家賃が高い家は、時間が安い
§大学四年・秋§
「家賃八万二千円。二DK。最寄り駅から徒歩十二分。職場まで、電車で一時間七分」
「遠すぎるわ」
大学四年の十月。
冬華は、俺が見せた物件情報を三秒で却下した。
「まだ間取りしか見せてないぞ」
「職場まで一時間七分なのでしょう?」
「乗り換えは一回だけだ」
「片道一時間七分」
「始発駅だから、座れる可能性が高い」
「往復二時間十四分」
「家賃が安い」
「一か月で、四十時間以上を通勤に使うことになるわ」
「計算が早いな」
「文哉くんが遅いのよ」
冬華の部屋にあるローテーブルには、不動産会社から持ち帰った物件情報が何枚も並んでいた。
俺たちは大学四年の秋を迎えている。
俺は出版社から、冬華はメーカーの法務部から、それぞれ内定をもらった。
会社の最寄り駅は二つしか離れていない。
高校三年生の春、お互いに志望校を伏せたまま進路を決めた結果、同じ大学を第一志望にしていた。
大学四年生になって、お互いに就職先を伏せたまま就職活動をした結果、今度は職場まで近くなった。
偶然にしては出来すぎている。
もっとも、同じ業界でも同じ会社でもないため、どちらかが相手に合わせたわけではない。
その点については、すでに三時間ほど議論して確認済みだった。
大学卒業後、俺たちは一緒に暮らす予定である。
付き合い始めてから、もう四年以上になる。
それぞれ別の部屋を借り続けるより、一つの部屋で暮らした方が家賃や光熱費を抑えられる。
忙しくなる社会人生活でも、顔を合わせる時間を作りやすい。
合理的に検討した結果、同棲するという結論に至った。
その結論を出すまでに行われたディベートは、合計七回。
最終的には、
「一緒に暮らしたいという感情を、合理性で偽装する必要はあるのか」
という冬華の指摘に対して、俺が反論できずに終わった。
「それでは、冬華の候補は?」
「これよ」
彼女が一枚の物件情報を差し出した。
「家賃十二万六千円。一LDK。駅から徒歩四分。文哉くんの職場まで十八分。私の職場まで二十四分」
「高い」
「近いわ」
「さっきの物件より、四万四千円も高い」
「さっきの物件より、一時間近く通勤時間が短い」
「部屋も狭い。こっちは二DKで四十二平方メートル。冬華の物件は一LDKで三十四平方メートル」
「二人で暮らすには十分よ」
「本を置く場所がない」
「図書館を利用して」
「自分の本を読みたいときは?」
「電子書籍にする」
「紙の本と電子書籍が同じものかどうかは、大学二年のときに議論しただろ」
「機能としては、どちらも本という結論になったはずよ」
「所有している実感が違う」
「いまは住居の話をしているの。過去の議題を再審しないで」
冬華は鞄から、見慣れたノートを取り出した。
高校時代から続く『文哉くんとの議論』は、大学四年目にして十二冊目へ突入している。
本棚の一段が、ほぼ議論の記録だけで埋まっていた。
「議題は、『家賃が低くて職場に遠い家と、家賃が高くて職場に近い家のどちらに住むべきか』」
「俺が、家賃が低くて遠い家」
「私は、家賃が高くて近い家」
「勝敗は?」
「相手を納得させた方の勝ち」
「住む家をディベートの勝敗だけで決めるのか?」
「最終決定ではないわ。勝った方の物件を、先に内見する」
「先に見るだけ?」
「内見したら、印象が変わるかもしれないでしょう?」
「ずいぶん慎重になったな」
「これまでの議題とは違うもの。カップ焼きそばの分類を間違えても、人生に大きな影響はないわ」
「カップ焼きそばは、焼きそばだけどな」
「その再審もしないわ」
冬華はノートに二つの物件情報を書き写した。
郊外の二DK。
家賃八万二千円。
職場まで一時間以上。
都心に近い一LDK。
家賃十二万六千円。
職場まで二十分前後。
「まず、家賃の差は月四万四千円」
俺は言った。
「一年で五十二万八千円。二年住めば、百万円を超える」
「二人で負担するなら、一人あたり月二万二千円よ」
「それでも一年で二十六万四千円だ」
「文哉くんは、浮いたお金を何に使うつもり?」
「貯金」
「具体的には?」
