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神様に会うまで、三時間

 §大学一年・冬§


「初詣は、地元の小さな神社と、有名な大社のどちらへ行くべきだと思う?」


 十二月三十一日、午後十時。


 冬華は、俺の部屋のこたつに入りながら尋ねてきた。


 テーブルの上には、食べ終えた年越しそばの器と、ミカンの皮が置かれている。


 テレビでは、全国的に有名な大社からの中継が流れていた。


 境内はすでに大勢の参拝客で埋め尽くされている。


『現在の待ち時間は、およそ三時間になる見込みです』


 中継先のリポーターが伝えた。


 画面に映る参拝客は、寒そうに肩を寄せ合っている。


 一方、俺のアパートから歩いて五分の場所には、地元の小さな神社がある。


 大学へ通う途中、何度も前を通ったことがあるが、参拝客が並んでいるところを見たことはない。


 待ち時間は、ほぼ零分。


 俺たちは、どちらかへ初詣に行くつもりだった。


「地元の神社」


 俺は答えた。


「即答ね」


「待ち時間が違いすぎる。片方は零分で、片方は三時間だぞ。比較するまでもないだろ」


「でも、一年で最初のお参りよ?」


「小さな神社だって、神社は神社だ」


「せっかくの初詣なのに?」


「小さい神様では不満なのか?」


「神様の大きさについて話しているわけではないわ」


 冬華はこたつの上に置かれていたミカンを一つ取り、丁寧に皮をむき始めた。


 俺たちは高校卒業後、同じ大学へ進学した。


 俺は文学部。

 冬華は法学部。


 高校三年生の春、お互いの志望校を伏せたまま進路を決めた結果、偶然同じ大学を第一志望にしていた。


 その後、二人とも無事に合格した。


 大学の近くで、それぞれ別のアパートを借りた。


 俺の部屋から冬華の部屋までは、電車で二駅。


 毎日会える距離ではあるが、一緒に暮らしているわけではない。


 高校時代より自由な時間は増えた。


 同時に、授業やサークル、アルバイトで予定が合わない日も増えた。


 それでも、くだらない議論をする習慣だけは変わらなかった。


 むしろ、大学へ入ってから扱う議題の範囲が広がった。


「それでは、ディベートをしましょう」


 やはり、そうなった。


 冬華は鞄から一冊のノートを取り出した。

 高校時代から使っている『文哉くんとの議論』は、すでに四冊目に入っている。


「議題は、『初詣は地元の小さな神社と、待ち時間三時間の有名大社のどちらに行くべきか』」


「勝った方が行き先を決める?」


「ええ。私は有名大社を支持するわ」


「冬華が?」


「意外?」


「人混みが苦手だろ」


 大学祭へ行ったときも、人の多さに耐えられず、入場から二十分で会場を離れた。

 夏の花火大会では、駅前の混雑を見た瞬間に引き返し、俺の部屋で中継を見ることになった。


「苦手であることと、行く価値がないことは同じではないわ」


「三時間も並ぶんだぞ」


「だからこそ、議論する必要があるのでしょう?」


 冬華はノートに二つの選択肢を書いた。


 地元の小さな神社――待ち時間零分。

 全国的に有名な大社――待ち時間三時間。


「制限時間は、午後十一時まで」


「ずいぶん短いな」


「有名大社へ行くなら、そろそろ部屋を出ないといけないもの」


「勝敗は?」


「相手を納得させた方の勝ち」


「いつも一番難しい決め方を選ぶよな」


「恋人同士なのだから、納得していないふりは見抜けるでしょう?」


「前より冬華の嘘が上手くなってるからな」


「文哉くんで練習しているもの」


「恋人を訓練台にするな」


 冬華は、むいたミカンを一房だけ俺の口元へ差し出した。


「食べる?」


「論点をミカンでごまかそうとしてないか?」


「いらないの?」


「食べる」


 差し出されたミカンを食べる。

 甘かった。


「では、私から」


 冬華は残りのミカンを自分の口へ運んだ。


「初詣は、単に神様へお願いを伝えるためだけの行事ではないわ。新しい年を迎えたことを実感し、その一年がよいものになるよう願うための特別な行事よ」


「地元の神社でもできる」


「有名大社には、普段とは違う雰囲気があるでしょう? 大勢の参拝客、立派な社殿、屋台、おみくじ、お守り。そうしたものを含めて、初詣という体験になるの」


「それは参拝というより、観光じゃないか?」


「観光を兼ねてはいけないの?」


