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結婚式は、誰のために挙げるのか

§社会人二年・秋§


「結婚式を挙げて、新婚旅行を諦めるか」


 冬華は、ローテーブルの左側に結婚式場のパンフレットを置いた。


「結婚式は挙げず、写真だけ撮って、新婚旅行を奮発するか」


 今度は右側に、旅行会社のパンフレットを置く。


「文哉くんは、どちらがいい?」


 社会人になって二年目の秋。


 俺たちは、職場から近い1LDKの部屋で暮らしていた。


 大学四年生のとき、家賃の安い郊外の家と、家賃の高い職場近くの家のどちらに住むべきか、ディベートをした。


 最終的には、家賃の高い方を選んだ。

 毎月の出費は増えたが、通勤時間は短くなった。

 平日の夜でも一緒に夕食を食べられる。

 仕事で疲れている日は、ほとんど話さずに同じ部屋で過ごすこともある。

 余裕のある日は、高校時代と変わらず、どうでもいい議題について話し合う。


 家賃で買った時間は、思っていた以上に俺たちの生活を支えていた。


 その部屋で二年間暮らし、俺たちは婚約した。


 プロポーズは、すでに済んでいる。


 両親への挨拶も終えた。

 婚姻届を提出する日も、おおよそ決めてある。


 あとは、結婚式をどうするかだった。


「先に、条件を確認しよう」


 俺は二つのパンフレットを見比べた。


「現在の貯金から、結婚に使っても生活へ影響のない金額は決まっている」


「ええ」


「結婚式を挙げる場合、その予算のほとんどを使う。新婚旅行は、近場へ一泊する程度」


「もしくは、しばらく見送ることになるわね」


「結婚式を挙げない場合は、衣装を着て写真だけ撮る。残った予算で、行き先や日程に余裕のある新婚旅行へ行く」


「そういう比較よ」


「両方する案は?」


「予算を増やせば可能ね」


「貯金を崩す?」


「反対よ」


「借りる?」


「もっと反対」


「親に援助してもらう?」


「自分たちで決めたことなのに?」


「だよな」


 結婚式と新婚旅行の両方へ十分な金額を使うことは、現時点でも不可能ではない。


 けれど、そのために生活防衛資金へ手をつけるつもりはなかった。


 今後、どのような出費があるかわからない。


 どちらかが病気になるかもしれない。

 転職や引っ越しをするかもしれない。

 いつか家を買う可能性もある。


 限られた予算の中で、なにを優先するか。


 今回は、そういう話だった。


「それでは、ディベートを始めましょう」


 冬華は、本棚から一冊のノートを取り出した。

 高校時代から続けている『文哉くんとの議論』は、すでに十八冊目へ入っている。


 同棲を始める際、俺の本を減らすよう求められた。


 その一方で、この議論ノートだけは、一冊も処分の候補に挙がらなかった。


「議題は、『結婚式を挙げて新婚旅行を諦めるか、結婚式は挙げずに写真だけ残して、新婚旅行を奮発するか』」


「俺は、結婚式を挙げる方を担当する」


「私は、写真と新婚旅行を選ぶわ」


「勝敗は?」


「今回は、勝ち負けで決めるべきではないと思う」


「冬華が?」


「意外そうね」


「高校生のころなら、負けた方が相手の希望に従うと言ってただろ」


「カップ焼きそばの分類とは違うもの。二人が納得していないのに、勝敗だけで決めたら、あとで後悔するわ」


「大人になったな」


「文哉くんもね」


「どうして?」


「その意見に反論しなかったでしょう?」


「さすがに、結婚式を詭弁で勝ち取るつもりはない」


「では、議論の目的は、どちらが勝つかではない。お互いが、なにを大切にしているのかを知ること」


「異議なし」


 冬華はノートに議題を書いた。


 結婚式。

 フォトウェディングと新婚旅行。

 二つの選択肢の間に、一本の線を引く。


