三十九 短いの、白いのを言い負かす
そして。
「では明日、いや、今からでも城へ乗りこむか」
「待て」勢いこむ雅寿丸を、追儺は落ち着いた声で制した。「娘たちは人質に取られているのと同じだよ――まだ生きていればの話だけれど」
「縁起でもないことを言うな。生きとるに決まっとろうが。おんしはいちいち嫌なことを言いよる狐じゃのう」
立派な腹を打ち鳴らしながら言うと、追儺は「そうだね、悪かった」と謝るので、慶吾は思わず丸い体を畳へ転がしてしまった。言い返さないのも癪なので、不機嫌な声で言う。
「面倒じゃ、おんしが妖術で城の中のやつらをみな眠らせるかどうかして動けんようにさせ、娘たちを助け出すついでに久兵衛殿を殺した化け物をやってしまえばよかろ」
「それは無理。今のまろにはそんな力はないよ」
「へ? それくらい、造作もないじゃろうが。儂ゃ聞いとるぞ。ついこの前、月が満ちると山犬になる病に冒された町の人間を、満月の夜にひとり残らず眠らせて事なきを得たと」
素っ頓狂な声で詰め寄る慶吾に、追儺は、
「今、まろの力の半分は、雅寿丸がちょっとした行き違いで負う羽目になってしまった瘴気を肩代わりすることに費やしているのさ。だから無理」
と言い切る。
「それなら、瘴気をおれに戻してくれて構わんぞ」
白狐の前に大鼬が進み出て言えば、
「あのねえ、濃茶の茶碗ではないんだよ。そう軽々しい気持ちでたらい回しできるものではない。瘴気とは恨みが凝ったもの、手厚い扱いをしなければならない」
と追儺、素っ気ない。
結局話は、いかにして城へ討ち入るかというところへ戻った。
「ここでことを荒立てれば、小栞侯がいかなる暴挙に出るやらわかったものではないからね。まずは娘たちを助け出すのが先だ」
「しかしのう、肝心のお雪……娘たちがどこに閉じ込められているのかがわからん。北条清輝か、それに近しい奴であれば知らんこともないだろうが、どちらにしても城に入り込まんことにはどうにもならんぞ」
畳へ仰向けに転がったまま、狸は誰かが妙案をぶち上げてくれるのを待った。しばらくしても誰も何も言わないので、ちぎれた尾を力なく振ってうめくように言った。
「とはいえ、儂らが行ってもまた門前払いをされるだけじゃ」
すると、
「おう、いいことを思いついたぞ!」大鼬は前足を打ち合わせて情けない音を立てつつ、勢い込んで言う。「追儺が女に化ければいい」
「嫌だ」
にべもない拒絶は、電光石火の速さで返された。
「なぜだ? 狐ならば、化けるのはお手のものだろう」
「あのね、雅寿丸」
低い声をいっそう低くした追儺に、慶吾は「おい、よせ」と身を起こし、口を挟む。
「おんしゃ、狸狐連の決まりを忘れたんか」
「……人に口外してはならぬとはあるけれど、同じ物の怪に言ってもならぬという決まりは知らないね」
「ええい、減らず口が」
吐き捨てて、慶吾は再び寝転がった。妖怪「以津真天」に食いちぎられたという蓮の葉形の耳を塞ぎ「儂ゃ、なぁんにも聞いとらん」と繰り返す。
「ぬしの言うとおり、狐狸妖怪にとって、姿を変えることは造作もない。人化の術とは言うけれど、術のうちにも入らないね。けれど、世には理というものがある。男が女になったり、女が男になったりすることは決してできない」
「ううむ。女に化けた狐や狸がうまいこと人間の男を騙す話はよく聞くが、あれはどういうことだ? すべてが雌狐の仕業なのか」
長い爪で顎を掻き、首を傾げる大鼬。
それにしては、いわゆる女の妖怪に出会うことが少なすぎやしないだろうかと思う。妖怪として半人前の己が、人間の女と人に化けた女の妖怪とを見分けられないとしても、山や森で出くわすことくらいはあってもよさそうなものだ。雅寿丸はそう考えた。
「そこらの野狐の類いは知らないけれど、由緒ある狐族の女は里から出ることなどないよ。白月狐に至っては、同属の前でさえ素顔を晒さない。まろは母親の顔すら知らないよ」
「むむ。そうすると……どういうことだ?」
「つまりじゃな」口を閉ざす白狐に代わり、禿狸がひっくり返ったまま口を開く。「よう言う女に化けた妖怪というのは、ほとんどの場合、女の格好をしただけの男の妖怪じゃ」
雅寿丸は感心した様子で頷き、追儺を見た。
まぎれもなく男の妖怪である追儺は、雅寿丸の目から逃れるように顔を伏せ、足元の竜笛を白々しくもてあそんだ。
「女の姿になるなど、ご免だよ」
「先の案は『無理』で、今度の案は『嫌』か。まったく難儀な狐じゃのう」
己が女形の真似事を迫られていないのをいいことに、慶吾が気楽に言った。
「思い違いをしないで貰いたいのだけれど、まろは女に化けられないわけではないよ。白月の里では女に化けられなければ、いつまでたっても一人前の男とはみなされない。女としての立ち居振舞いに男を垂らしこむ手管まで習得できて、初めて里を出ることが許される」
「その点、ここにおわすのは彼の『追儺太夫』様じゃからなぁ」
ここぞとばかりに慶吾は牙を覗かせ、ことさら意地悪く言った。追儺は半ば俯いたまま上目遣いに睨むが、慶吾は動じない。その言い負かされた態に気を良くした禿狸は、わざわざ起き上がり、首を捻ったままの雅寿丸へ丁寧教えてやるのであった。
「太夫というんは、廓において最も位の高い遊女を指すんじゃ」
「すると、つまり……」
「女に化けさせれば、狐狸の中でも追儺の右に出る者はおらん」
「ううむ、それならなおさら――」
振り向いた雅寿丸の、碁石のような黒い目に真っ直ぐ見つめられ、視線の先で追儺が目を逸らす。先の尖った大きな耳を心持ち伏せる狐姿の追儺は、人の姿のときよりもよほど表情が読みやすい。慶吾までが加勢して見つめてやれば、白月の追儺太夫はついに折れた。
「……わかったよ。こんなことをしている場合じゃないのは百も承知さ。ちょっと言ってみただけじゃないか」
「決まり、じゃな」
得意げに腹を叩く慶吾。追儺狐を言い負かしたとあらば、狸の里へ帰ってこれ以上はない土産話になろう。
ようよう討ち入りの際の細かな手筈を整える段となり、白犬をどうやりすごすか、いかにして鳥獣惣士に見つからず娘たち逃がすかについて意見を出し合うことになった。
「犬はもう、一も二もないわい。雅寿丸が――」
慶吾が言いかけたとき、三匹は障子の向こうで奇妙な音を聞いた。