「いけないとは言ってない。でも、神様へ参るという目的なら、近所の神社で十分だ」


「十分かどうかで決めるの?」


「合理的だろ」


「恋人同士で迎える、大学一年目のお正月なのに?」


「条件の提示がずるいな」


「事実を述べただけよ」


 俺たちが付き合ってから、二人だけで年を越すのは初めてだった。


 高校生のころは、年末年始はそれぞれの実家で過ごしていた。


 今年は二人とも一人暮らしである。


 実家には数日前まで帰っていたが、大晦日は大学のある街へ戻ってきた。


 俺の部屋で年越しそばを食べ、こたつに入り、二人で新年を迎える。


 それだけでも、俺には十分特別なことだった。


「特別な日だからこそ、三時間も行列で消費したくない」


 俺は言った。


「消費?」


「寒空の下で、ほとんど動かない列に並ぶんだぞ。いまから出発して、電車に乗って、大社へ着いて、三時間待つ。参拝が終わるころには明け方だ」


「それも思い出になるわ」


「つらい記憶として?」


「あとから振り返れば、楽しかったと思えるかもしれない」


「それは、楽しくなかった出来事を、時間が美化してるだけじゃないか?」


「思い出になった時点で価値が生まれるでしょう?」


「つらい経験なら、なんでも価値があるのか?」


「なんでもとは言っていないわ」


「じゃあ、待ち時間が六時間でも行く?」


「六時間なら考える」


「五時間は?」


「厳しいわね」


「四時間」


「かなり迷う」


「三時間」


「許容範囲よ」


「その境界は、なにを根拠に決めたんだ?」


「文哉くんと三時間なら、耐えられると思ったから」


 言葉に詰まった。


「また急に率直になるな」


「事実でしょう?」


「それを言われると反論しづらい」


「ディベートでは、相手が反論しづらい論拠を提示するべきよ」


「恋人関係を論拠として悪用してるだろ」


「有効活用よ」


 冬華は、テレビ画面を指した。


 参拝客の列には、家族連れや友人同士、若い男女の姿が映っている。


「並んでいる三時間も、二人で話していれば無駄にはならないわ」


「話すなら、この部屋でいいだろ」


「ここなら、いつでも話せるでしょう?」


「冬華が俺の部屋にいること自体、いつでもできることじゃない」


「電車で二駅よ」


「それでも、毎日来るわけじゃない」


「毎日来てもいいの?」


 冬華が尋ねた。


「え?」


「いま、私がこの部屋にいることには、特別な価値があると言ったでしょう?」


「毎日来られたら困るとは言ってない」


「では、毎日来てもいいのね?」


「大学の授業や自分の部屋はどうするんだ」


「仮定の話よ」


「初詣の議論中に、同棲の可否へ論点を広げるな」


「文哉くんが、ここならいつでも話せると言ったからでしょう?」


「冬華が言ったんだよ」


「そうだったかしら」


「自分の発言に責任を持て」


 冬華はノートへ、「待ち時間も二人の時間」と書き加えた。


「次は文哉くんの主張を聞くわ」


「地元の神社へ行くべき理由は、まず近いこと」


「わかりやすいわね」


「歩いて五分。待ち時間は零分。参拝を終えても、すぐこの部屋へ戻ってこられる」


「効率だけで選ぶの?」


「効率は大事だ。三時間あれば、映画を一本観られる。新年最初の朝食も作れる。初日の出を見に行くことだってできる」


「文哉くんの場合、三時間こたつから出ないだけでは?」


「その可能性はある」


「有効活用できていないでしょう?」


「こたつで休むことも、有効な時間の使い方だ」


「冬になると、人は怠惰を休養と言い換えるのね」


「三時間立ちっぱなしより健康的だ」


「こたつで寝るのも健康に悪いでしょう?」


「寝なければいい」


「さっきまで、うとうとしていたけれど」


「年越しそばを食べたからだ」


「食後に眠くなる人が、初日の出まで起きていられるの?」


「冬華が起こしてくれれば」


「私を目覚まし時計として使うの?」


「恋人として協力を求めてる」


「その言葉は便利ね」


 俺はこたつの上にあった、近所の案内地図を広げた。


 アパートから地元の神社までは、細い住宅街を抜けてすぐである。


「そもそも、神社の価値は有名かどうかで決まらない」


「もちろんよ」


「有名大社の方が御利益が強いと思ってないか?」


「思っていないわ」


「参拝者の人数が多いほど、神様の力が増すとか」