「先に、文哉くんの意見を聞かせて」


「結婚式を挙げたい」


「理由は?」


「結婚は、俺たち二人だけに関係することじゃないから」


「家族や友人?」


「ああ。俺たちがここまで一緒にいられたのは、二人だけの力じゃない」


 高校時代のクラスメイト。

 大学で知り合った友人。

 就職してから世話になった人たち。

 それぞれの家族。


 俺たちが付き合っていることを知り、見守ってくれた人は多い。


「結婚式なら、そういう人たちへ一度に報告できる。感謝も伝えられる」


「個別に報告すればいいでしょう?」


「できる。でも、全員が同じ場所に集まる機会は、結婚式くらいしかない」


「人を集めること自体に、価値がある?」


「あると思う」


「結婚するのは、私たちなのに?」


「俺たちが結婚することを、周りの人にも見届けてもらう。そのための儀式だろ」


「見届けてもらわないと、夫婦になれない?」


「そうは言ってない。婚姻届を出せば、結婚はできる」


「では、結婚式は必須ではない」


「必須じゃないものに、意味がないわけじゃない」


 冬華はノートに、「家族・友人への報告」と書いた。


「写真だけでは足りないの?」


「写真に残るのは、一瞬だけだ」


「一瞬を残すために撮るものよ」


「でも、声は残らない。親がどんな顔をしていたか、友人がなにを話したか、その場で起きたことは、一枚の写真だけじゃ残せない」


「動画も撮れるわ」


「そういう意味じゃない」


「では、どういう意味?」


「同じ時間を過ごしたという記憶だよ」


 結婚式場のパンフレットを開く。


 新郎新婦。

 家族。

 友人たち。


 大勢の人間が、一枚の写真に収まっている。


「俺たちが新郎新婦として立って、その姿を知っている人たちに見てもらう。俺たちも、来てくれた人たちを見る。それは、スタジオで二人だけの写真を撮るのとは違う」


「大勢の人の前に立ちたいの?」


「緊張すると思う」


「注目されるのは得意?」


「苦手だな」


「私もよ」


「知ってる」


 高校生のころ、冬華はクラスで美人かつミステリアスと評判だった。


 他人から見られることには慣れていたが、注目を集めることを好んではいなかった。


 大学祭の人混みから二十分で逃げ出したこともある。

 結婚式の中心に立てば、一日中、大勢の視線を浴びることになる。


「それでも、式を挙げたい?」


「ああ」


「どうして?」


「一度くらい、ちゃんと人前で言いたいから」


「なにを?」


「冬華と結婚するって」


 彼女が黙った。


「婚約したことは、もう報告しているわ」


「報告じゃなくて、誓うんだよ」


「人前で?」


「冬華の前で。それを、みんなにも聞いてもらう」


「……そう」


 冬華はノートへ視線を落とした。


「急に反論しづらいことを言うのは、昔から変わらないわね」


「冬華に教わったからな」


「恋人関係を論拠として利用しないで」


「夫婦になるための話から、恋人関係を除外する方が不自然だろ」


 大学四年生のころ、同じ家に住むかどうかを議論した際、冬華から言われた言葉だった。


「自分の発言が返ってくるとは思わなかったわ」


「議論にも資源の再利用が必要なんだ」


「それも以前、聞いた気がする」


 冬華は小さく笑った。


「では、私の意見を述べるわ」


「どうぞ」


「結婚式を挙げなくても、結婚はできる」


「さっき確認した」


「私たちが夫婦になるために必要なのは、婚姻届を提出して、その後の生活を一緒に送ることよ」


「制度上はな」


「感情的にも同じだと思っているわ」


「式は必要ない?」


「結婚式を否定しているわけではないの。挙げたい人にとっては、大切な意味を持つでしょう。でも、私たちが限られた予算を使うなら、一日の式より、二人で過ごす新婚旅行を選びたい」