「病気や失業に備える。家具や家電が壊れるかもしれない。冠婚葬祭だってある。社会人一年目は、なにに金がかかるかわからないだろ」
「堅実ね」
「悪いか?」
「悪くはないわ。私も貯金は必要だと思っている」
「だったら、家賃は安い方がいい」
「でも、お金だけを計算して、時間を計算していない」
冬華は電卓を取り出した。
「郊外の物件から通う場合、文哉くんの通勤時間は片道六十七分。私の会社までは、およそ七十二分」
「冬華の分まで調べたのか」
「一緒に住む家でしょう?」
冬華は電卓を操作した。
「都心の物件なら、文哉くんは十八分。私は二十四分。二人とも、片道で約五十分短縮できる」
「家から駅までの時間も含んでる?」
「含んでいるわ」
「電車の遅延は?」
「通常時の話をしているの。条件を増やしすぎると比較できないでしょう?」
「続けて」
「一人あたり、往復で百分。月に二十日出勤するとして、二千分。約三十三時間よ」
「二人なら、六十六時間」
「家賃の差額は、四万四千円」
冬華は電卓の画面を俺へ向けた。
「一時間あたり、約六百六十七円。月四万四千円を余分に払えば、二人合わせて六十六時間を買える」
「二人分の時間を合計するのは、ずるくないか?」
「二人で払う家賃でしょう?」
「一人あたりなら、月二万二千円で三十三時間」
「同じ結果になるわ」
「そうだけど」
「家賃が高いのではないわ。時間を一時間、六百六十七円で買っているの」
「時給みたいに言うな」
「実際、私たちが働けば、一時間あたりそれ以上の価値を生み出すことになるでしょう?」
「新入社員の給料を、勤務時間だけで割ればな」
「自由時間の価値は、給料だけでは決まらないわ。睡眠、食事、家事、趣味。文哉くんと話す時間も含まれる」
「最後だけ、俺を反論しづらくするために入れただろ」
「事実よ」
「恋人関係を論拠として利用するな」
「一緒に住む家についての議論から、恋人関係を除外する方が不自然でしょう?」
冬華はノートに、大きく「時間を買う」と書いた。
「通勤時間は、完全に失われるわけじゃない」
俺は反論した。
「電車の中で本を読める。始発駅なら座れる可能性も高い。俺にとって、読書は無駄な時間じゃない」
「毎朝必ず座れる保証は?」
「都心へ向かう始発なら、一本待てば座れると思う」
「その一本を待つ時間は、通勤時間へ加えた?」
「……加えてない」
「さらに遠くなるわね」
「数分だけだ」
「帰りも座れる?」
「帰りは難しいかもしれない」
「残業のあと、満員電車で一時間以上かけて帰るの?」
「出版社に必ず残業があると決めつけるな」
「ないと思っているの?」
「……あるかもしれない」
「繁忙期には?」
「かなりあるかもしれない」
「終電を逃したら?」
「タクシー」
「郊外まで?」
「会社に泊まる」
「近い家に住んで」
「まだ働き始めてもいないのに、会社へ人生を最適化しすぎだ」
「どういう意味?」
「職場の近くへ住んだら、仕事と生活の距離が近くなりすぎる。休日に外へ出ても会社の近所。なにかあれば、すぐ呼び出せると思われるかもしれない」
「会社に住所を隠すつもり?」
「そういう話じゃない。心理的な距離だよ」
俺は郊外の物件情報を指した。
「家に帰れば仕事から離れられる。周囲は静かで、部屋も広い。家賃だけじゃなく、住環境にも余裕がある」
「通勤で疲れ切って帰宅することになっても?」
「電車を降りれば切り替えられる」
「帰宅したら午後九時。夕食を食べ、入浴して、明日の準備をしたら寝る時間。広い部屋があっても、過ごす時間がないのでは?」
「毎日残業する前提で話すな」
「定時に帰れても、往復二時間以上よ」
「その分、休日は広い部屋で過ごせる」
「週に五日、通勤する可能性が高いのに?」
「冬華は家賃の高い狭い家で、本当に満足できるのか?」
「職場から早く帰れるなら」
「一人になれる部屋が少ないぞ。1LDKだと、リビングと寝室だけだ」
「文哉くんは、私と同じ部屋にいるのが嫌?」
「そういう意味じゃない」
「では、問題ないでしょう?」