「人気投票ではないもの」


「だったら、小さな神社でいいだろ」


「神様の力ではなく、体験の違いを話しているの」


「小さな神社にしかない体験だってある。静かな境内で、落ち着いて祈れる。賽銭箱の前で後ろの人に急かされることもない」


「三時間並んで、お願いする時間は数十秒かもしれないわね」


「費用対効果が悪すぎる」


「神様へのお願いに、費用対効果を求めるの?」


「時間をかければ願いが叶いやすくなるわけでもないだろ」


「努力を示すことにはなるわ」


「神様は行列の長さで信仰心を判断するのか?」


「少なくとも、三時間かけてでも参拝したいという意思は伝わるでしょう?」


「地元の人が毎日通う方が、信仰としては強くないか?」


「回数で判断するなら、初詣一回の価値は小さいことになるわ」


「だから、混んでいる日に無理して行く必要はない」


「初詣そのものを否定し始めていない?」


「否定してない。地元の神社へ行こうと言ってる」


 俺は地図に描かれた、小さな鳥居の記号を指した。


「それに、住んでいる土地の神社へ挨拶する方が自然だと思う」


「土地への挨拶?」


「俺たちは、この春からこの街で暮らし始めた。大学を卒業するまで、少なくとも四年間は世話になる。その土地の神様に、新年の挨拶をする」


「神様に住民票を確認されるの?」


「されないとは思う」


「文哉くんは、まだ住民票を実家から移していないでしょう?」


「神様が確認するなら、住所変更の手続きをする」


「新年早々、市役所は開いていないわ」


「現住所はこっちなんだから、問題ない」


「信仰の話をしていたはずなのに、急に行政手続きになったわね」


「住民票を持ち出したのは冬華だ」


 冬華はノートに、「地域とのつながり」と書いた。


「でも、有名大社にも長い歴史と、その場所にしかない文化があるわ」


「それは別の日に、観光として行けばいい」


「初詣だからこそ、意味があるのよ」


「混雑も含めて?」


「ええ」


「大勢の人間が同じ日に押しかけることに、宗教的な意味があるのか?」


「同じ節目を共有しているという一体感があるでしょう?」


「知らない人たちと?」


「社会の一員として、新しい年を迎えたと実感できるわ」


「俺は冬華と迎えられれば、それでいい」


 冬華が黙った。


「……いまのは、ディベート上の発言?」


「本心」


「また、反論しづらい言葉を選んだわね」


「冬華に教わった」


「悪いところばかり覚えるのね」


 冬華はノートを閉じ、こたつの上へ置いた。


 時刻は、午後十時四十五分。

 テレビでは、有名大社の待ち時間が三時間半へ延びたと伝えている。


「状況が変わったぞ」


「三十分増えただけよ」


「さっき、三時間が許容範囲だと言っただろ。三時間半は?」


「……かなり迷うわ」


「地元の神社なら零分のままだ」


「参拝客が少しは増えるかもしれないでしょう?」


「増えても五分だろ」


「待ち時間に百八十分と五分の差があるわね」


「正確には二百十分と五分だ」


「急に有名大社へ不利な計算を始めたわ」


 冬華はテレビ画面と、こたつの上の地図を交互に見た。


「質問してもいい?」


「どうぞ」


「地元の神社へ行った場合、参拝が終わったあとは?」


「ここへ戻る」


「それから?」


「こたつに入る」


「ほかには?」


「テレビを観たり、ミカンを食べたり」


「いまと同じね」


「初日の出まで起きていてもいい」


「私も?」


「もちろん」


「この部屋にいていいの?」


「最初から、そのつもりじゃなかったのか?」


 冬華の鞄は、普段より少し大きい。

 着替えらしい布地が、わずかに覗いている。


「念のため、泊まる準備はしてきたけれど」


「先に言ってくれ」


「嫌だった?」


「嫌じゃない。ただ、心の準備が必要だろ」


「なにを想像しているの?」


「なにも想像してない」


「本当に?」


「いまは初詣の議論中だ」


「顔が赤いわ」


「こたつが暑いんだよ」


 俺はこたつの温度を一段階下げた。


 冬華はなにも言わず、少しだけ身体を横へ移動させた。

 向かい側ではなく、俺の隣へ。

 一枚のこたつ布団の下で、彼女の足が俺の足へ触れた。


「三時間、寒空の下で並ばなくても」


 俺は言った。


「三時間以上、ここで一緒にいられる」


「有名大社には屋台があるわ」