「旅行も、終われば思い出になるだけだ」


「一日では終わらないわ」


「日数の問題?」


「時間と経験の問題よ」


 冬華は旅行会社のパンフレットを開いた。


 いくつもの街。

 見たことのない風景。

 美術館や古い建物。

 現地の料理。


「結婚式では、決められた進行に沿って一日を過ごすことになる。衣装を着て、挨拶をして、写真を撮って、来てくれた人たちへ気を配る」


「それも必要なことだろ」


「ええ。でも、新婚旅行なら、二人で知らない場所を歩ける。なにを見るか、どこへ行くか、なにを食べるか。すべてを二人で決められる」


「決めるまでに、何回ディベートをすることになる?」


「必要なだけ」


「旅行へ行く前に、議論ノートが一冊増えそうだな」


「それも含めて、二人の時間でしょう?」


 冬華は「二人で共有する経験」と書いた。


「結婚式も、新婚旅行も、あとからできる」


 俺は言った。


「なら、旅行をあとに回してもいいだろ」


「本当に?」


「なにが?」


「仕事が忙しくなるかもしれない。異動するかもしれない。家族が増えるかもしれない。体調を崩すこともある。二人が同時に長い休暇を取れる機会が、この先も必ずあるとは限らないわ」


「結婚式だって、あとになるほど人を集める理由が薄くなる」


「写真は、いま撮れる」


「冬華は、ウェディングドレスを着たい?」


「少しは」


「少し?」


「かなり」


「正直になったな」


「着たい服を着たいと言うことに、合理的な反対理由はないでしょう?」


「ないな」


「文哉くんにも、礼服を着てほしい」


「俺も?」


「写真を撮るのは二人よ」


「冬華だけ撮ればいいんじゃないか?」


「新婦しか写っていない結婚写真を、どう説明するの?」


「新郎は撮影担当」


「写真館の人にお願いして」


「はい」


 冬華は満足そうにうなずいた。


「写真を撮れば、その時点の姿は残る。家族にも見せられる。必要なら、親しい人たちを招いて食事会をしてもいい」


「それは結婚式とは違う?」


「儀式や披露宴は行わない。衣装を着て写真を撮り、家族へ挨拶するだけ」


「小規模な結婚式と呼べなくもない」


「言葉の定義を広げないで」


「カップ焼きそばは焼きそばなんだよ」


「いま関係ある?」


「名前と実態は必ずしも一致しないという話だ」


「結婚式を挙げないという話をしているときに、結婚式の定義を広げるのは反則よ」


「冬華が、家族を呼んで衣装を見せたいと言うから」


「呼ぶとしても、両親ときょうだいだけ。友人や職場の人には、写真と挨拶状で報告する」


「友人に直接感謝を伝えられない」


「会ったときに伝えればいいわ」


「一人ずつ?」


「結婚式へ招くより、直接話せるでしょう?」


「時間がかかる」


「結婚式の準備にも時間がかかるわ」


 冬華は結婚情報誌を開いた。


 会場選び。

 招待客の選定。

 衣装合わせ。

 料理。

 席次。

 引き出物。

 挨拶。

 余興。


 決めるべき項目が、何ページにもわたって並んでいる。


「結婚式は、当日だけでは終わらない。何か月も前から準備する必要がある」


「二人で決めればいい」


「招待客の席順で、何回ディベートをするつもり?」


「決着するまで」


「料理は?」


「試食して決める」


「引き出物は?」


「もらって困らないもの」


「それが何かで議論になるわ」


「お菓子なら困らない」


「好みやアレルギーがあるでしょう?」


「カタログギフト」


「選ぶ手間を相手へ渡しているだけよ」


「じゃあ、商品券」


「金額が直接わかるわ」


「難しいな、引き出物」


「まだ三項目しか話していないのに、この状態よ」


 冬華の指摘は正しかった。

 俺たちが結婚式のすべてを納得するまで話し合えば、準備期間だけで一年を超える可能性がある。