「同棲しても、一人の時間は必要だ。冬華だって、集中して勉強したり本を読んだりしたいときがあるだろ」
「そのときは、寝室とリビングに分かれる」
「喧嘩したときは?」
「議論で解決する」
「俺たちの場合、その議論が喧嘩になる可能性がある」
「これまで大きな喧嘩になったことはないわ」
「高校二年のとき、唐揚げにレモンをかけられて三日間口を利かなかった」
「あれは、事前に右半分だけならかけてもよいと合意したでしょう?」
「冬華は、皿の右半分だと思っていた。俺は、唐揚げ一個の右半分だと思っていた」
「合意内容の確認不足ね」
「あのとき、1LDKで暮らしていたら地獄だったぞ」
「将来、唐揚げを食べる際には個別の皿を使いましょう」
「間取りじゃなくて食器で解決するのか」
「問題に応じて適切な解決方法を選ぶべきよ」
冬華はノートへ、「一人の時間」と書き足した。
「それに、会社がずっと同じ場所にあるとは限らない」
俺は続けた。
「異動や転勤があるかもしれない。転職する可能性もある。在宅勤務が増えれば、職場の近くに住む価値は下がる」
「新卒で入社する前から転職を考えるの?」
「可能性の話だ」
「そのときは引っ越せばいいでしょう?」
「引っ越しにも費用がかかる」
「賃貸住宅なのだから、生活に合わなくなれば移れることも利点よ。一生住む家を決めているわけではないわ」
「最初から短期間で引っ越す可能性を考えて、高い家賃を払うのか?」
「二年間住んで、働き方がわかってから見直す。合理的でしょう?」
「二年間で、家賃差は百五万六千円だぞ」
「その代わり、二人合わせて千五百時間以上の自由時間を得られる」
「千五百時間」
「一日八時間として、約百八十七日分」
「そんなに?」
「通勤時間の差を積み上げればね」
冬華の計算は正しい。
家賃の差額だけを見れば、年間五十万円以上。
決して小さな金額ではない。
だが、通勤時間の差も積み重ねれば、途方もない長さになる。
「でも、金は残る」
俺は言った。
「時間も残るわ」
「時間は貯金できない」
「だから、失う前に使うのよ」
「使った時間は戻ってこない」
「通勤に使った時間も戻らないでしょう?」
「本を読める」
「毎日、必ず読む?」
「読むつもりだ」
「疲れて眠る日は?」
「あると思う」
「スマートフォンを見て終わる日は?」
「……あるかもしれない」
「ただ座っているだけの日も?」
「あるだろうな」
「それなら、家で過ごした方がいい」
「冬華は、電車の中で六法を読めばいいだろ」
「通勤中まで法令を読みたくないわ」
「法務部なのに?」
「仕事と私生活は分けたいもの」
「さっき、職場の近くに住むことへ賛成してた人が言うのか?」
「職場から離れるために、通勤時間を長くする必要はないわ。退勤したら、早く家へ帰ればいい」
「家に帰って、なにをする?」
「夕食を作る」
「毎日?」
「交代制にしましょう」
「冬華は料理できるけど、俺は簡単なものしか作れないぞ」
「大学生活の四年間で、ずいぶん上達したでしょう?」
「カレーと焼きそばと鍋くらいだ」
「カップではない焼きそば?」
「ちゃんと焼いた焼きそばだ」
「それなら十分よ」
「それから?」
「一緒に食べる」
「ほかには?」
「お風呂に入って、本を読んだり、テレビを観たり」
「議論は?」
「もちろんするわ」
「社会人になっても続けるのか?」
「やめる理由がある?」
「ないけど」
「職場に近ければ、その時間を確保しやすい」
冬華は、十二冊目の議論ノートへ手を置いた。
「私は、家賃の安い家に反対しているわけではないの。通勤に往復二時間以上かける家に反対しているのよ」
「でも、毎月四万四千円は大きい」
「文哉くんは、どうしてそこまで貯金を増やしたいの?」
「さっき言っただろ。病気や失業に備えて」
「それだけ?」
「それだけって?」
「文哉くんは、必要な貯金額を計算している?」
「まだ正確には」
「私は計算したわ」
冬華は別の紙を取り出した。
二人分の予想される手取り収入。
家賃。
光熱費。
食費。
通信費。
奨学金の返済。
日用品。
交際費。
毎月の貯金額。
細かな数字が表にまとめられている。