「冷蔵庫に餅がある」


「おみくじも引ける」


「地元の神社にもあるかもしれない」


「なかったら?」


「俺が作る」


「文哉くんの主観で、吉や凶を決めるの?」


「全部、大吉にする」


「おみくじとしての公平性がないわ」


「新年くらい、全員大吉でもいいだろ」


「それでは、大吉の希少価値が下がるわ」


「御利益を人気投票みたいに扱うなと言ったのは冬華だぞ」


「おみくじと御利益は別の話よ」


「また新しい議題を増やすな」


 午後十一時になった。


「制限時間ね」


 冬華が言った。


「判定は?」


「地元の神社にするわ」


「俺の勝ち?」


「有名大社には、初詣ならではの非日常的な体験がある。その主張は変わらないわ」


「でも、三時間半は長い?」


「それもあるけれど」


 冬華は、こたつの中で俺の足先を軽く蹴った。


「今年は、文哉くんと新しい年を迎えることの方が大切だから」


「それなら、最初から地元の神社でよかったじゃないか」


「最初から決めていたら、ディベートができなかったでしょう?」


「行き先を決めるための議論じゃなかったのか?」


「文哉くんが、私と三時間並ぶことにどれほどの価値を感じているか確認する議論よ」


「途中から目的が変わってる」


「結果として、三時間並ぶより、この部屋で過ごす方が価値は高いとわかったわ」


「それは冬華が判断することなのか?」


「文哉くんが言ったでしょう。私とここで過ごしたいと」


「言ったけど」


「なら、問題ないわ」


 冬華は満足そうにノートへ判定を書き込んだ。


 午後十一時五十分。


 俺たちはコートを着て、部屋を出た。


 冬の夜は冷えていた。

 吐いた息が白くなる。


 住宅街を五分ほど歩くと、暗闇の中に小さな鳥居が見えてきた。


 境内には、近所の住民らしい人が数人いるだけだった。


 行列はない。

 屋台もない。

 テレビ中継も来ていない。

 社殿も、有名大社と比べればずっと小さい。


 それでも、日付が変わるころには、どこからか除夜の鐘が聞こえてきた。


 境内の明かりに照らされながら、冬華と並んで鳥居をくぐる。


 賽銭を入れ、鈴を鳴らす。


 二礼二拍手。

 目を閉じた。

 今年も冬華と一緒にいられますように。


 同じ大学へ合格したときも、似たようなことを願った気がする。


 願いというより、これからもそうするという意思確認に近い。


 一礼して目を開ける。


 隣では、冬華がまだ目を閉じていた。

 やがて彼女も一礼し、こちらを向いた。


「あけましておめでとう、文哉くん」


「あけましておめでとう、冬華」


「なにをお願いしたの?」


「言ったら叶わなくなる」


「それはおみくじではなく、願い事にも適用されるの?」


「冬華は?」


「秘密よ」


「俺だけ答えさせようとしたのか」


「同じことを願っているか、確認したかっただけ」


「じゃあ、たぶん同じだ」


「どうしてわかるの?」


「恋人だから」


「合理的な根拠になっていないわ」


「新年くらいいいだろ」


 冬華が、俺の手を握った。


 有名大社のような熱気はない。

 立派な社殿も、屋台の明かりもない。

 けれど、静かな境内で冬華と迎えた新年は、十分に特別だった。


 参拝を終えるまでにかかった時間は、五分もない。


「これから、どうする?」


 帰り道、冬華が尋ねた。


「部屋に戻って、餅を焼く」


「それから?」


「初日の出まで起きている」


「あと六時間くらいあるわ」


「有名大社に並ぶより長いな」


「では、その時間に価値があることを証明してもらわないと」


「どうやって?」


「次の議題を考えてきたの」


「新年早々やるのか?」


「お正月に食べる餅は、焼くべきか、煮るべきか」


「焼く」


「私は煮る派よ」


「雑煮に入れるなら地域によるだろ」


「早くも議論が始まったわね」


 初詣は、地元の小さな神社と、待ち時間三時間の有名大社のどちらへ行くべきか。


 結局、すべての人に当てはまる答えは出なかった。


 ただ、俺たちにとっては、待ち時間零分の小さな神社で正解だったと思う。


 三時間並ばなくても、思い出は作れる。


 そのあと六時間も、同じこたつに入って議論する相手がいるのなら、なおさらだった。


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