「それに、招待される側にも負担があるわ」


「ご祝儀?」


「それだけではない。交通費、衣装、予定の調整。遠方から来てもらう人には、宿泊が必要になるかもしれない」


「来てほしいと思うこと自体が、負担を強いることになる?」


「多少は」


「それを言ったら、誰も人を招待できない」


「招待することが悪いとは言っていないわ。負担をお願いしてまで、私たちが結婚するところを見てもらいたいか、という話よ」


「俺は、見てもらいたい」


「私は、二人の結婚を誰かに証明しなくてもいいと思っている」


 少しだけ、冬華の声が柔らかくなった。


「文哉くんが私と結婚したいと思っていることは、知っているもの」


「プロポーズしたから?」


「それだけではないわ」


 冬華は、部屋の中を見回した。


 二人分の食器。

 二人分の衣類。

 共有の本棚。

 壁に掛けられた大学の卒業写真。

 冷蔵庫に貼られた、家事分担表。


 そして、十八冊の議論ノート。


「高校生のころから、ずっと話を聞いてくれた」


「聞くだけじゃなく、反論もしたけどな」


「私が間違っていると思ったときは、きちんと反論してくれた」


「57は素数じゃないから」


「まだ言うの?」


「あれが始まりだったからな」


「私が正しいときも?」


「納得できれば認めた」


「納得するまで話した」


「ああ」


「それは、結婚式の一日より長い証明だと思う」


 冬華の指が、議論ノートの背表紙をなぞる。


「この十八冊に、文哉くんが私と一緒にいた時間が残っている。私は、それで十分よ」


 反論できなかった。

 写真に残るのは、一瞬だけ。

 結婚式に残るのは、一日の記憶。


 けれど、俺たちは高校生のころから、何年もかけて一緒にいることを選び続けてきた。


 それでも、式を挙げたいという気持ちが完全に消えたわけではない。


「俺は、冬華に誓いたい」


「なにを?」


「これからも一緒にいること」


「結婚式で?」


「本当は、そのつもりだった」


「ここでは、だめなの?」


「いま?」


「式を挙げなければ、言えない言葉?」


 冬華が、俺をまっすぐに見る。


 大勢の招待客はいない。


 立派な会場もない。


 俺たちが二年間暮らした、少し狭い1LDK。


 ローテーブルには、結婚式と新婚旅行のパンフレットが並んでいる。


 人前で誓うことに意味があると主張した。


 けれど、最も聞いてほしい相手は、最初から目の前にいる。


「冬華」


「はい」


「結婚しても、意見が合わないことはあると思う」


「すでに、かなり多いわね」


「喧嘩もするかもしれない」


「唐揚げにレモンをかけるときは、事前に範囲を確認しましょう」


「俺の本が増えすぎるかもしれない」


「上限を決める必要があるわ」


「仕事が忙しくて、話せない日もある」


「同じ部屋にいればいいでしょう?」


「それでも、話さなきゃいけないことからは逃げない」


 冬華が黙って聞いている。


「どちらかが納得していないのに、勝手に決めない。意見が違ったら、何度でも話す。くだらないことも、大事なことも、冬華と一緒に考える」


「それが、文哉くんの誓い?」


「ああ」


「結婚式でなくても言えたわね」


「そうだな」


「聞いているのが私だけでも?」


「冬華に聞いてもらえればいい」


「では、私も誓うわ」


 冬華は、俺の手へ自分の手を重ねた。


「文哉くんの意見を、最初から間違いだと決めつけない」


「57については、俺が正しかったけどな」


「いまは黙って」


「はい」


「自分の考えを、我慢して隠さない。意見が違っても、文哉くんそのものを嫌いになったとは考えない。結論が出ないときは、どちらか一人の問題にせず、二人の問題として考える」