「家賃十二万六千円でも、生活防衛資金を貯めながら暮らすことはできる。もちろん、想定外の出費が続けば厳しいけれど」
「いつ作ったんだ、これ」
「文哉くんが郊外の物件を探している間に」
「最初から高い方へ誘導するつもりだっただろ」
「反論に必要な資料を準備しただけよ」
「抜けはないのか?」
「あるかもしれない。だから文哉くんにも確認してほしい」
資料を受け取る。
数字を追っていく。
冬華は楽観的な予想だけで、家賃の高い物件を選んだわけではない。
ある程度の余裕を残し、片方の収入が一時的に減った場合まで考えている。
「それでも、安い方なら、もっと貯金できる」
「その貯金を、なにに使いたいの?」
もう一度、同じ質問をされた。
今度は、ごまかせそうになかった。
「将来、もっと広い家に引っ越すかもしれないだろ」
「2DKより広い家?」
「ああ」
「二人で?」
「そのつもりだけど」
「賃貸?」
「それは、まだわからない」
「購入する可能性も考えている?」
「可能性としては」
「どうして?」
「どうしてって……」
冬華が、じっと俺を見る。
「結婚するとか、家族が増えるとか。そうなったら、もう少し広い家が必要になるかもしれない」
言い終えたあと、急に恥ずかしくなった。
俺たちは卒業後に同棲する予定だが、結婚の具体的な話まではしていない。
まだ大学生だ。
社会人としての生活も始まっていない。
将来を確約できる段階ではない。
「そう」
冬華は短く答えた。
「勝手に決めてるわけじゃないぞ」
「なにを?」
「結婚とか」
「私とは結婚したくないの?」
「逆だ。したいと思ってるから、考えてた」
「それなら、問題ないわ」
「冬華は?」
「私の資料を見れば、わかるでしょう?」
もう一度、家計の試算表を見る。
項目の一番下。
毎月の貯金額の横に、小さく「将来資金」と書かれている。
「これ、結婚のため?」
「結婚だけとは限らないわ。引っ越し、家具、旅行。二人で使う可能性のあるお金よ」
「冬華も考えてたのか」
「私たちは、もう四年以上付き合っているもの。卒業後に一緒に住むなら、その先を考える方が自然でしょう?」
「先に言ってくれ」
「文哉くんが言うまで待っていたの」
「どうして?」
「私だけが先のことを考えていたら、恥ずかしいから」
「冬華でも、そういうことを気にするんだな」
「いまの発言は減点対象よ」
「なにから?」
「恋人としての評価から」
「採点されてたのか」
「安心して。まだ合格圏内よ」
「内定みたいに言うな」
冬華の口元が、わずかに緩んだ。
「将来のためにお金を残したいという文哉くんの意見は理解したわ」
「なら、安い家?」
「でも、将来のために現在の時間をすべて削るべきではない」
「すべてとは言ってない」
「新社会人の一年目は、きっと想像以上に疲れるわ。生活にも仕事にも慣れていない。そんなとき、毎日二時間以上を通勤に使えば、二人で暮らしていても、ほとんど顔を合わせないかもしれない」
「一緒に住む意味が薄くなるな」
「ええ」
「でも、高い家賃を払えば、貯金できる額は減る」
「将来の家を買う時期が、少し遅くなるかもしれない」
「その少しが、何年になるかわからない」
「急ぐ必要はある?」
「冬華は、早く結婚したくないのか?」
「結婚と、家を買うことは別でしょう?」
「そうだけど」
「私は、広い家に住むために文哉くんと一緒にいたいわけではないもの」
冬華は、高い方の物件情報を俺の前へ置いた。
「狭くても、平日の夜に一緒に夕食を食べられる方がいい」
「毎晩、議論するため?」
「議論しない日があってもいいわ」
「冬華が?」
「恋人同士なのだから、話さずに同じ部屋で過ごす日があってもいいでしょう?」
「大人になったな」
「高校生のころから大人だったわ」
「57を素数だと主張した人が?」
「その話をいつまで持ち出すの?」
「一生」
冬華が黙った。
「……一生?」
「いまのは、言葉の綾だ」
「撤回するの?」
「しない」
「では、記録しておくわ」
「なんの証拠に使う気だ?」
「将来、必要になったときのために」
