三十八 三匹、意を決す
ともかく、久兵衛は戸板に乗せて〈あわ雪〉へと運ばれた。
離れにて、顔に白い布をかけられた久兵衛の横で、お園は目を真っ赤に泣き腫らしている。かける言葉もない三人は遠巻きにして、案山子のように突っ立っつばかりであった。
「おい」と慶吾、険しい顔で横の狩衣の袖を引き、どすの利いた声で詰め寄った。「おんしゃ、知っとったな。知っとった上で、儂らを昼間じゅう走り回らせたんか」
ふだんは体を反らせて腹を突き出す立ち姿であるため、慶吾は追儺よりもやや小さく見える。しかし上からのしかかれば、乞食坊主の姿は風流な楽士よりもずいぶん大きい。
そのくらいで気圧される追儺ではなく、冷ややかな眼差しで慶吾を見上げた。
「知っていたさ。ぬしも気づいていると思ったけれど」
「ぬ……」
俯き加減で後ろ手に障子を閉め、雅寿丸も二人の元へとやってきた。三者が適当な距離を置いて立ち、あるいは座り、立待月に照らされながら、まずは慶吾がまとめを促す。
「ともかく、この留学騒動のあらましはどういうことなんじゃ? 小栞と、お雪殿の留学と、久兵衛殿、どう結びつけたもんか」
「まろは廓で、惣士が入れ込んでいるという遊女に話を聞かせてもらった。留学の裏には、なにやら表沙汰にはできない事情がありそうだったね。」
「おれも酒場でそんなようなことを聞いた。近隣から娘をかき集めているというのに、その娘らがいざ異国へ旅立つところを見たものがいないらしい」
「すると……」追儺、雅寿丸の話を得て、こめかみを抓りながら慶吾が言う。「お雪ど……娘らは城の外へは出ていないと考えるべきじゃな。儂ゃ昼間に城の周りを一回りしてきたんじゃが、あの白犬どもさえいなければ忍び込めたにのう」
見目よく座した追儺が、竜笛をもてあそんでいたのを止め、鋭く問う。
「城郭を守っていたのは犬ばかりというわけかい?」
「三人で押しかけた大手門と、そんから西御門と仁藤門にはさすがに門番が二人ずつおったが、そのほかは犬ばかりじゃった」
「久兵衛の着物の裾にほつれがあったのを見た? 着るときに見逃すほど小さくはないけれど、ちょうど真後ろの位置だ。何者かに斬りつけられたときにできたのだとしたら、向きが逆だよ」
「つまり……どういうことだ?」
懐手にして考えるには考えたが、雅寿丸は結局、答えを求めるほうを選んだ。
「犬さ。久兵衛は大手門で門前払いを食らったのだろう。いつ娘が国を発ってしまうか気が気ではないから城壁を乗り越えて忍び込み、お雪へ簪を直に手渡そうとしたんじゃないかな。犬は裾に噛みついて引き戻そうとしたけれど、娘を思う父の執念が勝った」
「裾のほつれはそのとき、犬が食いついてできたものというわけじゃな」
うなずきながら仲間二人を交互に見つめる雅寿丸だが、それが陰謀だの策略だのとややこしくなってくると、もうついてゆけない。勢い聞き手に回り、追儺と慶吾が少しずつ真相に迫ってゆくのを見守るほかなかった。ここで茶々を入れない程度の分別はある。
「そう。その際、犬は吠えただろうし、物音もしただろう。城内の侍に見つかり、お雪に簪を手渡す前に殺された」
「あのやり口、おれはよく知っている」
あくまで曇りない那智黒の眼をしばたかせて、話に聞き入っていた雅寿丸が口を開いた。その口ぶりは静かであったが、追儺と慶吾、そしてようやく障子を開けて顔を覗かせたお園らの目を惹きつけた。
「いや、な。まさしくあれは、おれが追っていた下手人の手によるものだ。あんなふうに、胴体を切り身にされてちぎれかかった死体を、おれはいくつも見て知っている」
「それは、ぬしの村を……」
「うむ。おれの探していた、下手人だ」
追儺の呟きに、雅寿丸が大きく頷いた。
「お雪殿を助け出すぞ。そがいな化け物のいるところに、これ以上いさせられん」
足を踏み鳴らして慶吾が言えば、
「小栞侯の所業をこれ以上許してはおけないよ。暴き立てて、人の手へ帰さなければ」
追儺も真っ直ぐに立ち上がって月を見上げた。
「お、お気持ちは嬉しいですが」立ち上がる気力さえ失ったか、お園は障子から這いずって三人の下へとゆく。「こんなことをするような化け物……まともに立ち向かったところで、皆様まで……」
お園を見下ろす格好になった雅寿丸、今度は首を掻きながら、上目遣いで追儺を見た。その白い姿が小さく頷くのを見て、袴姿の狼士は腰を落とし、お園を真正面から見つめた。黒くて丸い目が、どことなくひょうきんに笑いかけたように、お園には感じた。
「おれたちな、まともな人間ではないんだ」腰から鞘ごと引き抜いた刀を静かに置き、やおら立ち上がって宙返りをする。「おれは鎌鼬という物の怪だ。正真正銘の善玉妖怪かと聞かれると、うんとは言えんが、今はあまり人様の迷惑にならないよう心がけている」
目の前に突如現れた獣――滑稽な隈取に長い胴、短い手足の生き物に、お園は言葉を失った。のみならず、泣くことさえこのときばかりはすっかり忘れてしまったようである。
雅寿丸に続き追儺が、次いで慶吾が宙返りを決めては獣の姿へと変じて見せた。
「白月の里より参った、仙狐の追儺」
「伊予狸大将喜左衛門に与する、化け狸の慶吾」
咥えた竜笛を優美な所作で置き、輝く毛並みの白狐が静かに言う。
毛並みがお粗末な禿狸は、それからあえて遠く離れて名乗りを上げた。
「小栞侯の、北条……」
言い差した大鼬が長い首を曲げて見れば、白狐「北条清輝だよ」と助け舟。
「そう。北条清輝は、おれたちのような物の怪ではなくてただの人だろうから、手出しはしない。そっちは人に任せる。だが、同じ物の怪のしでかした不始末は、及ばずながらおれたちが何とかしよう」
「ひ」の字をひっくり返したような格好でお園を見上げ、髭を振り振り雅寿丸は言った。口の端からは二本の長い牙が覗き、凶悪な面構えかと思いきや、丸い耳と隈取と、両目の上に並んだ白い斑が、なんともいいようのない愛嬌のある顔に見せている。
お園は、それはそれは仰天した。妖人側居の寧和の世とはいえ小栞から外へ出たことのない身からすれば、やはり妖怪はこの世のものとは思えぬ存在であった。それでも――。
「あぁ、雅寿丸さんなんですねぇ。目が、ちっとも変わりません」
そう言って、水仕事で荒れた手をおずおずと鼬へ伸ばした。やや白い頭の毛に触れると、恐る恐る指を滑らせる。雅寿丸は嬉しそうに「へへへ」と笑った。
慶吾と目と目で頷きあった追儺は、離れを辞しつつ後ろへ声を投げかける。
「そうなれば急いで段取りを決めなくてはならない。寝間の一つを借して頂くよ、血生臭い話になるからね」