「それから?」


「文哉くんが、私との生活に合理的な価値を見いだせなくなったとしても、感情的な価値を主張する」


「そんな日は来ないと思う」


「未来のことは、誰にもわからないでしょう?」


「高校三年生のときも言ってたな」


「でも、続けたいとは思っている」


「俺も」


 しばらく、どちらも話さなかった。


 結婚式場のパンフレットに載っているような、華やかな光景ではない。


 けれど、俺が式で伝えたかったことは、ほとんど伝えられた気がする。


「写真と新婚旅行にしよう」


 俺は言った。


「本当にいいの?」


「結婚式を挙げたい理由が、なくなったわけじゃない」


「家族や友人への感謝?」


「ああ。それは、別の形で伝える。両家で食事をして、友人には直接報告する」


「大勢の人と一日を共有することはできないわ」


「その代わり、一人ずつ話す」


「時間がかかるわよ」


「職場に近い家を選んだから、時間はある」


 冬華が笑った。


「議論がつながったわね」


「俺たちが決めてきたことは、全部つながってるんだと思う」


「カップ焼きそばも?」


「たぶん」


「バランの環境問題も?」


「どこかで」


「初詣の待ち時間は?」


「二人で過ごす時間の価値を確認した」


「では、今回も同じ結論ね」


「結婚式の一日より、二人で過ごす時間を選ぶ?」


「ええ」


「冬華の勝ちか」


「勝敗を決める議論ではないと言ったでしょう?」


「俺が納得したんだから、冬華の勝ちでいい」


「では、敗者には罰を受けてもらうわ」


「そんなルールはなかったぞ」


「いま決めたの」


「なにをさせる気だ?」


「新婚旅行では、私が行きたい場所にも付き合って」


「最初からそのつもりだ」


「美術館で閉館時間まで過ごすかもしれない」


「いいよ」


「一日に三か所、博物館を回る可能性もある」


「足が持つ範囲で」


「現地の裁判所を見学したい」


「新婚旅行で?」


「法学部卒業者として興味があるわ」


「俺は図書館へ行きたい」


「それなら、お互いさまね」


 冬華は旅行会社のパンフレットを開き、行きたい場所に付箋を貼り始めた。


 その数は、すでに予算と日程を超えている。


 旅行先を決めるまでに、十九冊目の議論ノートが必要になりそうだった。



    ◇


 翌年の《《五月七日》》。


 俺たちは婚姻届を提出した。


 この日を選んだ理由を役所の人に聞かれたが、説明はしなかった。


 57は素数ではない。


 そのどうでもいい事実がなければ、俺たちは話すこともなかったかもしれない。


 婚姻届を提出したあとは、両家の家族と小さな食事会を開いた。


 結婚式は挙げなかった。


 数日後、写真館で衣装を借りた。


 冬華は白いウェディングドレスを選び、俺は礼服を着た。


 最初は、姿勢を正した一般的な結婚写真を撮った。


 二枚目は、二人で議論ノートを持った。


 三枚目は、冬華の提案で、小さな黒板を持つことになった。


 黒板には、白い文字でこう書かれている。


 ――57は、世界で最も美しく高貴な素数である。


「待て」


 撮影直前、俺は言った。


「57は素数じゃない」


「写真に残すだけよ」


「未来の子孫が誤解するかもしれない」


「これまでの議論を象徴する、重要な文章でしょう?」


「誤情報を歴史資料に残すな」


「では、訂正を書き加えましょう」


 冬華は黒板へ、新しい一文を書いた。

 ――ただし、文哉くんは認めていない。


「俺だけが反対してるみたいじゃないか」


「実際、最初はそうだったわ」


「世界中の数学者も反対する」


「結婚写真の撮影中に、世界中の数学者を呼ばないで」


「これは事実の問題だ」


「笑ってください」


 撮影スタッフに言われ、俺たちは顔を見合わせた。


 どちらからともなく笑った。


 その瞬間が、写真に残った。


 結婚式は挙げなかった。


 その代わり、新婚旅行には、二人で取れる限りの休暇と、用意した予算の大半を使った。


 空港へ向かう電車の中で、冬華が尋ねた。


「飛行機では、窓側と通路側のどちらに座るべきだと思う?」


「長時間なら、通路側」


「私は窓側を支持するわ」


「外なんて、ほとんど雲か海だぞ」


「新婚旅行で最初に見る景色よ?」


「眠るなら関係ないだろ」


「では、ディベートを始めましょう」


 冬華は鞄から、真新しいノートを取り出した。

 表紙には、『文哉くんとの議論――新婚編』と書かれている。


「わざわざ新しくしたのか?」


「結婚したもの」


「中身は変わらないだろ」


「変わらなくていいのよ」


 冬華は、俺の左手にある指輪へ、自分の指輪を軽く触れさせた。


「これからも、話す相手が同じなら」


 結婚式は、挙げなかった。


 けれど、俺たちは結婚した。


 式場で誓いの言葉を交わさなくても、夫婦にはなれた。


 そして結婚したからといって、すべての意見が一致するわけではない。


 窓側と通路側。


 その程度のことでも、俺たちはきっと、何度でも話し合う。


 くだらないことも、大切なことも。


 同じ答えを出すためではなく、同じ人生を歩いていくために。

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