小さな亀裂――、そこから魔物が侵入したらしい。
その招かざるものは、たまたま事が起こる最も近くに位置した俺の邸を襲った。
また、結界をはる宰相が、隣国との会談のためにたまたま国を空けており……、そしてたまたま王宮騎士団の所在地と俺の邸にある距離が、救助を間に合わせなかったのだと言う。
そうして、両親は俺を庇うようにしてなくなり、助かったのは俺だけだということを……。
事実を拒む心の前で、告げられる言葉は遠くの囁きのように過ぎてゆく。
さまよわせる視界にちらついたのは、わずかに目にした……初めて見る恐怖の存在。
あわせて甦る幾多の叫び声と血の匂い。
――俺は、次々に襲う映像を遮るようにぎゅっと瞼を閉じた。
闇夜に起こった出来事は、夢ではなく現実で。
いつの間にか朝を迎えた俺が、気づけば母の弟である叔父の邸にいたのだと知る。
なぜこんな目に遭うのが俺たちだったんだという思いが当然に浮かぶ。
それをきっかけに、幾つもの感情が叫び出した。
なぜもっと強力な結界をはってくれなかった。
なぜもっと早く騎士団は助けに来てくれない。
なぜすべてがこの結果に結びつくよう揃うんだ。
結界に亀裂が入りさえしなければ。
宰相が不在でさえなければ。
騎士団の所在が近くにありさえすれば……。
そんな、何もかもすべてを恨む気持ちが湧きあがる寸前――。
「君だけでも助かって良かった……!」
涙していう叔父の姿が……ふと疑問を過らせた。
あの状況下で、なぜ、『俺だけ』が助かったのだろう、と――。
これもたまたまだというのか? そんな偶然はありえないと感じる。
叔父と同じく、早馬で帰還して駆けつけた宰相が絨毯に頭を擦り付けながら謝罪し続ける姿が見えた。
その人からの、恨まれることをいとわないとする言葉が耳に届いて思う。
はたして恨むべきは本当にこの人なのか……?
……そうして俺の心に渦巻く思いは、芽生えた黒いものと混ざりあい。
染みが広がるようにじわじわと闇を侵食させてゆくのだった――。
***
ふたたび、――すっとわずかに瞼を開かせた。
……ほんの瞬きほどの時間だったろう。とばかりの回想を終えて、目線を向けたその先には――。
先ほどと変わらず真正面から月光を受けて、縁取る金髪を輝かせたそいつが立つ。
俺は、細める目を瞬時に反らした。
――ティアナ・レハール。
あの宰相の娘でありながら初めて出会った時から塀をよじ登ってくるというような、そこらの令嬢とは一風変わる……、どころかあり得ない行動をしていた女。
わかりやすく拒絶の態度を示しても、気にすることなく思いのまま自由に振る舞う。
かと思えば、しおらしく謝ることもする。
……そう思い出すと、今日一日の出来事が振り返るように流れた。
つねに、自分のことを忘れていたわけじゃない。
けれどあの時、フォークが飛んでくる瞬間まで……俺は何をしていたのか――。
この女につられて、つい少しだけ楽しんでしまった自分を責めたことを顧みる。
だからこそ吐く言葉が、リリーを傷つけたことはすぐにわかった。けれど、俺が本当の意味で傷つけるよりはマシなんだとおさめる。
なのにこいつは、
「――行っていいことと悪いことがあるよ!」と怒り出した。
人の気持ちなど、何も知ることはなく。
態度はでかくて高飛車な上、自由気ままな我が儘令嬢のくせに……言うことは全うだった、けれど。
「ねえ、ディルク」
「なんだよ」
「……帰ろ?」
本当に、こいつは何もわかっていない。
わかるはずがないんだ。
俺がさっき言った言葉の意味も――……何もかも。
「お前には関係ねえ。放っておけばいいだろ」
「それはできないし……したくない」
「知るかよ。今まで通り、自分の好きなことだけやってろ。したくないとか、勝手に人を巻き込むな」
「だから、自分のやりたいようにやってるんだよ。このままじゃ私が後味悪くて嫌なの!」
……やはり、身勝手な返答に呆れる。
お前の気持ちなど俺には関係のない話だ。
自分のしたことに責任を持ちたいだの、昼間のようにたとえ俺をいさめる発言をしようとも。
結局本質はただの高飛車で我が儘な令嬢にすぎない。
それが気まぐれで真面目ぶってるのなんかに付き合ってられるか――。
頭の中で吐き捨てるように思う俺を、真っ直ぐ見上げ続ける目に眉をしかめた。
たずさえる月色がひどく目ざわりで。
一刻も早く、突き放したくなる気持ちに駆られた、……だけでなく。
たたえた光をも掻き消したい――と、どこまでも黒い闇色が心をしめる。それが俺を語らせた。
「結界から侵入した魔物が、近郊に住む一族すべてを滅ぼしたことはお前も知ってるだろ」
「あ……」
そいつは瞬時に軽く目を見開いた。
二年前の件はこの国ではちょっとした有名な話、ましてや自分の父親も関わることだ。
知らない方がおかしいと言える。
「血の匂いと一面に広がる赤は今でも忘れねえ。あんな状態で……、なんで俺一人だけが助かるんだ。なあ、おかしいだろ?」
視線を外さず硬直する相手に向けて、俺はたたみかけるようになおも続けた。
「……あの日、魔物を呼び寄せたのは魔力を持つ俺だ。なのにその元凶だけが生き残った。なぜだと思う? それは――、俺こそが、不幸を招く魔物だからだ。俺は、あいつらと同じ魔物なんだよ!――」
これが、――俺の持つ『答え』だった。
二年前、まだ自分が魔物だと気づいていなかったせいで起きた惨劇。
……俺さえいなければ、みんな今も変わらず笑って過ごせていたはずなのに――。
あの日、本来消えるべきだったのは、他の誰でもない俺自身。
だけど魔物であるがためにしぶとくも生き残り、そしてまた、いつ周りを滅ぼすかも知れない。
もう、大事なものをなくすのも、傷つけるのもたくさんだ。
……だから、今日終わらせる。
俺は為そうとする強い決意を、もう一度深く胸に刻むのだった――。