冬華は議論ノートへ、なにかを書き加えた。
俺の位置からは見えない。
「結論を出しましょう」
「そうだな」
「家賃が低くて職場から遠い家には、固定費を抑えられる利点がある。部屋も広く、静かな環境で暮らせる。貯金を増やし、将来へ備えることもできる」
「家賃が高くて職場に近い家には、通勤時間を減らせる利点がある。睡眠や家事、趣味、それから二人で過ごす時間を増やせる」
「会社の場所や働き方が変われば、職場に近いという利点は失われる可能性がある」
「そのときは、契約更新の時期に引っ越しを検討する」
「1LDKでは、一人の時間を確保しづらい」
「生活上のルールを決める。必要なら、家具の配置で空間を分ける」
「本棚が足りない」
「所有する本の上限について、別途ディベートを行う」
「それは俺が負けると、本を捨てることになるのか?」
「勝敗にかかわらず、床が抜けるほど置くのは禁止よ」
「賃貸契約上の問題なら仕方ない」
「そして、家賃が高くても、家計は維持できる見込みがある」
すべてを比較する。
金銭的な余裕。
時間的な余裕。
住居の広さ。
通勤の負担。
まだ経験したことのない社会人生活。
なにを優先するべきか、完全な正解はない。
「高い方を先に見に行こう」
俺は言った。
「納得した?」
「職場まで一時間以上の家は、候補から外してもいいと思う」
「私の勝ちね」
「ただし、もう少し安くて、通勤三十分以内の物件も探す」
「第三の選択肢を追加するの?」
「内見する前に、二択だけで決める必要はないだろ」
「妥当な提案ね」
「冬華も納得する?」
「ええ。ただし、高い方の物件を最初に内見するという約束は守って」
「わかった」
冬華は不動産会社の予約画面を開いた。
「明日の午前十一時なら空いているわ」
「予約する?」
「二名で」
入力欄に、俺と冬華の名前が並ぶ。
「入居予定人数は?」
「二人」
「続柄は?」
「婚約者?」
「まだ婚約してないだろ」
「では、恋人?」
「選択肢にあるのか?」
「ないわ。同居人、婚約者、夫婦、親族」
「同居人だな」
「将来的には変わる可能性がある?」
「あると思う」
「どれに?」
「それを、いま答えさせるのか?」
「参考までに」
「……夫婦」
「そう」
冬華は満足そうに、「同居人」を選択した。
現時点では、それが正しい。
俺たちはまだ大学生で、婚約も結婚もしていない。
卒業後に同じ家で暮らす予定の、ただの恋人同士だ。
「予約を確定したわ」
「明日、寝坊するなよ」
「文哉くんこそ」
「冬華の部屋に集合?」
「ええ。一緒に行きましょう」
家賃が低くて職場から遠い家と、家賃が高くて職場に近い家。
どちらを選ぶべきかは、収入や働き方、生活の優先順位によって変わる。
俺たちの場合、家賃の高い家は、単に便利な場所にある部屋ではなかった。
二人で夕食を食べる時間。
同じテレビを観る時間。
それぞれ別の本を読みながら、同じ部屋で過ごす時間。
そして、どうでもいい議題について、納得するまで話し合う時間。
高い家賃で買うのは、そういう時間なのだと思う。
「ところで」
冬華が、物件情報の間取り図を指した。
「この1LDKに、文哉くんの本をすべて持ち込むのは不可能よ」
「工夫すれば入る」
「本棚を置ける壁は、ここだけ」
「廊下にも置ける」
「避難経路を塞がないで」
「薄い本棚なら」
「地震で倒れるわ」
「固定する」
「賃貸の壁に穴を開けないで」
「突っ張り式にする」
「寝室には置かないで」
「どうして?」
「地震のとき、寝ている文哉くんの上へ本が降ってくるでしょう?」
「本に埋もれて死ぬなら、本望かもしれない」
「私は嫌よ」
「冬華が?」
「恋人が、本棚の下敷きになるのは困るわ」
「理由は?」
「それを説明する必要がある?」
「一応、ディベートだから」
「次の議題にする?」
冬華が、新しいページを開く。
十二冊目の議論ノートには、まだ半分以上の余白が残っていた。
新しい家で暮らし始めても、おそらくすぐに埋まるだろう。
職場まで近い家なら、そのための時間だけは、たっぷり確保できそうだった。




